xxiv Rock Candy

 Ishtarイシュターの初練習はとりあえず終了した。初回だけあってできることはまだ少ないが、各々の技術は立派なものだった。楽曲は夕衣ゆいの曲からやっていくこととなったが、改めてコード譜だけでも書いておかなければ他のメンバーが曲を覚えるのに手間取ってしまう。今回は一曲だけ、ホワイトボードにコード進行を書き出して、構成と進行の説明をしながら練習したので、時間がかかってしまった。

「ベースとドラム、バッキング以外はコード譜のみだときついねぇ」

「ギターアレンジは莉徒りずにやってもらうとしても、キーボードがね」

「そこはわたしと英里えりちゃんとでなんとかやってみるよ」

 夕衣は鍵盤は全く弾けないが、ギターでメロディーを付ければそれを英里が弾いてくれるだろうことは練習中に判った。譜面さえあれば何でも弾く、というのはあながち大袈裟な話ではなく、本当に英里の技術の高さを実感できた。

「あぁそういや夕衣、パソコンで使えるシーケンサーあるけど使ってみる?」

「どういうの?」

「ソングライター、って言って基本的には全部鍵盤のキーで打ち込んでく感じなんだけど、結構音色あるよ」

 作曲用のソフトでもそういったものはいくつもある。夕衣も無料ソフトは少し使っているが、夕衣が持っているのはギターのみのものだ。音色はいくつか有るが、やはり本物のギターとは比べ物にならないほどレベルの低い音しか出ない。

MIDIミディ?」

「そ。それで雛形作って、英里におかしいとこ直してもらうとかのがいいかも。確か五線譜でプリントアウトもできたはずだし」

「あ、それいいね。そしたらユイユイ最初にある程度創ってよ」

「そうだね」

 元々そのつもりではあったが、鍵盤で創ってしまえばあとは英里が調整しやすいだろう。

「人間の手で弾ける程度にね」

「それは、努力するよ」

 ギターの指板と鍵盤の差だ。ギターには六本の弦があり、弦の下は弦、更にその下は弦だが、鍵盤はすべて横並びだ。の間にはファかがあるし、の間にはがある。鍵盤二つ分ならば手が届かないということはないが、ギターでは簡単に弾けるフレーズでも、鍵盤でそれを弾こうとすると思い切り手を開いても人によっては届かない、などということが往々にしてあるのだ。

「いくら英里ちゃんが巧いって言っても片手に指五本しかないもんね」

「うん。あとオクターブ片手だときついから、五度以内で何とかして欲しいなぁ、とか」

「甘ったれない!」

 英里が申し訳なさそうに言ったが、それを莉徒が遮った上で却下した。

「ひぅ……。ユイユイ、莉徒が怖い……」

「それだけ英里ちゃんが頼りになるってことだよ。すーちゃんもリズムしっかりしてるし、はっちゃんも安定してるし、その分わたしら楽できるってば」

 夕衣の腕にしがみついてきた英里に苦笑して夕衣は言った。

「でもピアノメインの曲も増えるだろうけどねぇ」

「なんで」

「だってギター三人もいんだよ?三人が全員で全部音出すって訳じゃないけどさ、結構くどいじゃん」

「むぅー」

 確かに莉徒の言うことも一理あるが、まだ最初の段階では各々の力量やセンスを測る段階だ。メインを務めるというプレッシャーで演奏ができなくなってしまっては元も子もない。

「ま、まぁ最初からそんな色々は無理だから少しずつやってこうよ」

「ユイユイやさし……」

 うう、とわざとらしく声を出しながら英里が言う。英里の頭にぽんぽんと手を乗せて、夕衣は再び苦笑した。あれだけの実力を持っていても、ステージで演奏するとなるとまた変わってくる。それは個々の心の問題であったり、果ては体質の問題であったりもするのだ。

「あんまり英里を甘やかすとあとで痛い目見るよユイユイ」

(あんたまでユイユイって言うな……)

 じと、と莉徒を見たが、簡単に流される。こういうところは本当に樋村英介ひむらえいすけと同じく腹立たしい。

「そんなことないっ!ねぇすーちゃん」

「えぁ?あ、あぁうん!うん!」

 英里の同意に、明らかに同意しないまますみれも頷いた。バンドを組む前からもこういったやり取りは幾度となく繰り返されてきたのだろう。

「ほらぁ」

「……」

(え、今すーちゃん同意してないよね……)

「バンドメンバーは一心同たぁーい!」

 ぐい、と英里の腕を掴んで夕衣は唐突に言った。

「ユイユイが壊れた」

「壊れてない!」

 反対の手でテーブルをばん、と叩く。ともかく今は各々のできるできないの範囲を把握したいのだ。

「ま、まぁともかく、この曲のピアノアレンジは夕衣と英里に任せて進めようよ」

 夕衣の勢いに押されたのか、二十谺はつかがフォローに回ってくれた。

「んだね。で、次は二十谺の曲だけど」

「私のはピアノじゃなくてロックオルガンっぽい感じの音がいい気がする」

 確かに二十谺の持ってきた曲はピアノよりもエフェクトをかけた音色の方が合っているだろう。ロックンロールやリズムアンドブルースならばピアノの方が映えるが、二十谺が持ってきた楽曲ではピアノは合わないような気がした。

「まぁこっちはギターメインになりそうだから、夕衣はギターナシで公子こうこさんバッキング、私リードかな」

「えぇ、ギターナシで唄うの?」

 唄だけ、などカラオケでしかやったことがない。しかもカラオケとボーカルでは声の出し方や実際に出ている声も全く異なる。普段は自分が伴奏をしながら歌っているという安心感があるが、楽器を持たないとどうなるかはやってみないことには判らない。

「やってたでしょ」

「やってない……」

「うっそ!」

 莉徒はギターよりも唄で音楽を始めたのだろうか。ボーカリストの大半がそうかと思うが、夕衣は初めからギターにも唄にも興味があった。夕衣が好きな早宮響はやみやひびきもギターやピアノで弾語りをする。夕衣が最初に早宮響を好きになった曲が、ギターを持って歌っている曲だった。

「ホントだよ。なんかギターないと不安で……」

 正直な話、カラオケで歌う時ですら少々不安に感じることもあるのだ。

「まぁ持っててもいんじゃない?途中で少し入れてもらったっていいんだし」

「まぁそっか」

 ふむ、と莉徒が頷いた。弾かないのにギターを持っていても確かに何のメリットもないが、ポイントポイントで弾いても良いのであればそれはまた別の話だ。

「んじゃその方向で」

「ピンで唄うくせにバンドで歌うのにギター持ってないと不安だなんて変わってるわね、あんた」

「そ、そぉ?」

 そういうこととは別問題だと夕衣は思う。そもそもバンドではコーラスはしたが、メインで歌は唄っていなかった。弾語りでも、自分が演奏をしてそれに合わせて唄うことと、演奏は全て自分の手から離れて、それに合わせて唄うこととは感覚がまるで違う物ではないだろうか。

「うん、変」

 ギターを持たないことに不安を覚えることと、ステージ度胸があることとも違う気がする。ギター一本あれば、恐らく夕衣は人前で歌うことに対し、何の躊躇もないだろうけれど、バックでオケだけ流して、ギターも持たず弾かず、ただそれに合わせて唄うことになれば、不安になることは容易に想像できる。

「抱き枕がないと眠れないタイプだ」

「う、うん、まぁ……」

 正確には枕ではないが。

「ぬいぐるみとかだったらウケるね」

「っ」

 いきなりすみれに図星を点かれて夕衣は固まった。

「ビンゴみたいよ」

「えぇっ!ユイユイ可愛いすぎ!」

 ちょいちょい、と夕衣を人差し指で莉徒が突いてきた。すみれがすぐさまそれに反応する。

「なになに?」

「え?」

 英里が身を乗り出して夕衣に詰め寄ってくる。

「何のぬいぐるみ?」

「え、し、シナモロール……」

「うわっ!なんか、それ、あんた何学生?」

(な、なんでこんな話題に……)

 何学生と言われても困る。夕衣が中学二年生の時に父に買ってもらったLLLというとても大きなシナモロールは、それ以降夕衣と毎日ベッドを共にしている。汚れてくればクリーニングにも出すし、消臭剤もきちんとマメにかけている。ただシナモロールに拘りがある訳ではなく、そのぬいぐるみが気に入っているだけなので、他にシナモロールグッズを集めるなどということはしていない。

「だ……」

(だって、しょうがないじゃん……)

「いや!うん!でも!か、かわいいよね!シナモロール!」

 すみれがどう聞いても無理矢理な同意をする。先ほど英里の言葉に頷いたときと全く同じだ。どうせ理解などしてもらえないのだ。夕衣にとっては反応などどちらでも良かった。

「そ、そうだよすーちゃんみたいにカエルなら何でもいいってよりかマシマシ!」

 カエルなら何でも良いすみれよりも何がマシなものだろうか。ユイユイという呼び名にシナモロールのぬいぐるみと寝る、など傍から聞いたらとんだ少女趣味だが、これが現実というものだろう。

(ゲンジツって厳しい……)

「えー!なんで!英里ちゃんだってチョコレートなら何だっていいじゃん!」

「?」

 すみれの言ったことの意味を掴み損ねて夕衣は首をかしげた。すると英里が自分のバッグの中をごそごそと探し始めた。

「あぁ、ほらなんか、いろいろグッズとかあるでしょ」

「ほらこれー!」

 英里がバッグから取り出したのは板チョコを形取ったプラスティックの物体だった。大きさは本物の板チョコの三倍程もありそうな大きさだ。英里はそれを携帯電話を開くように展開させ、内部を夕衣に見せた。中はなんということはないただの鏡だったが、チョコレート好きの英里にしてみれば、面白いグッズなのだろうことは良く判った。

「あぁ、それ彼氏以外のオトコに貢がせたっていう……」

「ちぃーがぁーうぅー!誕生日んときに先輩に貰ったの!莉徒じゃあるまいし!」

 あまりの言われように英里は憤慨した様子だったが、それもすぐに収まった。莉徒にこう言われているのは恐らく一度や二度ではないのだろう。

「オレソンナコトシテネェヨー!」

 うわわ、と両手を挙げて莉徒が反論した。

「なんかまぁ、各々の性癖とかいいから、曲の話」

「セイヘキとかゆーなぁー!オマエヤラシイぞ!」

 ばんばん、とテーブルを叩き莉徒が言う。が、ともかく夕衣は二十谺の言葉に激しく同意し、何度も頷いた。

「うるさい」

「ハイ、スンマセン、スンマセンデシタ」

 ぐに、と莉徒の頬をつねり上げて二十谺はぴしゃりと言い放つ。つねり上げた二十谺の手に逆らわないよう中腰に浮き足立ちつつ莉徒はすかさず二十谺に謝った。

「ぼ、暴力反対……」

「ん?もう片方もいくか?」

「あ、ゴメンナサイ」

 莉徒が謝った瞬間に二十谺は莉徒の頬を開放する。うう、と唸りながら莉徒は自分の頬をさすった。


「お?メールだ」

 スタジオから出ると、莉徒の携帯電話が鳴った。莉徒はポケットから携帯電話を取り出すと電話を開く。日も落ちかけたこの時間にむっと湿気を含んだ風が吹いた。もう夏も近い。

「……」

 むにむにとボタン操作をしてメールを返す。明らかに短い文章で愛想の欠片もない。

「英介だった」

「何だ樋村か」

 それならば短い返事にも納得がいくが、樋村英介に用はない。莉徒が個人的に付き合っている男だとかそういう相手なら興味はあったが。

「何その落胆した言い方は」

「え、莉徒の彼氏とか見てみたいし」

 っぽん、と手を打ち合わせ、夕衣は言った。

「今はいないわよ」

 莉徒の代わりに公子が答え、莉徒が頷く。

「そうなんですか」

「まぁちょっと基本的にもう音楽関係ではオトコ作りたくないし、色々面倒あんのよ」

 あっつー、と言って携帯電話をしまうと、莉徒は歩き出した。皆もそれに倣う形になる。こういった振る舞い一つ見ても莉徒は基本的にリーダー格なのだろう、と全く関係ないことを考えて、夕衣も皆に続いた。

「あぁ、そういえばちょっと秋山あきやま君から聞いたな……」

「そ。前は結構やらかしてたから」

 直接莉徒から聞いた訳ではないから、それに関しての莉徒の印象などというものは保留、というよりも考えないようにしていた。お互いのスタンスはお互いで決めれば良いことだと思うし、無駄に踏み込もうとしてそのスタンスを態々崩す必要もない。

「莉徒と組んだバンドに男がいたら絶対解散するって噂あったもんね」

「まぁあながち嘘じゃないからね」

 苦笑して莉徒は言う。それにしてもいい加減な理由でそうなった訳ではないのではないだろうか。様々な噂が立ったのは事実のようだが、莉徒はそれを容認しているのだろう。元を正せば、という考えは恋愛のもつれではさして意味のないものではあると思うが、一々噂に対しての言い訳をする方が莉徒にとっては面倒だったのだろう。

「でも売春ウリなんかやってないでしょ」

「まぁね」

「う、ウリ……」

 ぐび、と思わずつばを飲み込んでしまった。まだ男と付き合ったことがない夕衣にとってはあまりにも遠すぎる現実だ。

「だからやってないって。まぁでも実際ウチの学校でもやってるヤツがいるからそういう噂も立ったんだろうけど」

「そ、そうなんだ……」

 物欲と性欲を満たす行為、と言ってしまえばそれまでなのだろう。それを行う人間の気持ちは夕衣にはさっぱり理解できないものだが、きっとのっぴきならぬ理由もあるのだろうし、割り切り方にも人それぞれ色々とあるのだろう。

「言いたいヤツには言わせときゃいいのよ。私は私の周りの人間に判ってもらえてればそれでいんだし」

「……そうだね」

 例えば夕衣が莉徒をそういう目で見ないこと。例えばKool LipsクールリップスやIshtarのメンバーがきちんと莉徒を認めていること。それが判れば、莉徒にとって外野は関係ないのだろう。

「ま、そんなことよりIshtarで男いないの私らだけだし、頑張っていい男探そうぜぃ」

「う、うん」

 がし、と肩を組んで莉徒は笑った。莉徒のように垢抜けていれば男にももてるだろうが、夕衣はそういった面では全く自分に自信がない。唄えることもギターを弾けることも曲を創れることも、もてることとは何の関係もない。男という生物は慨して可愛い子が好みなのだろうし、胸もないよりもあった方が良いのだ。それを考えると夕衣は随分と恋愛に不利だなぁ、と思ってしまう。

「あんたなに自分の胸触ってんのよ……」

「え、い、いや別に……」

 そう言いながらもつい二十谺の目の前に出て、二十谺の胸を触ってしまっていた。

「ちょ!な、何?」

(うらやましすぎる……)

 顔を両手で挟まれて、ぐい、と二十谺の胸から遠ざけられる。

「まぁはっちゃんはナイスバデーだから仕方ないよ」

 苦笑しながら英里が言う。そういう英里もスタイルは良い。少なくとも、スタイルだけの話になれば、夕衣と莉徒はIshtarの中でも最下位を争える。

「ううー、ど、どうしたらこれが……」

 それでもしつこく二十谺の胸を揉みしだき、夕衣は唸った。夕衣の顔をはさむ二十谺の両手にさらに力が篭る。もはや原形をとどめていない夕衣の顔が余程おかしかったのか、二十谺は噴き出した。

「こんなもんあったって重いだけよ」

「でもとおるは喜んでるでしょうに」

 そうだ、本人の事情よりも相手あってのことだ。男の視線を集めてしまうスタイルを持つ二十谺には判らないのだろう。

「そういう問題?」

「持てる者の悩みってやつね」

 ふぅ、と莉徒も嘆息しながら自分の胸に視線を落とした。

「どっちかていうと隣の芝生じゃない?」

 すみれも言って自分の胸を見たが、明らかに夕衣よりも大きい。二十谺から引き剥がされた夕衣は再び自分の胸に手を当てた。

「かも、ねぇ」

 公子も苦笑して言った。

「さって、晩御飯どうする?」

 莉徒が言って振り返える。日も落ちかけ、昼から何も食べていないかったことに気付いた腹が軽く悲鳴を上げた。

「あー、あたし相方帰ってくるからゴメン」

「私はバイト」

 公子と二十谺がそれぞれ断り、手を振る。確か公子は彼氏と同棲していると聞いていた。それはそれで想像を絶してしまう。

「すーと英里は?」

「いいよ、行くー」

 公子、二十谺、すみれ、英里、とそれぞれを見てもなんだか立ち振る舞いが違うと感じてしまうのは、きっと大切な人がいるからなのだろうな、と感じる。今現在彼氏がいない莉徒にしても今までそういった経験はしてきている。夕衣だけが随分と子供のような気がしてしまうが、きっとそれは事実なのだろう。

「ファミレスでいっか」

「そだね」

「じゃ、またね!」

 公子と二十谺に手を振り、夕衣達は二手に分かれた。


 xxiv Rock Candy END

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