xxxiv Friends and Dreams

「え……」

 それはつまり、と思う。いや、本当は判っている。

 夕衣ゆいをきちんと異性として、女として好きだ、という奏一そういちの言葉の意味は、ちゃんと判る。今まで誰からも告白されたことなどなかったけれど、こうして現実に夕衣を想ってくれている人がいることは、信じられないと思うけれど現実だ。

「ええと……」

 言葉に詰まる。まさか莉徒りずが言っていたことが本当だったとは思っても、いや思いたくなかったのかもしれない。

「あ、べ、別にすぐ返事くれっていうんじゃないからさ。ただ……」

 どうして良いか判らない。奏一も英介と同じで性別を意識しないで付き合えている友達だと思えるようになってきていた。恋人同士として付き合うのは、奏一の気持ちに応えるのは、正直なところ不可能だと思う。

「ただ……その、おれは、髪奈かみなさんのこと好きなんだって、いうこと、だけ、は、その、覚えててほしいかな」

 何も言えない夕衣を気遣ってくれているのは判る。ちゃんと返事をしなければいけないと思う。でも、それでも、と思う。

「ごめんなさい、そ、その、すぐには言えないと、思う」

「あ、あぁ、うん、いんだ!い、いぃイキナリだったし、ね」

(まだ判らない、よね……)

 夕衣は奏一のことをあまり知らない。奏一もきっと夕衣のことをあまり知らないだろうと思う。奏一が何を見て夕衣のことを好きになったのかは判らないが、夕衣としてはそういった判断を下す材料が少なすぎた。無責任な返事はするべきではない。

「んじゃ、とりあえずま、また明日!」

 だ、と奏一は走って行ってしまった。今更ながら、夕衣は自分の胸が高鳴っていることに気が付いた。

(そうだよ、だって、人生初……)

 夕衣を異性として好きになってくれる男など今まで誰もいなかった。英介えいすけに自慢してやりたいほどだったが、告白してくれたのは奏一だ。あまりにも関係が近すぎる。奏一が夕衣の返事を待ってくれるのは正直なところありがたかった。今までは奏一のことを、隣の席の男の子、英介の友達、アルバイト仲間、くらいにしか思っていなかった。けれど、これからだってまだそういった意識は改まることもあるだろう。転入当初と比べても随分と話し易くなったし、会話にも慣れてきた。それでも、と夕衣はさらにその考え方に歯止めを掛ける。

(やっぱり、判らないまま付き合えない……)

 自分の感情が不確かなままで奏一と付き合うことはできない。恋愛には化粧品の様に『無料お試し期間』などがある訳ではないのだ。返事をしてから、やはりダメでした、では奏一を悪戯に傷つけるだけだ。どこまで慎重になれば良いのか、正直なところ夕衣には判らない。かといって、莉徒とは恋愛に対する考え方やスタンスがあまりにも違いすぎる。莉徒に相談しても夕衣が欲しい答えは返ってこないだろう。

(まぁでも莉徒に言うとして……)

 相談相手としては莉徒は向いていないような気がするけれど、最初に奏一の気持ちに勘付いたのは莉徒だ。話さない訳には行かないし、相談もしてみなければ判らない。他にも相談できそうな相手はいるが、ともかく莉徒には話しておこう、と夕衣は心に決めた。

「……はっ!か、帰らないと!」

 まだ胸の動悸が治まらない。夕衣は時計を見て慌てて帰路へとついた。


「ぶへぇーっ!つ、つかれた……」

 十代の女の子とは思えない、あまりにも下品なため息をついて莉徒が唸った。

「おっつかれー」

 奏一の振舞いは昨日までとまるで変わっていない。そこに不自然な空気というものは発生していないような気がするのは奏一の気遣いのおかげなのかもしれなかった。

「ひゃー、もうこんな時間!」

 夕衣が時計を見て思わず声を上げた。既に十二時を回っている。抱えているアーティストはそれほど多くないはずだが、この忙しさと言ったら尋常ではない。やはり夏はライブの季節だ。始めた頃と比べると夕衣も随分日焼けした。毎日の日焼け止めクリームもヒアルロン酸も殆ど意味を成さない。

「ちょっとあんた男のクセにへばりすぎなんじゃないの?」

「ぁいたぁっ!」

 ヘバって座り込んでいる英介の尻を蹴飛ばして莉徒が笑った。最初のうちは莉徒がすぐ根を上げていたというのに、ここ数日で随分と体力がついたものだ。

「もぉー無理……反撃もできん……」

「あら、久しぶりにエッチくらいさしてあげようかと思ったんだけど」

 うっふん、とまるでグラビアアイドルが得意のセクシーポーズをとるように莉徒がくねくねと腰を曲げた。その姿は夕衣の個人的な、正直な感想として、ただ、ただ、滑稽だ。

「そういう元気はあるぞ!」

「とー!」

 うぉー、と吼えて腰を上げた英介の背中を蹴り飛ばす。英介には言えないことだが、一度蹴ってしまってからというもの、僅かな快感を夕衣も覚えつつある。

「いったぁ?」

「莉徒も!冗談にしちゃ少し品無さすぎ!」

 英介を蹴り飛ばして、莉徒にびし、と人差し指を向ける。

「あら冗談だって判るくらいユイユイも大人になったのね!オレウレシイ!」

「くぅ、このぉ……」

「いぃぎゃー!ごめんなさいごめんなさい!……つーかあんたね!こないだそれやられたときあんたの手の跡が真っ赤っ赤になって残ってたのよ!お風呂で悲鳴上げたわよ!」

 またしても莉徒の胸を思い切り掴みあげる。慌てて夕衣の手を振りほどき、莉徒は悲鳴交じりの抗議を始めたが、その途端に莉徒の両手がわきわきと動き出す。

「え、ちょ……」

 莉徒が狙うは夕衣の胸だ。同じことをしようと莉徒が手を伸ばす。

「待て莉徒、俺がやる、剣聖秘技!ブレッストノックダ」

「ほぉわぢゃあ!」

 莉徒に成り代わり夕衣の胸に手を伸ばしてきた英介の尻を、莉徒がまたしても蹴り飛ばした。

「いってぇー?っつんだよ!もぉ!」

「あんた今私が止めなかったら本気でやるとこでしょ!」

 びし、と次いで蹴りを出せる構えを取りながら莉徒は言った。

「あ、ばれた?」

「……」

 思わず夕衣は胸元を隠した。何故だか最近英介の視線が妙に気恥ずかしい。

「お前溜まってんのか?」

「ここんとこご無沙汰だからなぁ」

 奏一の言葉に英介はこともなげに答える。まるで大人のような会話だ。

「自分でしろよ」

「ばぁかドーテー君には判らんだろうがな、女はいいぞぉー。いーにおいするし、あったけーし、やわこいし、きもちーし」

「う、うるせぇな」

 ということは奏一も夕衣と同じでまだ経験は無いということだ。夕衣は付き合ったことも無い訳だが、奏一もそうなのだろうか。

「ちょっとそれセィクハラーよ」

「なんで、褒めてんのに!つーかそのイントネーション……」

 性の対象としてしか見られないのであれば充分にセクシャルハラスメントだと思うが、当の英介はそれに気付いていないようだ。

「褒め言葉として受け取りがたいんだけど、それ……」

 そういう助平な観点でしか女を見られないから、とっかえひっかえ新しい女を作れるのかもしれない。実際に夕衣がこの街にきてからは、英介の彼女という存在を見たことはないが、それ以前は相当お盛んだったようだし、それも仕方がないことなのだろうか。まったくの理解不能だ。

「まぁ夕衣さんはやわこい部分が少ないからしょうがない」

「失礼だ」

 ぼす、と英介の脳天にチョップを食らわせて奏一が言う。きっと奏一ならばそういった目で夕衣を見ることもないのだろうと思う。

(いや……)

 そういった観点もあるにはあるのだろう。無ければそれは逆にきっと健全とは言えないのだろうし、そもそもそういった観点がない関係ならば付き合うだとか告白だとか、そういったことも関係ないのだろうから。ただ、英介とは違い、如実に表に出さず、女性に不愉快な思いをさせない気遣いはきっと奏一の方ができているのだ。

「いとぁーっ!てんめぇ奏一まで……」

「あはは、ちょっとあんた改めた方がいいかもね!」

 莉徒が人事のように笑う。莉徒も他人のことは言えないと思うが、この場は口には出さないでおく。要するに、彼氏彼女として、恋人としてまとまるということが、セックスをするための免罪符だと思っているのではないか、と思うのだ。

「ちぇー」

「ま、ともかく明日は休みだし、とっとと帰ってゆっくり休むとするかー」

 笑顔になって奏一は言った。昨日はあんなことがあったせいで、奏一は途中で帰ってしまったが、今日はどうなのだろうか。バラバラに帰るのは不自然すぎるし、莉徒や英介に何か勘付かれるかもしれない。それは極力避けたい。莉徒に知られるにしても、英介に知られるにしても、ちゃんと夕衣の口から伝えなければ、きっとこの二人のことだ、茶化すに決まっている。

「んだなー」

「私らはリハだけどねぇー」

「まぁまぁ、夕方からだし、ゆっくり眠れるじゃない」

 夕衣も最初のころと比べれば体力は付いたように思うし、眠ればその分体力の回復も大きくなった気がする。睡眠とは、かくも人を生かすための大事な休養なのだと実感するようになった。

「宿題も終わったしね」

「え!」

「え!」

 莉徒の言葉に英介と奏一が揃って口を開いた。この様子ではどうやら二人はまだ宿題を終えていないどころか手さえつけていないのだろう。

「見せてもいいけど、高いよね、莉徒」

 冗談交じりで夕衣は莉徒に同意を求める。美朝や瑞葉の力を借りた分、あまり大きな顔はできないのが実情だが。

「とーぜんでしょでしょ」

「おやめなさい、そういう口調は」

 所謂インターネット上で、文字としてのやり取りで使われる言葉や会話の端々を、実際の会話で使うというのはあまり好まない。それほど真剣にそこまで思っている訳ではないので、今莉徒に言ったのは、所謂ツッコミ、に属するもののつもりだ。

「何故?」

「何故ってお前は女の子だよ」

「おい」

 危うく莉徒の悪乗りに乗せられそうになり、英介がびし、と夕衣の腕を軽く叩く。こういうノリにも随分と無意識に乗れるようになってしまった。

「んんっ!……ともかく、ただで宿題見せてもらおうなんて甘いでしょ」

「その通り」

「じゃ涼子さんとこのコーヒー」

「だけぇ?言っとくけどね、私と夕衣だけの力じゃないのよ」

 大半はね、と心の中でだけ付け足して夕衣も莉徒に同意する。

「また倉橋くらはし巻き込んだのかよー」

「あと美朝みあさちゃんも」

由比ゆいも?」

 どうやら莉徒が勉強や宿題のことで倉橋瑞葉みずはを巻き添えにするのはいつものことらしい。あの真面目そうな倉橋瑞葉がどういった経緯で莉徒と仲良くなったのかはまったく持って謎だ。

「何なんだそのペッタンズは」

「おいおまいぶっころされてえか!」

 わー、と叫んで莉徒は片手を振り上げた。夕衣に莉徒、瑞葉に美朝。言われなくたって四人揃って胸が無いことなどとうに承知している。態々言わなくても良いようなことまで口にするから莉徒に蹴り飛ばされるのだ。

「い、いや!失言!」

「もう見せてあげなーい」

 夕衣と莉徒は、瑞葉や美朝がやってきた宿題をただ書き写しただけではないのだ。夕衣と莉徒とで分担を決めて、ちゃんと瑞葉と美朝にも答えを提供している。夕衣と莉徒の分配量はかなり少なかったとはいえ、その四人で終わらせた宿題をただ書き写そうというのだ。やはりそれなりの代償とは言わないが、誠意は見せてもらわなければ。

「ばっか、おまいら、この俺がどんだけ貧乳好きだと思ってんだ!」

「初耳」

First Earファーストイヤー

 パンパン、と自分の胸をたたきながら英介がアピールするが見え見えの嘘だ。確か以前、英介は大きい胸の方が好きだというようなことを言っていた筈だ。

「いやファーストイヤーて……」

「まぁ奏一にはモーニングコールの件もあるし、見せてあげてもいいかなぁ……ちらりっ」

 呆れて言う奏一に向けて、ちらり、と莉徒がスカートをめくるような仕草をした。本当にスカート姿だったならば確実に下着が見えていたであろうほどのお尻の振り方だ。

「莉徒……」

「おっと」

「おっとじゃないわよ……」

 莉徒の悪名の原因も判るような気がする。無意識にそういうことをするから男が勘違いするのだ。もしも奏一が莉徒に想いを寄せていたら、あまりの軽さに失望するか、目の色を変えるかのどちらかだろう。夕衣には妙な気を起こさせるマネはするな、と言っておいて、莉徒自信がそれを実行していないのはどうなのだろうか。

「いやぁ、悪いね、英介君」

「奏一、ぜぇったい英介に見せたらダメだかんね」

「おっけーおっけー」

 ひらひらと手を振って奏一は笑顔になる。

「なん……」

「最近英介、いじめられてるよな」

 奏一は苦笑して英介の肩をぽんと叩いた。

「俺のせいか?」

(そう……)

「さぁ」

(だからお前は阿呆なのだ……)

 東方のどこかにそんざいするという不敗の人物の真似を、心の中でこっそりする。

「わぁかった!できうる限りの礼はする!」

 恐らく、夕衣の私見ではあるが、夕衣がこの街に来てからなのではないだろうか。今現在の状況を見ても、樋村英介と特に親しい女子は夕衣と莉徒だけだ。公子こうこやすみれ、英里えり二十谺はつかなどもそれなりに親しいと思うが、こうして同じアルバイトまでして、メールや電話のやり取りまでしているのは夕衣と莉徒くらいのものだろう。

「おお、男らしい」

「んじゃまたバイト休みの時でも集まろっか」

「英介と柚机ゆずきが忙しそうだし、二人で日程調整した方が良さげだな」

 まったくもって奏一の言う通りだ。莉徒とは最近バンド活動もアルバイトも一緒だが、それでも何か色々と用事があるらしい。英介は夜のバーのアルバイトもあるのだろうし、中々時間を調整するのも厳しそうだ。

「りょぉーかい。詰めとくわ」

「よぉし、帰るか。んじゃまたなー」

「あーぃ」

 やはり、というか、案の定というか、莉徒と英介、夕衣と奏一の二手に分かれて解散となった。英介と莉徒がいなくなると判った途端に気まずくなってしまう。きっとそれは奏一も同じなのだろうと感じさせる雰囲気を出している。夕衣がそう思っているからそう見えるだけなのだろうか。

「今日はちゃんとお送りいたします」

「あ、う、うん、ありがと……」


 アルバイト中、意識しなかった訳ではないが、こうして二人だけになってしまうとやはり何を話して良いか判らなくなってしまう。

「あぁ、あのさ、昨日の、ことなんだけど」

「え?あ、は、はい!」

 視線を合わせず、ただ前を向き歩き続けていたが、唐突に奏一が口を開いた。それも意識的に避けたい話題だ。

「あの、そんな深く考えなくていいからさ」

「え?」

「いや、やっぱこう、二人になるとちょっと気まずいしさ……」

「う、うん」

 それでも考えない訳にはいかない。奏一への答えを保留しているのは夕衣なのだ。それに軽々しく扱える問題でもない。今この時点で奏一に恋人としての意識が無いのだとしたらすぐ断ることが正しいのかどうか、夕衣にはその答えすら出せないままだ。

「おれが髪奈さんのこと好きなのは変わんないけど、別に無理して髪奈さんに好きになってもらいたくて告白した訳じゃないしさ」

「うん……」

 それは判る。この先好きになれるかもしれない、という気持ちだけでは奏一と付き合っていくことはできないと思う。本当に好きになれれば良いが、好きになれなかったから別れましょう、という訳には行かないのだから。

「英介とか莉徒とかいると割と自然に話せるから、きっと暫くはこのままのがいいのかも、って思うようになった」

「時間、くれるんだ」

 ありがたい、と思う。このままずっと先延ばしにしてはいけないことは判っているが、それでも奏一が待ってくれるのならば、決断までの時間はまだあると思っても良いのだろう。

「そんな上からってことじゃないよ。この先、もし髪奈さんがおれのこと好きになんなくても、今のままでもいいのかなぁってさ。実際やっぱ四人でばかやってんの、楽しいのかも、とか思ったし」

「うん……」

 莉徒や英介がいて、それこそ今日のように四人で騒いでいる時間の方が確かに楽しいと夕衣も思ってしまう。こうして奏一と二人きりでいると緊張してしまうし、どうしたら良いのか考え込んでしまう。

「自惚れかも知んないけど、男としてはまぁだめでも、普通に友達としてなら嫌われてないって思うし」

「それは、勿論そうだけど、でも、秋山君の気持ち、そのまま宙ぶらりんにしておけないよね……」

 そう、夕衣の中での認識はそこから動いていないのが問題だ。このまま時間だけが過ぎてしまっても、答えは出せないのではないか、と思う。

「まぁ、そうだなー。ダメならダメでいいんだ。まぁ想像ついてたし」

「え?」

 小さく、ぼそりと呟くように奏一は言った。最後の方は良く聞き取れなかったが、その口調は半ば諦めを決め込んでいるような気もした。

「いや、何でもない。……きっとさ、人の気持ちなんて、人一人の力でなんか動かせないから、髪奈さんの正直な気持ちのままでいてくれたらいんじゃないかな」

「うん……」

 無理に好きになろうとしても、文字通り無理なのだ。それはきっと奏一が一番望まないことだと思う。そして夕衣もそれは望んでいない。だから、今は奏一の言葉に甘えることしかできない。

「ま、なるようになるさ。おれだって、髪奈さんだってさ」

 自嘲、も含まれているのだろうか。少しだけ笑顔になって奏一は一歩先を歩き出した。


 xxxiv Friends and Dreams END

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