ix This Moment

「へっぐしっ!」

 何とも間抜けな理由で風邪を引いてしまった。唄えないほどではないが、しばらく喉は酷使しない方が良いだろう。そのぶんギターを集中して練習すれば良いだけし、一ヶ月もあれば風邪など完治して余りあるほどだ。

「なん?風邪かカミナユイ」

 昼休み、またしても軽音楽部の部室に来てしまった夕衣ゆいは、さらにまたしても樋村英介ひむらえいすけと二人きりで部室にいることになってしまっている。軽音楽部の連中は今日も屋上で昼食を取っているらしく、莉徒りずも今日はそこに行っている。夕衣は昨日思いついた分を少しまとめようと、今日もギターを借りにきたのだが、今日も英介が寝ていたのだ。

「うん。ちょっと油断した……よ、ヒムラエースケ」

 英介がフルネームで呼ぶのをやめようとしないので、夕衣も英介をフルネームで呼ぶことにした。

「まっぱでオナチョスでもしてたんか」

「あんたと一緒にしないで。セクハラ男」

 途端に下品な話になるが相手にはせず、歌詞とコードをノートに書き込む。

「けっ、俺ぁ別に女日照りでもなきゃ餓えてる訳でもねぇよ」

「見た目だけはよろしいものね、ヒムラエースケくん」

 これで性格も良ければ相当もてるのではないか、とも思うが今のままでも充分もてるのだろう。正直、夕衣の知ったことではない話だが。仮にヒムラエースケの性格が丸く、優しくなったとしても夕衣が好きになることなど絶対に、無い。

「アレのリズムもサイコーだってよ」

「ばぁか」

「……ちょい聴かしてみー」

 昨日と同じ、教室の一番後ろの席に椅子を並べて、そこに寝転がったまま英介は言う。夕衣の視界には全く入っていないので、英介の話も上の空で聞いていられるのだと思う。喋ってはいるが、それほど気は散らない。

「ちゃんとできたらね」

「昨日弾いたやつじゃねぇの?」

 おかげで樋村英介の失礼な態度にもわずか数十分で慣れることができるようになってしまった。

「そうだけど」

「じゃあいいじゃん」

 未完成も未完成のままの物を昨日英介は聞いている。今更完全な物ができるまでは、などと見栄を張る必要がないというのは確かにある。

「まだ歌詞ついてないし」

「ハミングでいいじゃん」

「……」

 咳払いをする。風邪のせいでいまひとつ綺麗な声は出ないが。

(流石に昨日の夜思いついた仮歌詞は歌えないわね)

 苦笑して、夕衣はコードを鳴らすとハミングを始めた。

「……」

「こんな感じ」

「バンドのが良くねぇか?」

 流石にバンドを組んでいるだけあるためか、英介はそこに気付いたようだった。それは夕衣も充分判っている。

「まだちゃんとアコギアレンジ入れてないのよ」

「まだどうにでも化ける段階か」

 バンドアレンジを入れればバンド用の楽曲に、アコースティックアレンジを入れればアコースティック用の楽曲に。今はまだどちらでもできる段階ではあるが、おそらくバンドアレンジをした方が生きる曲だろうとは思う。それでも次のアコースティックライブ用の新曲だし、夕衣はバンドを組む予定はない。このままアコースティックアレンジだけを進めて行くつもりだ。

「そゆこと」

「しかしいいセンスしてんなお前。今日はアレだけど、基本声もいいし。ライブ楽しみだな」

「え、そ、そぉ?」

 悪態と罵詈雑言、それに加えて今日はセクハラ発言までした英介にこんなに素直に褒められるとは思わなかった。

「あぁ。ストリートやってねぇのか?」

「前にいたとこじゃやってたけど……。この街じゃまだ場所もそこのルールも何も判らないし」

 それなりの情報収集もしていない。莉徒からちらりとその話を聞いていたこともあり、ストリートはその内に出ようとは思っていたが、ライブが終わるまでは、と考えていた。確か莉徒は公園と言っていたから、この近辺であれば駅の近くの大きな公園なのだろうが、そこに出入りしているミュージシャンも夕衣の知り合いにはいない。ライブが終わればそのライブを通じて、そのイベントに出たほかのミュージシャンと交流が持てるかもしれないし、そういったところから様々な情報を仕入れることはできる。ストリートで歌うのはそれからでも良い、と夕衣は考えていた。

「ほぅ、じゃあ今晩俺らのバンドやるからさ、来いよ。交代でやろうぜ」

「へぇ、じゃあ何十分かで交代でやってるんだ」

 ある程度広い場所でも、二組のミュージシャンがいれば同時に演奏はできない。同じ場所を交代する場合もあれば、少し離れた違う場所で、時間を区切って演奏の順番待ちをする場合もある。街や駅、とにかくその場所で演奏するにはその場所場所のルールが必ずある。

「あぁ。週末は悲惨だけど平日なら三回しくらいいける日もあるぜ。まぁだいたい二回しやって終わりだけどな」

「そうなんだ、じゃあ場所教えてよ」

「おっけっ!っと。じゃあ俺のケータイ教えとくから、判んなくなったら連絡入れろ。場所は駅の近くのでけぇ公園の奥まったとこにある野音の隣の広場な」

 上体を起し、英介は携帯電話を取り出した。ディスプレイに自分の電話番号とメールアドレスを映し出し、それを夕衣に見せる。夕衣はギターをスタンドに立てかけると、英介のすぐ隣の椅子に腰掛けた。

「うん。そうね、じゃあわたしのも……」

「あぁ、おめーのはいいよ。別にヤラシイ意味で教えたんじゃねぇし。場所が判りゃ俺んとこかける必要もねーんだしよ」

 ポケットから携帯電話を取り出そうとしたが、英介がそれを制した。

「へぇ意外。っつーか別に女とあらばって訳でもないか」

 それ以前に夕衣には女として接していないのだろう。そもそも夕衣は男にもてたことはない。英介が自分で言ったように、英介は女に餓えていないようだし、そんな男から見れば何としても携帯番号を手に入れたいなどとは思わないのだろう。それも当然だ。

「そゆこと。ま、興味あったら連絡くれや」

「そうね」

 英介の携帯番号とメールアドレスを登録しながら夕衣は笑った。そういう部分が見えているのであれば友達として付き合いやすいし、距離も置ける。

「あらぁ、何か仲良さげじゃないの」

「莉徒」

 戸が開いて、教室に入ってくるなり莉徒がいや厭らしい笑みを浮かべる。勿論冗談の範疇ではあるのだろうが。

「屋上じゃねぇのかてめえは」

「行ってきたけどさ」

「別にわたしはヒムラエースケと雌雄を決するつもりはないし……へっぐしっ!だから普段からいがみ合う理由もないし」

 顔を見れば悪態をつく英介が悪いのだ。軽音楽部の部員達には、いきなり初対面で英介と怒鳴り合う姿を目撃されてしまったので、あれは本当に失態だとは思うが、樋村英介といがみ合おうとは思っていない。

「どうかーん」

「それもそっか。で、何夕衣、風邪?」

 夕衣のくしゃみに気付いてか、莉徒は訊いてきた。

「うん、ちょっとね……」

「まっぱでおなぬぃ」

「やっぱり雌雄を決した方がいいのかしら」

 夕衣はぐぐ、と拳を握って英介にその拳を突き出す。下ネタとセクハラの属性が樋村英介にはついていることを今日初めて知ったが、それにしても昨日が初対面だったとは思えないほどのやり取りだ。

「冗談……です」

「何か随分馴染んでるわね……ちょっとジェラシーよ、私」

「良く言うぜ」

 夕衣と仲良くしている英介に妬いているのか、その逆に、英介と仲良くしている夕衣に妬いているのか。

「そっちじゃなくて」

 どうやら前者だったらしい。

「だろうよ。付き合ってた頃にゃ一度だって莉徒が妬くなんてことなかったもんなー」

「アタリマエじゃないのよ」

「あんた達には負けるわ」

 流石に付き合っていただけのことはあるのだろうか。英介も莉徒もたいした玉だ、と思ってしまう。

「夕衣も英介と付き合うなら嫉妬心だけは見せちゃダメよ」

「向こうから願い下げだって。ねぇヒムラエースケ」

「お互い様なんじゃねぇんか、カミナユイ」

 にやり、と英介を見てやる。手をひらひらさせて、英介もにや、と夕衣を見返してきた。

「やっぱりお似合いなんじゃないの?」


 家に戻り、夕食を摂った後に早速樋村英介の携帯電話に電話をかける。

「あ、わたし、髪奈かみな。今平気?」

『おー、カミナユイ。だいじょぶだぜ。なした?』

 莉徒と同じような反応をする英介に夕衣は苦笑した。

「アンプって使ってるの?」

『あぁ、ちっせぇの使ってんけどディストーション内臓のショベーやつだからクリアは綺麗に鳴らねぇぞ』

 一万円程度で売っていたり、安いギターと抱き合わせで手に入る、一番ランクの低い、所謂初心者用と言われるアンプだろう。それならば長らく使ってはいないが夕衣も持っているので大体どんな音が鳴るかは想像がつく。

「そっか、じゃあ普通のアコギ持ってく」

『エレアコ使いてぇのか?そんならベーアンでも鳴るんじゃねぇか?』

「低音キツくない?」

 エレキベース用のアンプは低音を出すエレキベース専用のアンプだけあって、低音の出力が高く、ギターを鳴らしてもかなり低音が大きく出る。それはギター用のランクの低いアンプと同等のベースアンプでも同じだ。夕衣が使おうとしているエレアコは特に低音の鳴りも大きいのでベースアンプで鳴らしたときに、他の音を邪魔してしまう可能性が高い。

『センドリターンするか低音カットしてバランスいじれば大丈夫だろ。グライコくれぇ持ってねぇのか?』

「持ってる」

 グライコとはグラフィックイコライザーの略称で、楽器の音の低音から高音、どの音域を強くするかなどの音をいじれる機器だ。夕衣はソリッドギターでもエレキアコースティックギターでも、指弾きとピック弾きとを使い分けるので、ライブの時は常にグラフィックイコライザーを使っている。

『じゃあそれ持って来いよ。まぁフツーのアコギでもいいけどな』

「おっけ、エレアコにする。ピックアップもリア寄りにすればそんなに篭らないだろうし」

 アンプでギターの音を大きくしていた方が、声を誤魔化すことができる。それほどひどい声ではないが、やはり本調子ではないことは明らかだ。

『おぅ、八時にはいるからよ』

「あいあい、んじゃ後で」

 ごく普通の会話だが、テンポ良く話せていることに夕衣は気付いた。昨日は腹が立って仕方なかったが、慣れとは恐ろしい物で、こんなにも短時間で慣れてしまった英介の影響力なのか、夕衣の順応力なのかは定かではないが、それはもっと恐ろしい物だな、と思う。

(それでも、音楽のつながりだし……)

「……」

 胸元に閉まっているリングに手を当てて、目を閉じる。

(いちいち、自分に言い訳してるね、わたし)


 駅前の大きな公園には七本槍ななほんやり中央公園という名があったらしい。中央公園の中央噴水の辺りはかなりの広さがある広場になっている。公園の奥へと歩を進め、野外音楽堂が姿を現す。辺りを見渡すとバンドが二組いて、一組は演奏中、一組は休憩中だった。野外音楽堂はイベントでもない限り、夜間に使うことは許されていないらしい。夕衣は演奏している方のバンドに近付いた。人は十人ほどが足を止めて演奏を聴いているが、正直演奏自体は巧くない。恐らく、英介の参加しているバンドでは英介がギターを弾いているはずなので、このバンドではないはずだ。夕衣の位置からでは顔までは確認はできないが、一人でも巧い演奏者がいれば、そのバンドの音はそれなりに聴こえてくるものだ。しかし今演奏しているバンドにはそれは感じられなかった。

「よ」

 後ろからぽんぽん、と肩を叩かれた。英介がギターケースを抱えている自分に気付き、声をかけてくれたのだろう。

「よ」

「昼間弾いてるとこあんま見てねーけど……ギターでかくね?」

「しょうがないでしょ、身体が小さいんだから」

 そういう英介の身長は自分よりかなり高い。男の中でもけっこう身長はある方なのではないだろうか。夕衣の脳天は英介の肩にも届いていない。

「うーむ。昨日並んだ時も思ったが、一五〇ねぇな?」

「一四七」

 もう少し身長があると、可愛いだとか言われるくらいなのだが、夕衣ほどの身長だと中学生や小学生だと思われることもある。普段からメイクもしないし、したところで小学生が背伸びしてするメイク程度にしかならない。基本的に化粧映えしない顔だ。それ以前にメイク慣れもしていないので、メイクが下手だということもあるのだが、どちらにしても夕衣とメイクは縁がないものだ。

「そりゃちっせぇわ。莉徒より小せぇだろ」

「ほんの少しだけね!」

 ぽんぽん、と頭に手を置かれて、夕衣はその手を払った。背が小さくて、ギターをやっている。そういう共通点だけでも莉徒を近しい存在に感じてしまうことはあるのだろう。

「え、あ、気にしてんのかよ。悪ぃ。で、でもほら、女はちっせぇ方が可愛いって!」

「フォローどーも」

 昨日と何が違うのかは判らないが、少し英介とのやり取りのコツが掴めてきたようだった。英介が素直になるのは何も莉徒が相手の時だけはないようだ。

「けーっ!かわいくねー!」

「どーせね!」

 それでも悪態はついてくる。しかしそれもこれも樋村英介のキャラクターだと思ってしまえば全く腹も立たなくなっていた。

「こいつらがあと十五分くらいだな。先やるか?」

「先に樋村の方聞かせてよ」

 英介の方も夕衣が腹を立てないことを判ってきたらしく、何ごともなかったかのように話題を切り替えた。

「ん、まぁいいけどな。多分後から莉徒達もくると思うし。カミナユイはそれからだな」

 英介達がどんな音楽をやるのか、興味があった。英介個人的にはGUNS N' ROSESガンズアンドローゼスが好きだということは昨日判ったが、それがバンドに反映されているかどうかまでは判らない。どんな音楽でも、一度聴いてみたかった。

「え、そうなの?」

「あぁ、さっきメール入った」

「じゃあ公子こうこさんとかもくるのかな」

 昨日莉徒と公子と三人で演奏をしたのは本当に楽しかった。

「あぁ、くるんじゃね?英里えりとかも呼ぶって言ってたしな」

「あぁ、昨日何だか少し聞いたけど……」

 莉徒の交友関係がどれほど広いのかが伺える。知り合いの知り合いが、いつの間にか莉徒を通じて普通に友達になっていたり、ということが多くあるのだろう。

「緊張とかしねぇんだな」

 ギターケースを置いて目の前のバンドの演奏を本格的に聞こうかと思った矢先に英介が話しかけてくる。

「路上は慣れてるしね」

 笑顔を返し、夕衣は言った。人付き合いなどは得意ではないけれど、不思議と路上で歌を披露することに気後れはなかった。自分でもおかしいとは思うのだが、緊張をコントロールできる訳ではないのでこればかりはどうにもならない。

「ま、連中と俺らが終わるまでちょっと待ってろよ」

「うん」

 バンドの輪の中に戻った英介が仲間に「また新しい女かよ」などと言われていることろを尻目に、夕衣は演奏しているバンドの方へ足とを向けた。


 ix This Moment END

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