第6話 既視感

「ところで、ここはまだ麻岐国まきのくにだろうか? それとも俺は、西の斯野国しののくにのほうにまで来てしまったんだろうか。どうも、自分が今いる場所すら分からなくなってしまったんだが」

 怪我をした左肩に薬を塗ってもらいながら、そうたずねると、

「私にも分かりません」

 と、すっぱり言われてしまった。

 俺はやや戸惑いつつ、

「ええと……麻岐と斯野は東西の境を接していて、笹羅山ささらやまはちょうどその国境くにざかいにあるから、半分ほどは斯野に属するが。そなたはどの辺りが境か把握はあくしていないのか?」

「ここは笹羅山なのですか?」

 逆に聞き返されて、ますます困惑した。

 まさか――俺はおそる恐る確かめた。

「何という山なのかすら知らずに、ここに来ているのか?」

「はい。行く当てもなく心のおもむくままに歩いていたら、たどり着きました」

 ……待て。

 来ようと思ってここに来たんじゃないのか?


 どうにも話が見えない。ちょっと質問を変えよう。

「そなたはいったい、どこから来たんだ? ふらっとここまで来るぐらいだから、そう遠くからではないのだろう?」

「元々居た所は、捨てました」

 は?

 何か、とんでもない話になってきたような……。

 内容もさることながら、それを少しも感情の起伏がない口調で言われると、余計に訳が分からなくなる。

 さりとて、ここで話を終わらせるわけにはいかない。真意を確かめねば。

「捨てたとは……家出か何かか? それでも、その元々住んでいた場所は、今もちゃんとあるだろう? それを聞いているんだ」

「もはや、私には関わりのない場所です。今はもう、その地は何の意味も持っていません」

「ええと、では、そなたが今住んでいるのは……」

「この小屋で暮らさせてもらってます」

 てっきり、笹羅山の近辺に住んでいて、たまたまこの小屋に来ていたのだと思っていたが。

 俺は傷口がうずくのをこらえつつ、

「この小屋も、たまたま見つけただけ、なのか」

「はい。かなり長い間、誰も使っていない様子だったので、すでに打ち捨てられているのだろうと判断して、拝借しています」

 何でもないことのようにさらっと言われて、力が抜けた。

 ……使われていないからと言って、さすがに普通は住み着いたりせんと思うが。


「完全に当てがはずれたな……」

 思わず俺がそうつぶやくと、少年は薬を塗り終わった肩に布を巻き直しながら、

「当てとは何のことですか?」

「下山するための道が聞けるかと思ってたんだ。よもや、そなたがこの山や、その周辺の地理に不案内とは……」

「私は斯野国を歩いているうちにここまで来たので、斯野側に下山する道なら分かりますが。来た道は覚えているので、それを逆にたどれば下山できます」

「いや、俺は麻岐に戻らねばならないんだ。麻岐国の、槻伏荘つきぶせのしょうに。いったん斯野へ行ってからとなると……かなり時間がかかりそうだな」

 また山中を闇雲やみくもに歩き回るぐらいなら、確実な道を行ったほうがましかもしれないが――出来れば時間も労力もかけたくない。というより、かけている余裕がない。

 敵が守護所のある槻伏荘にまで攻め寄せていたら、五百瀬家いおせけの者たちがあやうい。一刻も早く戻らねば。

 弟の松若まつわかはしっかりしているから、きっと母上や家人けにんたちを守っていてくれるとは思う。ただ、あいつはやまいがちだから、その点が心もとない。

 別の隊になった父上が、無事にお戻りになっていてくださればいいが。

 さて、どうしたものか――。


 俺が思案しあんに暮れていると、少年が、

「終わりました。完全に治るまでの間は、出来るだけ左肩は動かさないようにしてください」

 と告げた。布を巻き終わったようだ。

 俺は再び借り物の小袖を着ると、少年に向き直り、

「かたじけない。そなたにはずいぶん世話になった。……そう言えば、まだそなたの名を聞いてなかったな。何と言うんだ?」

「名前も捨てました」

 またか。

 俺はあきれ半分、いら立ち半分で、

「名前ぐらい言えないのか? 捨てたということは、元々は持っていたはずだろうが」

「名乗っておられないのは、あなたも同じです」

「あ」

 いかん。自分は名乗りもせずに、一方的に相手のことを問い詰めていた。これでは尋問じんもんだ。

 名を知りたいなら、こちらから名乗らねば。俺は気を取り直し、

「すまなかった。俺の名は……」

「私はあなたの素性すじょうを聞こうとは思いません。どうか、私の素性に関しても、詮索はご容赦ようしゃください」

「……」

 取り付く島もないというのは、こういうことを言うのか。

 まあいい。他に人がいるわけでもないから、名など分からなくても、どうにでもなるだろう。


 少年はと見れば、手当てに使った道具を片付けている。

 その背中にふと、既視感きしかんを覚えた。誰かに似ているような。

 誰だろう、と記憶をさぐり――ああ、爺様じじさまだと思い当たった。

 思い当たったものの、その直後に「どこが似ているんだ」と首をかしげた。

 姿形はまるで似ていない。それに少年は、今は亡き祖父のように無愛想ぶあいそうなわけではない。

 ただ――他人を自分の内側に踏み込ませないところ、隠者いんじゃのごとく人里ひとざとを離れて一人でいるところは、重なるように思えてならなかった。


 俺は自分の左肩に目をやり、「さて、これからどうするか」と思いめぐらせた。

 その時。

 小屋の入り口の戸が、こんこん、と叩かれた。

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