第15話 復調

 目が覚めた時には、すでに太陽の光が力を失いつつあった。

 日暮れ間近なのだろう。小屋に入り込む風も、昼間のそれとは質が違う。

 体からは、熱やだるさがせていた。内側で暴れていたものが、抜けてしまったようだった。

 俺はゆっくりと半身を起こした。すっかり治ったとまでは言えないものの、無理さえしなければ大丈夫そうだ。


「お加減はいかがですか?」

 そうたずねる声がしたので、そちらを見ると、少年が近づいてくるところだった。

 俺のそばに座った彼に、

「もう大丈夫だ。心配をかけたな」

 と答えると、

「どうぞ」

 と、水の入った椀を差し出された。

 俺は、

「かたじけない」

 と言って受け取り、少しずつ、少しずつ、飲み干した。

 俺はのどが渇いていたんだなと、飲み終わってから気づいた。


 空になった椀を少年に返しつつ、

「熱に浮かされていた時に、そなたにいろいろと言ったが……」

 と、おずおず切り出すと、彼は、

「大事にいたらなかったので、安心しました」

 とだけ言って、静かに立ち上がった。その口振りや表情には、わずかながら、本当にほっとしている様子がにじんでいた。

 食器類が置いてあるほうへ行こうとする少年の背に、俺は、

「すまなかった」

 とびた。

 振り向いた彼は、何も言わず、ただ軽くうなずくだけだった。


「ところで、これは何のにおいだ?」

 俺が鼻でにおいの元をさぐりながらたずねると、少年は、

「栗です」

 と、実に端的に教えてくれた。

 栗というと、鹿が今朝持ってきた、あれか。道理で、こうばしさの中にほくほくとした甘さも含んだにおいな訳だ。

 少年は炉端ろばたへ行くと、火箸ひばしで灰の中から何かを次々に取り出した。

 彼が布に包んでこちらまで持ってきたそれは――湯気を立てている、皮付きの栗だった。


 皮にだけ切れ目が一筋入れられていたのだろう。五粒の栗は、どれも熱でその切れ目が貝の口のように少し開き、実の部分が顔をのぞかせている。

 栗を焼く場合は、皮に切れ目を入れておかないと破裂してしまう――爺様からそう教わったことがある。

「召し上がられますか?」

 少年にそうたずねられ、その途端、俺は自分が空腹なことにも気づいた。

 俺が自分の腹を見下ろしながら、

「ずっとただ寝ていただけなのに、それでも腹は減るようだ。いただこう」

 と答えると、少年は栗を小刀で半分に切り始めた。

 何をする気かと思っている間に、栗はすべて真っ二つになっていた。

 さらに彼は、小刀の先を皮と実の間に差し込み、実だけをぽろりと取り出していく。

「どうぞ」

 と、実だけを布に乗せて差し出され、俺は「なるほどな」と感心した。皮をむくより、このほうが早いし楽だろう。

 さっそく実を口に放り込むと、甘みがじわりと舌に広がった。み砕くと、あっという間に腹の中に落ちていく。

 じっくり味わって食わねばと思うのだが、もっと食べたいという欲求も同じぐらい強く、結局、すぐに食べ終わってしまった。

 それを待っていたかのように、少年が、

「召し上がりたいだけ、どうぞ」

 と、新たな栗の実を差し出してきたので、俺はそれも黙々と平らげた。

 腹が満たされた代わりに、大量の栗の皮が山積みになっている。それを眺めた時、俺はここに来てから初めて、本当の意味で人心地ひとごこちがついたような、そんな気がした。

 ただ、こんな風に穏やかで満ち足りた気持ちでいればいるほど――罪悪感めいたものも増していく。

 のん気にしていられる身の上ではない。こうしている今も、槻伏つきぶせでは五百瀬家いおせけの者たちが危機におちいっているかもしれないし、俺自身だって、追っ手に狙われるかもしれないのに――ん?


 そう言えばと、思い出し、俺は少年に確認した。

「俺が眠っている間、誰も来なかったわけだよな?」

「はい。実は、鹿にあなたの見守りを頼んで、その間に薬草を採りに行っていたのですが、その時も、人の気配すら感じませんでした」

「え?」

 あれほど、何もしてくれなくていいと言ったのに――俺がそう思っているのを察してか、少年は、

「念のためです。あったほうが、少なくとも私自身が安心できますから」

 と付け加えた。


 俺はちょっと考え込み、

「崖から落ちて、ここにたどり着いて今に至るまでで、時間は結構たっている。追っ手は差し向けられているけれど、探し出せていないのか。それとも、俺なんか小物に過ぎないと思われていて、そもそも追っ手なんか差し向けられていないのか」

「あなたはすでに亡くなっている、と思われているのかもしれません。崖から落ちるところを目撃されているのですから」

「小物扱いされているか死んでると思われてるのなら、不本意ではあるが好都合だな。かえって自由に動ける」

 そう少し楽観視してから、俺は大きく息をつき、

「何にせよ、早く下山しないと。山を出たほうが、むしろ心をやすんじていられそうだし。さすがに、山中以外も徹底的に探す、なんていう余裕は向こうもないだろうから」

「下山した後も、警戒の手をゆるめるべきではありません。槻伏までの道中も、槻伏に着いてからも」

「ん?」

「とうに槻伏が攻め落とされている可能性も高いですから」

「え?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る