xxxv Summer Time Blues
携帯電話を取り出して
『おーぅ
「今大丈夫?」
ツーコール。意外と早く出た。その声は明るい。
『うん、平気。どした?』
「こないだ、
単刀直入に夕衣は言った。莉徒や
『ふーん。え!』
「お手本通りのノリツッコミありがと」
『へぇ、でもやっぱそうだったんだ。で?付き合ってる感じしないけどフった?』
以前、告白されたら振るだろうと言っていたこともあり、やはり莉徒からはそういう言葉がすぐに出てきた。
「まだ返事してないんだ……」
『なんで。付き合う気ないならちゃんと言ってやんなきゃ可哀想じゃん』
至極当たり前の言葉を口にして莉徒は言う。
「そうなんだけど……わたし、秋山君のことまだ良く知らないし、この先好きになることだってあるかもしれないし……」
『え、あんたそれ、
「言ってないけど……」
それでもあの時の夕衣の言動から、同じようなニュアンスで伝わってしまっている可能性もある。
『じゃあ良かった。あのね、あんたの言ってることも判んないじゃないんだけど、奏一生殺しにしとくのだって可哀想だよ』
「それは、そう、なんだけど……」
それは判る。だからこそこうして莉徒に相談を持ちかけようとしているのだ。夕衣一人で考えていたら悪戯に時間が過ぎて行ってしまうだけでもうどうにもならない。結局のところ、決断するのは夕衣自身であっても、今は誰かの言葉が欲しい。
『めんどくさいなー。あんた時間ある?』
「……あるけど」
莉徒の言い草に一瞬むっとする。確かに面倒な話であることには違いないが、そんな言い方をしなくたって、とつい不機嫌な声が出てしまった。
『じゃあ
「莉徒は平気なの?」
面倒臭いの意味を取り違えていたようだが、これは莉徒の言い方に問題がある。
『夕衣のために時間作る』
「う、あ、ありがと、すぐ準備する」
少し言い返してやろうかとも思ったが、そう言われては仕方がない。夕衣は立ち上がり、すぐに外出の準備をした。
店の前に自転車を停めて、すぐ店内に入ると、既に莉徒がいた。
「こ、これは何のミラクル?」
莉徒が夕衣よりも先に店に来ているとは思いも寄らなかった。待ち合わせといえば必ず遅刻する莉徒が夕衣よりも先に来ているとは、この夏場に雪でも降らせようとでもいうのだろうか。イマジネーターも吃驚である。
「あらあら夕衣ちゃんいらっしゃい」
「こんにちは、涼子さん」
いつもながらおっとりとした涼子の笑顔に釣られ、夕衣も笑顔になって挨拶を返す。相変わらず涼しげな店内には、やはり涼しげなピアノの旋律が流れていた。カーテンの隙間から差し込む光までもが涼しげに感じる。
「おーぅ夕衣」
「珍しいわね、莉徒が先にいるなんて」
莉徒が能天気にこちらに手を振るので、莉徒が陣取っているテーブル席に近付いた。
「先も何もさっきっからここにいるわよ、莉徒ちゃん」
「なぁんだ、おかしいと思った」
先ほど夕衣が電話したときには既にここにいたのだろう。どうりで「今すぐ」などと言った訳だ、と夕衣は今更ながらに納得した。
「どういう意味よー」
「どうもこうも待ち合わせで時間通りに来たことないじゃないの、莉徒は」
「バイトと練習の時は行ってるでしょー」
「あ、そっか」
そんな無駄なやり取りをしている間に夕衣は莉徒の向かいに座り、メニューを眺める。
「涼子さん、ブレンドをアイスで。あとシュークリーム一つお願いします」
「かしこまりー」
お冷を置きにきてくれた涼子に素早く注文をすると、水を一口含んだ。微かなミントの香りが心地良く喉を通って行く。
「まぁ私見で言わせてもらうなら、さっさとフった方がお互いのため」
「やっぱり、そうかな」
いきなり本題に入った莉徒に合わせて夕衣も返事を返す。態々このために時間を作ってくれたのは本当のことなのだろう。
「思わせぶりなことしない、って言ったでしょ。あんたが奏一のこと好きなら別だけど、違うじゃん」
「うん……」
それは重々承知しているつもりだ。けれど付き合えないことと嫌いになることは質が違う話だ。そこをイコールで結べないから感情のやりように困るのだ。
「
「どう?」
「駄目なら駄目でいいから早く返事くれ、ってね。それでももたもたしてたらもういいわ、ってあんたの印象も悪くなる」
感情のやり場がないことに苛立ちを感じてしまうことは確かにある。何か諦めるきっかけに自分自身が気付ければ、気持ちのやり場もできるが、それすらない状態が続けば、確かに莉徒が言ったような気持ちになるのは夕衣にも理解できた。そしてそうなった時に、恨まれる立場になってしまうことも。
「そっか……」
「まぁ私が言うことが正しいかどうかはまた別問題だけどさ、あんたが早くフってやれば、あいつは先に進めると思わない?」
「というと?」
「あいつが引きずる時間がどのくらいかは判んないけど、どっちにしたって次に好きな人、見つけられるかもじゃん」
「そう、だね」
そうだ。都合の良い考え方かもしれないけれど、夕衣一人にずっと引きずられているよりは、新しい出会いに期待した方がどれほど建設的だろうか。
「それとも、私は秋山君のこと好きじゃないけど、秋山君は私のことずっと好きでいて、とかふざけたこと言うつもり?」
「そ、そんなこと言わないよ!」
口調を変えて身体をくねくねさせながら言った莉徒の態度には少々引っかかるが、それをすぐに改め、莉徒は睨みを利かせた。確かに人に好かれる、それも異性として、女性として認められて好きになってもらえるという感覚は嬉しいことだけれど、自分がそういう気持ちを返してあげられないというのに、そんな都合の良いことなど言える訳がない。
「まぁ、判らんでもないけどね。実際そういう感情は少なからず誰でもあるもんだしさ。でもそれって絶対表に出しちゃ駄目なとこだと私は思うし」
「うん。でもわたしはそんなこと思わないし、できないでしょ。人の気持ち縛ったままで、なんて」
だからきっと
「私のこと好きって言ったくせにぃ、とか思わない?」
「思わないよ!っていうか何?さっきからそれわたしの真似?」
手を合わせて、またしてもくねくねと動きながら莉徒が口調を変える。
「あら似てなかった?」
似ても似つかない、と言おうとした所で、あまりにも予想外の声が莉徒の背後から飛び込んできた。
「てめえら内緒話はもっと小さい声でやればかたれが」
「ぎゃー!
「う、き、聞こえた……よね……。ていうか莉徒さっきからいたのに気付かなかったの?」
三回首を縦に振って莉徒が頷く。確か前にもこんなことがあった。迂闊過ぎるにも程がある。またしても英介は寝起きで、しかも随分と機嫌が悪そうだった。
「たりめーだろー。んたっくてめえは俺の安眠妨害すんのこれで何度目だ?お?」
かちん。どうも
「ここは寝るとこじゃありませんー!」
ばん、とテーブルを叩いて夕衣は身を乗り出した。言葉の暴力には決して屈しない。特に樋村英介に関しては。
「まぁまぁ夕衣さん。ここは一つ、男性の意見も聴いてみては?」
「え?あ、そ、そか……」
夕衣と英介の間に挟まれた莉徒がひらひらと手を振って、夕衣をなだめた。奏一とは距離が近い英介に聞かれるのは避けたかったが、聞かれてしまったものは仕方がない。こうなれば莉徒の言う通り、男の意見というものも聞いておくべきだろう。英介が真面目に話せば、の話だが。
「んなもん一事が万事だろ」
ふあ、と欠伸をしながら英介は言った。どうやら真面目に取り合ってくれるらしい。
「一事が万事?」
「今好きじゃねぇならこの先も期待しねぇ方がいいんじゃねぇかっつーこと」
「ね」
英介の言葉に莉徒が同意する。
「まぁ夕衣の気持ちのことだからあんま決め付けんのも良くねぇけど、バイト始めて、奏一と接してる時間も増えて、それでも今好きじゃないってんならこの先も変わんねぇと思うぜ、俺は」
「同感ー」
「そっか……」
それはそうなのかもしれない。アルバイトを始める前と今とでは確かに一緒に過ごした時間は比べ物にならない。それでも奏一の気持ちに応えられない、というのはそれが夕衣の答えなのかもしれない。
「フるのが可哀想って、確かにあるけど、結局好転しないことが判ってるならずるずる引っ張る方がもっと可哀想だからね。そういう一番駄目な優しさは誰のためにもなんないよ」
「だな」
今度は莉徒の言葉に英介が同意した。恋愛経験豊富な二人がそういうのだから、きっと間違いではないのだろう。そして二人の意見に賛同する夕衣自身も夕衣の中にいるのだ。
「大体さー、あんた……」
「何」
莉徒にしては珍しく歯切れの悪い言い方だったので、夕衣は莉徒を促してみた。
「え、あ、好きな男でもいない訳?」
「いたらすぐ断ってると思う」
「だなぁ」
莉徒の言いたいことも判らないではなかったが、少しずれているような気もした。
「そっかぁー」
「何よ」
「いや、いないのかと思っただけよ」
何か含みを感じる。莉徒が言葉を濁すということは、この場ではっきりとは言えないことなのだろう。近い内に英介がいない場所で問い詰めてみるのも良いかもしれない。
「まぁでも何にしたって
「ま、そうなんだけどね」
結局落とし所はそれしかない。参考になることはたくさんあったけれど、それを生かすも殺すも夕衣次第だ。だけれど、二人の言葉は今の夕衣には本当にありがたいものだった。
「うん、でも参考になったよ。やっぱりそのままにはできないことだしね」
「だな。で、この場は髪奈夕衣のオゴリか?」
「え……」
「オゴリか?」
莉徒まで調子に乗って便乗してきたが、流石にこれだけ有意義な意見を貰って、話を聞いてもらっている立場では逆らえない。しかも英介には過去に奢らせている分、ここで突っ跳ねることもできそうになかった。
「う、わ、判ったわよ……」
「やりー!ゴチ!」
ひゃっほう、と言いながら英介と莉徒がハイタッチする。こんな時ばかりは息が合うのだ、この二人は。
「はい、お待ちどうさま。何?今日は夕衣ちゃんの奢りになっちゃったの?」
「えぇ、まぁ。でも仕方ないです!」
くすくすと笑顔で涼子が尋ねてくる。アイスコーヒーもシュークリームも、今日も変わらず美味しそうだ。代金は莉徒と英介の分も支払わなければいけないのだから、大切に味わわなければ、と夕衣は肝に銘じた。
「よ!髪奈さんオトコマエ!」
「あらあら、こんな可愛らしい子を捕まえて男前だなんて」
そうですよね、と激しく涼子に同意して、夕衣はシュークリームにフォークを刺した。
シュークリームを存分に堪能し、アイスコーヒーを飲んで一息ついたところでふと思い出したことがあった。
「あ、そうだ、樋村って今日バイト?」
「夜か?」
「うん」
「あるけど、なんだ?」
良く働くなぁ、と思いながらも夕衣は以前から迷っていたことを実行してみようと思った。今日ならば都合も良いのだ。
「莉徒、樋村のバイトしてる店って行ったことある?」
「あるよ。でも英介がいる時間遅いから一回だけだけど」
「そっか。じゃあわたし今日行こっかな」
どうやら未成年が行ってはいけない場所、という訳ではないらしい、とは思ったが、莉徒や英介が出入りしているのだ。そんなことなどお構いなしかもしれない。
「くんな」
「なんで?仕事中に電話してくるほどヒマなくせにー」
あら、と莉徒が中年女性のように口元を押さえる。何が「あら」なのかは判らないが、ともかく仕事の邪魔をするつもりはないのだから、行っても良さそうなものだ。
「それとこれとは話が違うだろうが」
「電話代もったいないじゃん。暇な間だけ話し相手になってあげるって」
「俺が働いてるとこ見て笑いたいだけだろ」
冗談交じりに夕衣は言ったが、夕衣の心中を簡単に見抜いて英介は背を向けた。
「莉ぃ徒ー」
恐らく莉徒が夕衣と全く同じ気持ちで英介が働くバーに行ったのだろうことはすぐに理解できた。考えることは同じ、ということだ。
「だって英介のバーテン姿がサマになってるかどうか興味あったんだもん。付き合い始めたばっかの頃だったしねー」
「そんな前だったんだ。いいなぁ、わたしも見たいー」
以前夕衣が想像したのはどうやらハスラーという映画だったらしく、主演のポール・ニューマンのようにビシッと決めている英介が笑えるのか、格好良く見えるのか、非常に興味深い。
「見て笑いたい、って正直に言え。ま、モクテルあるにはあるからな、気が向いたら勝手に来い」
「お、やった!じゃあ今日行くね」
両親は親戚の集まりだとかで、
「あー。ま、それはいいけどよ、奏一の件、あんま引っ張んなよ」
違う話題でそのまま乗り切らせない言い方を英介はする。奏一と英介の恋愛に対するスタンスというものはきっと違うのだろうけれど、待つだけしかできない辛さが、きっとそこにはあるのだ。それを差し置いても、奏一は英介にとって大切な友人なのだろうことも判る。
「う、うん」
やはりいい機会だ、と夕衣は思った。英介に知られてしまったのだ。今晩、英介に話す余裕があれば、色々と聞いてみた方がいいのかもしれない。莉徒では判らない、男側の意見も、今この場で言えないこともあるかもしれないのだ。先ほどの莉徒のように。
「ま、どんな結果であれ、今まで通りってのは無理だと思うしね……」
「……」
四人の関係を夕衣が崩してしまうのは、もう確実なのだろう。けれど、だからと言って何もしない訳にはいかない。
「まぁライブも迫ってきたし、ライブが終わってからでもいんじゃない?」
「ま、その辺が頃合かもな、確かに」
「うん、そうだね」
ライブは一週間後に迫っていた。練習はつつがなく進み、仕上がりも上々だ。練習不足の不安からはメンバー全員が解放されていることだろう。この街にきてからの初めての夏はどんな意味であれ、きっと忘れられない夏なのだろう、と夕衣は思った。
xxxv Summer Time Blues END
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