飛べない鳥は羽を見つける 2

 そんな日々が続き、ある日、愛菜がいつものようにお散歩をしていると遠くからホワイトが愛菜の傍までやってきた。愛菜が手を差し出して抱き上げようとすると、ホワイトは「ニャー」と一声だけ鳴くとくるっと体を翻した。そして、顔だけこちらを向けるともう一声鳴いた。まるで、「付いて来て」と言っているように聞こえるしぐさだった。愛菜はホワイトに先導されて歩いていった。そして、ホワイトが立ち止まり、また一声鳴いた。「ここだよ」と言っているような鳴き声だった。そこは、学と初めて会ったときに学が指をさしていた一軒家だった。ホワイトが門をくぐり家に入っていった。愛菜はどうしたらいいか分からず、その場に立ち尽くしていると、家の中から一人の年配の女性が出てきた。

「こんにちは。もしかして、愛菜ちゃん?」

 年配の女性である石川は柔らかい表情で愛菜に話しかけ、門を開けてくれた。

「よかったらどうぞ、上がってください」

 石川の招きに愛菜は戸惑ったが、家に上がることにした。

 家に入ると、甘い匂いがした。クッキーのようなスコーンのような優しい香りだった。リビングに通されてソファーに座るよう促してくれたので、ソファーに腰掛けた。リビングには今は時期ではないが、備え付けの暖炉が設置してあり、天井ではシーリングファンがくるくると回っていた。外観と家の中の様子でそれなりにお金持ちの家という感じが漂っていた。そこへ、石川がスコーンと紅茶を持ってやってきた。

「良かったら、召し上がってください」

 愛菜はおずおずとスコーンに手を伸ばした。一口齧ると、声が漏れた。

「・・・・・・美味しい」

 出来立てのスコーンは程よい甘さで生地はサクサクだった。愛菜がスコーンを美味しそうに頬張る様子を石川は優しい眼差しで眺めていた。愛菜はその視線に気づいたのか、急に恥ずかしさが込み上げてきて食べる手を止めた。その様子を見て石川は優しく微笑んだ。

「沢山焼きましたから、遠慮しないでね」

 石川がそう言うと、愛菜はスコーンにもう一度手を伸ばした。お世辞ではなく、本当に美味しかったのだ。そして、ちょっとお腹が膨れたところで愛菜は口を開いた。

「あの、突然お邪魔してすみません・・・・・・。あと、お菓子まで出してくれてありがとうございます・・・・・・」

 愛菜がお礼を言うと、石川は優しく笑いながら言葉を紡いだ。

「いえいえ、大丈夫ですよ。嬉しいわ、作ったお菓子をあんなにも美味しそうに食べてくれて。自己紹介がまだだったわね。初めまして、私はこの家の家政婦をしている石川と言います。よろしくね」

「・・・・・・一ノ瀬 愛菜です。その、学さんとは・・・・・・」

 愛菜がどう説明していいのか悩んでいると、石川が柔和な表情で口を開いた。

「学さんから聞いていますよ。呼んできましょうかって言いたいところなんだけど、昨日夜遅くまでお仕事をしていたから寝ているのよ。だから、もう少し待って貰ってもいいかしら?多分、そろそろ起きてくると思うわ」

 石川の言葉に愛菜は頷いた。そして、学が起きてくるまでの間、石川は学のことをいろいろ話してくれた。どちらかと言えば甘党なところや嫌いな野菜はピーマンであること、運動が苦手であることなど、石川は話してくれた。愛菜はその話に興味深く話を聞いていた。そんな話をしている時だった。

「・・・・・・なんか、いい匂いがする・・・・・・」

 寝起きの学が半覚醒状態でリビングにやってきた。寝ぐせが付いた髪は四方八方に跳ねていた。まだ寝ぼけている学に石川が「おはよう」と言い、呆れた声を出した。

「学さん、お客様がいらしてますよ。さっ、ちゃんと起きてください」

「・・・・・・客?」

 石川がそう言って掌を愛菜に向けるとその方向に学が視線を向けた。最初は思考回路が追い付いていないのか、ぼんやりと愛菜を見ていたが、思考回路が頭の中で追い付き、「愛菜がいる」と分かると、急に慌てだした。

「あ、愛菜ちゃん!?なんで、ここに!?」

 愛菜がいることに驚きを隠せない学は目をぱちくりさせて驚きを隠せずにいた。

「えっと、その、散歩していたらホワイトに会って、付いて来てみたいな感じだったから、付いて行ったらここにたどり着いたの・・・・・・」

 愛菜はなんとか頑張って説明したが、上手く説明できたかが不安だった。猫に導かれてなんて、映画に出てきそうな内容だからだ。愛菜はそれ以上どういっていいか分からずに無言になっていると、石川が声を出した。

「とりあえず、学さんはその髪を何とかしてきてください。お客様に失礼ですよ」

 石川の言葉に学は洗面所に姿を消した。愛菜はどうしていいか分からず困っていると、石川が口を開いた。

「驚かせてごめんなさいね。じきに来ると思うから、ここで待っていてあげてね」

 石川の言葉に愛菜は頷くと、落ち着くために紅茶を一口飲んだ。レモンティーの紅茶はほのかに甘く、気持ちが落ち着いていった。しばらくして、髪を整えて服も着替えてきた学が顔を出した。

「いらっしゃい、愛菜ちゃん。さっきはみっともないところを見せてしまってごめんね。まさか電撃突撃しているなんて夢にも思わなかったからね」

 学はそう笑いながら言うと、愛菜の横に腰を下ろした。そして、何のためらいもなくスコーンに手を伸ばして食べ始めた。そこへ、石川がコーヒーとスコーンを持って現れた。

「こら、学さん。それは愛菜ちゃんの分ですよ!学さんの分は今持ってきましたから、こちらを召し上がってください!」

 石川の言葉に学は「ごめんごめん」と言い、自分の分のスコーンを食べ始めた。ある程度食べてお腹が満たされたのか、学がゆっくりと口を開いた。

「本当によく来たね、愛菜ちゃん。ホワイトに連れてこられて、って、なんだか映画に出てきそうな話だね」

 愛菜は自分と同じことを思った学になんだか恥ずかしい思いになり、顔を手で隠した。その二人のやり取りを石川は穏やかに見守っていた。学の性格や育った環境ゆえに、人を遠ざけることはよくあったが、人を近づけることは殆どなかった。それに、愛菜のすぐ横に座ったのも石川は驚いた。どんな人にも学は一線を置いて接していた。それはこの家に長く家政婦として働いている石川にもそれはあった。でも、石川とはいろいろな話ができるまでには仲良くはなっていた。学は人と仲良くなるのにすごく時間がかかるはずなのに、愛菜には心を早々に開いたようだった。それはきっとホワイトの行動が物語っているのだろうと、石川は感じた。あっという間に時間が経ち、時計は夕方の四時半を指していた。愛菜は「そろそろ帰る」と言って学の家を後にした。

 愛菜が帰ると、学はなんだか寂しさに気持ちが捕らわれた。学のその表情を見て石川が口を開いた。

「あらあら、学さんにも春がやって来たのかしらね」

 石川の言葉に学は顔を真っ赤にしてうろたえ始めた。

「いや、えっと、その、そうじゃなくて・・・・・・!」

 石川の衝撃的な発言に学は言葉になってない言葉を出してしまった。石川は優しく微笑みながら口を開いた。

「いいことじゃないですか。学さん、愛菜ちゃんといるときの表情は恋している表情でしたよ。大好きで可愛くて仕方ないって顔に書いてありましたよ」

 石川の言葉に学は顔を真っ赤にして、「今すぐ穴を掘って入りたい・・・・・・」と、小さく呟いた。そして、息を吐いて気持ちを整えると、学は真剣な表情をした。

「・・・・・・石川さん、愛菜ちゃんの腕、気付いた?」

 学の問いにさっきまで笑っていた石川が悲しそうな表情をした。

「・・・・・・えぇ」

「後、手首にしていた鍵付きのゴムにも気付いたよね?」

「そうね・・・・・・」

「あの麓にある心療病院の貴重品を入れる鍵だよ。手首しているってことは入院中ってことだよね?」

 学が何かを考えていると、学の考えていることが分かったのか、石川が口を出した。

「学さん、病院に行くのは止めておきなさいね。多分、愛菜ちゃんは入院していることは知られたくないと思っているかもしれないわ。もし、病院に行くなら用事があるときにしておきなさい。その内に新しく出来上がったのが届くのでしょう?」

「・・・・・・そうだね。分かった。今は止めておくよ」

 学はそう言ってため息を付くと小さく呟いた。


「何とかしてあげたいな・・・・・・」


 そんな言葉を呟いて、学はもう一度ため息を付くと自室に戻っていった。


 その頃、病院に戻ってきた愛菜の表情を見て看護師が声を掛けてきた。

「あら、一ノ瀬さん。何かいいことあったの?顔がなんだか嬉しそうよ」

 看護師の言葉に愛菜は「べ、別に・・・・・・」と言って、さっさと病室に戻っていった。病室のベッドに腰掛けて、愛菜は今日のことを反芻していた。ホワイトに連れられて学の家に言ったら石川が作った美味しいお菓子をごちそうになって、そこへ、やってきた学のこと・・・・・・。学に少しからかわれたような感じもしたが、なんだか安心した感覚に包まれたことを考えていた。そして、考えていくうちに眠くなって、そのままベッドに横たわり、眠りに入っていった。


 次の日、愛菜はお散歩に出かけた。ただ、散歩をしながら学の家に行くかどうか悩んでいた。さすがに連日お邪魔するのは非常識かもしれないと考えながら川沿いの道を歩いていると、ふいに声がした。

「こんにちは、愛菜ちゃん」

 突然声がして、愛菜が顔を上げると、そこにはホワイトを抱えた学がいた。

「学さん・・・・・・」

 学もホワイトを連れてお散歩をしていたらしく、遠くから愛菜の姿を見つけて声を掛けたのだという。

「良かったら、また遊びに来ない?石川さんが今日はチョコレートムースを作ったって言っていたから一緒に食べようよ」

「でも、連日続けてお邪魔するのは迷惑じゃないかと・・・・・・」

 愛菜が言葉に詰まっていると学が優しく答えた。

「大丈夫だよ。石川さんも今日も来ないかなって言っていたし」

 愛菜は「それじゃあ・・・・・・」と言って、昨日に引き続き今日も学の家にお邪魔することにした。学の家に着くと、石川が嬉しそうに出迎えてくれた。

「いらっしゃい、愛菜ちゃん。今日もお菓子作ったから食べていってね」

 そう言って石川は嬉しそうな表情のまま「最後の仕上げをしてくるわね」と言ってキッチンに消えていった。愛菜は学に連れられて昨日と同じリビングに通された。ソファーに座るように勧められて昨日と同じ場所に座ると学もその横に座った。ホワイトは一声鳴くと愛菜の膝の上に乗って心地良さそうにしていた。愛菜がホワイトを優しく撫でている様子を学は隣で温かくその光景を眺めていた。すると、そこへ、石川がチョコレートムースを二人前と紅茶とコーヒーをお盆に乗せて運んできた。石川が笑顔で二人に問いかけた。

「お待たせー。チョコレートムースよ。後、愛菜ちゃんにはアップルティーと学さんにはいつものコーヒーですよ」

運ばれてきたチョコレートムースはトッピングとして削られたチョコレートとココアの粉でデコレーションされていた。

「いただきます・・・・・・」

愛菜は嬉しさと恥ずかしさが入り混じったような声を出してチョコレートムースを一口食べた。

「美味しい・・・・・・」

愛菜はそう言葉をこぼすと、なんだか嬉しそうにも見える表情でチョコレートムースを食べた。隣で学もそんな愛菜の表情に安心したのか、自分も食べ始めた。甘すぎず、どちらかというとさっぱりと食べられる感じのチョコレートムースを一気に平らげると愛菜の表情はちょっと幸せそうな感じの顔が覗かせていた。

おやつが食べ終わり、飲み物で一息ついているところに、珍しく愛菜が口を開いた。

「学さんは、何のお仕事をしているの・・・・・・?」

 突然の愛菜からの質問に学は驚いた。今までは、学が話すばかりで愛菜が話すことも、ましてや学のことを聞くこともの無かったからだ。学はなんだか嬉しい気持ちがあったが、その気持ちを抑えながら答えた。

「僕は、自由気ままな物書きだよ」

「お話を書いているってこと・・・・・・?」

「うん。一応デビューはしているのだけど有名ではないから物書きの端くれみたいな感じかな?でも、話を書くのは大好きで昔からよく書いていたんだ。お陰でよく変わり者って言われたね」

 学はあっけらかんと話したが、愛菜はその言い方がなんだか気になった。でも、気のせいかもしれないと思って敢えて何も言わなかった。

「今書いているお話は恋愛も入っているヒューマンストーリーだよ」

 そう言って学は今書いている小説の話を始めた。その話をしている学の表情は生き生きしていた。愛菜はそんな学にまぶしさを感じながら、でも、なんだか聞いていたいような学の話に真剣に耳を傾けていた。それと同時に「私はきっと醜い人間だ・・・・・・」という感情が溢れ出てきた。そう考えていたのが顔に出ていたのか学が心配そうに言った。

「愛菜ちゃん、なんだか表情が良くないけど、大丈夫?」

 なんとなく苦しんでいるようにも見えた愛菜の表情に学は心配になって声を掛けたが、愛菜は「なんでもない」と言って、表情を今までの無表情な感じに戻してしまっていた。そして、時計を見て愛菜は口を開いた。

「もう、時間だから帰るね・・・・・・」

 愛菜がそう言って席を立った時だった。学が愛菜の腕を掴んで言葉を紡いだ。

「良かったらまた遊びにおいで。愛菜ちゃんが遊びに来るの、待っているからね」

 学の言葉に愛菜は頷くと、

「もう、行くね・・・・・・」

と、言って学の家を出た。愛菜が帰ってく後姿を学は心配そうに見つめていた。そこにホワイトが鳴き声を上げた。その泣き声は「大丈夫?」と言っているように聞こえた。学はホワイトを抱きかかえると、ホワイトに話しかけるように言葉を紡いだ。

「なんだか放っておけないんだ・・・・・・。分かるだろう?ホワイト・・・・・・」

そう言ってホワイトを抱きしめると学は家の中に戻っていった。

 その頃、病院に戻った愛菜に看護師が声を掛けてきた。

「何かあったの?なんだか辛そうよ・・・・・・?」

 看護師の言葉に愛菜は何も答えずに病室に戻っていった。愛菜はなんだかもやもやするような感覚に苛立っていた。その原因は「学は綺麗な心の人。愛菜は醜い心の人」という根拠のない概念に囚われていたからだった。でも、学の描く話を読んでみたい気持ちもあった。だが、帰り際にあんな態度をとってしまって嫌われたかもしれないという思いも頭の中によぎっていた。

『作品は読みたい。けど、嫌われたかもしれない・・・・・・』

 頭の中でぐるぐる考えが巡っていたが「嫌われていたらその場で帰ればいい」と思い、明日また学の家に行くことにした。


 愛菜の思いと学の思いが交差する夜がこうして更けていった・・・・・・。


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