xxvii How Dose If Feel

 日曜日、Ishtarイシュターの二度目の練習が行われた。楽器店兼リハーサルスタジオEDITIONエディションには樋村英介ひむらえいすけ達、Unsungアンサングのメンバーもきていた。たまたま練習時間が重なったらしい。夕衣ゆいはこの街に来てからはこのスタジオしか使ったことがないので他のスタジオの事情までは判らないが、このスタジオはロビーも広く、休憩できるソファーやベンチやチェアーも多い。練習を終えたバンドがごった返すことも時にはあるが、大体は落ち着いて話もできる。夕衣はこのスタジオが気に入っていた。

「あれ、髪奈かみなさん?」

「お、秋山あきやま君。練習?」

 スタジオにつき、メンバーと合流したところで奏一そういちに声をかけられた。奏一達は掲示板の前にあるベンチに集まっていた。こうしてみると中々柄が悪い。

「おぉ、そっちも?」

「うん。あ、樋村、昨日はご馳走様ー」

 奏一の隣にいた英介が夕衣に気付いたようなので一応御礼を言っておくことにした。

「おー夕衣、少しは胸に栄養行ったか?」

「大きなお世話ですぅ」

 ばば、と胸を隠しつつ夕衣は舌を出した。夕衣を見て身長と胸の話しかできないのかとも思うが、どちらも小さいことに変わりはないのでまともな反論ができないところがまた悔しい。何とか反撃をしたいところだが今のところ反撃の糸口は見つけられない。

「え、昨日英介一緒だったのか?」

「あぁ、たまたまな。俺先に店にいたんだけど、あとから莉徒と夕衣がきたんだよ」

「そっか」

「なんだ?」

 訝しげに英介は聞き返した。あぁそういえば、と夕衣も莉徒が奏一の同行を断ったことを思い出した。

「いや、おれも行こうかと思ったんだけど女子同士のナイショ話とか言って断られたから」

「そんなこと言ってたね」

「昨日のあれ、ナイショ話かよ」

 昨日莉徒と英介に話したことに関しては内緒話などではないし、訊かれれば話そうとも思っていることだ。ただし、態々夕衣から吹聴して回るような話ではないので、進んで話そうとは思わないが、必要とあらば隠すようなことはしない。

「別にわたしがナイショって言ったんじゃないってば」

「莉徒か」

 と英介が口にしたところで莉徒がトイレから戻ってきた。

「ふぃー。お、あんたらもリハ?」

「おー莉徒」

「なんだよ莉徒、別にナイショ話してなかったらしいじゃんよー」

 恨めしげに奏一が言った。

「したわよ。店行く途中で、だけど」

「あぁ、あれ……」

 そういえば、と今更ながらに夕衣は思い出した。思い出さなければ良かった、とすぐさま後悔する。

「何?」

「だからナイショ話だっての」

 ね、と夕衣に話を振る。夕衣はただこくこくと頷くことしかできなかった。なんとなく奏一と目を合わせ辛い。

(自然に自然に……)

「英介はそれ聞いたんだろ?」

「それとは違う話よ。女同士の話なんて英介なんかにする訳ないじゃない」

「ひっでぇ扱いー」

 大して酷いとも思っていないような言い方で英介は苦笑した。

「おいぃー、時間!」

 すみれが時計を見て言った。開始時間五分前だが、今日は早めに入れるのだろう。夕衣達よりも前にスタジオを使っているバンドがきちんとマナーを守り、早めに退室してくれたおかげだ。中にはいつまでたってもダラダラと片付けをしていて、次のバンドの練習開始時間になっても片付けを終えられないバンドもいるが、そういうバンドやミュージシャンを見ると腹が立つ上に、ミュージシャンの面汚しだと思ってしまう。思うだけで何も言えはしないのだが。

「んじゃ、おれらも行くか!」

「あんたら何時間?」

 楽器の入ったギグバッグを抱えた奏一に莉徒が声をかけた。

「おれらは二時間」

「私らも一緒だわ。帰りご飯でも食べてく?」

「おーいいね、んじゃまたな」

(えぇ、な、何それ)

 余計なことを、とつい思ってしまう。自然に振舞えと言ったのは莉徒のはずなのにこうして態々時間を作ることもないのではないだろうか。

(し、自然に……)

 自然に、と思えば思うほど普段どう奏一と接していたか判らなくなってくる。

「あいよー」

「今日は奢らねーからな!」

 ぐり、と振り向いて英介が付け足すように言った。

「判ってるって」

「ちょっと莉徒」

 Unsungのメンバーが離れたのを確認してから夕衣は莉徒に声をかけた。

「何よ」

「どういうつもりよー、自然に振舞えとか言っといて」

「ん?」

(わ、忘れてるし……。や、これはわざとなの?)

「……な、何でもない」

 そうだ。何も夕衣まで一緒に行くことはないのだ。練習が終わったらさっさと帰れば良い。用事があれば帰る。極自然のことだ。決して奏一を避けている訳ではない。本当は用事はないが、家に帰ればそれなりに用事ができるかもしれない。用事があるから帰る、ではなく、ちょっと、と理由を濁して帰れば嘘をつく必要もない。

「なんぞ」

 がこ、とブースのレバーハンドルを回し、莉徒が再び訊いてきた。

「なんでもない、勘違い」

 すみれや英里えりに聞かれてしまったらまた大事になってしまうかもしれないし、奏一本人の耳にも入りかねない。今この場でこれ以上莉徒を言及することはできなかった。

「そ!」

 勢いをつけて分厚くて重い防音ドアを開く。まだ夕衣が入ったことのないスタジオだったがすぐに莉徒が感想を述べる。

「うわ狭!」


 一時間ほど練習を続け、休憩時間になった。

「ちょっと英里、あそこまとめてないの?」

「う」

「う?」

 動きを止めて英里が言った。夕衣も練習中に気になっていたことだが、今日までにまとめてくるはずのピアノアレンジが手付かずだったのだ。

「バイト、が、忙しく、て」

「なにぃ!」

「わーっ」

 がたた、と莉徒が立ち上がり両手を挙げる。それを二十谺はつかが後ろから抑え、その隙に英里は夕衣の背後に隠れた。

「まぁまぁ莉徒」

「ま、しょうがないかー」

 二十谺の拘束が解けると、すとんと再びベンチに腰かけ、ふぅと嘆息する。

「中々ピアニストじゃないと持ってない感覚とかあるからね。適度なラインは創れるけど、ピアノアレンジともなるとやっぱり弾き手に頼るしかないし」

 英里のピアノの腕前は確かに一級品だ。以前の練習では少しだけクラシックを奏でてくれたことがあったが、それを見たときは正に圧巻だった。譜面さえあればなんでも弾いてくれる、という言葉も頷けた。しかし英里はこれまでオリジナルソングを創る、という作業をしてこなかったため、自分でメロディやアレンジを考えることに慣れていないのだ。夕衣も莉徒から貰ったシーケンサーのおかげでメロディを作り出すことはできるが、ピアニストの感性というものがまるで判らない。ピアニストにはピアニストなりの様々な手法や観念があるのは間違いないので、そこを英里には担ってもらいたいと思っている。しかしそこが重荷になってバンド自体が楽しくなくなっては意味がない。その辺のバランスも中々難しいところなのだろう。

「少しだけどいじってみた譜面、見る?」

「お、お、おー!公子こうこさんっ、女神!」

 公子がバッグから数枚の紙を取り出して、英里に手渡す。

「そっか、公子さんも鍵盤屋ですもんね」

「英里ほどじゃないけどね」

 莉徒の言葉に苦笑して公子は返した。ピアノのスタイルはやはり英里と公子では異なるのだろうが、ピアニストに共通した何か、というものもあるのだろうことくらいは夕衣にも判る。他の楽器ができない夕衣にとっては羨ましい感性だと思う。

「そういや公子さんと英里ってバイトしてるとこ同じですよねぇ」

「え、うん、まぁ……」

「えーりー……」

 じろり、と英里を睨みつけながら莉徒は言った。

「え、えへへ、えへ」

「まぁ折角だし、公子さんのアレンジを加味して次までにやってよねー」

「わ、わかってるよぅ。公子さんありがとうございます!」

「なんもなんも」

 ひらひらと手を振って公子は笑顔になった。

(かっこいいなぁ)

 大人で物腰も落ち着いていて、美人な上にスタイルも良い。こんな女性になれたら、と夕衣はつい自分の胸に手を当てていた。

(……な、なんか)

 自分の胸に手を当てることが癖になってしまっているような気がした。間違いなく樋村英介のせいだ。確かに以前から自分の胸が同級生と比べると小さいことは判っていたが、英介と出会う前まではさほど気にしていなかったように思う。

「でもまぁ急いでる訳でもないんだから」

「そうだけどさ。あ、公子さん一本貰えません?」

 公子が口にくわえた煙草を見て莉徒がぴん、と人差し指を立てた。

「未成年」

「スタジオは治外法権!」

 公子の言葉もそこそこに莉徒は大きな声で反論する。

「あんたいつでもどこでも治外法権じゃないの」

「昨日シズに見つかって捨てられたの忘れてたんですよ」

 なるほど、と思う。シズも莉徒の声を心配しているのだろう。最近ではあまり喫煙はしていないようで、声に影響が出ないとしても、それは頻度の問題でもない。

「懲りないねぇ」

「あたしと組んで、あたしらのボーカルになったからには吸わせませんっ」

 今度莉徒の煙草を見たらシズに倣って捨ててやろう、と夕衣は心に誓った。

「ちぇー」


 結局巧い言い訳を考えたところで後ろめたさが勝ってしまい、夕衣もみんなと一緒に夕食を摂ることにしてしまった。当然の如く、と言ってしまうには随分と気が引けるが、今日も奏一は夕衣を送ってくれている。

「そ、ややっこしいけど、涼子さんの、双子のお姉さんの、旦那の、従兄の、子供」

 指折り数えて奏一は言った。つまりその最後に言った子供、というのが奏一に当たるのだろう。それにしても遠縁とは言え涼子と親戚だったとは驚きだった。

「と、遠いね……で、結局涼子さんとは親戚になるんだよね」

「そういうことだね」

「双子のお姉さんがいるんだー」

「あぁそっくりだね。晶子しょうこさんってんだけど、その晶子さんの旦那が響一きょういちさんっつって、その弟が響次きょうじさんっていってさ、おれその人とは結構仲良くて、バンドに興味持ったのもその人の影響なんだ」

 確か涼子自身もピアノを弾いていると聞いたことがある。

「涼子さんのとこもそうだけど、秋山君の親戚筋って音楽関係者多いんだね」

「まぁだからって巧い訳じゃないんだけどさ。いいよなぁ、髪奈かみなさんは巧くてさー」

 恐らくそれは練習の質と量の違いだ。練習と言っても漫然と楽器にさわっているだけのような練習とでは当然差は出てくる。一生懸命やる、というレベルは自分では中々線引きできないものだ。夕衣はどこまでやれば自分が一生懸命やれたのか、未だに判らない。ただ、練習方法は色々とある。やっても無駄なことを一生懸命やっていても伸びはしないが、一生懸命やった、という気持ちだけは残ってしまう。その辺は本当に個人の感覚によるものなので、本人が納得しない限り変えられるものでもないだろう。

「わ、わたしだってそんな巧くないよ。練習はしてるけど……」

「そっかぁ、そもそもの練習量と練習の仕方とかも違うんだろうな」

 判ってはいるのだろう。一生懸命練習もしているのだろう。ただその方向性がずれてしまうといくらやっても役に立たない、ということに疑問を持ち始めているのかもしれない。もしもそういうことに気付き始めているのならば、夕衣でも何か忠告くらいはできるかもしれない。

「秋山君は独学?」

「あぁ。まぁ最初は教則本みたいのは買ったけどさ」

「あぁいうのってほんとに初歩の時しか見ないよね」

 苦笑して夕衣は言った。夕衣もいくつかそういった教則本やDVDは持っているが、あまりにレベルが高すぎて実力からかけ離れた物や、基本中の基本しか乗っていないものは目を通すだけで終わってしまう。

「だなぁ」

「……」

(んもう、莉徒が変なこと言うからなんか変に意識しちゃうよ……)

 続く言葉を見付けられずについ黙ってしまった。行動が重なるたびに、帰り道が同じだからとはいえ、こうして毎回のように送ってもらえているのは、奏一の好意からくる行動なのだろうか。夕衣は自分が異性から好かれるような存在ではないと普段から思っている。奏一がこうしていつも送ってくれるのも帰り道が同じだから、という理由でしかないと思っていた。いや正確には考えてもいなかったのだ。

「ライブとか決まったんだっけ?」

 夕衣の思考に奏一の声が割って入った。

「え?あ、あぁ一応夏休みの終りには、って考えてるみたいだけど」

「結構急だな。間に合う?」

「間に合いそうもなかったら伸ばすって」

 ライブハウスでやるとしたらもう連絡は入れなければならない頃だ。本番一ヶ月前を過ぎれば半額、もしくは満額でキャンセル料も払わなければならない。現在の進捗状況を見る限りではライブハウスでのライブはないように思える。

「それにしたってあと一週間くらいで決めないとやばくない?」

「そうだね。まぁ最初は中央公園でもいいね、って話もしてるし」

「あぁそっか」

 路上でやるとなれば、いつもきているバンドに挨拶するだけで良いし、無料で見られる。出演料も取られないので時間の都合さえつけば、一番お得にライブができると思う。音の良し悪しはあるにしても。

「ともかく夏にはなにかやると思う」

「高校最後の夏休みだしなー」

 複雑な面持ちで奏一は言う。やはり皆思うことは同じなのだろう。高校生活で最後の夏休み。何かをしなければ、何か思い出を残さなければ、とある種の強迫観念のようなものがあるのだろう。

「だね。今日もありがとうございました」

「いえいえ、本日も任務遂行いたしました」

 夕衣の家の玄関までつき、夕衣は奏一に頭を下げた。奏一は敬礼の真似事をする。

「じゃ気を付けて」

「うん、さんきゅ」

 くるり、と背を向けたところで、携帯電話の振動音が聞こえてきた。夕衣はバッグから携帯電話を取り出すと、震源主の名前を見た。

「お、なんかいつもこのタイミングだなぁ……ヒムラエースケ」

 通話ボタンを押して夕衣は電話に出た。

『お、今大丈夫か?』

「今戻ってきたばっかり」

 今日はミュールで出かけたので脱ぐのは容易い。居間にいる両親に軽く手を振って帰ってきたことを知らせると、階段を上がる。

『またこのタイミングか』

「かけてくるあんたのせいじゃない?」

『夜遊びしてる夕衣のせいじゃねぇのか』

「ついさっきまで一緒にいたでしょうに」

 苦笑しつつ夕衣は言った。

『夜更かしはする、牛乳は飲まねー、煮干は食わねーじゃ発育しないで当たり前だぞ!』

「え、やっぱり?」

 恐らくは当てずっぽうで言ったのだろう英介の言葉を夕衣は真面目に返した。

『え、マジで牛乳とか飲んでねぇの?』

「今更飲んでも無駄かなぁ、とか」

 なんでも人には成長線というものがあるらしく、これが閉じてしまう時期は人それぞれらしいが、恐らく夕衣は中学生のうちからそれが閉じてしまったのではないか、と思うほど身長には変化がない。

『や、背とか発育とかじゃなくて、日常生活で牛乳飲まねぇのかっつー話』

「うん」

『そこは飲んどけよ、人として』

 英介は牛乳好きなのだろう。だからきっと背も高いのだ。夕衣も中学三年間、毎日牛乳を飲んだけれど、夕衣が牛乳を好きではなかったばかりに、牛乳はオレに何も応えてくれない、と悟った。

「あんまり好きじゃないし」

『お前好き嫌い多いタイプか』

「うん、結構ある」

 野菜の好き嫌いは殆どないが、香りの強いものはあまり好きではないものが多い。

『かー!そんなことじゃいかんな!』

 何の用事があって電話をしてきたのかは判らないが、このまま不毛な会話をしていても仕方がない。風呂に入った後でならば後は寝るだけなのでどうということはないが、ともかく汗ばんだ身体をどうにかしたい。

「とりあえずお風呂入ってきていい?」

『うぃ』

「んじゃまたあとでかけなおすよ」

『うぃー』

 言ってぷつ、と会話を終える。やはり英介と奏一とでは態度といえば良いのか、心構えといえば良いのか、何かが違う。折角慣れてきていたはずだったのだが、莉徒からもたらされた情報で妙に奏一を意識してしまった。

(まぁでも樋村の方が疲れないのは確か、かな……)


 xxvii How Dose If Feel END

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