第16話 今はただ

 唐突な言葉に、俺は少年を問いただした。

「なぜそう思うんだ? 槻伏がすでに攻め落とされているなどと」

「沖沼方の行動が、どう考えてもかなり計画的なものだからです。麻岐まき国衆くにしゅうだけでなく、他国である斯野しのの国衆まで味方に引き入れてますから。とりでで勝利した後どうするかも、よくよく計画をっているはずです」

「それは……」

 確かに、念入りな準備の上としか思えない。いや、それだけではなく――。

 俺は戦の前を思い起こしながら、

「……麻岐の国衆も、新柄家にいづかけからの伝令が参陣をうながした時、諸事情で遅参ちさんするむねを告げてきた者や、兵があまり集められなかったとびる者がいた。思えばあれも、事前に打ち合わせが行われていたのだろうな」

「沖沼は、うらみや不満を晴らすためだけに謀反むほんを起こしたのではないのでしょう。もっと明確に、目指しているものがあるのだと思います。そうでなければ、なかなかここまで周到しゅうとうにやりません」

「目指しているもの?」

「おそらく、自らが守護代に取って代わるつもりか、あるいは自分にとって都合のいい誰かを新たな守護代にするか、ではないかと。他国の国衆が話に乗ってきたのも、勝てれば新たな守護代から何らかの見返りが受けられるからでしょう」

 新柄家に打撃を与えたその先まで考えてのこと――か。


 俺は、自分が漠然と思っていたよりも事態が深刻なのを感じ取りながらも、少年に疑問を投げかけた。

「計画的なものだからと言って、それだけで槻伏が攻め落とせるものでもないだろう?」

「完全にきょをつかれて惨敗ざんぱいした新三郎様が状況を引っくり返すのは、容易ではありません。もしも、砦で奇襲をかけてきた者たち以外にも沖沼方についた者がいたら……かなり厳しいと思います」

「……」

「砦での奇襲以外にく兵力があるとすれば、私なら、退却してくる新柄軍を待ち伏せさせます。もちろん、実際にはそんな兵力はないかもしれません。それでも……どちらが不利かなど、あなたも分かっているのではありませんか?」

 どきりとした。

 考えたくなかったから、考えずにいたことだ。

 あんなひどい総崩れの後で、あの若殿が自軍を立て直して逆転なんて――出来ると思えない。

 それにそもそも、砦での戦から、今日でどれぐらいたってるんだろう。

 山中をさ迷っている間、時間の感覚がなくなっていたが――もしかするとすでに、槻伏を攻め落とすのに充分なほど、時は過ぎているのではないか。

 少年の冷静な言葉が、さらに追い打ちとなった。

「守護家に『自分たちだけで鎮圧してみせる』と、援軍が必要ないと思わせるふみを送っておられますから、援軍も……すぐには来ないと見たほうがいいでしょう」


 心のどこかでは、分かっていた。新柄家なんか、とうにほろぼされていてもおかしくない、逆転なんてしていたら奇跡だろう、と。

 戦の勝敗なんてまだついてなくて、槻伏に戻れば新柄家も五百瀬家も健在で、俺がいるべき場がちゃんとあると、そう思いたくて――見ない振りをしていた。


 少年は、思考を巡らしているような面持おももちで、

「五百瀬家が沖沼方につく可能性は、どれぐらいありますか?」

「それは……よほどのことが起きなければ、あり得ない。父は義理堅いし、新柄家には取り立ててもらった恩義を感じているから、裏切るとは到底考えられない」

「ならばやはり、下山してからも、状況が分からないうちは目立つ行動はひかえるのが賢明です。沖沼方があなたの存在を知れば、当然ながら敵と見なすでしょうから。その点から言っても、怪我を治してから下山したほうが良いのです」

「なぜ?」

「怪我を負った者が戦や新柄家のことを聞いて回っていれば、それだけでも不審者と見なされかねません。ましてや、それが沖沼方に伝われば、間違いなく怪しまれます」

 思いも寄らない指摘だった――が、確かにそうだと、うなずかざるを得なかった。


 俺は重い気持ちを抱え、うつむいた。すぐにでも槻伏に戻りたいが、戻ったらとしても、絶望的な光景をの当たりにすることになるだけなのではないかという不安が、背にのしかかってくる。

 そんな俺に、少年は明晰めいせきな口振りで、静かにさとすように告げた。

「あなたがまずやるべきことは、麻岐国がどのような状況になっているのか、確かめることです。沖沼方の人間に見つからぬよう、それ以外の人間にも素性すじょうを知られぬよう、細心さいしんの注意を払いながら」

 俺がゆっくりと顔を上げると、少年はまっすぐにこちらを見ていた。

 その眼差まなざしは、大地にしっかりと立つ道しるべのようでもあった。

 薄闇の中を手探りで進んでいたのに、いつの間にか視界が開けていたような、そんな心地だった。

 聞いたばかりの言葉を胸の内で反芻はんすうしていると、彼はさらに、

「槻伏が攻め落とされているかどうかも、実際のところはまだ分かりません。分からぬことばかりなのですから、先を考え過ぎても、かえって身動きが取れなくなります。今できること、やるべきことに集中し、それ以外は分かってからでよいのです」

 と、穏やかに、そしてはっきりと述べた。

 彼の声は、体にすっと浸透していくような、不思議な響きを帯びていた。

 自分の中にあった焦りや恐れが、次第に影をひそめていった。


 俺がしなければならないのは――下山して、戦の行方ゆくえや新柄家、五百瀬家について、出来る限り隠密おんみつに調べる。

 今はそこまででいい。

 それでいいんだ。


 俺は少年に軽く微笑ほほえんで見せ、

「まだ分からんことを、今から考えたり悩んでも仕方ない。地道に一つずつ、やっていくしかないな。よし、腹を決めた。差し当たっては、下山するためにも怪我を治すのに専念しよう。もうしばらく世話になるが、どうか、頼む」

 と、きっぱり伝えた。

 彼は突然、はっとした表情で頭を下げ

「差しがましいことを申しました。あなたのお家のこともろくに知らぬ身で」

 と詫びた。

 俺は少々困惑しつつ、

「いや、そなたのおかげで迷いがなくなった。差し出がましいなどとは思っとらん」

 と否定したが、なおも彼は、複雑な顔をしたままだった。

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