第10話 違和感

 俺は少年の手を見下ろした。

 こちらの腕をつかんでくるその力は、決して強くないのに、なぜか振りほどけない強固さがある。

 俺が座り直すと、彼はようやく手を離し、炉の向こうへ戻った。


 姿勢よく座った彼は、医者のごとく明確な口振りで、俺を制止してきた。

「私は些少さしょうながら医術の心得こころえがあるので、申し上げます――行ってはなりません。今のあなたの体では、下山は危険です。たとえ下山できても、戦場になっているかもしれない所に駆けつけて、どうやって戦うおつもりですか?」

 俺は小さく苦笑し、

「そんなことは分かった上で、だ。己の身を守るために他人を危険にさらしてしまったら、俺は後ろ暗い気持ちを抱えながら生きていかなくてはならん。俺の生き方の問題だ。そなたが気にむ必要はない」

「ならばあなたも、私のことで気に病む必要はありません」

「え?」

「私はもはや、生きることを捨てた身です。この命が尽きるその時を、ここでただ待っているにすぎません。その時が早かろうと遅かろうと、さしたる違いもありません」

 すぐには意味がつかめなかった。

 何を言ってるんだ? この少年は。

 得体えたいのしれない、漠然ばくぜんとした怖さが、そこにはあった――いや、あやうさと呼んだほうがいいかもしれない。


 俺が何も言い返せずにいると彼は、端正たんせいなのにうつろなおもてで、

「私の身内も、すでに私はこの世にいないものと思っていることでしょう。私がこの世から消えても、何一つ変わりません。ですが、あなたは違う。待つ者がいて、なすべきことがあるのなら、命を粗末にしてはなりません」

 とさとし、首を横に振った。


 少年に対してぼんやりと抱いていた違和感が、確信に変わった。

 妙な奴だと思っていたが、これは――己の命への執着がないのか?

 まともではない、のか?

 ならば、まともに相手にしていては切りがない。

 強引に振り切って、出ていくか。

 怪我は負っていても、体格ではこちらが上だし、武術を身につけている。力を振り絞れば、行けなくはないだろう。

 そうするべきだ。そのほうがこんな所で時間を食っているより――と、思うのだが。


 なぜだろう。ためらう気持ちがわくのは。

 爺様じじさまに似ているからだろうか。たった一人で山野に埋もれるようにして、淡々たんたんと命が尽きるまでを過ごしている、その姿が。

 彼をここに残して、俺だけ出ていって、山を下りて――それでいいんだろうか。

 ほんの偶然でここにたどり着いて、出会って――何とも頼りない、つながりだ。

 それを俺が振り切れば、彼はもう、誰とも関わりを持つことも無くなるのではないか。

 それで、いいんだろうか?


 そんなもの、俺の知ったことではない。所詮、他人事。かまってはいられない。

 忠告すべきことはした。それでも自ら危険に身をさらすなら、どうしようもない。俺の責任ではない。

 俺は、行かなければならないのだ――頭の中の冷静な部分はそう訴えるのに、動けなかった。


 それでも無理やり、自分の体を動かそうとした――その時。

 少年がおもむろに、火箸ひばしを手に取った。

 彼はその火箸で、炉の灰の中をつんつんと探っている。

 やがて、

「焼けたようです」

 と、「そろそろ日が暮れます」と言うのと変わらない調子で告げると、さらに火箸で灰をかき分けるようにし、何かをはさんで取り出した。

 それは――。

 どう見ても、山芋だった。


 皮が所々焦げ、湯気を立てている山芋を前にして、俺は何を思えばいいのか分からなかった。

 分からなかったが、困惑を押し隠し、

「ええと。それは、さっき鹿が持ってきた奴……だよな?」

「はい。取りあえず焼いてみました」

 取りあえずって、何だろう。

 俺は見たことのない山芋の姿に、首をかしげながら、

「山芋は、すりおろして食べるものではないのか?」

「この小屋には、すり鉢もおろし器も置いてないのです」

 なら仕方がない……が、だからと言って、焼くか?


 少年は、脇に置いてあった布で山芋を一つくるんで、こちらに差し出した。

「よろしければ、お召し上がりください」

 そう勧められて、俺は取りあえず山芋を手に取り――。

あつっ!」

 取り落としかけたが、どうにかつかみ直し、ことなきを得た。

 少年は落ち着き払ったまま、

「焼きたては熱いので、お気を付けください」

 と、注意をうながした。

 そういうことは、もう少し早く言ってほしかった……。

 いや、彼が布越しに芋をつかんでいる時点で、気づくべきだったか。


 辺りは先ほどまでよりいっそう日差しを弱め、風も夕暮れめいたものに変わっていた。

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