xi go for it!

「うぃー、終わった終わった。さてカミナユイ、聞かせてもらうからなー」

 いそいそと楽器を片付けながら英介えいすけは言う。ケーブルの巻き方などがめちゃくちゃだ。性格が出ているな、と夕衣ゆいは苦笑しつつ、自分の演奏の準備を始めた。

「やっと髪奈かみなちゃんかー。長かったなぁ」

「るせっつの!ま、俺もカミナユイの演奏は楽しみだけどな」

 いつの間にか後ろに立っていた西田にしだが英介に冗談めかして言うと、英介も笑った。

「期待はずれでも知らないから」

 苦笑を返して夕衣は言った。演奏の好き嫌いと巧い下手というのは音楽をやっているも者であれば混同しないものだが、巧くても好きではない音楽のジャンルであれば評価はぐんと下がる。特に英介達のような激しい演奏をする者達にとっては夕衣の楽曲は退屈な物になるだろうことは目に見えて判っていた。

「夕衣、全部オリジ?」

 ギターケースからギターを取り出した夕衣に莉徒りずが声をかけてきた。

「一応そのつもりだけど……あ、そっか、じゃあこないだの二曲やる?」

「そうこなくちゃ!ね、公子こうこさん」

「え、あたしも?」

 ぐるり、と背後を振り返って莉徒は嬉しそうに言った。莉徒も歌いたくなったのだろう。夕衣は全て自分のオリジナル曲を披露しようと考えていたが、すぐに莉徒の意図に気付いた。早宮響はやみやひびきの曲だ。一度合わせたことがある曲であれば莉徒や公子もすんなりと入れるだろう。折角こうして自由に音楽ができる場に、音楽好きの人間が集まっているのだ。楽しまない手はない。

「当然ですよ!英介ギター貸して」

「おー、一緒にやんのかよ」

「そ、ま、楽しみにしてなよ」

 そう言いながら莉徒は肩にかけていたギターケースからギターを取り出した。Fender USAフェンダーユーエスエー社のテレキャスターだ。莉徒にとても似合っている。ギターを持っていなかった公子も英介からギターを借り、肩にかける。

「うわ、低っ!」

 ストラップの長さを調整しつつ、公子がぼやいた。

「ギターは低い位置で弾いた方がカッコイイじゃんよー、ねえさん判ってねぇなぁ」

「まだ始めたばっかなの知ってるでしょ。こんな低いの上達したって弾けるか判んないけど」

 そんなやり取りを他所に夕衣もチューニングを始める。どこかでストラップの長さ、楽器の位置の低さに拘るのはヘタクソの証拠だという言葉を聞いたことがあるが、夕衣は自分で一番弾き易い位置にしているだけで、低いか高いかなどは考えたことがなかったな、と自分のギターの位置を確認した。ストラップを留めるペグの位置がベルトよりも若干上に位置している。鏡でもなければ低いのか高いのかは判らない。

(ま、でも)

 高かろうが低かろうが、夕衣にはこの位置がベストポジションだ。鏡を見たところで上げ下げはしない。ギターの位置に拘って自分の演奏を崩してしまったら元も子もない。

「んー、んー、らららぁら」

 Aのコードをかき鳴らし、軽く声を出す。やはり声は本調子ではなかったが歌えないほどではない。それにしても、と夕衣は辺りを見回した。ドラムセットやマイクスタンド、発電機等、アンプなどはどうやら英介の言葉を聞く限り持参ではないらしい。この機材は誰が用意しているのだろうか、と不思議に思ってしまう。

「じゃあコードはわたし、リードで公子さん、莉徒が唄とサイド宜しく」

「おっけー」

「あーい」

 二人が準備を終えるのを見てから夕衣が言い、公子と莉徒もそれに応える。

「ちょっと音出しね」

 夕衣が借りているベースアンプにはジャックが二つあったため、夕衣と莉徒のギターをそのアンプ一つで鳴らす。出力の低い方には夕衣のギター、出力の高い方には莉徒のギターを繋ぎ、莉徒は少しボリュームを押さえ、夕衣はボリュームを上げる。公子の方は極端にドライブを絞り、和音でも音が潰れない程度に調整し直す。

「こんなもんかな」

「うん、そうだね」

 口々に言い合って、音を止める。見に来てくれた人がこちらに注目している。顔見知りは勿論、英介達のバンドの前にやっていたバンドのお客の面々、通りすがりの人までもが足を止め、結構な人数になっていた。

「じゃ、行きまーす……ワン、トゥー、スリー……」


 しっかりと唄い終えて、しゃらん、と最後のコードをかき鳴らす。サスティーンがなくなった途端に拍手が聴こえてきた。莉徒と夕衣の声の相性はやはり良いらしい。声というものは自分と他人では全く印象が異なる。夕衣は自身では莉徒と夕衣の声は相性が良いと思っていたが、それはここにきて、今の演奏を聞いてくれた殆どの人達がそう思ってくれているのだろうことが見て取れた。

「……」

 英介は言葉も出ない、といったほど呆けた様な顔でこちらを見ていた。誇らしくも思えたが、これは夕衣一人の力ではない。莉徒と公子がいてこその音だ。

「とりあえずこれは余興ね。あとは夕衣一人なんで」

 そう言いながら莉徒がギターを降ろした。公子もそれに続く。

「ありがと」

 そう莉徒と公子に言って頭を下げる。少し予定を頭の中で組み替える。今の莉徒と公子との演奏で一曲は披露した。時間の都合もあるだろうし、一曲減らさなければならない。

(ま、とりあえず)

「じゃあ次、いきますね」

 こほん、と軽く咳払いをして夕衣はギターを弾き始めた。


「それじゃ、最後の曲です」

「えぇっ!」

 莉徒を初めとする顔見知りが声を揃えて言った。いわゆるお約束だが、お約束であっても、これはこれで嬉しいものだ。

「えと、今度Letaリータっていうハコで弾語りライブやるので、良かったら遊びに来て下さい」

「おー!行く行く!髪奈ちゃんサイコー!」

「六月の二三日なー、おれらも出るぜー!」

 秋山奏一あきやまそういちが嬉しそうに言った。

「えーと、バンド名なんだっけ?」

 苦笑しつつ夕衣は奏一に訊いた。そういえばバンド名を聞いていなかったな、と今更思い至ったのだ。

Unsungアンサングだ!」

「はい、じゃあそのアンサングさんと対バン?します。お時間に余裕がある方はぜひ遊びにきてください。……それじゃ」

 こつ、とギターのボディを叩き、短く息を吸い込んだ。

Aiysytアイイシットという曲です」

 夕衣の曲の中で、女神の名を冠する曲は多い。何となくできたイメージにそういった名を付けるのだが、それは夕衣がギターを手にして初めて創った曲から続き、今では三曲になっている。夕衣は独自にそういった楽曲をイシュターシリーズと名付けているが、このAiysytはその二曲目にあたる。Aiysytというのはロシアの女神で、誕生を与える者という意味がある出産の女神だ。特に神話などに詳しい訳ではないのだが、女神の名は不思議な響きを持つものが多く、時折インターネットなどで調べたりもしていた。

(あれ?そういえば……)

 以前莉徒が女神の名前が何だとかいう話をしていたような気がした。確か夕衣の知らない女神の名前だったはずだが、その後に何がどう、という話の流れは忘れてしまった。

(ま、いいか)

 コードをゆっくりとかき鳴らす。アルペジオに切り替え、ハミングを乗せる。


 ――


 Did you think that I was gonna give it up to you, this time?


 探し求めてみても 喜びや痛みは

 与えるものではなく 感じるものでしょう


 だからここにいる わたしはここにいる

 感じて欲しいから 全てをあなた自身で


 Did you think that I was gonna give it up to you, this time?

 Did you think that I was gonna give it up to you, this time?


 逃げ出さないで 踏みとどまって

 今何を感じているの 答えを出してみて


 彷徨い歩いてみても 笑顔や涙は

 他人の物ではなく 自分のものでしょう


 だから歌い続ける 私は歌い続ける

 信じて欲しいから 全てのあなたの気持ちを


 Did you think that it was somethin I was gonna do and cry?

 Did you think that it was something I was gonna do and cry?


 ――


 そう唄って聞かせたかった相手はもういない。

 夕衣が創り出したイシュターシリーズは、髪奈裕江ゆえに向けたものばかりだった。表に出さないだけで何かを抱えていたことは夕衣も判っていた。それが大袈裟ではなく死ぬほどに悩むことだったとは思いもしなかったけれど。

 だからこそ、悔やまれる。思い違いも甚だしいことは夕衣も判っている。それでも、何か一つでもその抱えたものを分かち合えたのなら、と夕衣は思わずにはいられなかった。

(わたしが殺したも同然……)

 そんなことなど、きっと世界中の誰一人も思っていない。そんなことは判っている。でも、それでも、夕衣は自分を責めずにはいられなかった。自分の無力を呪わずにはいられなかったのだ。遺言らしきものもあるにはあった。夕衣宛に書いたものが一つだけ。

(いつか、伝わるって信じてる)

 何が言いたかったのかは判らない。裕江が何を言おうとしていたのか、その一言では何も読み取ることができなかった。だけれど、裕江が夕衣に遺した最後の言葉だ。後追いはしない。する気もない。

 この先に何があっても死を考えてはいけない。裕江の遺した言葉の意味が判るまで。

(わたしも信じることにしたんだ……)

 いつか伝わる。それが何かなど判らない。裕江の死の意味なのか、それとも、何かもっと別の何かなのか。


 最後のアルペジオをゆっくりと、丁寧に鳴らす。ゆっくりと息を吐き出し、呼吸を整える。間もなくしてやんやの喝采が降り注いだ。

「おぉー!すっげぇっ!ライブ行くぜー、髪奈ちゃん!」

 西田が大声を上げる。その隣にいた英介は相も変わらず呆けた顔でこちらを見ていた。

「ありがとうございました」

 ぺこり、と頭を下げ、夕衣はギターを肩から降ろした。ギターケースにギターをしまおうとした途端、ケースの中に小銭がとんとん、と投げ込まれた。

「え?」

 顔を上げると、次々と夕衣のギターケースに小銭を入れてくる人々が続いてきた。

「え、あ、あの!い、いいです、そんな!」

 両手を前に突き出して、小銭を入れようとする人達に止めるように言ったが、何の効果もない。それどころかその突き出した両手を強引に引っ張り、握手をしていく者までいた。

「ああああぁあぁぁあぁあぁあ……」

 どうしたら良いか判らない。お金欲しさに歌った訳ではないのだ。ただ聞いて欲しくて歌っただけだというのに。

「とっときなさいよ、みんなの気持ちなんだから」

 そう上から声をかけながら、莉徒も五百円玉を一枚ケースに落とした。

「で、でも……」

「こんなこと滅多にないけどな」

 莉徒の隣にきていた英介も我に返ったのか百円玉を一枚ケースに落とす。

「何よエースケセコいわね!」

「え、おま、こういうもんは金額じゃなくて気持ちだろ!他にも一円とか五円とかいるじゃんよ!」

「他の人はいいのよ!私らは仲間でしょ!」

(仲間、か……)

 うつむいて夕衣は苦笑する。明らかに壁を作っている夕衣のことを、それでも莉徒は仲間だと思ってくれている。いや、莉徒だけではない。一緒に演奏してくれた公子も、ここを紹介してくれた英介も、軽音楽部の皆も、夕衣に壁など作っていない。

(結局、もうだめなんだね)

 夕衣がいくら壁を作ろうとも。

 いくら距離を置こうとも。

 もう手遅れだ。

 今もしも莉徒が居なくなってしまったとしたら、夕衣にはもう居なくてもどうでも良い存在ではなくなってしまっていた。恐らく、莉徒もそう思ってくれている。莉徒に感じた距離感は、夕衣が勝手に作り上げたものであるのと同時に、壁を作っていた夕衣への配慮だ。

 本当は夕衣自身も判っていた。

 莉徒と出会ったあの日から。

(どうなるか、なんて判らないよね……)

 圭一も言っていた。『あるかどうかも判らない先の可能性、それも随分と低い確立のものに怯えて生きるのは間違ってる』と。

「じゃあみんなでコーヒーでも飲もっか」

 顔を上げて、やんやと言い合いをする莉徒と英介に向けて夕衣は笑顔で言った。

「こんな時間に飲んだら眠れなくなるだろーがよー」

「ふーん、お子様なんだ、ヒムラエースケ」

「そ、こいつはお子ちゃま。んじゃ良い店知ってるから明日行こう、夕衣」

「うん」


 時間にして二三時過ぎ。英介のバンドも西田のバンドもドラムセットをおおまかにばらし始めた。低騒音型の発電機を止めると辺りに静寂が戻ってくる。夕衣もとりあえず片付けの手伝いを始めた。

「おー悪ぃなカミナユイ」

「マイクどうするの?」

「その辺に黒い籠があっからそれに入れろ。ケーブルもな」

「判った」

 ほどなくして一台のトラックが公園内に入ってきた。ドアの辺りにEDITIONエディションのロゴが入っている。確か先日莉徒と英介と待ち合わせた楽器屋兼リハーサルスタジオの店名だ。

「おー、コゾーども、早くかたせよー」

 トラックの助手席側から降りてきたのは、何だか見たことのあるような長身。それが誰だったかを夕衣が思い出す前に、莉徒がその人物の名を呼んだ。

「おー、りょうさんちっす。珍しいね」

(諒、諒……)

 聞いたことはある。ような気がするが、それが誰かは思い出せない。ただ間違いなくどこかで見たことがある姿だった。

「おー莉徒、今日はおめーもいたのか」

「私は見るだけだったけどね」

「そっか、まぁいいや。おーぅ真佐人まさと、とりあえず片付けるぞ」

 一頻り莉徒と会話して、運転席から降りてきた夕衣達とそう年も変わらないような男に諒は呼びかけた。

「はいー」

 アルミボディのトラックの背後にあるパワーゲートを操作し、ゲートが地面についたら観音開きのドアを開ける。

「莉徒、なにこれ」

「あぁ、こないだ待ち合わせた楽器屋、覚えてる?」

「うん」

 諒と話し終えて夕衣に近付いてきた莉徒に尋ねる。あの楽器屋が関係していることは間違いないらしいが、何が何だか良く判らない。

「あそこの厚意でさ、発電機とドラムセット、マイクとかも貸してくれるのよ」

「へえ」

 厚意ということは無料でということなのだろうか。消耗品であるドラムセットを無料で貸し出しているとなるとかなりの太っ腹だ。益々訳が判らない。

「まぁそれもつい最近やってくれるようになったんだけどね」

「なんで?」

「さあ?諒さんが言うには最近バンドに元気がないからとか何とか言ってたけど」

「ふぅん」

 諒という人物をもう一度見やる。見たことがあると思ったのは恐らく店の中で目にしていたのかもしれない。

「あの楽器屋主催でたまにイベントとかもやるからさ、仲良くしとくと良いかもね。私らはあそこのスタジオ結構使ってるし、色々良くしてもらってるんだ」

「そうなんだ」

 楽器店やリハーサルスタジオ、ライブハウスのコネクションというものはやはり強い。夕衣も以前いた街では贔屓にしていたライブハウスのブッキングスタッフとは仲が良かった。おかげで安価な料金でライブをさせてくれたし、スケジュール的に穴が開く時などは稀にただで演奏させてくれることもあった。以前いた街もそう離れてはいない。電車で一時間もあればつく。もう少し落ち着いたら久しぶりにあのライブハウスにも顔を出そう、と夕衣は思った。

「まぁまた今度教えてあげるけど、あの店は色々あんのよ、面白い話が。あぁ、明日コーヒー飲みに行ったら話してあげるわ」

「おっけ。わぁいけない、こんな時間じゃない。速く片付けよ」

 腕時計をちらりと見て、二十三時も半を過ぎていたことに気付いた夕衣はまだ片付いていないケーブル類を集めだした。

「何、親うるさいの?」

「そうでもないけど、まだここに慣れてないんだから、って心配されてるんだ」

 以前いた街でストリートをやっていた頃はもっと遅い時間まで外を歩いていたこともあったし、怒られることはないとは思うが、流石に心配のかけ通しでは親に悪い。

「甘やかされてるわねぇ」

「我ながらそう思うけどね」

 容赦のない莉徒の言葉も、夕衣自身がそう思っているからすんなりと受け止められる。元々一人っ子である夕衣には甘い親だとは思うが、裕江が死んでからはもっと甘やかされるようになったと思う。後追いをさせないためだったのか、夕衣を慮ってのことだったのかは判らないが、夕衣を信頼して取った処置ではないことだけは良く判っていた。

「自覚あんなら大丈夫よ」

「そぉ?」

「そ。ま、私みたいになっちゃっちゃあマズイと思うけどね」

 ケーブルを八の字巻きにしながら莉徒は笑った。


 xi go for it! END

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