xxxvi Swanky Boyz & Punky Girlz

 喫茶店からの帰り道、莉徒りずは用があるから、と駅に向かって行ってしまったが、気になることだけは伝えておこうと思い、夕衣ゆいは莉徒にメールを送った。ほどなくしてすぐに着信音が鳴る。通話ボタンを押してすぐに電話に出る。

『うぇーい』

「大丈夫なの?」

『うん、ちょっとだけならね。待ち合わせなんだけどさ、まだきてないし』

「そっか。でさ、何か言いたいこと濁してたみたいだけど」

 それだけで莉徒ならば判ってくれるだろう。英介がいない、今この場でなら話してくれるはずだ。

『さっきのアレねー。何かあんたもつくづく鈍感なのかと思ってさ』

「何が?」

 河川敷をゆっくりと歩きながら夕衣は莉徒の言葉に耳を傾ける。思えば莉徒とも公子とも初めて合った場所はここだった。あの時は夜だったが、夕刻に歩くと夕日のオレンジ色が映えていてまた少し違った景色に見える。

『や、好きな人いないのかって』

「うん」

『いるんでしょ、ホントは』

 莉徒の言っていることが一瞬理解できなかった。

「え、誰?」

『誰ってあんたのことだけども……』

「え、だってわたし自覚ないし……」

 今夕衣自身が、誰それが好きです、という気持ちにはなっていないはずだ。自分のことなのにはずだ、というのもおかしな話ではあるが莉徒に断言されてもそれが誰だかは判らない。

『やっぱそっかぁ』

「何、誰よ。まさか……」

 判らないが、思い当たる男といえば奏一そういちの他には一人しかいない。

『……しかいないでしょ』

「冗談でしょ!」

 力の限りに叫んでしまった。選りにも選ってあの無礼千万詐欺男、樋村英介ひむらえいすけのことを好きだなどとは流石の夕衣でも想像すらしたことがない。

『声でかっ!えー、でもそぉかぁー?』

「だ、だってどう勘違いしたらそう見える訳?」

 周りに誰もいないことを確認しながら更に夕衣は言い募った。

『でも仲良さげに見えるけどなぁ』

「わたしから見たらあんた達の方がよっぽど……」

 莉徒の言うことも判らないではない。確かに男友達として英介は付き合い易いと思うし、恐らく気兼ねもしない仲だと思っている。だが、英介と莉徒は元彼と元彼女で、後腐れなく今も友達付き合いができているのだ。仲が良く見えるのは自然なことなのかもしれない。

『あら、妬いちゃう?』

「そうじゃなくて!」

 相手が英介ならばばかじゃないの、くらい言っていたかもしれない。

『まぁまぁ興奮しないの。私の勘は良く当たるのよ。実証済みでしょうが』

「だけど……。だからって」

 確かに奏一が夕衣を思っているという莉徒の勘は当たった。それは勘というよりも莉徒の観察眼が優れていたということなのかもしれないが、もしもそうだとすると、夕衣が英介を好きだというのも間違いではないのだろうか。あまり考えたくない話だ。

『考えても見なさいよ』

「え?」

『あんたさ、素、出せる男ってあいつだけでしょ』

「でもそれはあいつがばかだから!常識ないし!失礼だし!ばかだし!非常識だし!詐欺だし!ばかだし!音作り下手だし!」

『モチツケ』

「うぅ……」

 ぎゃんぎゃんと喚き立てる夕衣の言葉を、文字通りぎゃんぎゃんとしか聞いていない莉徒が夕衣をたしなめた。

『でもさー、メールだって電話だってしょっちゅうしてんでしょ?』

「それは、そうだけど」

『奏一とはしてないんでしょー?』

「うん……」

 それは相手側の行動に依る。英介は自分からしょっちゅう電話やメールを寄越してくるが、奏一は連絡先を教えてもそういったことをしてこない。それに夕衣から暇だから、と言って英介に連絡をとったことはないのだ。英介が夕衣にそういったメールや電話を寄越してくるのは単に話し易いからなのだろうと思っていたし、事実、夕衣も奏一と話しているよりも気を使わなくて済む分、普通に話していたと思う。

『ぶっちゃけ、奏一と二人きりでいる時と、英介と二人でいる時と、どっちが楽よ』

「そりゃ樋村のが楽だけど……」

 それは樋村英介が夕衣を女扱いしていないのと同じで、夕衣も英介を男として意識していないからだ。そう、思っていた。

『そこじゃないの?』

「そこ?」

『前にも言ったけどさ、自然でいられるってことが私は一番大切だと思うけどな』

「……」

 確かにそうなのかもしれない。それは判る。判るけれど、こんなことを思うのは夕衣が幼稚なのかもしれないけれど、一緒にいたい、とか好きで好きで仕方がないとか、そういったことを全く感じたことがない。ということは、つまりそれは恋愛感情ではないということではないのだろうか。

『誰にも、私にも慣れる前からあんたあいつに素、出してたじゃん』

「だからあれは樋村が……」

 英介の方がいきなり夕衣をばかにした態度で出たからだ。あれは絶対に、夕衣でなくとも腹が立つはずだ。

『つまりそういうことでしょ?大体さ、二人でスタジオ入ったりとかその辺から睨んでた訳よ、私ゃー。ウッヒッヒ』

 いや、ウッヒッヒは言っていないかもしれない。それでも「ほらみたことか」という莉徒の気持ちが痛いほど伝わってくる。

「あれも樋村が……」

『だから、応えてあげたくなっちゃうんでしょ?』

「……でも」

 そう言われてしまえばそうだ。その時にそうした意思が働いていたかは別としても、結果的にそういうことになってしまう。

 あの時、確かに仕方がない、という気持ちは先に立っていたけれど、あの後素直に英介に礼を言われた時は嬉しかった。

『ま、急ぐことないんじゃない?奏一みたいに早まった訳でもないし』

「早まった?」

『と、私は思うけどね。あんただってそんなこと言ってたじゃん』

「あぁ、うん」

 もう少し、きちんと奏一のことを知ってから告白されたら、付き合うなり、断るなりの判断もすぐにできたように思う。

『まぁ元カノが言うのもなんだけど、私と付き合った頃とは随分変わったし、あんたらお似合いだと思うよ』

「そんなこと」

 自分の気持ちですらあやふやで判らないままだというのに、そんな風に断言されてもどう反応して良いか判らない。それに莉徒がそう思っていたとしても、それは今のところ莉徒一人だけの考えだ。どう考えても夕衣と英介とでは不釣合いだ。

『見た目とか気にしてんなら間違いだと思うし』

「え?」

『まぁあいつの顔だけはいいのは認めるけど、あんたも充分可愛いっつの』

「でもさ」

 よしんばそうだとしても。英介は言ってみれば百戦錬磨のエースパイロットだ。新兵など比べるべくもない。勿論恋愛について、のことだが。

『恋愛経験なんて関係ないじゃん。好きなら好きでもうしょうがないでしょ。そんなこと言い訳にして自分の気持ちにフタなんかしちゃって、まかり間違ってあんた奏一の勢いに押し切られて付き合ったりでもしたら最低の女だよ』

「な、何もそこまで……」

 夕衣が一体何をしでかしたというのだ。誰にもそんな厭らしい色気を振りまいた訳ではないし、誰を好きになった訳でもなかったはずなのに。

『まぁ今現在なんも動いてない訳だけどね』

「でも、判んない」

『だろうね。あんた鈍感だし』

「だって樋村と一緒にいてもドキドキしたりとかときめいたりとか全っ然っしないよ」

 全然、と特に強調して夕衣は言った。通常、恋とはそういった気持ちが先行するものではないのだろうか。少なくとも、夕衣が見知った恋愛というのはそういうものだったはずだ。

『いやに力説するわね』

「だってホントにそうだもん」

 一度だって、樋村英介を相手に胸がときめいたことなどない。断言できる。普段見せない態度に驚いてドキリとしたことはあったが、それとこれとは話が別だ。

『そら英介がそういう素振り見せてないからだって』

「でもさー、からかわれてばっかりだし、大体あいつ、絶対わたしのこと女として見てないってば」

『それもそう見せてるだけだって』

「そぉかなぁー」

 それほど自分の気持ちをコントロールできるものだろうか。夕衣は友達も恋人もいらない、と決め込んでいたときは、あっさりと壁を作っていることを見破られた。気持ちを隠すということは並大抵のことではないと思う。それをあの樋村英介がやっているとは到底思えない。

『多分ね、私が判ったからってんじゃないけど、あいつはあいつなりに、奏一があんたのこと想ってんの気付いてるのかもしれないよ』

「……」

 そうなのだろうか。確かに英介と奏一は仲が良い。お互いのことももしかしたらそれなりに感付いているとこもあるのだろうか。もしもそうだとしたら、どれだけ苦しいだろう。そう思えば思うほど、やはり英介にはそれほどの悲壮感を感じないし、自分の気持ちに蓋をしているようには見えない。元々英介は感情を表に出さない人間ではないし、思ったことは口に出してしまうタイプだの筈だ。

『順番ってんじゃないけどさ、あいつばかに律儀なとこもあるし』

秋山あきやま君が先にわたしに言ったから、ってこと?」

『まぁそれだけじゃないかもしんないけどさ。あいつだって伊達に何人もと付き合ってないよ。そういった駆け引きなら長けてると思うし、自分のこと騙すんだってできると思う』

「そっか……」

 そうだった、と改めて思う。こと女の扱いに対しては夕衣の想像など及ばないのかもしれない。情けない話ではあるが、恋愛に対しての駆け引きなど夕衣にはまったく判らないし、どうしたら駆け引きに応じられるかも判らない。それに莉徒は英介と付き合っていたのだ。期間は、それは短かったかもしれないけれど、それでもほんの少しの間だけでも心を通じ合わせた相手が言っていることなのだ。あながち出鱈目でもないのかもしれない。

「でもま、まだ判んないし、莉徒の勘だって外れるかもしれないでしょ?」

『そぉね。奏一ん時も言ったけど、変に意識しないで少し時間使ってみれば?』

「そうする」

(無責任に言ってくれちゃってさー。……これから会いに行くのに)

『モテモテじゃのうユイユイ』

「あはは、莉徒の勘が当たってたら槍でも振ってくるんじゃないかな」

 今までもてた試しがない夕衣が、莉徒の言う通りならば、二人の男から好かれるとは。天変地異でも起こらなければ良い、とつい思ってしまう。自分のことながら情けない話ではあるが、やはり心のどこかで冗談だと思っている部分がある。

『そんなことないって。ちょっと遅咲きだっただけだよ。私が男だったらとっくにあんたの処女いただいてるわ。つーか超欲しい!』

「ばーか」

 夕衣としてはあまり操をどうのという感覚はない。本当に好きな人に求められれば考えるべくもないことだと思うだけだ。だからと言って経験がないから子供っぽいだとか、早く捨てたい、という気持ちも夕衣にない。ないというよりも理解ができない。

『えー、私かあんたが男だったら私らベストカップルだと思わない?』

「あぁ、確かに、それはあるかもね」

 それでも英介と同じように仲の良い男友達、という関係かもしれないが。

『だが、残念ながら私は女でノン気ときてる』

「残念ながら以下同文」

『変わりに英介にしてもらって……』

「やかましいわよ」

 短絡的だ。確かに他人の恋愛話は夕衣も聞いていて楽しいし、好きだ。特に付き合う前の片想いの話などは聞いていて羨ましくもあるし、恥ずかしくもなる。それが自分の話だと途端に大きなお世話だと思ってしまう。しかも夕衣が英介を好きだ、などと自覚もないまま話を進められてしまってははっきり言って対応に困るのだ。

『何よーあんたのこと思って言ってんのに!』

「まぁまぁそこはひとつ、時間を置きましょう」

『あんたのことだけど……』

 他人事のように夕衣は言う。実際に他人事のような感覚だ。夕衣に覚えのない話をされても、これ以上話の展開は望めない。

「ま、まぁちょっと逃げたい気もするし……」

 もしも莉徒の言う通りなのだとしたら。奏一のこともある。その上英介のことまで考えられないのが実情だ。今は莉徒の予想ではなく、現実に起こっている奏一との関係に決断を下さなければいけないのだから。

『持てる者の悩みよのぅ』

「贅沢かな?」

『うん』

 冗談めかして夕衣は言ったが、莉徒は即答した。聞けば莉徒も英介も最近は恋愛から遠ざかっているようだ。自分の話だけではなく、莉徒の話も聞いてみたい。というよりはやられっぱなしで悔しいのが実情だ。

「莉徒はそういうのないの?」

『最近はねー』

 嘆息しつつ莉徒が言う。しかし、と思う。Kool Lipsクールリップスのあの能天気なギタリスト。

「シズ君は?」

『だぁめよあんなばかー』

「それこそ莉徒から見たわたしと樋村と同じような感じだとわたしは思うな」

 夕衣のアコースティックライブの打上以来、シズの顔は見ていなかったが、あの時の莉徒とシズのやり取りは本当に楽しそうだった。

『だったらまぁそれはそれで面白いかもだけどねぇ』

(お?)

 前向きな言葉だ。Kool Lipsが結成されたのは確か去年だと聞いた。夕衣と英介が一緒にいる時間とは比べ物にならない。それでも莉徒がそういった言葉を出してくるということは、シズ次第なのかもしれない。

「てことはさ、シズ君がその気になったら莉徒もいいってこと?」

『どうだかねー。まぁキホンないけどね』

「濁すなぁ」

 結局問い詰めることは不可能だった。莉徒が夕衣と英介、夕衣と奏一を見てきた時間と、夕衣が莉徒とシズを見た時間も比べ物にならない。反撃の糸口も掴めないとは全く持って口惜しい。次にKool Lipsのライブがあった時には楽屋まで押し入ってやろう、と夕衣は固く誓った。

『あ、きた!ちょっとあとで!』

「あーぃ」

(嘘っぽいなぁ)

 なんとも言いがたいタイミングで通話が強制終了。夕衣は小さくちぇ、と舌打ちをして携帯電話をしまった。近いうちに問い詰めてやろう、と夕衣は心に決めた。


『ばっかおめーなんで迷うんだよ』

 とあるコンビニエンスストアの前で、夕衣は仕事中であるはずの英介に電話を入れた。ライブハウスまでたどり着けなくて、ライブハウスに電話を入れるのと同じだろろう、と夕衣は電話を入れたのだが。

「だって樋村の送ってきた地図と違うよ」

『つーか迷う道かよ。ともかく今コンビニだろ?迎えに行ってやっから待ってろ』

 携帯電話に手描きの地図の画像を送ってきたのは良かったが、どうやら樋村英介には絵心が皆無らしかった。

「うん、ごめんね」

『あん?なんだ?』

 文句の一つも言ってやろうかと思ったが、英介も仕事中だ。素直に謝ってみたものの、ストレートに通じないところが英介らしいといえば英介らしい。

「え、仕事中なのに」

『あ、あぁ、ともかく無駄に動くんじゃねぇぞ』

「あーぃ」

 本当にいつも一言多いのだ。

「むだにうごくんじゃねぇぞ、だって」

(迎えにくるのが判ってたら動かないに決まってるじゃん)

 悪態をつきながらも夕衣は携帯電話をしまって、コンビニエンスストアの壁にもたれかかった。


 xxxvi Swanky Boyz & Punky Girlz END

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