xxviii Stand Up


 シャワーを浴び、着替えると夕衣ゆいは携帯電話を手に取った。

「えーと樋村ひむら……エェスケと」

 着信履歴から電話をかける。

『おーぅゆいたん』

「今度はたん?」

 英介はすぐに電話に出た。英介の生活サイクルなど知ったことではないが、暇なのだろうか。微かにジャズのような音楽が聞こえてくる。

『不服そうだなぁ』

「そりゃね」

 ぶぅ、と英介が言う。どうせ定着しないのだ。英介のつけるあだ名も、夕衣の不満も。ただ英里えり達がユイユイと呼ぶのは定着してしまったため、英介にそう呼ばれるのだけは避けたいところではある。

『ゆいにゃんってのもあるが』

「そういう系は却下の方向で」

『あ、そ』

 あっさりと引き下がる。掴みはこれでお終い、ということだろう。以前よりも話を切り上げるタイミングが良いような気がした。英介は英介なりに学習しているのだろうか。それほど殊勝な性格だとは思えないが。

「で、今日は何?」

『なん、その話すのかったるそうな言い方ぁ』

「え、そんなことないけど」

 ごろり、とベッドに寝転がりながら夕衣は言ったが、英介のくだらない言葉を突っ慳貪に返す癖がついてしまっているせいだろうか、確かにそっけない言い方をしてしまったと思った夕衣は慌てて訂正する。

『夏休み、なんか予定あんのかと思ってよ』

「ん?それはどういうアレで?」

 どこかでライブをやろうだとか、遊びに行こうだとか、そういった類の話だろうか。大体にして英介の話題の出し方は唐突なのだ。莉徒と似て。

『や、もしやる気あんならバイトとかやんねーかと』

「お、やる!」

 願ってもないお誘いだ。夕衣は即答した。

『即決じゃん、仕事内容も話してねぇのに。だいたいおめー予備校だの夏期講習だのねぇのか』

「ないよ。一応予備校は行くかもだけど、まだ先。で、バイトってどんなの?」

 進路は前の高校では短期大学を志望していた。前の高校では夕衣の成績ならば合格は間違いないと太鼓判を押された短期大学だ。それに転校した今となっては瀬能学園は一貫教育なので大学までエスカレーター式で行ける。学内での試験は勿論あるし、まだかっちりと進路を固めた訳ではないけれど、それほど切羽詰まっている訳ではない。

『ほぉー、余裕あんねぇ。仕事は楽器屋の手伝い』

「え、もしかして谷崎たにざきさんの手伝い?」

『そ。正確には夕香ゆうかさんの手伝いだけどな』

 聞けば楽器店兼リハーサルスタジオのEDITIONエディションは谷崎りょうの妻である夕香が経営しているのだという。そもそも夕香の夫である谷崎諒はロックバンド-P.S.Y-サイのドラマーで音楽事務所、株式会社GRAMグラムの代表取締役社長だ。スケジュールが空けば店の手伝いをするのだろうが、EDITIONに於ては夕香が代表取締役社長を担っているのだという。

「そっか、でもやるよ」

『おー、んじゃ言っとく』

 涼子の店と同じく、夕香の店ももう馴染みの店となってしまった。莉徒や英介が元々夕香とは親しかったので、夕衣も馴染むのが早かった。

「何?頼まれたの?」

『まぁな。毎年やってるしな。奏一そういちと』

「え、秋山あきやま君も?」

 どきり、とする。普通に普通に、と考えているうちにどう接して良いか判らなくなってしまっていた夕衣にとっては、今は奏一は複雑な存在だ。莉徒の言ったことが正しければ、の話なのだが。

『おー』

「そ、そっか」

『……』

「で、いつから?」

 一瞬言い淀んでしまい、夕衣は慌てて言葉を繋げた。むしろ接する機会が増えるのだから、これからでも改めてどう接すれば良いか、見つけられるかもしれない。逆に考えれば良い機会だ。

『まだ判んねぇけどやるのは間違いねぇから』

「おっけ。じゃあわたしからも夕香さんに言っておくね」

 今週末にも練習はある。夕香にはその時に言えば良いだろう。

『おー。それにしてもえれぇやる気だな』

「わたしの周りってみんなバイトしてるからね。樋村もすーちゃんも一人暮らしまでしてるのに、わたしは実家暮らしでアルバイトもしないでお小遣い貰ってて、っていうのが何か……」

 少しだけ莉徒と話したのだが、夕衣は自分のこの境遇を恵まれていると思うし、同時に甘えているとも思っている。部屋の掃除や食事の後片付け等は手伝ったりはしているが、食事や風呂の準備、洗濯等はしていない。一人暮らしをしている人間から見ればやはり甘やかされた境遇なのだと夕衣自身も判っているのだ。

『まぁ人それぞれだろ、そんなもん』

 親と実家暮らしをしているから偉くないだとか、そういう問題ではないことも良く判っている。ただ、甘んじて今の状況を受け入れている夕衣自身が、このままではいけない、と感じているだけのことだ。そしてその状況を変えるきっかけは欲しいと思っていた。本当はそのきっかけすらも自分で作り出さなければいけない、ということも判ってはいたのだ。結局のところ、そういう甘えた考えから抜け出せないのは、自分自身意思の弱さが原因だ。だからこうして好機に恵まれたのならば、行動したい。

「うん。それぞれだからね。だから、わたしはわたしでそれを甘えてるって思ったから」

『偉い』

 断言されてしまった。それでもなんだか悪い気はしなくて照れくさくなってしまう。本当は偉くもなんともない。英介が与えてくれたきっかけに飛びついただけだ。

「樋村も普段はバイトしてるんでしょ?ちゃんと聞いたことないけど」

 莉徒やすみれ達はアルバイトで練習の時間を調整したりしていることもある。クラスは別だしそれほど行動を共にしている訳でもない英介がどんなアルバイトをしているのかは夕衣は知らなかった。

『あぁ、してるよ。夜の仕事だけどな』

「え、夜って……何してるの?」

 だからいつも昼休みは第二音楽室で昼寝しているのか、と初めて夕衣は英介の事情を知った気がした。素行はどうだかは判らないが、成績も良くてアルバイトもしていて、しっかりと自分がやることをやっている。

『イエナイ』

「え、何か危ないこと?」

 夜のアルバイトといえば夜間工事だとかガードマンだとか、夕衣が抱いている樋村英介のイメージとは少々異なった、いわゆる肉体労働的な仕事を連想したが、言えない仕事となると途端にきな臭い印象の仕事が頭に浮かんだ。

『どういう意味だ』

「え、何かヤクザ絡みとか」

『はは、そういうのはねぇよ。小さいバーでバーテンやってんだよ』

(ばーてん?)

 確かバーテンダーとか言ったはずだ。

「え、バーテンて、何かあの映画とかで出てくるやつでしょ?」

 ぽん、と頭にハンサムなアメリカ映画の俳優が浮かんだ。名前は判らないが、ビリヤードをやっていたような気がする。

『あ?なんかと勘違いしてねーか?』

「ビリヤードとかする人?」

『そらハスラーだ。確かにプールバーのバーテンだけどよ……』

 呆れながら英介は言った。どうやら何かが違ったらしいが、お店の店員であることには変わりないようだ。工事作業員やガードマンよりは英介に合っているのかもしれないが、高校生がしても良いアルバイトなのだろうか。

「へー、でもなんかカクテルとかつくったりするんでしょ?樋村未成年なのに……」

『だから人に言うなっつー話。学校にばれたらやべえし、生活かかってんだかんな』

 英介の家庭の事情は知らないが、何か事情があって独り暮らしをしているのだろうか。アルバイトをクビになってしまったら生活ができなくなるということは、実家には戻れないということなのだろうか。

「う、うん」

『なんおめー、びびってんの?』

「い、いや随分大人な仕事してるんだなぁと思って」

 酒場で働くということ自体がもう想像を絶する。随分前、本当に小学生の頃に、父親に連れて行ってもらったが、店の入り口には赤提灯が下がっていた。バーとは違うことくらいは夕衣にも判る。英介が働いているのはそういった店ではなく、もっとドラマに出てくるようなお洒落なお店なのだろう。

『別に大人がどーのとかそんなんじゃねぇし、っつーか店長が先輩なんだよ。手伝わねーか、って誘われてな』

「あぁ、そうなんだ……」

 英介とは話し易いし気疲れもしない。恐らくは一番仲の良い男友達なのだろうという自覚はあるが、夕衣は英介のことを何も知らなかったのだと自覚した。背が高くて、顔が良くて、口と性格が悪い、というよりもばか。そのくらいのことしか知らないのだ。莉徒が夕衣を親友だと言ってくれたあの時、夕衣も知らなければいけないこと、知っておきたいことはちゃんと訊こうと思った。壁を作ることは辞めにしたのだ。その時の心情や状況は勿論違うけれど、英介は莉徒と同じように夕衣に遠慮なくぶつかってきた。そして裕江のことも知っている。夕衣の方からもぶつかっていった方が良いのかもしれない。樋村英介という人間ときちんと付き合って行くためには。

『まぁともかく、バイトの件は夕香さんと諒さんには言っとくよ』

「うん、ありがと」

『おー、なんもだ』

「なんも?」

 夕衣個人としては聞きなれない言葉だが、公子も、英里も言っていたような気がする。つい訊き返していた。

『どうってことねぇよ、とかそういう意味』

「なんも気にすんなよ、みたいな?」

 略語のようなものだろうか。

『そ。北海道の言葉の中じゃ結構メジャーな方だと思うけどな』

「え、樋村って北海道出身?」

『あぁ、知らなかったっけか』

 初耳だった。出身地ともなれば英介だけではなく、莉徒も公子もすみれも英里も二十谺も判らないが、公子や英里も使っていたということは、二人も北海道出身なのか、何か縁があるのか。

「なんか生粋の東京人って感じしてた」

『まぁ俺は都会派だからなー』

「それボケ?本気?」

『当然本気』

 ということは取り合うこともない。夕衣は話の続きを促した。

「あそ。んで、なんでこっち出てきたの?」

『突っ込めよー』

「コンビの相方じゃないんだから……」

『相方みてーなもんだろーがー。冷てぇぞゆいにゃん』

 別に英介との漫才染みた会話など誰にも披露していないと思うのだが、英介としては打てば響く、という感じを夕衣との会話で感じ取っているのかもしれなかった。莉徒と話している時もそうだが、会話のテンポが良く噛み合うのだろう。けれど、どうでも良い冗談に一々突っ込んでいては話が進まない。噛み合っている様で噛み合っていないのだろうか。

「で?」

『……』

「あ、なんか言いにくいことだったらごめん」

 英介の少しの無言に、夕衣は言葉を繋いだ。ここまでで良い。言いにくいことならば無理には訊かない。英介も夕衣に話しておかなければならないことならば話してくれるだろうと思う。話す必要がないこと、話したくないことならば、それはこれからの付き合いの中でもなんら不都合は生じないことなのだろうから。

『ばーか、そんなんじゃねぇよ』

「ジャアオシエテヨ」

 折角真面目に考えていたのに、ばーか、の一言で返されてはたまらない。夕衣は憮然となって言った。

『棒読み怖ぇって……。まぁ言いふらす話でもねんだけどな。向こうで暮らしてて……えーと、俺が中二ん時に親父が死んだんだよ』

「え……」

 さらり、と言ってのける。別にどうということはない、と言外に語りながら、英介は淡々と続けた。

『でまぁ、お袋が元々コッチの人間だったから、こっちにきたんだけどな』

「え、でも独りぐら……」

『お袋は男連れ込んであれこれハデにやってっから鬱陶しくて家出たんだよ』

 重い話だ。気軽に話せることでもないと思うのだが、英介にとってはそうでもないことなのかもしれない。そしてそれは夕衣にも訪れるのかもしれないのだ。いつか、どうでも良いことのように裕江のことを話す日が来るのかもしれない。とても想像はできない。何年経とうとも裕江のことをどうでも良く話せることなど絶対にないと思う。

(あ……)

 それはきっと英介も同じだ。夕衣にはどうでも良いことのように、聞きだしたことに罪悪感を覚えさせないようにするための英介の優しさだ。夕衣のように実の姉のように慕っていた従姉ではなく、実の父親の死だ。それほど簡単に割り切れるものではない。それに中学二年生の時、などと言ってはいるが僅か数年前、そう遠い過去の話ではない。

「そ、そうなんだ……」

『俺ぁお袋が十六ん時に生まれたからよ、まだ若ぇんだよな。涼子さん達とそう年も変わんねぇし』

「そっか、なんかごめん……」

 英介が気楽に話そうとすればするほど、英介の気遣いを逆に感じてしまう。

『だーからそんなんじゃねぇっつってんだろ。気にすんな。独りってのぁ楽でいいしよ』

「それなりに満喫してるんだ」

『そういうこった。実家で息苦しいの我慢してる連中のがよっぽど偉いって思う時もあるしな』

 くく、と笑って英介は言う。それならば、と夕衣も意識を切り替えた。英介に付き合って波長を合わせなければ英介の気遣いも無駄になってしまう。今はそういった経緯を話してくれた英介の気持ちに応えなければならない。

「一長一短なんだねー」

『どっちかってぇと隣の芝』

「かもね」

 どこかで聴いた言葉だなと思いつつ、夕衣は同意した。さほど家族に縛られている訳ではないからこそ、夕衣は我ながら甘い環境に身を置いている、と思ってしまうのだろう。

『まぁ一応俺がここに住んでるのも知ってるし、多少なりとも仕送りされてっから余計な気ぃ回すなよ』

「うん、判った」

 思い返せば寂しくなることもあるのだろうと思う。英介の父親が亡くなった時と、裕江が亡くなった時の差は僅かに一年程だ。様々な思いをおくびにも出さず、英介を理解してくれる仲間を作って、働きながら生活をしている。夕衣には真似できないことだ。

『んじゃあバイトの件は俺からも連絡しとくわ』

「うん、ありがと」

 独り暮らしをしている英介やすみれのようにはなれないが、せめて自分が自由に使う小遣いくらいは自分の力で稼ぎたい。

「なぁんかちょっと見直したな、ヒムラエースケ」

『大人だろ』

「どこが?」

 さらりと言って来るが、途端に素直に認めたくなくなるのは何故だろう。

『こう、色々と』

「ま、そういうことにしといてあげる」

『おお、崇め敬うが良いぞ』

「救いの手でも差し伸べてくれるんだったら」

 冗談めかして夕衣は言ったが、言った瞬間に後悔した。この後に続く英介の言葉が容易に想像できてしまう。

『流石に胸を大きくしてください、とか言われても困るけどな……』

「ばーか」

 予想通りの英介の言葉に笑いながら夕衣は言った。気にしていることでも言われ続けると慣れてしまうものなのだろうか。それはそれであまり嬉しくないし宜しくない。

『揉まれるとでかくなるらしいからな。マッサージならいくらでも、や、寧ろ喜んでやってやるぜ』

「ちょっとセィクハラーよ!」

 どこでそんな情報を仕入れているのか、英介がイヤラシイ声音で夕衣に言う。二十谺のように夕衣からしてみれば巨大な胸ならばそれも可能だろうが、夕衣の胸を『揉む』という動詞は本当に寂しい話ではあるが、実は当て嵌まらない。

『なんかイントネーション違うけど』

「いいの!これで!さ、寝るよー!明日も学校だし」

『俺ぁバイト中だっつの』

 衝撃の事実だ。

「え!あんた仕事中にわたしと喋ってるの?」

『だって平日のバーなんか暇なもんだぜ。店長は来ねぇし、客も常連しかいねぇし』

「だからって……」

 客がいる前でクラスメートと話しているのだろうか。聊か信じがたい。

『いやーゆいにゃんは良い暇つぶし相手だなぁ』

「最近この時間あたりにかけてくるのって、わたしらと別れた後バイト行ってそこからかけてきてたってこと?」

 だとしたらまだアルバイトが始まってからさほどの時間もたっていないはずだ。店長がいないとはいえ英介一人で店を切り盛りしている訳ではないだろう。酒場での高校生のアルバイトなどアルバイトの中でも一番年下なのではないのだろうか。その一番年下の英介が仕事もせずにこうして夕衣と話していても大丈夫なのだろうか。

『おお、随分察しがいいな、ゆいにゃん』

「ゆいにゃんゆーな……」

(はっ)

 ふと胸をよぎる。

(わたし、言われ続けると慣れちゃうタイプなのかしら……)

 気付けば英里達がユイユイと呼ぶことも、英介が夕衣の胸をネタにすることも、なんだかすっかり慣れてしまっていた。このままではいけない気がするが素直に止めるような人間でもない。

『ま、ゆいにゃんの睡眠時間削ってオハダが荒れたらいかんしな。寝れ』

「うん。樋村は何時までやってるの?」

『何だかんだでここ出んのが二時くれぇだな』

(あれ、今なんか……)

「えー、それ毎日?」

 莉徒と電話しているときに何度か感じた奇妙な息遣い。

『定休日の月曜と俺は日曜は休み』

「そっか。一応休める日はあるんだね。……あんま無理しないようにねー」

『おーぅ。んじゃな』

(やっぱり)

 英介は歌を唄っている訳ではないので喉や歌声を心配する必要はないが、身体に良くない上に法律違反だ。口煩く言うつもりはないけれど、あまり良いことではない。

「うん。あとあんまり煙草吸いすぎないようにね」

『ほぉー、良く判ったな』

 夕衣は今まで英介が煙草を吸っているところを見たことがなかったが、普段は持ち歩いていないのだろうか。普段英介から煙草の香りを感じたことがない。莉徒もそう何本も吸っている訳ではないのか、煙草の香りは感じなかった。辞めないのは仕方ないが、本数を抑えているのと臭いがしないというのは良いことだ。

「まぁ息遣いでね。それじゃおやすみー。バイト頑張って」

『おーさんきゅー。んじゃな』

「うん」

 白いワイシャツ、黒のベスト、スラックス姿でバーのカウンターに立つ英介をふと連想する。端正な顔立ちをしているので中々似合っていると思うが、所詮は高校生だ。夕衣が最初に想像した映画のようなスマートな俳優とは訳が違うだろう。見てみたい気もするが流石に酒場には行けないし、見たところで中身はあの樋村英介のままなのだ。見た目だけで左右されるようならばとっくに英介のことを好きになっていただろうと思う。

 それはそれで癪だし、見た目は良いが口は悪い樋村英介と付き合いはあっても好きにはならないということが何だか何かに勝っているような気もする。

 誰に、どのように勝っていると感じるのかはさっぱり判らない。

(でも偉いんだなー……)

 見かけに依らないというよりも、意外な一面を知った。夕衣のように幸せにのんびりと生きてきた人間とは訳が違う。夕衣にも不幸はあったが、英介のように親が死んだ訳ではない。そして自分の不遇を自慢もしなければハナにもかけないのは本当に立派だと思った。出会った当初はなんと性格の悪い男だろうかと思ったことだが、今は全くそんなことなど思わなくなっていた。

(あれ……これも慣れちゃったのかな、もしかして……)

 それはそれで非常に癪な気がしたが、そうして英介に限らず、夕衣の周りの人間のことを知っていけば行くほど、夕衣自身がどれほど甘えていたのかが身に沁みて判るようになってきた。裕江ゆえが死んで、心に壁を作り、友達は要らない、好きな人も要らないなどと良くそんな甘えた態度をとっていたものだと自分が恥ずかしくなってくる。

(折角この街にきたんだから……)

 辛いことも多いだろうと思った。

 裕江が住んでいた街にくることは。

 それでもこうして暖かな仲間と共に笑顔でいられるのだ。

 だからこそそこに甘んじているだけでは駄目なのだ、と夕衣は改めて思った。


 xxviii Stand Up END

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