xv Blurry

(ん……)

 イントロはエフから入っている。F、エーDmディーマイナーシー、どこかで聞いたことがある展開だが、こんな展開など誰でも使っている。事実夕衣ゆいの曲にも全く同じ展開で始まる曲はある。

 ゆっくりとしたメロディーライン。マルチトラックレコーダーで、コード弾きの上にオーバーダビングしたのであろうギターのメインフレーズが乗った瞬間。

(え……)

 ぞっとした。

Ishtarイシュター……Featherフェザー……」

 夕衣の小さな呟きは莉徒りずにも英介えいすけにもはっきりとは届いていなかったようだった。

「え、何?」

「え、ううん、な、何でもない……」

 夕衣は動揺を隠すかのように慌てて言った。

 コード弾きのストローク、メロディーラインが若干アレンジされてはいるものの、これは紛れもなく、夕衣の曲だ。それもイシュターシリーズの、一番最初に創った曲、Ishtar Feather。裕江ゆえの前で初めて弾いた、夕衣の処女作。

 しかし、こんなアレンジをしたことはないし、勿論弾いたこともない。夕衣の手元に存在する音源は夕衣がただ一度、マルチトラックレコーダーで録音したものだけだ。そしてその音源を持っているのは夕衣と裕江だけのはずだった。どこの、どんなライブでも夕衣はこの曲を唄うことはなかった。裕江が死んだ今、夕衣のIshtar Featherを持っているのは夕衣だけのはずだった。


 ――


 溢れた涙は 誰のためなの


 歌声響かせて 笑顔に変えたい


 ――


(歌詞まで……)

 夕衣の曲そのものだ。歌声は確かに綺麗な歌声だ。夕衣が好きそうだと莉徒が言うのも頷ける。そしてこの歌声には聴き覚えがあった。

(許せない)

 夕衣の何よりも大切な曲を盗んだ、その相手の顔が浮かぶ。

「これ、ディーヴァっていう歌手なの?」

 夕衣は莉徒に訊いた。

「俗称、ね。正確な歌手名は多分誰も知らないのよ。誰かが最初にディーヴァって言ったのが定着しちゃったみたいね。歌を司る女神様の名前だってんで」

 ということは盗作ではないのかもしれない。裕江がその音源のデータをコピーし、友達に渡した可能性は高い。それほどに裕江はこの曲を気に入ってくれていた。そうして夕衣が感知できないところで広まってしまった夕衣の曲を誰かがアレンジをして創ってみた音源、というだけのものかもしれない。そう思えばまだ落ち着くことができた。声に聞き覚えがあるというだけで、確証が何一つない現状ではまだ相手を責める段階でもない。

「オリジナルがあるってさっき言ってたけど」

「噂だけどねー。アコギ一本で弾き語ってるのがあるって話なんだけど、まぁそれこそ嘘か本当か判んない」

(それがわたしの、か……)

 顎に指を当てて、考える。恐らく声が似ていると思ったのは、以前ライブハウスで何度か同じイベントに出たことがある、同じく弾語りをしているアーティストだ。確かホームページもあったはずだ。何か関係あることが書いてあるだろうか。

「ディーヴァ、Goddesses Wingガッデセスウィングで検索すると色々出てくると思うよ」

「なるほど」

 莉徒が手帳の一ページを切り取って、検索キーワードを書いてくれた。

「興味持った?」

「うん、まぁ……ね」

 莉徒とは違う意味で、確かに興味が湧いた。どういうつもりで夕衣の楽曲をカバーしたのか、純粋にカバーしたというのならば、何故同じ意味を持つ曲名に替えたのか。その真意を知りたくなった。知ることはできないのかもしれない。この街だけなのか、他にも広まっているのかは判らないけれど、少なくともこの街で広まってしまっているGoddesses Wingは夕衣のIshtar Featherではない。

 もしも夕衣がこの街のどこかのステージでIshter Featherを唄ったとしたら、それはディーヴァのコピーをしたに過ぎないのだろう。

「莉徒」

「ん?」

「これ、メールでもなんでもいいからわたしにも送って」

「あ、ネット繋がったんだっけ」

「うん」

「じゃあメール送っからメアド教えて」

 先ほど莉徒が切り取った手帳の一ページを更に切り取って、そこにメールアドレスを書き込んだ。

「あい」

「樋村もいる?」

 莉徒にアドレスを手渡した後に、英介にも訊いてみる。携帯電話の電話番号もメールアドレスも知っていればさほど必要な情報ではないとは思うが、莉徒にだけ教えて、英介には教えないというのも妙な話だ。

「あとで莉徒に送ってもらうわ」

「おけ」

「んじゃ帰りますか!もういい時間だし」

 手帳に夕衣のメールアドレスを書いた紙を挟むと、ミニコンポからディスクを取り出して莉徒が席を立った。

「そだね」

「英介、夕衣のこと送ってってやんなよね」

 ぴ、と英介を指差して莉徒が言う。

「え、い、いいよ!」

 またか、と思いつつも夕衣は断ったが、どうも先ほどとは少し様子が違う。

「あのさ、これはからかってんじゃないの、そんくらい呼び出した英介の責任でしょ」

「判ってるっつーの」

 苦笑しつつ英介は言った。

「でもわたし自転車だよ」

「どうせ大して遠くねぇだろ」

「まぁそうだけどさ……」

 実際問題歩いても大してかからない距離ではある。それでもギターケースとエフェクターを持って態々歩いて夕衣の家までくるとなると、それはそれで重労働だ。

「早く帰んなきゃまずいってんなら俺が漕いでってやっから」

「ステップとかつけてないけど」

 二人乗りする余地が夕衣の自転車にはないのだ。結局歩かなければならなくなる。

「じゃあ私もつきあってやるかー。私のチャリならステップ付いてるからさ、夕衣には悪いけど英介のギターだけ背負ってってよ。んで英介は私のチャリ漕いで」

「オッケー。そのまんまついでに莉徒も送ってってやらぁ」

「ついででどーも」

 ふん、と莉徒は言ってギターケースを背負い直した。

「そういえば樋村んちって近いの?」

「おー、このすぐ裏」

「じゃあギター置いて自転車乗ってくればいんじゃないの?」

 そこまでして送ってもらわなくても大丈夫だとは思うが、莉徒も英介も奇妙なところで随分と律儀だ。

「そういうことは早く言えよなー」

「だって樋村んち知らないし……」

「じゃあ私らで一回英介を送ってってやるか」

 偉そうに言う英介と莉徒を見て、夕衣は小さく嘆息した。

「そりゃどーも」

「別にいいんだけどね、そのまま帰っても……」


 家に帰り、風呂から上がるとすぐにパソコンの電源を入れる。莉徒に貰ったメモ紙を取り出して、OSが立ち上がるのをじっと待つ。

(あの人……一体何のつもりで……)

 確か夕衣よりも年上だったはずだ。前にいた街では何度か同じイベントにも出たけれど、夕衣には友好的な態度を取らなかった。同じカテゴリでライバル視していたのか、単純に気に入らなかったのかは判らないが、どちらにしてもそういった態度を取られれば夕衣も良い印象は抱かないものだ。

(だからって……)

 もしもアレンジの元になった曲が夕衣のIshter Featherだったとしたら、それは夕衣だと判るはずだ。Ishter Featherはライブでは演奏したことはなかったが、それでも何度かは同じイベントに出演していた。人間的に好かないことは確かだが、歌唱力は高かった。能力の有無と好き嫌いを混同するほど子供ではない。OSが立ち上がり、ハードディスクの動きも落ち着いた。夕衣はブラウザを立ち上げて、すぐさまそのアーティストのホームページを探した。

「……確か、ミサって」

 独り呟くと、夕衣はすぐに検索を開始する。ミサだけではヒット数が多く、サジェストもまばらで絞り込めない。

「それじゃ……」

 ミサ、ディーヴァ、Goddesses Wing、と続けてキーワードを入力する。

「きた」

 一番最初にヒットしたのは本人ではなく誰か、ミサのファンであろう人のブログだ。夕衣はそのブログをチェックした。

『ディーヴァとミサは同一人物なんじゃないかっていう噂がある。確かに最近出回っているディーヴァのGoddesses Wingとミサの声は似ていると思うが、オリジナルの声は全く別人だという噂もある。私はオリジナルを聴いたことはないが、もしそうであればミサは盗作しているということになるのかもしれない。ただ、ミサ本人のライブでもブログでもGoddesses Wingに関しては全く触れていないので真偽のほどは定かではないし、少なくとも私はミサのライブでGoddesses Wingを聴いたことはない。Goddesses Wingは確かに楽曲としてはすばらしいものだと思うが、ミサの他の曲でもすばらしい楽曲はたくさんある。態々話題になっているものを自分のものだ、と主張することにメリットがあるとは思えない』

 そのブログの関連リンクにミサ本人のブログがリンクしてあった。夕衣は新たにウィンドウを開き、そのミサのブログを開いておいて、更に検索を続ける。

「確かに……」

 オリジナルが存在すると判っているものであれば、それをアレンジして自分のものだ、と主張する意味はあまりないように思える。このブロガーの書いた通りだと夕衣も思う。そう考えると、例えミサがIshter Featherをリメイクしたとしても、広まってしまうことはミサの本意ではなかったのかもしれない。それにミサとディーヴァの関連性が薄い。次はディーヴァとGoddesses Wingについてを検索する。日本で最大規模を誇る掲示板ではかなりの数がヒットしたが、検索には向かない。誰かのブログやトピックスなどを探した方が良さそうだった。ブログはいくつか上がっている。Goddesses Wingについてのブログはかなりの量があった。

『オリジナルGoddesses Wingは僕は最初にどこかのアプロダで見つけた。今出回っているGoddesses Wingは誰か違う人が歌っているのは間違いない。最初のディーヴァの名前が出たのは確か去年辺りだ。僕も今出回っているGoddesses Wingを持っているが、作成日が変えられていないのか、半年前の日付でのファイルが出回っている。しかしオリジナルのファイルは三年前にまで遡る。ディーヴァの名をネット上で見かけるようになったのは、僕がオリジナルを手に入れてからすぐだった。知っている人はもっと前から知っていて、色々と話していたんだろうと思う』

 そのブログに対してコメントがついていた。

『そのファイルのプロパティ→概要→詳細設定のコメントに何かメッセージみたいなものが入ってませんでしたか?もしくは添付ファイルか何か。入っていればそれが本当のオリジナルだという噂があります。私が持っているのは音源は恐らくオリジナルと同じ物ですけど、そのメッセージが入ってませんでした。最初のディーヴァが誰なのか、というヒントみたいなものが書いてあるらしいのですが……』

 更にブログの主がそれにコメントを返している。

『僕のファイルにもコメントは入ってなかったです。ということは音源だけがオリジナルで、ファイル自体は複製された物なんでしょうかね。単純にコピーしただけでも詳細までコピーされると思うんですけど、そこが本来のオリジナルとの違いなんでしょうか?僕はオリジナルのディーヴァと今出回っているディーヴァが同一人物ではないと判ればそれで構わないんですが』

『オリジナルはフォルダで存在していると聞いたことがある。それに動画ファイルが入っているだとか、パスワードがかかっていて開けないようになってるだとか。ともかくオレの周りでは誰もそのファイルを目にしたやつがいないからマユツバかもしれない』

 こういった書き込みに対し、今夕衣自身が私がオリジナルです、と書き込んでも何の信憑性もないただの荒らし行為になってしまうだろう。その後も二時間ほど検索を続けたが、大した情報はなく誰もが同じくらいの情報しか持っていないようだった。要するに、ディーヴァは最近出回っている、莉徒も持っていた、アレンジされたものと、恐らくは夕衣本人が歌っているものとの二つが存在しているのだ。

 そして夕衣が唄っているもののファイルでも、詳細コメントが書かれているものと書かれていないもの、もしくはフォルダとして存在していてその中に動画らしきものが入っているものの三種類が存在するらしい。まさか夕衣が伺い知らぬところでこんな事態になっているとは思いもよらなかった。オリジナルとオリジナルのコピー品があるというのは、当時エンコードのやり方を知らない者がwaveファイルからmp3に変換するのにライン録音などをしたせいで日付とコメントなどがコピーされなかったという可能性も考えられる。

 ミサ本人のブログには確かにGoddesses Wingに触れた記載は一切なかった。ミサはインディーレーベルにも所属していない、本当に個人でやっている夕衣と変わらないアーティストだ。以前夕衣が世話になっていたライブハウスでは有名なアーティストだが、CD等を出している訳でもない、ライブハウスでの活動以外で有名になるほどの要素はあまりないアーティストだ。確かにあのライブハウスに通っている者であれば、彼女の歌唱力や楽曲の良さなど、正等に評価する者は多いであろうという程度で、ネット界全体に名前が轟くほどではない。ミサとディーヴァを比べれば確実にディーヴァの方が名前は広まっているだろう。

(これじゃ真意は判らないな……)

 先ほど莉徒に聞かせて貰ったのもミサ本人かどうかは確実ではない。似ているとは思うが、まだ判らない。声が似ている者などいくらでもいるだろうし、きっと夕衣が個人的に探したところで見つかりはしないだろう。そんなことを考えた矢先にふと気付いた。

「そっか」

 別にディーヴァが何者であろうと、どんな態度で出ようと、夕衣には何の関係もないのだ。夕衣の曲はGoddesses Wingではなく、Ishtar Featherだ。Ishtar Featherを夕衣が思った通りに唄えば良いだけなのだ。本物がどうだとか偽者がどうだとか、くだらない。

(動き出せるものを見つけて、やっていかなくちゃ、ね、裕江姉)

 些細なことで止まる必要など全くない。

 夕衣は夕衣らしく、夕衣の歌を唄うだけで、それだけでいいのだから。


 xv Blurry END

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