xxxiii Romance

 時計の針は午後七時を指していた。今日の仕事は今現在をもって終りだ。早すぎず遅すぎずといった時間だが、身体の疲労度がいつもとあまり変わらない気がするのは、それなりにやはり労働もハードだったということなのだろう。

「晩飯食い損ねたなー」

 今日の朝一番で夕衣ゆいが炸裂させた人生初の下段回し蹴りを受けた英介えいすけがぼやいた。結局、怒りに任せて電話を切ったあと、五回に渡る謝罪メールがあり、可哀想になってきてしまったので仕方なく朝は電話を入れた。しかし既に奏一そういち莉徒りずからも電話がきた後らしかったのだが、それでも眠りこけていたのでやはり連絡は入れて良かった、と思ったのだが、それで余計に釈然としなくなり、朝一番で人生初の下段回し蹴りを叩き込んでみたのだ。

「私はこのくらいで終わって良かったわー。明日久しぶりにKool Lipsクールリップスのリハあるし」

 ふぅ、と一息つきながら莉徒が言う。夕衣としても夜中近くになるまで働くよりはずっと良いと思うが、一人暮らしの英介にしてみれば夕食が出るかでないかでは大きく変わるのだろう。

「ま、しゃーねぇよ英介。諦めろ」

「そうだなー、んじゃお疲れ」

 ぽんと英介の肩を叩き、奏一が笑った。英介は軽くため息をつくと片手を挙げた。

「え、樋村ひむら晩ごはんどうするの?」

 夕衣は当然この後四人で夕食を摂りに行くものだと思っていたので少々慌てて英介に問うた。

「流石に作る気力ねぇからコンビニかなぁ」

「えー、じゃあどっか食べに行かない?」

 大体このアルバイトが終わる頃には髪奈かみな家の夕食はとっくに終わっているのだ。今日も当然そうだと思っていたが随分と半端な時間に仕事が終わってしまった。身体的には勿論休める時間が多く取れるので良いことなのではあるが。

「夕衣んち晩飯ねぇのかよ」

「遅くなると思って今日はいらないって言っちゃったの」

 実家暮らしのうちは実家暮らしの恩恵を受けるべきだ、と主張する英介は目を丸くした。まるで「何てもったいない」と言っているかのようだったが、事実そうなのだろう。

「そっか、んじゃどっか行くか」

「んじゃ私も行くわ」

「んじゃおれも」

 こういう時の連帯感というのは不思議なものだ。あいつが行くから私も行く、という奇妙な関係は、誰かが日本人特有の気質だと言っていた気がするが、あながち的外れな言葉でもないと思う。夕衣としては英介と二人きりで行くよりは、莉徒と奏一がいてくれた方が良いのでこういう時はそんな連帯感も良いと思ってしまう。現金な話ではあるが。

「結局全員か」

「だね」


「結局三十日に決めたんだよな、ライブ」

「うん。アレンジもあらかたできてるしね」

 食後のコーヒーを飲みながら英介が言い、夕衣は頷いた。後は反復練習あるのみだ。

「あとは個人のセンスとバンド力ね」

「Kool Lips以上のもん出せるか?」

 バンドとしての演奏がまとまっていれば、小難しいことをしなくてもしっかりと聴けるし、何より聞きやすい音楽になる。個人の技術が高いのは良いことだけれど、それでバンドとしてのまとまりが出せないのならば本末転倒だ。

「そうねー、将来的には私は割と望みあると思うよ」

「え、でもKool Lipsのまとまりって結構レベル高いよ」

 莉徒がメインで活動しているKool Lipsは技術的にもバンドのまとまりもレベルが高い。莉徒の悪名の噂を差し引いてもこの街界隈のバンド仲間の中で噂になっているほどだというのも頷ける。

「だなぁ。おれらなんか足元にも及ばないもんな」

 奏一が言い、苦笑する。どうも奏一は自分の演奏に自信がなさ過ぎる一面がある。自分を奮起させるための戒めでそう思っているのならば良いが、必要以上に自分の自信のなさをアピールするのは行く行くバンドとしてのモチベーションを下げてしまうことにもなりかねない。とはいうものの、夕衣が参加しているバンドではないのでそこまで差し出がましいことも言えない。

「いやでもUnsungアンサングもかなりまとまり出てきたと思うけど、私は」

「わたしも、前の状況はあんまり知らないけど、初めて見たときより全然まとまってるって思う」

 それはお世辞でも何でもなく本当に思うことだ。特にアコースティックライブの時からその変化は現れていたと思う。

「だと、奏一」

「なんか特に変わった、って訳じゃないと思うんだけどな」

「変わったじゃん」

 確かにベースやボーカルはそういった変化は余り感じないかもしれない。ただ、バンドとして全体の音を聴いた時に感じる、大きな変化が一つだけある。

「俺の音か?」

「そそ。夕衣のおかげだね」

 英介本人は判っているようだった。ギターを弾いている上で、格段に弾き易さや周りの音の取りやすさを身に沁みて感じているのはきっとギタリストである英介自身だ。

「歪みの方はわたし全然手加えてないけど……。アコースティックから学んだ樋村の努力でしょ」

 本当に最初のセッティングを見たと時は酷いと思ったものだ。あのアコースティックライブで夕衣が音色を創るのを手伝ってから、英介のスタイルと共にUnsungは変わってきたのだと思う。

「まぁ確かに色々思い直すところはあったな」

「例えば?」

「ギタリストにとっちゃギターの音はやっぱ重要だし、でかい音でざきざき弾きたいってのはあるんだけどよ、バンドのギタリストなんだって思うようになったな」

「へぇ」

 莉徒の問いに英介は思っていたであろうことを話した。すらすらと話すところを見ると、本当に自分自身で感じていたことなのだろうことは良く判った。

「どういうことだ?」

「俺らUnsungもIshtarイシュターもKool Lipsも、ボーカルがいるだろ」

「あぁ、いるけど」

 ギタリストとベーシストの認識というのは違うものなのだろうか。同じ弦楽器であるとはいえ、ベースは前に出るような楽器ではない。莉徒はどう感じるかは判らないが、前に出ずっぱりのベースなど、歌い手としては邪魔なだけだ。所謂、フロントとリズムで分かれるギターとベースではバンド全体の演奏の捉え方が違うのだろうか。

「ってなるとよ、バンドの音楽ってのはまず歌を聞かせることだろ。歌の邪魔するような音出してたらそらまとまんねぇし、歌だって聞かせらんねぇし」

「なるほど」

 インストロメンタルをやるバンドでも演奏のバランスは重視していると思うが、ボーカルがいるバンドはやはり歌を聞かせてこそのバンドだ。Ishterは当然夕衣や莉徒、公子の歌声を生かす音創りをしている。

「夕衣の唄ってる姿を見てな。あぁこいつはギタリストでもボーカリストでもなく、ギタボなんだな、ってよ」

 向かいの席に座っている夕衣の頭に手を乗せようとしたので、乗せられる前にその手を払いのける。確かにバンドサウンドとは違い、歌も演奏も自分一人でやる弾語りともなれば、両方ともないがしろにはできないものだ。そんなふうにきちんと演奏者として夕衣を見ている一面があったのは意外も意外ではあったが、嬉しいものだ。

「夕衣は歌もギターも大事に唄うよね」

「そこは気、遣ってるからね」

 自分が、自分で一番良いと思える音域を丁寧に唄うこと。夕衣にとってはそれがボーカリストのすべきことだと思うし、それが唄い手、髪奈夕衣の武器だとも思っている。

「まぁ他がどう思ってるかなんて知らないけど、私はいかに歌が気持ち良く唄えるか、ってのが楽器隊の仕事だと思ってるからね。歌がないとこじゃ楽器隊が主張するのは結構だけどさ」

「あぁ、俺もそう思うようになってきたわ」

「だからまとまりも出てきたんだろうね」

「他の楽器隊もその辺は意識高めといた方がいいよ」

「なるほどなぁ。ばかだばかだと思ってたけど、考えてんだなぁ」

 奏一の言葉に夕衣は思わず大きく頷いてしまった。

「納得しすぎだろお前」

「や、考えてるんだなぁ、っていう方だよ」

 明らかに嘘だと判るくらいにわざとらしく棒読み風に言ってやる。

「ほぉー……」

 じろり、と英介が夕衣を見る。学校の勉強の話になると、これがまた英介には適わないところが悔しい。頭が良くて性格が悪いところは最悪だ。これで可愛げすらなかったら絶対に友達になどなれていないはずだ。と、思ったところで反撃の糸口は見つからない。

「まぁまぁ、それは置いといて、パフェでも食べない?」

「いいね、賛成ー」

 夕衣が恐れた話題になることをきっと莉徒も避けたかったのだろう。莉徒がすぐに夕衣の提案に乗ってきた。

「二人のユニット名はまな板とかですか?」

 やり返せなかったのが悔しかったのだろう。英介が負け惜しみの様に悪態をつく。

「殴るわよ」

 間髪いれずに莉徒が英介の頭を平手でひっぱたいた。心地良い音が鳴る。

「殴ってから言わないよな、普通は……」

(殴られるようなこと言うから……)


 ファミリーレストランを出ると、とりあえずみんなが立ち止まる。

「んじゃあ明日は七時な」

「七時なんだから自力で起きなさいよね」

 誰にともなく英介が時間を確認する。時間はまだ八時半を回ったところだ。今から帰ってシャワーを浴びても充分に休む時間はある。

「ええー……」

「え、今晩もバイト?」

 昨日の晩はやはり一時過ぎまでバーのアルバイトをしていたらしく、それからなんだかんだと寝る頃には二時を回っていたらしい。一日ならば何とか持つかもしれないが、それが何日も続くとなると流石に辛いだろう。

「いや、それはねぇけど」

「なんだ。じゃあ帰ってすぐ寝ればいいじゃない」

 それならば知ったことではない。が、正直なところ英介に遅刻されるのは厳しいことも事実だ。

「それでも起きられっかなぁと思ってよ」

「おれが電話してやるよ」

 ぽんと英介の肩に手を置いて奏一が言う。彼女でもない女と、元彼女にモーニングコールされるよりもよほど健全だと夕衣も思う。

「色気ねぇなぁ」

「贅沢言うなよ」

 苦笑しつつ奏一が返す。

「まぁしょうがねぇか」

「なんか納得行かないわね」

 ちらり、と夕衣を見てから呟くように言う。夕衣は既に慣れてしまったが、女としての魅力がないのと同義の発言に莉徒は納得がいっていないようだった。以前は付き合っていたのだからそれもそうかと思うが、女としての魅力を感じなくなってしまったから、今こうして普通に友達付合いができているということもあるのではないだろうか。

「わたしがしてあげたって同じこと言うでしょ」

「うん」

 夕衣が言い終えるか終えないか、僅かな間も見せずに英介は二度も首を縦に振った。

「もう一回蹴っていい?」

「やだ。つーかなん?色気ねーって言っても蹴るし、逆言っても蹴るし、酷くねぇか?」

 色気がある、とは一言も言っていない。もっと下品な例えを出しただけで、それがイコール色気があるだとか女としての魅力があるだとかいうことにはならない。

「じゃあ私が蹴ろうか」

「ま、待て、お前のは洒落じゃなく痛ぇんだよ!」

 ざ、と一歩後ずさって英介は言う。確かに見ているだけでも相当痛そうだと思う。となると夕衣の蹴りはまだまだ甘いらしい。

「あはは、まぁともかく、明日七時ね!」

「おっけー、んじゃ解散!」

「お疲れ!」

 その場で夕衣と奏一、英介と莉徒の二組に分かれる。今日はそれほど遅い時間ではないけれど、やはり奏一が送ってくれる形になるのだろう。と思ったところで少し疑問に思うことがあった。

「何か調子悪い?」

「え、何で?」

 それほど意識していた訳ではないが、いつもはもっと英介とのやり取りも多いように思ったのだ。英介のギター論の時もそれほど喋っていなかったように感じた。

「なんか今日口数少なかったように思うんだけど」

「そんなことないって」

「そう?だったらいいんだけど」

 無理してアルバイトをしても身体を壊すだけだ。ただでさえ、夕衣や莉徒よりも奏一と英介は肉体労働を進んでやってくれているのだ。

「……」

 商店街を抜け、中央公園に差し掛かる。

「樋村もけっこう色々考えてるんだねぇ。結構わたしらくらいの年でロックとかだともうエフェクトばりばりでただ音鳴ってれば良いみたいなのとか多いけど」

「まぁでも髪奈さんに会う前はそんなもんだったよ」

「初めて見たときは確かにそうだったね」

 苦笑しつつ夕衣は同意した。自分で言っておきながらあの時の英介のスタイルは確かに酷い物だったと思った。

「おれらも結構言ってたんだけどさ、やっぱあいつ巧ぇし、あいつのおかげで持ってるってのもあって、中々強くは言えなくてさ」

 一人、技術のある人間がいるバンドではありがちなことなのかもしれない。Unsungに限ってはそれを言ったことにより、英介が気分を悪くして脱退、などとは考えられないが、一緒に組んでいる者としてはまた感覚が違うのかもしれないし、夕衣が知らない、男友達にしか見せない一面もあるのかもしれない。

「そっかぁ。でもわたし達みたいなフロントの人間て、きっと自己主張も自己顕示欲も強くて、周りが何を言っても中々聞き入れられないこととかもあって……」

 以前夕衣がバンドを組んでいた時にも何度かそういうことはあった。夕衣は逆に目立たない音ばかりを出していたせいで、もっと前に出ろ、と言われたこともあった。

「それ経験談?」

「う、うんまぁ」

「へぇ。あんなしっかりした音創りとかしてんのに」

 感心したように奏一は言う。

「だから、だよ」

「え?」

 そのまま奏一は訊き返してきた。

「周りが何を言ってもね、自分で駄目だ、って気付かない限り、変わることって難しいと思うの。いくら周りの人達にあいつは使えないってレッテル貼られても、わたし自身がこれじゃ確かに使い物にならないな、と思わなかったら、きっと私は変われなかったんだと思う」

 正確には納得せざるを得ない説得力のある話を、自分自身が理解できた時に、初めて自分がどういう状況に置かれていたのかを理解する。そして大体気付いたときには手遅れになっていることが多い。夕衣もそうだった。

「……そっか」

「な、なんて、偉そうなこと言っても音創りに限っての話だけどね。わたしなんて結局まだまだだし」

 つい偉そうなことを言ってしまった。ギターの技術力で言えば英介の方が確実に上だ。その英介が音創りまでしっかりしてきたのだから、ギタリストとしてはもはや追い越すべき目標として定めても良いのかもしれないと思えるほどに。

「そうかな」

「え?」

「おれ結構髪奈さん自身も変わったと思うけど」

「そ、そうかな」

 音楽的な話かどうかは別として、否定するところではないと夕衣も自覚はしている。転入当初と比べれば確かに夕衣は変わった。自分が変わったと思っているのだから、莉徒や英介、奏一はもっと夕衣の変化を感じているのだろうと思う。

「最初の頃さ、ほんと、大袈裟じゃなく結構ツンケンした子なのかと思ってたし」

「あ、う、うん……」

 認めるしかない。本当にあの時は友達など作る気もなかったのだから。

「でしょ」

「莉徒のおかげかな」

 やはり最初にそう思う。この街にきて、一番最初に関わりを持ったのは莉徒だ。

「あいつも行動力あるからな」

「だね。すごい引っ張られた感じだけど、今では感謝してる」

 バンドをまた始められたことも、アルバイトをやろうと思ったことも、最初に莉徒が関わってくれたから実現したことだ。

「……わたし、何か足りないかな」

「え?」

「莉徒はこんなに、殆ど体当たりって言ってもいいくらいわたしに関わってくれたのにな、と思って」

「あぁ、でもあいつも難しい奴だからね。おれはよく髪奈さんが仲良くなったな、と思うほどだし」

 確かにそういった部分はある。相変わらず奏一と由比美朝以外のクラスメートには氷の壁を張っているような冷たさだ。過去にあったという莉徒の悪い噂は、そのクラスメート達とはもう関係の修復ができないほど広がっていて、深い溝ができあがってしまっているのだろう。

「そう、かも」

 ある一線をまだ夕衣は越えていないのかもしれない。夕衣はもうその殆どを莉徒に見せていると思う。けれど、夕衣は莉徒の過去のことを殆ど知らないままだ。ある一線を越えてしまったら、他のクラスメートのように拒絶されてしまうかもしれない、という危惧は確かにある。

「でも今の二人見てると、そんなこともないんじゃないかって思うけどさ」

「そうかな」

 そういう話を聞けば聞くほど、以前の莉徒のことを本当に夕衣は知らない。知らなくてもいいことはきっとたくさんある。だからあえて訊こうとしなかったし、その考え自体は間違ってはいないと思う。だけれど、夕衣はこの先何年だって莉徒とは付き合って行きたい。だから、知らなければいけないこともあるのだ。知らずにお互いの関係に亀裂を生じさせることだってあるかもしれない。知っていれば回避できることもきっと沢山あるはずだ。

倉橋くらはしさんているでしょ」

「うん」

 つい先日一緒に宿題を片付けた。ちゃんと話したのはその時が初めてだったが、物腰の柔らかい、一言で言ってしまえば本当に好人物だ。

「あの子はほんとに柚机ゆずきの親友だと思うけど、おれは髪奈さんももう同じなんじゃないかなって思う。実際あいつが倉橋さん以外の人と仲良くしてるのなんて、水野みずの達以外だと由比ゆいくらいしか見たことなかったし」

「そっか……」

 それは夕衣にも判る。夕衣もそれほど莉徒、美朝みあさ、奏一以外のクラスメートとは親しくない。最初に莉徒に教室から連れ出されて以来、莉徒と夕衣は親しい仲だ、という認識がクラスメートの間でできあがってしまったのだろう。そしてそのクラスメートから疎まれている莉徒の友達、という認識はきっと浸透して、あまり夕衣にも近付かないのかもしれない。今となってはそれで一向に構わないのだが。

「髪奈さんが変わったのは莉徒のおかげかもしんないけどさ、あいつも髪奈さんのおかげで随分変わったんじゃない?」

「そうだといいな」

 莉徒の中での夕衣の存在が、公子やすみれ、英里えり二十谺はつか達と同じく、一緒に音楽をやって楽しい、と思える存在になっているのは間違いない。

「髪奈さんは、なんかそういうの持ってんじゃないかっておれは思うし」

「そ、そんなことないよ」

 また夕衣がモテるだとかそういった類の話だろうか。

「あるよ。英介だってあんま普通に女子と狎れ合わないっつーか、派手に女と遊んでた頃だって、他の学校とかで全然おれらの知らない子とかとばっか付き合っててさ、うちの学校の女子なんてホント、それこそ水野とか柚机とかくらいしか話もしてなかったし」

「でも莉徒はあいつと付き合ってたんでしょ?」

 それは全く当てにならないと思う。樋村英介は自分に近い存在だとか遠い存在だとか、そんなことで女と付き合うかどうかを選びはしないと思う。夕衣の勝手な思い込みなのかもしれないが。

「でも一年の最初の頃だからなぁ」

「そっか……」

 それこそ中学校を卒業したばかりと今では考え方も変わるだろう。一人で生活している様は確かに大人だと思うが、それ以外の言動は子供以外の何物でもない。英介に関してはむしろ英介のあの一歩間違えれば嫌われること間違いなしの性格が、磁石のように反発する人と、くっついて行く人に分けてしまうのだと思う。決して夕衣の力などではない。夕衣にはそんな人を惹き込むような何かなど絶対にない。

「おれもさ」

「え?」

 ぼそり、と奏一が言う。良く聞き取れなかった夕衣はすこし声を高くして聞き返した。

「おれも、そ、そういうのあるし……」

「そういうの?」

「……」

 何が言いたいのだろう。いくら奏一が夕衣のことをモテるだとか人を惹きつける何かを持っているだとか言っても、夕衣には全くそれらを自覚できない。

「秋山君?」

「おれも、髪奈さんに惹かれた」

「ひかれた?」

 言葉の意味を掴み損ねる。奏一は俯いたまま立ち止まる。二歩三歩、と夕衣も遅れて立ち止まり、奏一を振り返った。

「おれ、髪奈さんのこと好きだ」

 顔を上げて、秋山奏一はそう夕衣に告げた。


 xxxiii Romance END

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