飛べない鳥は羽を見つける 1
~プロローグ~
「君はすごく優しい人なんだね」
突然の思いもよらない言葉を掛けられて、少女は、呆気を取られた表情をした。その言葉を掛けた青年は少女が猫とじゃれている様子を微笑ましそうに見ていた。少女は気分的に居心地が悪くなり、口を開いた。
「もう帰らなきゃいけないから・・・・・・」
少女はそう言うと、身に着けているワンピースを翻してその場を離れた。青年は「またね」と、声を掛けて手を振っていたが、少女はそれには答えずに去っていった。
この青年との出会いが暗い闇のようになった少女の心を大きく動かすとは誰にも予想できなかった・・・・・・。
第一章 出会い
愛菜(あいな)がまだ幼い頃だった。両親が離婚し、双子の姉である愛理(あいり)は母親が引き取り、愛菜は父親に引き取られた。離婚の原因は父親の酒癖の悪さが原因で、母親はそんな父親といることがストレスだったのか浮気に走った。離婚になって最初は愛理も愛菜も母親が引き取ると言ったのだが、父親が「離婚の原因はお前の浮気もある」と言って、平等に一人ずつ子供を引き取ることになった。そして、母親が愛理を引き取り、父親が愛菜を引き取ることになった。なぜそうなったかは単純だった。母親は引き取るなら愛理がいいと言い、父親は愛菜がいいと言った。ならそれで文句は無いということになり、子供の意見は一切聞かずにそれぞれの引き取りを決めてしまった。
そして、愛菜にとって父親である浩二(こうじ)に引き取られてからの日々は辛いことの連続だった。お酒を飲んでないときの浩二は優しい父親だった。学校の宿題を見てくれることもあったし、遊びにも連れて行ってくれた。でも、お酒が入るとブツブツと文句を言いながら時には大声で愛菜に暴言を吐いた。「こののろまが!」とか「金の食いつぶし虫が!」と、暴言を吐き続けた。しかし、次の日には何も覚えてなくて優しい父親の顔になっていた。愛菜はその差に戸惑い苦しんでいた。普段の浩二が優しいこともあり、一人になりたくないという気持ちもあったせいか、誰にも浩二から暴言を吐かれていることを相談しなかった。一人で抱え、一人で苦しみ、一人で耐えていた。でも、時々その苦しみから逃れるためか、いつ頃からか愛菜は自傷行為を繰り返すようになった。爪で腕を掻き毟ったりして皮膚がボロボロになっていった。そしてある日、決定的な事件が起こった。その日も浩二は酒に入り浸っており、愛菜に暴言を吐き散らした。そこへ、愛理から電話がかかってきた。電話の内容は母親が再婚するという話だった。一応伝えとくと言うことで教えてくれたらしいが、その電話がとんでもない事件を引き起こしてしまった。その電話で浩二は逆上してしまい「お前がいなかったら俺だって再婚できたかもしれないのに!」と、言って愛菜に包丁を向けて、襲い掛かってきた。愛菜は叫びながら逃げ回った。その叫び声を聞いて、近所の住人が警察に連絡を入れたため、家に警察が来て父親はその場で殺人未遂の現行犯として逮捕された。愛菜は、警察に保護されて児童福祉施設に一時的に預けられた。そして、母親に電話が入り愛菜を引き取りに来て欲しいという話になったのだが、母親の再婚相手が「子供を二人も引き取るなんて出来ないよ」と言ったので、母親は無責任にも愛菜の引き取りを拒否したのだった。愛理はその母親の態度に反発したが、母親に「じゃあ、あんたも出てく?」と言われて何も言い返せなかった。そして、愛菜はそのまま児童福祉施設で暮らすことになり、荷物を持ってくると言って家に帰してしまったことが、大変な出来事になってしまった。荷物を取りに行ったまま、なかなか戻ってこない愛菜のことを心配した福祉施設の職員が様子を見に家に訪れると、愛菜が部屋の中で意識を失って倒れているところを発見した。すぐに救急車を呼び病院に運ばれた。意識を失っていた原因はアルコールの多量摂取による「急性アルコール中毒」だった。急いで処置をして一命は取り留められたが、愛菜は数日間、暗闇の中を彷徨っていた。そして、やっと目を覚ますと愛菜は表情のない暗い闇を抱えるような目で辺りを見回した。その目に、その場にいた医者や看護師は言葉に表しようのない恐怖感を感じたみたいだった。愛菜はその時、自分自身を憎んでいた。死ぬことのできなかったことに腹を立てていたのだった。そして、医者と福祉施設の職員と警察の話し合いで、心に負った傷のことを考えると治療が必要ということになり、そのまま入院することが決まった。後日、担当医から浩二が刑務所に収容されたことを聞いた。
入院生活が始まり、愛菜の事情を知った看護師たちは元気になってもらおうといろいろと手を掛けた。明るく話しかけたり、病院で行っているプログラムに参加してもらおうとしたりして、少しでも元気になってもらおうと努力していたが、愛菜の表情は暗い闇を纏ったままだった。そうして、日に日に愛菜の表情は人形のようになくなっていった。
そして、入院してからしばらく経ち、愛菜はたまに病院を抜け出して散歩をするようになった。看護師もそのことには気付いていたが、夕飯までには戻ってくるので咎めることはしなかった。
今日も愛菜は病院を抜け出して散歩をしていた。心地好い風に吹かれながらワンピースに長袖の羽織を着て川沿いの道を歩いていた。時々、立ち止まって川沿いに生えている花を眺めたりもしていた。今日も、綺麗な花を見つけてしゃがみ込んで花を眺めていたら、そこへ、綺麗な白色をした一匹の猫が愛菜の足元にやってきた。
「ニャー、ニャー・・・・・・」
愛菜は猫を優しく抱きかかえると頭を撫でてあげた。猫は気持ちよさそうに鳴いていた。愛菜は猫を撫でながら病院では見せない柔らかな表情をしていた。
「ふふ、可愛い・・・・・・」
そう呟きながら愛菜が猫を撫でていると、遠くの方から男性の声が聞こえた。
「・・・・・・ホワイトー。何処にいるんだー、ホワイトー・・・・・・」
その声に愛菜が抱いていた白猫が鳴き声を上げた。その泣き声に気付いて男性が近づいて来た。愛菜は「人」が来たことに警戒をして、さっきまでしていた柔らかな表情を閉じ、いつもの無表情の顔に戻った。ホワイトと呼ばれた白猫は愛菜に抱かれているのが心地よいのか、その場から離れようとはしなかった。男性が近づいてきてホワイトが愛菜の腕の中で心地よさそうにしているのを見て驚きの表情をした。そして、愛菜の隣にしゃがみ込むと、じっと愛菜の顔を見つめた。
「・・・・・・何?」
見つめられていることに耐えることができなくなったのか、愛菜は言葉を発してしまった。男性は掛けていた黒縁の眼鏡を指で直すようなしぐさを見せると、優しく言った。
「いや、珍しい光景だなーっと思ってね・・・・・・」
「・・・・・・何が?」
男性の言葉に、愛菜は不愛想に言葉を返した。でも、男性はそんな愛菜の態度に何も気にしない様子で言葉を再度紡いだ。
「この猫、ホワイトっていうんだけど、人見知りをよくする猫で基本は誰にも懐かないんだよ。そのホワイトが懐いているから珍しいこともあるんだなって思ったんだ」
男性は笑顔でそう話すと、ホワイトの方に顔を向けて心地よさそうにしている姿に笑みが漏れていた。そして、また愛菜に顔を向けると満面の笑顔で愛菜が驚くような言葉を口にした。
「君はすごく優しい人なんだね!」
男性のその言葉に愛菜は虚を突かれたような表情をした。そして、男性のその言葉と表情にこの場所にいるのが居心地悪くなり、立ち上がった。同時に、ホワイトは愛菜から離れ、男性の元に行った。
「じゃあ、もう帰らなきゃいけないから・・・・・・」
愛菜はそう言って帰ろうとした。その時、男性が声を発した。
「あ・・・・・・あのさ、ここから見えるんだけどあそこにレンガ色でできた家があるでしょう?僕、そこの家に住んでいるから良かったら遊びに来てよ」
そう言って、男性は指で少し離れたところにあるレンガ色の家を指さした。割と大きく立派な家だった。そして、男性はさらに言葉を続けた。
「僕は瀬川 学(せがわ まなぶ)っていうんだ。よろしくね!」
猫の飼い主である学は笑顔でそう言った。愛菜は不愛想のまま答えた。
「私は一ノ瀬 愛菜(いちのせ あいな)・・・・・・。じゃあ、もう帰らなきゃいけないから・・・・・・」
愛菜はそう言ってワンピースを翻し、その場を去っていった。その場に残された学はホワイトを抱き上げると家へ戻っていった。
学が家に戻りと、家政婦である石川(いしかわ)が顔を出した。学がホワイトを抱いていることに安堵したのか石川は笑顔で学に言った。
「お帰りなさい、学さん。ホワイト、見つかったんですね」
学は「うん」というとホワイトをリビングに連れて行った。そして、リビングのソファーに腰を掛けて、息を吐いた。学はあまり人と交流を持つのが好きではない。なので、家を誰かに教えることなんてしたことはなかった。でも、愛菜には教えた。なんとなく、学の中であれで終わりにしたくない気持ちがあったのだ。いろいろ考えを巡らせていると、石川がコーヒーを持ってリビングにやってきた。
「なんだか浮かない顔をしていますが、何かありましたか?」
石川は学の前にコーヒーを置くと対面になるようにソファーに座った。学は今日のことを石川に話した。
「ホワイトを捜しに行ったら、女の子に会ったよ。珍しいことにホワイトがその女の子の腕の中で気持ちよさそうにしていたんだ」
「女の子って、まだ二・三歳くらいですよね?その女の子、大丈夫でした?扱い方とかもわかっていない年頃ですし・・・・・・」
石川がそこまで言って学が「いやいや」と言葉を遮った。
「女の子って言っても十六か十七歳くらいだと思うよ。だから珍しいことなんだ」
学の言葉に、石川は唖然とした。確かにそれは珍しい光景だったからだ。
そうやって学と石川は今日会った愛菜の事やホワイトの意外な行動のことで話が盛り上がっていった。
その頃、愛菜は病室のベッドの上で今日のことを思い返していた。ほとんど知らない他人に「優しい人」なんていう言葉を掛けられるとは予想していなかったので、その言葉に戸惑いを隠せずにいた。病院に戻って来た時も愛菜の顔を見て看護師はいつもと表情が違うことに気付いたのか、何があったのかを聞いてきた。愛菜は「なにもない」と言ってすぐに部屋に戻っていった。でも、本当は、学の言葉に感情が少し揺れていたのだった。ベッドの上でぐるぐる考えていたが、答えが出るわけもないので愛菜は眠りにつくことにした。
次の日は朝から雨だった。愛菜はこれではお散歩ができないなと諦め、本を読んでいた。病院の図書室から借りてきた本だ。「海月」という作家さんの「雨がやんで光が差す」というタイトルの本だった。内容は虐待を受けて心に傷を負い、苦しみ、葛藤していき、最後は光を見るという内容の作品だった。愛菜はなんとなく気になって、その作品を手に取った。時々残酷な描写が書かれているので、その度に本をいったん閉じてしまうのだが、やはり続きが気になり、また開いて続きを読む、という繰り返しだった。今日は雨ということもあり、愛菜は没頭して読んでいた。でも、残酷な描写のところで顔を背けてしまうのだが、やはり展開が気になり、読み進めていった。
こうして、愛菜は一日本読みに没頭していた。
雨が止んで、地面も乾いてきたので数日ぶりに愛菜はお散歩に出かけた。最初は黙って病院を抜け出して散歩をしていたが、夕飯までにはいつも戻ってきていたので病院側は愛菜の散歩による外出を正式に認めてくれた。いつものように病院の近くの川沿いを散歩していると声がした。
「ニャー、ニャー・・・・・・」
足元にあの時の猫がやってきた。
「この前の・・・・・・てことは・・・・・・!」
愛菜は急いでその場を離れようとした時だった。
「ホワイトー!待ってよー!」
そう叫びながら学がやってきた。愛菜は「やっぱり」と思ってその場を静かに離れようとしたが、
「あれ?愛菜ちゃん?」
と、学に見つかってしまった。もう少し動きが早ければ学と出くわさずに済んだのにと思いながら、愛菜は無視するのも悪いと思い、淡々と言葉を出した。
「・・・・・・こんにちは」
愛菜の無愛想な返事に、学は気にせず言葉を返した。
「こんにちは、愛菜ちゃん。今日もお散歩?」
学はそう言うと、一人喋り続けた。この前の雨はすごかったことや今日のお昼ご飯は美味しかったけどちょっと辛かった話など、たわいのない話をしていた。そのおしゃべりに愛菜は特に言葉を言うこともなくただ黙って聞いていた。ホワイトが抱っこしてというようなしぐさをしてきたので、抱いて撫でてあげていた。小一時間ほどそんな時間が流れた。そして、この前と同じように「もう時間だから」と愛菜は言って帰っていった。学は「またね」と言って手を振っていたが愛菜はそれには反応を示さなかった。
それから、愛菜と学はよく会うようになっていった。といっても約束をしているわけではなく、ただホワイトが何処からか愛菜の足元に現れて学がやってくる・・・・・・という感じだった。話も会話をしているというより学が一方的にしゃべっているだけだった。でも、不思議と愛菜はその時間が嫌いじゃないのか、喋りはしないが学の話が終わるまではそこにいて話を聞いていた。
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