xiv Naked

「や、だからね、ここはイコライザーだから、音の響きとは関係ないの。自分でもグライコ使ってるでしょ?響きとか変えたいんだったら、このボタン押して、アコギのシミュレータでいじるか、追加で空間系セッティングしないと……」

「おーおー、なるほど、じゃあこっちのアコギのシミュレータ使うときはあんまグライコのベースを上げちゃいけねんだな。で、空間系これに足せんのか?」

 スタジオの床にぺたりと座り込み、説明書を見つつ、マルチエフェクターの実機をいじって夕衣ゆい英介えいすけに説明をする。一応コンパクトエフェクターはそれなりに使っているおかげで物事の理解は早い。

「そ、でも空間系は後で。んで、シミュレータかけると割りとトレブルが潰れ気味になるから、ちょい上げで……このくらいかな?鳴らしてみて」

「お、いいじゃん、んじゃあとは空間系を」

 夕衣のすぐ隣に座っている英介がじゃん、とFのコードを鳴らす。

「ちょっと待ってってば、えーとこれで一旦ストア、ってゲームで言えばセーブね、ストアしとかないとまた後で調整するの面倒だから……えと、ここね、このストアーって書いてあるボタン、ちゃんと覚えてよ」

「お、どれ?」

 ぐ、っと英介が顔を近付ける。ほんの微かに香水の香りがした。

 夕衣も特別にどこか、お洒落をして出かけるような機会があるときは香水を使うが、普段は使っていない。普段からこれほど同年代の男子と近付くことがないためか、少しどきどきしてしまった。

(ふ、不覚……ヒムラエースケごときに……)

「こ、これ二回押すの」

「二回?何で」

 さらにぐぐっと近づいてくるので、自動的に夕衣の顔はマルチエフェクターから離れて行く。パーソナルスペースが狭いのだろうか。それともこれがいわゆるもてる男のやり口……いや、それならば尚の事夕衣の事などは眼中にはないだろう。

「一回押したら、この状態で保存しますよ、いいですか?ってサインなの」

「ほう」

 いくら英介に他意はないと判ってはいても、変にどぎまぎしてしまう。

「そしたら今の状態保存されるから……えと、この音を出したいときは一番のペダルね、もっかい押すと今作ったエフェクトはオフになって、ただのクリーントーンになるから」

「オーケーオーケーこれな、何となく判ってきたぜ」

「自分のなんだから何となくじゃダメ!」

 ぱん、とペダルを押し込んでギターを鳴らし、もう一度ペダルを押し込む。クリーントーンとエフェクトのかかった音が交互に鳴る。

「わぁってるよるっせぇなぁ」

「……」

 き、と英介の顔を見る。

「う、嘘、うるさくない……」

 ぎぎぎ、と首を回し、夕衣の視線を外しながら英介は言った。

「判った」

「何が」

莉徒りずはまぁそうだとしても、樋村さ、公子こうこさんにも槇野まきのさんにも水野みずのさんにも、こうやって何かしらお世話になってるんだ」

「よ、良く判るな……」

 基本的に樋村英介が女性に弱いのは本当のことなのだろうし、莉徒や公子達に頭が上がらないのも本当のことなのだろう。口や態度は悪いけれど、肝心なところではきちんと気遣いを見せる。夕衣が最初に思ったように、最初は嫌な奴だと思われることにも慣れているのだろう。しかし、そこを判ってくれている莉徒や公子達にはある種の恩義のようなものも感じているのだろうし、やはり実際に手のかかる男であることは間違いない。

「そういう関係性がない相手には物凄い口の聞き方するのね、わたしと最初に会った時みたいに」

 しがらみも筋もない相手には容赦なく攻撃的な態度を取る。英介本人に他意はないとしても、そういう結果になってしまうのだろう。

「え、でもあれは夕衣が先に怒鳴り出したんじゃねぇか、そこカンチガイすんじゃねぇよ」

「あ……」

 思えばそうだった。

 第二音楽室の準備室が開いているかどうかも確認せずに職員室へと突っ走り、その間に準備室の鍵が開いていることを確認した英介が、弦まで張り替えてくれたところに夕衣が怒鳴り散らしたのだ。結果だけ見れば確かに酷い八つ当たりだ。

「思い出したか?」

「ま、まぁそうだとしても、今よりも凄い口悪かったもん」

(それにあの時は絶対ウケケケって言ってばかにしてたもん)

 夕衣はそう言って心の中でそう付け足した。

「口調が荒いのは仕方ねぇだろ、クセなんだからよ」

「まぁ今は判ってるからいいけどっ」

 乱暴な口調も罵詈雑言に聞こえることも、樋村英介の癖なのだ。そこが判れば一々腹を立てることもない。いや一瞬、瞬間的に腹が立ったとしても即座に落ち着くことができる。

「で、覚えた?」

「ちょっと二番のペダルで俺にやらしてみ」

「うん。間違えたらケーキ一個ずつ追加するから」

 つ、と英介から離れ、マルチエフェクターの説明書を英介に渡す。別に汗はかいていないけれど、軽く香水くらい振ってくれば良かった、と少しだけ後悔した。たとえ英介が夕衣を女として見ていなくても、こうして接近した時に、相手に不快な思いをさせないような気遣いは見習って然るべきだ。

「食った分胸とか背に行くんなら協力してやらんでもねぇんだけどなー」

「……何?」

 ぐに、と英介の頬をつねり上げる。

「い、いやぁ、とても痛いです。ごめんなさい。ほんっとごめんなさい」

「さっさとやるの」

「ハイ……」


 結局、二種類音色を創り、その二種類だけを使用することになった。マルチエフェクターの使い方もどうやらきちんと覚えたようだ。何度か違うチャンネルで同じ音が創れるか復習もしたので、恐らくはもう大丈夫だろう。余った時間は英介が持っていたドラムスティックを借りて、軽くドラムを叩いたり、それに合わせて英介が適当に弾いたりと中々楽しい時間を過ごしたが、スタジオブースから出た瞬間、夕衣は本気でその場から逃げたくなった。

「ほっほーぅ、髪奈かみなさん、こりゃあ……」

「り、莉徒、あの、これはね」

 目の前にいたのは、ギターケースを抱えた人物。視線の高さが殆ど夕衣と変わらない女、柚机ゆずき莉徒だった。莉徒は何ともいやらしい目付きで夕衣を嘗め回すように見ている。

「いやぁー」

 莉徒は頭を掻いて何故か照れ笑いをする。

「ちょ、き、聴いて!」

「うん、聴きますよぉ」

 よぉ、と語尾が上がり、ニヤリ。

「お、莉徒じゃねぇか」

「英介、こういうとこで不純異性交遊はいくらなんでも……」

 夕衣に遅れてスタジオから出てきた英介が莉徒に気付いた。その英介にとんでもないことを莉徒は言い出した。

「いやぁ俺もホテルにしようぜって言ったんだけどさー」

「な、なに言ってんの樋村ひむら!」

 冗談とも取れない口調で英介は言う。当然莉徒も冗談だと判ってやっているのだろうが、何だかこのままに悪乗りで妙な噂を流されかねない。

「まったく夕衣は照れ屋なんだからよぉー」

「ゆい!」

 おそらく英介が夕衣をそう呼んだことに反応して、莉徒が目を見開く。それもどこか嬉しそうに。

「……!」

 かーっと頭に血が上る。どん、と両手で思い切り英介の胸を叩いた。

「どへぅ!」

「ふーっふーっふーっ!あんたが音創りできてないって言うから協力してあげたんでしょぉ!」

「何ムキになってんのよ、冗談に決まってんでしょ」

 さらりと莉徒が流す。冗談だとは判っている。判ってはいるが、その冗談のノリで皆に言いふらすのだ。このまま放っておけば。もしくは綺麗さっぱり忘れるかのどちらかだろう。

「……なんで莉徒がいるの」

 じ、と莉徒を半分睨みつけるような形で夕衣は言う。

「さっきまでリハだったのよ。したらなぁんか見たことある二人が部屋の中で乳繰り合ってるから……と思って待ってたの」

 むふぅ、と再びイヤラシイ笑顔になって莉徒が言った。

「乳繰り合ってない!」

「乳繰れるほどない!」

 夕衣がすかさず言うと、英介もそれに合わせたかのように続けた。

「あぢょぁあーっ!」

「いったぁっ?」

 英介が言い放った直後、莉徒が英介の大腿部を思い切り蹴り飛ばした。

「い、今のは樋村が悪い……」

 ばかにされたのは夕衣本人ではあるが、こと胸と身長の話になったら莉徒は同志だ。それにしても尋常ではない蹴りが飛んだが、随分と慣れたものだ。それほど頻繁に胸のことを言われているのだろうか、とつい余計なところまで心配になってしまう。

「私ら二人を前にして良く言った」

「ちびっ子同盟が……」

 正直なところ、夕衣と莉徒、どちらの方が胸が大きいかは判らないが、英介から見れば、いや、他の誰から見ても同じようなもの、には変わりないのだろう。

「で、うまく創れた?」

「おー、夕衣のおかげでバッチリだ」

 いきなり話題を変えて莉徒が言う。ぽんと夕衣の頭を軽く叩いて偉そうに言った英介の手をすかさず夕衣は払った。

「そりゃ良かった。大体前日まで音詰めてないってばかじゃないの?」

「うるせー。反省はしてる」

 夕衣と全く同じことを言われた英介はばつの悪そうな顔でつん、とそっぽを向いた。

「涼子さんのコーヒーとケーキ二個奢ってもらえるんだ」

「ほぉ、上手いことデートの約束を」

「ちぃーがぁーうぅー!」

 だんだん、と地団太を踏み、夕衣は拳を振り上げた。一々こんな下らない茶々を入れられては話が進まない。

「なんだカミナユイ、そうだったのか」

「もうほんと、ぶっ飛ばすわよ」

 振り上げた拳を英介に向けて、き、と睨み付ける。

「ま、冗談はさておき、楽しみにしてるわ明日」

 さすがに莉徒もしつこいと思ったのか、話の筋を元に戻してそう苦笑した。

「おー、まかしときー」

「あんたらのは結構聞いてるから別にいいけど」

「ひっでぇな」

 どんと胸を叩いた英介を他所に、莉徒はさらりと酷いことを言ってのける。

「あ!そうだちょっと夕衣」

「何!」

 じと、と莉徒を見る。

「もう茶化さないわよ、ちょっと前に言ってたディーヴァって覚えてる?」

「あぁ、それか、なんだっけな、ってなんか気にはなってたんだけど」

 確か転入してすぐの頃だ。莉徒も忘れていたのだからそれほど大した用件でもなかったのだろう。

「おー夕衣はディーヴァ知らねぇのか」

「うん。何?有名なの?」

 英介も知っているような口ぶりだ。アーティストも神話の方も夕衣は知らなかった。

「ここらだけなのかもなぁ……」

「多分そうかもね、メールとかネットの口コミで広がってったみたいだし、私もコピーもんだけしかないんだけどさ」

 そう言って莉徒はポータブルMDプレイヤーをバッグから取り出した。ロビーには三台のミニコンポが置いてある。空いている一台まで莉徒が歩いていくので、夕衣はそれについていった。

「デジタルなんだからオリジもコピーもねぇだろ」

「や、オリジはなんか別物らしいよ。弾き語りで歌ってる人も違うんじゃないかって噂だし」

「マジか。それは初耳だな」

 何のことだかは判らないが、ともかくそのディーヴァというアーティストの曲を今から夕衣に聞かせようということだけは判った。

 確か夕衣が好きそうな感じだと莉徒は言っていたはずだ。

「今度検索してみたら?けっこう情報出てるよ。マユツバもんばっかかもしれないけど」

「ほぉー」

「ま、ともかくちょっと聴いてみてよ」

 ポータブルMDプレイヤーからディスクを取り出し、ミニコンポに飲み込ませると、莉徒は再生ボタンを押した。


 xiv Naked END

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