xiii Man and Woman

 インターネットの環境が整い、夕衣ゆいはライブハウスの情報をホームページで確認した。やはり弾語りライブというよりも、もっと間口の広い、言ってしまえばカラオケ大会のようなものだったが、それでも夕衣や英介えいすけのように、自分達で創った音楽を披露する者もいるはずだ。今までも何度かそういったイベントには出たことがあったし、そういった催し物がライブハウスで開催されるというのはこの街でも当たり前のことだ。出演時間は転換、セッティングを入れて二十五分。リハーサルはない。夕衣はエレキアコースティックギターを使う予定だが、最初からチューニングを合わせておけば、すぐに曲に入れる。一曲五分弱と換算とすると四曲と少し。MCを入れれば丁度良く終わる時間だ。この二十五分という形式もこういったイベントであれば良くある時間だ。セットリストを書く。一応歌詞にコードを振った簡単なコード譜も用意しておけば準備は万端だ。ひとしきり練習をした後にそれらを揃えてケースに入れる。エフェクターは使用しない。使えるアンプの一覧表にはMarshallマーシャルJazz Chorusジャズコーラスがあった。Jazz Chorusがあればそれでことたりる。ぱたん、とギターケースを閉じたところで携帯電話の着信音が鳴り響いた。

「ヒムラエースケ」

 名前を確認してから通話ボタンを押す。

『おー、カミナユイ、今大丈夫か?』

「うん平気。何?」

 第二音楽室でも楽器店でも常識知らずな話し方をしてきた割には、こういった気遣いは意外としっかりしている。

『いきなりでアレなんだけどよ、お前何曲やるつもり?』

 確かにいきなりと言えばいきなりの話題だ。それも態々電話で確認するようなことでもないような気がする。

「えと、わたしは四曲とMCでちょうどぴったりくらい。まぁ押してたら押してたで三曲にしてもいいんだけど、四曲なら押さない」

 公園で演奏する機会もある。今回ここでどうしても、という訳ではないし、また同じようなイベントもきっとあるだろう。夕衣の曲を披露する場はこの先幾らでもあるし、ついこの間莉徒が言っていたバンドの話もある。そのバンドでも夕衣の曲を披露することもあるだろう。

『ほぉ』

樋村ひむらは?」

『俺らはハナから三曲だな。バンドセッティングもあるし』

「フルバンドでやるの?」

『やる訳ねぇだろ。タイコはカホンやらせっから、俺もクリアでやるよ』

 それならばやる訳ねぇだろ、とまで強い言葉は使わなくても良い気はしたが、これが樋村英介だ。わずか数日でもはや完全に慣れてしまった。それに英介に他意はない。英介の伝えたいことだけを考えれば、普段フルバンドで演奏しているバンドがこういったイベントではカホンやジャンベなど、簡素な打楽器を使うことは良くあることでもある。

「え、じゃあ樋村とベースだけエレキ?」

『おー』

「ちゃんと音作りした方がいいよ」

 英介の音作りはこの間の公園での演奏を見る限り、かなり大雑把だった。ソリッドギターでアコースティックバージョンでやることを考えれば、ギターの音作りは重要だ。普段の演奏のように、歪んだ音が鳴っていれば良いというような考え方では音のバランスがめちゃくちゃになる。

『という訳でだ、音創り、これから付き合えよ』

「はぃ?」

 いきなりの英介の誘いに夕衣は素直に頭の上にはてなマークを出した。今この時に音創りを終えていないギタリストがいるとは夢にも思わない。夕衣の言葉にも当然にして「もうばっちり終わってるぜ」という返答が来るものだとばかり思っていた。

『いや、歪みの音ならしょっちゅう作ってっけど、クリアの方ってあんまいじったことねーしよ』

 本人にそのつもりはないのだろうが、大威張りだ。とも思える。

「え、だってスタジオは?」

 まさか外では創れない。当然スタジオを予約しているから言っているのだろう。

『今電話したら空いてた。俺普段のおこな』

「えっ、何時から?」

 英介の言葉を遮って夕衣は口を開く。

『オマエ、何か最近莉徒みてぇになってきたなー……。最初は猫かぶってたくせによー』

 最初は誰だってそういうものだろう。それに夕衣自身はいまだに人付き合いは苦手だと思っているし、あの時はあれが精一杯の対応だったのだ。慣れてくれば角も立たなくなるし、話せないことも話し易くなってくるというものだ。

「じゃあ音作りは独りでがん」

『うーそっ!すんません!お願い夕衣ちゃん!』

 今度は英介が夕衣の言葉を遮って大声を上げた。

「キモッ!」

『何だよ呼び捨てにするなとかフルネームで呼ぶなとか言ってたクセによー。ハッキリしろっつーんだ』

 英介ほど無遠慮な人間ならば夕衣と呼び捨てにすれば良いものを、と思う。英介は普段から夕衣のフルネームを呼び捨てているのだ。さんだとかちゃん、を付けられたときの違和感がこれほどだとは思わなかった。

「い、いやまぁそういう問題じゃなくて、樋村にちゃん付けで呼ばれることがちょっと……」

『今更髪奈かみなさんも変だろーがー』

 確かにその通りだ。

「夕衣でいいよ。みんなそう呼んでるんだから」

『そう呼んでんのは莉徒くれえなもんだろーがよー』

 確かにそう呼ばれていたのは以前いた街でのことだった。今は莉徒がそう呼んでいるから、そのうち皆にも浸透するだろうし、浸透しなかったとしたら夕衣自身が呼び捨てにして、と言い出すだろう。

「まぁそうだけど、何なら髪奈さんでもいいけど」

『じゃあ夕衣ちゃんスタジオは三十分後、EDITIONエディションでな!』

「……何その急な展開。わたし行けなかったらどうするつもりだったの?」

 夕衣ではなくても莉徒や、他にギターを弾く友人などいくらでもいるだろう。夕衣ほどアコースティックに通じているギタリストはいないのかもしれないが、それでもクリーントーンの音作りが得意な人間もいるはずだ。

『他当たってダメだったら一人で頑張る気だったに決まってんだろ』

 まず手始めに夕衣だったのだろう。どうでも良いことだが、時間は確かに空いている。技術は高いのだから、ここは一つ、英介には音創りをきちんと教えておいた方が良いのかもしれない。

「そっか。……何使うの?」

『マルチ』

「はぃ?」

 確かこの間はコンパクトエフェクターをいくつか繋いでいたはずだった。あんな単純な歪みしか出さないのであれば、マルチエフェクターを使用して音の整合性を取った方が良い。あくまでも自分のギターの歪みに強い拘りを持たない場合ではあるが。

『結構前から持ってんだけど使い方良く判んなくてなぁ』

「説明書ある?」

 小さく嘆息して夕衣は続ける。そんなことだろうとは思ったのだ。マルチエフェクターで音を創るにはそれなりに時間がかかる。英介のように大雑把な音でも満足してしまう人間には不向きなエフェクターだ。かといってコンパクトエフェクターが大雑把な人間向きという訳では決してない。

『おーあるぜ』

「じゃそれ持ってきて。どこの?」

KORGコルグ

「KORG?BOSSボスとは言わないまでもせめてZoomズームとかVOXヴォックスにしなよー」

 個人的な好みと愚痴はさておいても、あまり使い慣れていないメーカーのマルチエフェクターだとセッティングに時間がかかる上に、使い方もしっかり覚えなくてはならない。それを英介に教えなければならないのだから、これは手間がかかるかもしれない。

『だって安かったんだからしょうがねーだろーがよー』

「Zoomだって安いってば」

 実際に夕衣もマルチエフェクターを所持しているが、夕衣の者はZoomというメーカーのものだ。

『フットスイッチ多いやつが欲しかったんだよ。Zoomてスイッチ二個しかねぇだろ』

「多いのもあるよ……ま、喋っててもしょうがないからともかく、使いたいもの持ってきて。あと曲もね」

 夕衣も自分のソリッドギターとマルチエフェクターを持っていこうかと考えたが、すぐにその考えを打ち消す。英介のギターはレスポールだ。夕衣の持つストラトキャスターとは搭載されている拾音器ピックアップのタイプがまるで違う。一口にソリッドギターと言っても全く違う音が鳴る。参考にはならないだろう。

『了ぉ解ぃ』

「ってゆーか、本番前日にすることじゃないよね……」

 しみじみと夕衣は言った。

『……正直スマンかった』

涼子りょうこさんのコーヒー」

『かしこまり……』


 スタジオの脇にある駐輪場に自転車を停める。時間にして二一時。平日とはいえ金曜日だということもあってか、まだまだスタジオを利用している者は多いようだった。

「おおー!夕衣ちゃあん!」

「や、やめてよ気色悪いから」

 自転車にしっかり施錠して駐輪場から出た夕衣は、苦笑して店先に出てきた英介に言った。このまま英介に夕衣ちゃんと呼ばれ続けては適わない。

「悪ぃな、いきなりで」

「まぁいいけど、さ」

 ぽんぽんと夕衣の頭に乗せた英介の手を払って夕衣は言った。こういうところではとことん気が遣えない男だ。夕衣を女として見ていない証拠だ。英介に女として見られても何も得はないが、女としては子ども扱いされることに憤りを感じてしまう。夕衣としても複雑な心境だ。

「お礼は俺の熱い抱擁で」

「やったらグーでぶつからね」

 く、と拳を握って英介にそれを見せる。

涼子りょうこさんのコーヒーで……」

「判んないなぁー」

 くすくすと笑って夕衣は言った。

「何が」

「樋村ってすごい失礼なヤツだと思ってたのに変なとこ律儀だし、結構オンナに弱いんでしょ」

 最初は元彼女だった莉徒に対してだけ頭が上がらないのかと思ったのだが、どうやらそういうことではないらしい。見知らぬ人間には突っ慳貪に当たりがちなのだろう。人付き合いが不得手だという点なら夕衣以上だ。英介と普通に付き合うには、英介のそういった態度を判ってあげなければいけないのだろう。夕衣も一度は喧嘩したものの、軽音楽部の仲間や莉徒達のおかげで樋村英介という人間がどういう人間なのかが大分判ってきた。

「女に弱いっつーか、この場合俺が頼んでんだから弱いもなんもねぇだろ」

「じゃなくて、莉徒とか公子こうこさんとかにも弱いじゃない」

 以前付き合っていたという莉徒に対してはやはりどうしても弱くなってしまうのだろうが、すみれや公子、英里えりまでもが莉徒と同じようなスタンスで英介と付き合っているような気がする。

「まぁ弱くねーとは言わねーけどな」

「変なヤツー」

 それでも悪い人間ではないのだということは良く判る。いや、判るようになった。そうでなければ夕衣もこういった呼びかけに応えることはなかっただろう。

「人付き合いって難しいなーとか思ったことない?」

「まぁなくもねーけど、気に入らねーヤツなんざシカトしときゃいいだけのハナシだろ」

 他人様のことを言えた義理ではないが、英介も相当苦労しているのではないだろうか。味方以外は敵、という考えは確かにある意味あって当たり前の考えなのかもしれないけれど、そういう付き合い方は疲れてしまいそうだ。

「でもそれって一方的じゃない?」

「あ?」

「こっちが気に入らないだけなら別にいいと思うけど、こっちは気に入るかもしれないのに向こうが嫌っちゃったらどうするの?」

「それこそ考えたってしょうがねーだろ。好かれねーなら無理に好かれようとしたってウゼぇだけだし。シカトだシカト」

 なるほど、と思う。それは確かに英介の言う通りなのだろう。夕衣は莉徒とはきっと仲良くなれる、と確信に近い思いを抱いていたが、もしもそれが夕衣の一方的な思い込みなのだとしたら、莉徒がさして夕衣に興味を持っていないことが判ってしまったら、きっと夕衣も英介と同じ結論を出したのかもしれない。

「ほほぅ……。それでいいんだぁ」

「え、まさかオマエ……」

 何となく、少しずつではあるが、どういったところで気を使えないのか、空気を読めないのかが判ってきたような気がする。

「わたしがそうだ、とは言ってないけどね」

「てんめー……」

「へぇー、ヒムラエースケも人に嫌われて傷付く心……ごめん言い過ぎた」

 最後まで言い終わらずに、夕衣は謝った。いくら英介が細かいことを気にしない性格でも、言って良いことと悪いことがある。相手の優しさに漬け込んで調子に乗るとこういう失敗をしてしまう。

「べっつにいいけどなー」

「だからわたしは違うってば。じゃなきゃ今ここにいないでしょ」

 相手が英介で助かったな、と夕衣は内心苦笑した。

「ま、それもそうだな」

「そゆこと」

 そのくらいのことならば英介にでもすぐに判ると思ったのだが、それは無神経を装っているのだとしても、やはり英介も人付き合いには気を使っている証拠なのだろう。自分が嫌われてしまわないか、そういう危機感は余計な物だと思っていてもつい考えてしまう。

「夕衣」

「え……」

 いきなり真顔になって名前を呼び捨てた英介を見て、一瞬胸がどきり、と鳴った。

「ありがとなっ」

「……」

 ぽんぽん、と夕衣の頭の上で英介の手が二度跳ね、夕衣は無言でその手を打ち払った。


 xiii Man and Woman END

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