xxiii Tomorrow's way

「ハロー七本槍ななほんやりベイビーズ」

 樋村英介ひむらえいすけの一言でUnsungアンサングの演奏がスタートした。このハローとベイビーズの間に地名を入れて挨拶するのは現在は-P.S.Y-サイに所属しているギターボーカル、朝見大輔あさみだいすけが過去にやっていたバンド、The Spankin'スパンキン Bacckusバッカス Bourbonバーボンでギターボーカルを務めていた時のお約束の挨拶で、英介はこれをいつも真似しているようだった。流石に先日のアコースティックライブの時は場違いだと思ったのかやっていなかったが。

 アコースティックライブが終わってから二週間ほどが過ぎた。今日は七本槍中央公園での路上ライブだ。今日は随分と気合も入っているようだった。

 今回は通常のフルバンドでの演奏だが、英介の演奏はアコースティックライブをやる前と今日では雲泥の差があった。確かにやっている曲は以前と同じく荒々しい攻撃的な楽曲だが、英介の音と弾きに感情が篭っているように夕衣には感じられた。

「あいつやっぱ巧くなったね!」

 莉徒りずが耳元で大きな声を上げる。夕衣は声に出さずに頷いた。

(音も前と全然違う。ちゃんと考えてるんだ……)

 ただ歪んでいれば良いとう音作りではなく、楽曲に合った歪ませ方、エフェクターの音ではなく、ギターそのものが持っている音にエフェクトをかける、本来のエフェクターの使い方をしている。今日は公子こうこ、すみれ、英里えりはアルバイトに入っていて来られないようだった。みんながアルバイトをしていることを考えると、夕衣もそろそろ始めなければいけないかと思っているのだが、高校三年生ということもあり、中々踏ん切りがつかない。甘えた生活をしていることは重々承知なのではあるが。

「見違えたわー!」

 英介の音が変わったおかげでバンドとしての音のまとまりが出てきていた。最初に聞いたときはギタリスト先行のバンドだと思っていたが、こうして聴いてみると、元々オーソドックスな奏一そういちのベースはボーカルの邪魔をしていないし、ボーカルの声も英介のギターとマッチしているように思えた。

「そうだね!」


 今日は夕衣は演奏するつもりではきていない。楽器も持っていないし、Ishtarイシュターとしてはメンバーも揃っていない。莉徒もそのつもりなのだろう。この場では珍しく楽器を持っていない莉徒を見たような気がする。

「よぉーサンキューな」

 演奏を終えたUnsungのメンバーが夕衣と莉徒に近付いてきた。

「お疲れ様、樋村ひむら

「英介なんかすんごい巧くなったんじゃない?」

「え、そぉか?」

 珍しく頭を掻いて照れる。

「やっぱあのアコギライブから変わったね」

「夕衣のおかげだねぇ」

 神妙に英介は言ったが、別に技術が向上するようなことは、夕衣は何も教えていない。それどころか、個人的な技術でいえば、英介の技術は夕衣のそれよりも高いはずだ。

「別にわたしギターの弾き方とか教えてないけど」

「でも音はマトモになったろ?」

 それが直接的な技術の向上には繋がらないものの、英介の技術を表現できる音に変わった、というのが本当の答えなのではないだろうか。今までの英介の音ではどんな技術を駆使しても歪んだギターの音しか鳴らなかったのだ。しかし、バンド全体の整合性と、自分の持つギターの音、技術なども考えて音色を変えたことにより、英介が元々持っていた技術が生きるようになったのだろう。

「そうだね、びっくりしたよ」

「バンド全体がまとまってる感じしたね」

 パートの一人の変化があれば、バンド全体の音が変わる。これがバンドの本来あるべき姿なのだろう。バンドの経験が少ない夕衣でもそのくらいのことは判る。そういった音の関係もメンバー同士の信頼関係を築いて行くものなのかもしれない。

「え、じゃあ俺が今までめちゃくちゃにしてたってことかよ」

「ってより樋村が一人で無理に引っ張ってた感じ」

「まぁ悪く言っちゃうとワンマンバンドだったんだけど、そうじゃなくなってるね」

 ギター先行のバンドというのはいくらでもあり、珍しくはない。ただ、そういったバンドの殆どはバンドの演奏としてまとまりがないものが多いのだが、以前のUnsungもまさしくそれであった。

「おぉ、連中が俺についてこれるように」

「じゃなくて、お前が周りに合わせられるようになったんだよ」

 後ろから奏一が声をかけてきた。奏一のベースは決して派手ではないが安定している。ひけらかすベースを弾いてリズムを崩すよりもその方がバンドとして安定するのは当たり前のことだが、そうした技術とは別の、中々に難しいことを奏一ができているということをもう少し自覚できれば、自信の無さも少しは解消できるのではないだろうか。

「そうだね」

「お、奏一。ま、どっちにしても進歩だろ。いいじゃねぇかよ」

「そうだけどさ」

 苦笑して奏一は言う。奏一の演奏は自分で言う通り、自信がないタイプだ。初めてストリートライブを聴いた時に感じたことではあるが、ライブでの音量が小さいのはそのまま自分の自信の無さの現われになっていることが多い。それでも英介のスタイルが変わり、バンドとしてのまとまりが出てくれば、奏一の音の加減も変わってくる。きっと良い方に向かって行くはずだ。それにバンドとしての演奏が向上するのは良いことだ。

「さぁて、今日は打ち止めだ。片付けて帰るかな」

「んじゃ手伝おっか」

 今日は他のバンドがいなかったのもあって、ずっと演奏していたのだろう。夕衣達がここに到着した時にすでに何周目だったのかは判らない。

「コーヒー奢れとか言うんじゃねぇだろうな」

「どうせ奢る気なんかないくせに」

 もうすでに涼子の店でコーヒーを奢ってもらう約束は二回になっている。が、その約束が果たされたことはまだ一度もない。

「だがなかったことにしようとは思ってねぇ」

「だがいつまでたっても奢られねぇ」

 英介の口調を真似して夕衣は言ったが、そもそも期待はしていない。大体にして女として見ていない夕衣と二人で喫茶店に行くよりも他の女と遊んでいたほうが良いのだろうし、夕衣としても絶対守って貰わなければいけない約束でもない。

「だからいつか夕衣が俺に貸しを作るときがきたら帳消しにしようと考えてんだ」

「じゃあ期限を切ろうか、樋村英介君」

「え、だめ」

 こうした言葉遊びの一環でも良い。奏一にも一度言ったが、夕衣と英介の関係とはそういったものだと夕衣は思っている。

「やっぱり奢る気ないじゃん」

「じゃあ手伝うのやめよっか」

 夕衣の言葉を受けて莉徒も調子に乗る。スタジオでの練習とは違い、ストリートの後片付けは中々大変なものだし、今日はUnsungしかいない。英介としても是非手伝って欲しいことは良く判る。

夕香ゆうかさんとりょうさんに悪ぃだろ、それじゃ」

「ま、それもそうね」

「あ、噂をすれば来たみたい」

 夕衣がマイクケーブルを八の字巻きにしたところで、トラックがゆっくりと入ってきた。


 片付けも終わり、英介は莉徒を、奏一が夕衣を送ってくれることになり、そのまま解散となった。

「大分いい感じになってきたでしょ、おれらも」

「そうだねぇ。樋村の音が変わったのがやっぱり大きいかな」

 中央公園から出て、二人は歩き出す。奏一はエフェクターを使用していないので、ベースのギグバッグを背負っているだけだ。楽器自体はベースの方が重量はあるが、エフェクターケースなどの付随するアイテムを考えるとギタリストの方が移動時は大変なのだな、と思う。

「あのアコギライブのおかげだなぁ。髪奈かみなさんがヤツにちゃんと音創りとか教えてくれたから」

「今思うと音創りっていうんじゃなくてエフェクターの使い方、って感じだったけどね」

 それだけのことで英介がギターの音色まで考えていたことが驚きだったのだ。エレキギターでのクリーントーンの音作りは、ディストーションやオーバードライブ等の所謂歪み系とはまるで勝手が違う。歪み系の音色の作り方は夕衣は教えていないし、恐らく歪みだけで言うならば英介の方が詳しいだろう。

「でもま、あいつ悔しがってたしなぁ」

「え、そうなの」

「うん、カミナユイには負けらんねー!って燃えてた」

「へぇ、意外」

 樋村英介に女として見られないことは一向に構わないが、同じ音楽をやる者としてそういう風に思ってもらえるのは嬉しかった。対バンしたバンドやアーティストにも刺激を受けるが、近しい間柄の方がより良い意味でライバル心が出てくる。お互いを認め合って、切磋琢磨する間柄というのはとても貴重な関係だと思う。勿論それは、夕衣と同じくギターボーカルである莉徒や公子にも向けられる気持ちだ。同じバンド内にいながら刺激し合えるというのは本当に良いことだし、幸せなことだ。

「あ、言っちゃだめだったかなこりゃ」

「まぁ態々言わないけど」

 そういう部分を簡単に出さない男であろうことは何となく判る。判らないところは素直に判らない、教えてくれ、と言ってくるが、ハードウェアの面での話だ。こと技術面の話になれば、そこは今までやってきたギタリストとしての意地や、もしかしたら女に負けられないという男の意地もあるのかもしれない。

秋山あきやま君のベースもバランス良くなったね」

「まぁ技術はヘタレてんけどなぁ」

 奏一は苦笑すると頭を掻いた。自分に高い技術がないことはやはり自覚している。技術とは別に、バンドのまとまりを支える役割はしっかりとこなせているのだから、奏一なりの努力や思考は続けているということだろう。それに英介と演奏をするのが好きなのと、バンドそのものが好きなのだろう。

「そういうのは続けていけば後からついてくるよ。元々秋山君のリズムキープは安定してると思うし」

 そもそも演奏を聴くという行為は、音楽をやっている人、やっていない人に関わらない。そして大多数が音楽をやっていない人であり、細かい技術のことなどを気にするのは、音楽をやっている人間が殆どだ。音楽をやっていない人には細かい技術の話など関係がない。難しいことをしていなくても安定した演奏さえできればそれは楽曲としてまとまって、誰の耳にも入りやすくなる。

「でもさ、そのままやっててもスラップとかはできるようになんないじゃん」

「まぁそうかも……。わたしベースってちゃんとやったことないからスラップとか判んないけど」

 ベースは極めるというレベルまでいくとギターよりも奥が深い、などという話を耳にすることがある。夕衣は充分ギターも奥深いと思っているし、奥の深さで楽器やパートの上下関係がある訳でもないので、殊更気にはしていなかったが、ベースという楽器を演奏している人間にとってはそういった考えは少し違う感覚なのかもしれない。

「ピック?」

「ううん、最初にちょっとかじった時が指だったからベースに関して言えば指の方が弾きやすいかな」

 弾き方にしてもそうだ。指で弾こうがピックで弾こうが、音楽をやっていない人間には違いなど判らないだろう。それに奏一のようにピック弾きしかできないといっても、指弾きのような音を出せるピックがあるのならそれを使えば良いだけのことだし、ピックの音、もしくは指弾きの音がその楽曲に合うかどうかなどは殆どが作り手の意識だけの話だ。そこにこだわりを持つかどうかはギタリストとベーシストの違いというよりも、個人の違いなのかもしれない。

「アコギじゃ一本の弦を八分はちぶで刻むこととかなさそうだもんなぁ。指でもピックでも」

「ハーフミュートとかならエレキではあるけど、それとはまた感覚違うしね」

「だなぁ」

 奏一も一つのバンドのベーシストとして色々と考えているのだろう。

「で、まぁ話は戻るけど、そんな訳でわたしは別に樋村には技術的なことは教えてないんだよね」

「アイツの頑張りか」

「だね。元々技術高かったし、エレキの技術で言ったらわたしなんか全然樋村より下手だもん」

 最初にまず思ったのは巧い、ということだった。その後にバンドの演奏とあまり噛み合っていないことが目立った。今日の演奏ではそれもなくなっていた。英介が夕衣の演奏を見て何かしら感じてくれたのだろうことは、奏一の話で何となくは判った。

「まぁエレキとアコギじゃ全然違うし」

「そうだけど、バンドでやったことも一応あるし、これからは結構エレキも弾く機会増えそうだから練習しなきゃ」

 専門はアコースティックギターだから、という言い訳はしたくない。一つのバンドをやる、と自分から宣言してしまったからには覚悟が必要だ。絶対に途中で投げない。諦めない。それがまず大切なことだと夕衣は思っている。自分自身のモチベーションやメンバーの心情など二の次だ。そんなものの前に自分の熱意を伝えることの方が絶対に大切なことだ、と夕衣は思っている。

「まぁ速弾きとかなら柚机ゆずきにやらせりゃいいじゃん」

「え、莉徒って速弾きもするの?」

「あぁそういのは聴いたことないか。結構前のヤツだけど今度ライブ音源あるから持ってくるよ」

「器用なやつだなぁ……」

 これはますます気が抜けない。Kool Lipsクールリップスやシャガロック+SizzLizzプラスシズリズは聴いたことがあったが、速弾きをやるようなバンドの演奏は聴いたことがなかった。

「あいつベースとか普通におれよか巧いし」

「確かに何でもやりそうなイメージはあるね」

 Ishtarイシュターの一回目のミーティングでパートチェンジのことを考えていたのも頷ける。何でもできる人間は概して何でもやりたくなるものだ。その証拠に、夕衣や公子との簡単な弾語りからIshtarというバンド結成にまで漕ぎつけたし、それ以前にも速弾きのバンドや、シャガロック+SizzLizzなどをやっていた事実もある。

「でもまぁやっぱ今はKool Lipsが合ってんじゃないかな。Ishtarはまだ見てないからなんとも言えないけど」

「あんまり速弾きってイメージはないね、確かに」

「唄も巧いし、あいつはギターボーカルのがいいと思うよ」

「そうだね」

 それに夕衣は莉徒の声が好きだ。夕衣の声とぴったり合うこともそうだけれど、それはその逆も然りだ。莉徒をメインボーカルにして、夕衣がコーラスをしても絶対に合うと思う。それ故に莉徒の喫煙はなんとしても止めさせたいところなのだが。

「髪奈さんもそうだね」

「え?」

 一瞬奏一の言うことが理解できずに聞き返してしまった。

「ギターザクザク弾くより、やっぱギターボーカルのイメージ」

「それしか見せてないしね。サイドギターくらいなら結構いけるよ」

 バンドをやっているときはサイドギターとボーカルだった。一人でもバンドでもギターボーカルというポジションは確かに崩れなかったし、夕衣自身もギタリストではなく、ボーカリストではなく、やはりギターボーカルなのだ、と思う。

「まぁギターの技術高いのはもう知ってっから」

「そんなに高くないけど」

 少し調子に乗りすぎた。バンドのサイドギターでのギターボーカルと一人の時のギターボーカルでは勝手が違う。夕衣が本当にサイドギターとしての役割を果たしていたかは実のところ本人には判らないものだ。

「あぁ、そういや話変わるけど英介にコーヒー奢らせた?」

「あいつ奢る気ないもん」

 ぶぅ、と頬を膨らませて夕衣は言う。勿論本気ではないが。

「やっぱそぉか」

「どーせわたしのことなんて女としてすら見てないんだから、他の女の子と遊んでる方がいいんでしょ」

 笑顔になって夕衣は言った。聴くところに依れば英介は随分と女にモテるということだし、別に夕衣は英介の女性関係のことに口を出すつもりもない。

「うーん、それはそれでまぁ誤解はあるけど……」

「ちがうの?」

 モテるという割には、確かに英介の周りに女がいるのを見たことはなかったが。

「最近は全然女の話聴かなくなったね」

「へぇー」

「まぁそれまでは派手に遊んでたのも確かだけど、最近じゃライブとか路上とかでも女呼ばなくなったし」

 英介の周りで女を見たことがないのはそのせいもあるのだろうか。夕衣としても、この先友達付き合いをして行く中で、常に女性問題を抱えている男よりは随分と付き合いやすいと思う。

「ギターの音とかのこと考えると最近は女より音楽、なのかな」

「そうかも」

 奏一が短く返す。もう家は目の前だった。そう考えると、奏一とも随分話し易い関係になったのだな、と思う。自然に時間を忘れて話すことができた。この間は夕衣をモテる女だといっていた奏一に疑念を抱いたものだが、それ以外のところは英介と同じく打ち解けやすい。

「じゃ、ありがと」

「今日も無事に髪奈嬢を自宅にお届けいたしました」

 玄関の前でぴ、と敬礼の真似をして奏一は笑った。

「はい、無事送り届けられました!ありがとうございます!気を付けてね」

「あーい」

 夕衣も敬礼の真似を返して笑顔になると、背を向ける奏一が見えなくなるまで見送った。


「や、お帰り夕衣」

 玄関を開けると、丁度居間から従兄の圭一が出てきた。

けい兄……?」

「ちょっと届け物があってね」

 何故だか照れた様に圭一けいいちは笑った。しばらく夕衣とは顔を合わせていなかったこともあったし、以前の電話の件もある。判らないではなかったが、なんだか少し場違いのような気がした。

「そっか」

「随分遅くまで出歩いてるんだね」

「うん、こっちでも路上とか始めたからその付き合いもあるんだ」

 右腕にしている腕時計を見て圭一は言う。咎めるような口調ではなく、本当に心配しているのだろう。その気持ちは判ってしまう。

「あぁ、なるほど。気を付けなよ」

「うん、ありがと。でも信頼できる男の子とかいっぱいいるから大丈夫だと思う」

「そっか、じゃ家まで送らせるくらいのことしなきゃ」

「そうだね」

 今正に男の子に送って貰った、とは言わず、夕衣は頷いた。裕江ゆえが死んだ今となっては、圭一にとって夕衣は裕江の代わりなのだろう。裕江に続いて夕衣にまでもしものことがあったら、という気持ちは恐らく、裕江に近しい親族誰もが思ってくれていることだ。圭一が居間に入り、夕衣もそれに続くと、父、義弘と母、真佐美がソファーに腰掛けていた。ただいま、と告げて、夕衣は義弘の対面に位置しているソファーに座った。

「あぁおかえり。夕衣、圭一がチョコレート買ってきてくれたわよ」

「ただいま、チョコ!食べるー。圭兄、ありがと」

「いやいや……少し、変わったね夕衣」

 にこり、と優しげな笑顔で圭一は言う。家族にこれほど安心をもたらしてくれる笑顔があっても、裕江の心は死に向かって行ってしまった。裕江の気持ちはきっと夕衣には理解することはできないだろう。いやきっと誰にも理解などできるものではないのだろうとも思える。遺言らしきものがあった家族ですらも、明確な動機などは判っていないのだ。

「え?」

「明るくなったね」

「まぁ元が根暗だからねぇ……うまくいってると明るく見えちゃうのかも」

 休みになれば部屋かスタジオでギターを弾いて、非健康的なことこの上ない。大体バンド者は康的になど見えないものだが。

「そうじゃないよ」

「判ってるけど」

「でもちょっと安心したよ」

 圭一と電話で話した時は、まだ思い悩んでいた。今思えばくだらないことに意地を張っていた。それを圭一は判っていたのかもしれない。だめだと諦めてしまってはいけないことを、きっと圭一は強く学んだのだろう。

「ご心配かけました」

「その様子だと例の友達とは上手くやれてるんだね」

「うん」

 莉徒のことだ。莉徒だけではなく、英介や公子、すみれや英里達のおかげだと思う。今夕衣がこうして穏やかでいられるのは。

「何だ例の友達って」

「あぁ、うん……裕江姉にね、ちょっと似てる子がいるんだ」

 む、と唸って義弘よしひろは夕衣に視線を向けた。判りやすくテンプレートな父親の行動に夕衣は思わず苦笑する。

「ほぅ」

「女の子だから大丈夫だよ叔父さん」

 圭一が一番安心させる言葉を付け足す。そんな話で義弘を困らせる日が来ることはしばらくはないだろう。それも寂しい話ではあるのだが。

「だ、誰もそんなこと言ってないだろ」

「目が泳いでるって」

「まぁ音楽的に友達が広がったのもその子のおかげなんだ」

 そもそものきっかけはやはり莉徒だ。この街にきて最初の夜、河川敷で初めて莉徒と出会ってから、きっとこうなることは決まっていたのかもしれない。

「そうか、まぁそういう友達は大事にしないとな」

「うん」

「夕衣にとってはね、裕江に似てたっていうのもあって複雑だったみたいだけど」

 それがどうした、と言わんばかりの莉徒のパワーに圧されたこともある。莉徒とのつながりで英介とも知り合い、英介とも妙にウマが合った。その時点で夕衣の心の壁は崩れ去っていたのだと思う。裕江を思うことと、大切な人との付き合いを守ることが相反する訳はなかった。

「前はね。今は、そんなことないよ。圭兄のおかげでもあるんだけど」

 ひょい、と圭一のお土産のチョコレートを口に放り込んだ。

「お役に立てましたか」

「それはもう、あ、これおいしっ」

「裕江もそれ好きだったんだよ」

 穏やかに圭一は言う。圭一の中でも、圭一の家族の中でも、裕江のことはきちんと整理できているのかもしれない。そして、裕江の家族は、夕衣を裕江の代わりに見立てているのかもしれない。当然親族として、身内として普通に心配してくれていることもあるだろうし、裕江という娘がいなくなってしまい、その娘の影を夕衣に見ていることも間違いなくあるのだろうと思う。

「へぇー、そうなんだ。んーでも判る。裕江姉とわたしって味覚も結構似てたし」

 喫茶店に行くと、頼む物が殆ど同じ物ばかりだった。そういった些細なことでもシンパシーを感じ、一喜一憂していた。今はそれほど子供ではなくなってしまった、ということなのかもしれない。夕衣自身が大人になった訳ではないことは判っているが、時の流れと共に心の作用も変わってくる。大人になって行く、というのはそういうことなのかもしれない。

「小さい頃はどこか外食に行くと必ず同じ物食べてたものねぇ」

「そうだっけ?」

「そうよ、裕江姉と同じがいい、って聴かなかったんだから」

 覚えているような、覚えていないようなもどかしい感覚。子供の頃は悩みを共にするというよりもただ単純に懐いていただけだということは覚えている。

「そう、それで結局全部食べられなくて僕とか叔父さんが夕衣の残りを食べる羽目になったりね」

「えー、覚えてないっ」

 中学生になって、裕江が些細な、ほんとうに小さな恋の悩みを夕衣に打ち明けたとき、夕衣は裕江と対等になったつもりだったのかもしれない。

「まぁ夕衣が小さかった頃だからね」

「写真は結構残ってるけど記憶にないのが多いなぁ」

「まぁそれは皆同じだよ」

「そうだね」

 裕江は確かにいて、共に時間を過ごしたのだ、という証はいつまでも残っている。夕衣達、遺された者が自らそれを忘却しない限り。

「お父さん達なんかもう年で覚えてられないけどな」

「老け込むにはまだ早いって。ウチのなんてホント元気だから」

「それは何よりだ」

 本当にそう思う。強い人達なのだ、と。それは最初からそうではなかったのかもしれない。必然だったのかもしれないけれど、強くならなければ生きて行けなかったのかもしれない。本当のところは本人達にも判ってはないないのかもしれないけれど。

「まぁ何だかんだいっても、時折思い出しちゃ泣いてたりするけど、随分強くなったよ、僕も含めて。……勿論夕衣も」

「そうだね……」

 裕江がいない、という事実を三年以上もかけて、ゆっくりと実感してきたのかもしれない。気持ちの整理がつかないことは今まで幾らでもあった。しかしその気持ちの整理をしてくれるはずの人間はもういなくなって、整理のつかない気持ちだけが結果という事実になって残ってしまった。そしてそれを追求しようという気持ちもなくなってしまった。裕江はもういないのだと認めたことで、きっとそうなっていったに違いない。そのこと自体が良いことなのか悪いことなのかは別として。

「結局それしかできないものね」

「そうなんだよね」

 今残されて生き続けている者達の、きっと義務なのだろう。生きることを諦めないということは。

「夕衣もそこに気付いたんでしょ?」

「うん、そうだね。結局、大事な友達以外だって、いなくなっちゃったら同じ思いするんだし。そしたらできる限りの時間、楽しまなくちゃいけないんだって思うようになったよ」

 心に壁を作って、心許せる関係も作らず、淡々と日々を過ごすことが本当に生きていることなのかどうか。きっとそういうことだったのかもしれない。

「ま、誰も彼も一人で生きてる訳じゃないからな」

 義弘が言って頷く。裕江は義弘の姉の子だ。死んだのが夕衣ではなかったとしても、そのショックは計り知れないものがあったに違いない。夕衣だけが大きなショックを受けた訳ではない、と今更ながらに思い至った。父の言葉には、重みがあるように思えた。

「うん……」

 裕江にしても一人で生きてきた訳ではなかったはずだ。周りには友人がいて、きっと本当の自分をさらけ出せる相手もいたはずだ。今夕衣の胸元で揺れているリングは、きっとそういう相手に貰ったもののはずなのだから。

「さて、じゃそろそろ帰るよ。ウチの親も心配するだろうし」

 圭一は腕時計を見て立ち上がった。夕衣も部屋の時計を見ると、時間はもう十二時を過ぎていた。

「次は彼女くらい連れてきなさいよ」

「ははは、夕衣に彼氏ができる方が早いんじゃないかな」

「あはは、そんなことないと思うけどね」

 きっと伯父や伯母、圭一が夕衣を裕江の代わりのように思うのと同じく、義弘も真佐美も、圭一を裕江とダブらせているのかもしれない。

「まぁともかく今日はこれで」

「うん、気を付けなさいよ」

「うん。今度は夕衣が出かける前に来るよ」

 な、と夕衣に声をかけて圭一は居間を出て行く。それにと義弘、そして夕衣が続いた。

「私達も近い内に挨拶に行くわ」

「うん、言っとく。それじゃ」

 靴を履き終えた圭一が玄関の戸を開いて手を振った。

 今、家族や親戚に思われていることをわずらわしいとは思わない。きっとそういった小さな思い一つ一つも全てが夕衣を形作る繋がりだ。断ち切ろうと思っても絶対に断ち切れる訳がない。それに気付けただけ、今は少し夕衣も大人になっているのだろうことは自覚できた。何が人を大人にして、大人ということがどういうことなのかは、何一つ判らないまま。


 xxiii Tomorrow's way END

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