第3話 少年

 こちらに背を向けて、人が立っている。

 大柄おおがらではないものの、武人ぶじんらしいがっしりとした体格。手には重籐しげどうの弓。腰には鹿皮の張られた空穂うつぼ――あの中には、たかの矢羽根の矢が入っているはず。

 爺様じじさまだ。

 俺は必死に、爺様に追いつこうとした。それなのに、爺様は振り向きもせず、どこかへ行ってしまう。

 手を伸ばし、遠ざかる背中に懸命に追いすがっても、一向に追いつけない。

「待ってください! 爺様」

 と言っているつもりなのに、まったく声が出ない。

 そのうち俺は、何だか変だな、と気づいた。

 爺様は、もうこの世にはいないはずだ。

 その途端、世界がぐるりと反転した。

 すべてが混沌こんとんとし、爺様の姿も見えなくなる。

 代わりに、俺を呼ぶ声がする――ああ、あれは父上だ。

「何をしている、藤吾とうご! 五百瀬家いおせけ嫡男ちゃくなんたる者が、そのような有様ありさまでどうする!」

 父上、俺の話も聞いてください。これには事情が――と言いたいのに、声にならない。

 世界はますます混濁こんだくし、俺の意識は夢からうつつへと切り替わっていった――。



 かたん、と何かを置くような音が聞こえる。

 ゆっくりと目を開けると、見慣れない光景が目に飛び込んできた。

 建物の中のようだが、天井すら無く、屋根裏が見える造りになっている。はりも柱も何もかも、五百瀬家の屋敷のような洗練された物ではなく、無骨ぶこつで荒々しい。

 ここと似たような所を、どこかで見たような――と考えていると。

「目を覚まされましたか?」

 という、若い男の声が聞こえた。

 声がしたほうに顔を向けると、人がこちらに近づいてくるところだった。

 蘇芳すおう色の上質そうな水干すいかんを身にまとった、小柄な少年だ。

 髪はもとどりわず、襟足えりあしで一つに束ねている。俺より一つか二つ年下かと思われた。

 だが、そんなことより何より――。

「……天人?」

 そう思ってしまうぐらい、整った美しい顔立ちの少年だった。

 目鼻も口元も絶妙な形と配置はいちで、腕のいいたくみが彫った神仏の像を思わせる。いや、それ以上ではないのか。人が作れる域を超えている、とすら感じた。

 これほど容姿ようしが良ければ、女にも持てるんだろうな。うらやましい。

 ただ、美しいのは美しいが――そのおもてには感情と呼べるものがまったく見受けられず、内面がくみ取れなかった。

 冷淡というより、虚無きょむという言葉のほうが似つかわしい。


 少年は俺のかたわらに静かに座り、

「お加減はいかがですか?」

 と、たずねてきた。

 俺ははっとした。自分がずっと寝たままなのに気づいたのだ。

 起きないと――と思ったのだが。

「!」

 上半身を起こそうとしたら、左肩に激痛が走った。

 どうにかこらえようとしたが、少年に、

「横になったままで構いません。ご無理をなさらずに」

 とうながされたので、そっと体を横にした。

 少年は俺の様子をざっと見て、

「簡単な手当てはしておきましたが、何分なにぶん、手に入る物が限られているので、充分とは言えません。傷口が開かないようにお気を付けください。あなたは元々体が丈夫そうですから、ゆっくり養生ようじょうさえすれば遠からず治ると思います」

 と、感情をまじえない口振りで告げた。

 自分の左肩に目をやると、布が丁寧ていねいに巻かれている。

 いったい、何がどうなっているんだろう。 

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