第5話 明鏡止水
入り口からこちらをのぞき込んでいるのは、立派な
鹿は少年の存在に気づくと、彼の脇腹のあたりに体をすり寄せている。
狩りで山に入った時に鹿を何度も目撃しているが、ここまで大きいのはなかなか珍しい。しかし、それより何より――。
角が
普通の鹿なんだろうか? まさか神の使いとか、そういうのでは――そんな疑問を抱いたが、俺が問いただす前に、少年は鹿の隣にさっと座り、
「この鹿は、あなたを運び入れるのを手伝ってくれました。ですが、あなたを敵と見なして攻撃したのも、この鹿なのです」
と説明し、さらに
「私が鹿を止めるのが遅かったがために、防げませんでした。申し訳ありません」
と謝罪した。
俺はようやく、すべてを理解した。
俺にすごい勢いでぶつかってきた大きな物は――この鹿だったのか。
そして、小屋に入ろうとしていた俺に声をかけてきたのは、少年だ。確かに、あの時の声も人影も、彼とよく似ている。
俺は
「そなたが
あの時の俺の姿なんて、はたから見れば不審者以外の何物でもない。実際、勝手に中に入ろうとしていた。
鹿が取った行動は、何も間違っていない。
少年がゆっくり顔を上げると、俺は彼をしっかりと見ながら、
「俺は……そなたを殺そうとしていた。人に見つかれば、己の身が
と、正直に話し、深々と頭を下げた。
「すまなかった」
刀もちゃんと保管しておいて、返してくれた。どこかに隠してしまうことも出来ただろうに。
ここまで良くしてくれる相手を、俺は――そう思うと、自分の中に
少年は
「あの時のあなたには、私がどのような人間か分からなかったのですから、あの対応で何も間違ってはいません。あなたのほうこそ、謝る必要はないのです」
としか言わなかった。
あまりにも
俺は少し考えてから、少年に頼んだ。
「さっきはいらぬと言ったが、やはり水をもらえないか?」
彼はすぐに、
「分かりました」
と応じ、
そして俺のそばに座ると、その椀を差し出しながら、
「毒など入っておりませんから、心を
と言い添えた。
どきりとし、一瞬、椀を受け取る手を
気づかれてたのか?
俺は動揺を押し隠しつつ、椀を受け取って礼を告げた。
「かたじけない」
「では、私は薬を用意してきます」
そう言い残して少年は立ち上がり、
手の中の椀を見ると、少しの濁りもない水で満たされていた。おかしな臭いもしない。
俺は椀を持ち上げ、一口飲んだ。
混じり気のない水は、舌をそっと
何の味も付いていないのに、
俺は残りの水を、
腹の中から、頭や足の先までじわりじわりと命が満たされていく。何とも言い
ようやく生き返ったような心地だった。
少年を見ると、炉のそばで何か作業をしている。
親切だが、ちょっと変わっている――この時の俺はまだ、彼のことをその程度にしか気に留めてなかった。
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