viii Bathroom
「え?何?
「
「ていうか莉徒は公子さんと?」
三者三様。夕衣と公子はたった今知り合ったばかりだが、お互いがお互いを知っていることを知らないまま出会うというのも奇妙なものだ。
「あぁそっか、すると、夕衣ちゃんと莉徒は同級生かなんかで」
「クラスメートです」
瞬時に察した公子が夕衣と莉徒の関係を言い当てる。
「莉徒と公子さんは?」
「フクザツ」
(えぇ……)
夕衣と莉徒の関係は少し考えれば判りそうなものだったし、公子が言い当てたことで簡単にそうです、と答えれば良いものだったが、莉徒と公子がどういった関係なのかは夕衣には想像できなかった。
「辿っていくと、まずあたしのバイト先の後輩の子で、隣の七高にいる
「なるほど」
伝の伝で何度か会っているうちに、個人的な付き合いも生じたということだろう。確かに莉徒の性格ならばそれを全て説明する気にはなれないのだろうな、と夕衣は納得した。
「そ。ま、順番なんてどうでもいいし」
「それもそうね」
莉徒と公子が顔を見合わせて笑った。
「あ、公子さん、夕衣が来月
思い出したように莉徒は言った。
「そうなんだ、じゃあ見に行かなくちゃ。英里も呼んどこ」
「英介も出るし、呼んでくれるとありがたいです」
莉徒はその英里という子とも知り合いなのだろう。
「で、莉徒は何しにきたの?」
「ん、暇だったから公子さんか夕衣かどっちかいるかな、と思って」
莉徒の口から思いもかけない言葉が飛び出した。
「え、莉徒、公子さんがここで弾いてるの知ってたの?」
「うん。昨日もいましたよね」
それならば挨拶くらいしても良さそうなものだと思うが、あの時の莉徒は夕衣に用事があったのだ。それはそれで仕方ないのかもしれないが、今日、こうして三人が邂逅したのだから、昨日莉徒が公子を紹介してくれても良かったのではないか、と思った。つくづく捉え所のない人物だ。
「うん。あ、じゃあもしかして一昨日夕衣ちゃんがここで弾いてたときにもう一人いたのって」
「私です」
「そうだったんだ。じゃあ話しかければ良かったなぁ。一昨日は土手の上まではきたんだけど二人いたから帰っちゃったのよ」
と言うことは、三人とも二日連続でここを訪れてはすれ違って、三日目にして偶然顔を合わせたということになる。奇妙なこともあるものだと夕衣は思ったが、それでも夕衣が自分から動き出したことではないので、結局のところこの出会いは莉徒と公子の行動に依る物だった。
「そっかぁ。でもま、結局こうして会っちゃった訳ですね」
「そうね」
「今日はリハなかったんだ」
莉徒は昨日と同じく手ぶらできていた。
「そう毎日やってる訳じゃないからね。こないだもメンバーの一人が暇だからって個人練付き合っただけだし」
「そっか」
個人練習で入らない場合だとリハーサルスタジオの料金は少々かかる。アルバイトやバンドを掛け持ちして、スタジオに入って練習して、ライブまでするともなればそれだけで大忙しだ。故に自身で捻出できるお金も限られてくる。莉徒がどれほどのペースで練習に入っているかは判らないが、それにしても安い金額ではないだろう。
「公子さんギター上達しました?しばらく聞いてないけど」
「まだまだ。やっぱり馴染んでた鍵盤とは訳が違うわ」
公子は苦笑して答えた。どうやらギター暦はまだ浅いらしい。
「公子さんキーボードなんですか?」
「まぁ専門でやってた訳じゃないんだけどね。昔ちょこっとやってて、ギターは莉徒の影響ではじめたの」
「そうなんですか」
するとバンド経験も、ギターではまだ少ないのかもしれない。
「何かやりましょうよ。夕衣も
「あ、いいねそれ。じゃあ……」
そう言って公子はソフトケースからギターを取り出した。ソリッドギターではなく夕衣と同じセミアコースティックギターだった。
「おぉー、セミアコ買ったんですか?」
「うん。外でやるときは
ギターでG&Lとは中々良い趣味をしている。今公子が持っているのはEpiphoneというメーカーのセミアコースティックギターで、夕衣が今現在持っているCASINOと同じメーカーだからか形状が似ている。
「なるほど。じゃあ私にあのG&Lのテレキャス売ってくださいよ」
「だめだめ、あれは基本的にはあたしのメインなんだから……夕衣ちゃんAくれる?」
基本的にはエレキギター弾きなのだろう。セミアコースティックギターは実のところアコースティックギターではなくエレキギターに分類される。さらりとコードを弾いて、若干の音の狂いを認めたのだろう公子は、すぐに音を止めた。コードの押さえ方が綺麗だ。自分で言うほど初心者ではないような気がした。
「あ、はい」
夕衣は公子の言うまま五弦をどこも押さえずに弾いた。それがコードで言うとA、つまり音階ではラの音になる。そのため五弦のことをA弦と呼ぶ場合もある。夕衣の出した音に合わせ、公子が自分のギターの五弦を鳴らす。
(少しフラット気味かな)
くく、と五弦のペグを回し、調整する。夕衣はもう一度五弦を鳴らす。それを公子が追いかける。二、三度それを繰り返し、夕衣と公子のギターの音が同じになった。
「んー、何がいいかな。昨日
あの時に莉徒と夕衣の声の相性が良いことを夕衣は確信した。恐らくは莉徒も同じことを思っただろう。
「あぁ、いいね。じゃあ……
「あ、いいですね」
去年出したシングルだ。これもGratitude to youと同じくスロウテンポで唄が生きる、いわゆる唄モノだ。
「じゃ莉徒唄って」
「おっけ」
莉徒が咳払いをするのと確認してから夕衣はAのコードをゆっくりとかき鳴らした。
自分の楽曲を弾かなくてもギターを弾いているだけで練習になる。特に昨日莉徒と合わせたことや、今日公子、莉徒と合わせられたことは貴重な経験だ。自室に戻った夕衣はギターケースを置くと、ベッドにうつ伏せで倒れこんだ。
「んー」
気が張っているのだろうか。莉徒といる時はそうでもないような気がする。まだ転入二日目だ。そう簡単に違う環境に慣れることはできない。当たり前のことではあるが、何故だかどっと疲れが出てしまった。鎖骨にいつもつけているリングが当たった。ごろりと仰向けになり、夕衣はそのリングをシャツの中から引っ張り出して眺めた。
(
莉徒、公子と合わせて演奏したのはとても楽しかった。昨日莉徒と二人で合わせた時も思ったことだ。今まで何度かバンドで演奏をしたことはあったが、莉徒や公子と合わせた時に感じたものは、今まで組んだどのバンドでも感じることがなかった感覚だった。
「はぁー」
気持ちの整理もつかない。周りを見れば部屋も殆ど片付いていない。インターネットの環境が整うのはまだ先だというし、外でギターを弾いて戻ってきた夕衣にはやることがない。それこそ部屋の整理や作曲だとか、上げればいくつかやらなければいけないことはあるのだが、今は何もできそうもない。
(何もかもが中途半端だ)
狎れ合わないと決めても、断ち切ることはできない。教室にいる莉徒以外のクラスメートのように、当たり障りなく過ごすことができない。莉徒とはウマが合いすぎるのだ。莉徒にその気、つまるところ、夕衣と馴れ合いの関係になるような気がないのは良く判る。
恐らく莉徒は無理に夕衣と仲良くしようとは思っていない。昨日河川敷に訪れたのも夕衣を捜していたのは本当だろうが、たとえ夕衣がいなくても、いつもあの場所で練習している公子がいる。莉徒にとっては夕衣に会えなかったとしても無駄足にはならない。今日もそうだ。夕衣の方から避ければ、莉徒はあっさりと夕衣との関係を断ち切るのだろう。莉徒と他のクラスメートがそうであるように。夕衣が莉徒と馴れ合いたくないのは嫌っているからではない。
(だから困るんだよ……)
それでも、楽器を持ち寄って集まってしまえば、一緒に音楽をやる楽しさというものを実感してしまう。
(ああいう風にやるの、結局楽しいって思っちゃうんだ……)
一人で弾語りをしているのとは全く違う感覚だ。一人でやっていては絶対に味わえない一体感。例えばバンドを組んでいる者が、何故バンドで音楽をやるのか、という意味の一つであったりもするほどだ。莉徒や公子とバンドを組んでみたら楽しいかもしれない。ずっと燻り続けている感情の一つが邪魔さえしなければ。
(邪魔……)
そう心の中で呟くと、夕衣は頭を乱雑に掻いた。これ以上考えるのはやめる。結局のところ今はどうして良いか何も判らない。
「夕衣ー、帰ったんならお風呂!」
「あーい」
下から母親の声が聞こえてきた。
「ららら、すっきりさっぱりお風呂だぜー」
適当に節に乗せて、夕衣は口ずさむとベッドから降りて風呂場へと向かった。
「あ」
ゆっくりと湯船につかると、不意にメロディーが閃いた。
(いや……)
正確には戻ってきた、と言うべきだ。昼間の
「おっおー、バカヒムラーバカヒムラー、失礼千万詐欺男ー……」
思いついた部分だけに適当に歌詞を乗せる。勿論このまま本当の歌詞にしたりはしない。何か言葉を乗せるために適当に言っているだけの、いわゆる仮歌詞だ。思いついた部分はサビになるだろうな、と思う。サビを曲の一番最初に持ってきてから前奏、Aメロディー、Bメロディーと運んでいく形が良さそうだった。
「んーふふー、ふーんー」
コードは度外視して、サビから繋いでもおかしくないようなAメロディーを考える。先に唄のメロディーを決めてからコードを乗せる創り方、俗称ではメロ先とも言うが、夕衣はこのメロディー先行で作曲をすることが多い。言葉が降ってくるときはメロディーと共に作詞までできることもあるが、今回はそこまでではなかったようだ。それでもAメロディーが夕衣の唇からこぼれ出してゆく。
(お、いい感じ……やばい、やばい)
「おっおー、バカヒムラーバカヒムラー、失礼千万詐欺男ー……んーふふー、ふーんー」
メロディーを忘れないように何度も繰り返しつつ、湯船から上がり、急いで髪を洗い始める。
「んっんー、んなんんんーんななんー、んぬぬんうんぬんうんうぬぬぬー……んーんんー、んーんー」
何度も何度も繰り返しながら、がしがしと髪を洗う。女の子としてはもっと髪をいたわりたいし、普段ならそうしているが、今はそれどころではない。さっさと風呂から上がり、録音しておかなければ折角思いついたメロディーを忘れてしまう。
風呂から上がり、バスタオル一枚を巻いて、どたばたと階段を駆け上がる。髪がびしょ濡れのままだ。まさに取る物もとりあえずボイスレコーダーを探す。が、こんな時に限って見つからない。
「おっおー、バカヒムラーバカヒムラー、失礼千万詐欺男ー……んーふふー、ふーんー……おっおー、バカヒムラーバカヒムラー、失礼千万詐欺男ー……んーふふー、ふーんー」
繰り返しながら夕衣はボイスレコーダーを探した。旗から見ればかなり怪しい行動だ。樋村英介にはまったくもって失礼ではあるが、実際に聞いている訳ではないし、このくらいやり返しても罰は当たらないだろう。
いくつかの段ボール箱のガムテープを引き剥がしてはボイスレコーダーを探す。四つ目のダンボール箱でやっとお目当てのボイスレコーダーを見つけた。急いでスイッチを入れたが、何の反応もない。
(あ、あれ)
「おっおー、バカヒムラーバカヒムラー、失礼千万詐欺男ー……んーふふー、ふーんー……おっおー、バカヒムラーバカヒムラー、失礼千万詐欺男ー……んーふふー、ふーんー……」
電源のスイッチを入れても電源ランプが光らない。
(で、でででででんちーっ!)
電池切れだ。しばらくこういう閃きがなかったせいか、ボイスレコーダーを使っていなかったが災いした。作曲はしていたが、部屋でノートに書き止めながら作曲することが多かったせいで、その間にボイスレコーダーの電池が切れてしまったのだろう。何ともお粗末な結末だが、夕衣は慌てず慎重に急ぎ、下の階にある電話に向かう。ドタバタ。
「ゆ、夕衣?すっ裸で何やってるの……」
「!」
ジェスチャーのみ、手をば、と開き、それを母親の
(早く早く!)
ぴー、と電子音が鳴る。
「おっおー、バカヒムラーバカヒムラー、失礼千万詐欺男ー……んーふふー、ふーんー……おっおー、バカヒムラーバカヒムラー、失礼千万詐欺男ー……んーふふー、ふーんー……」
二回し唄って、一のボタンをプッシュする。
「……」
「な、何?」
母親と父親が揃って唖然としている。父親に至っては赤面までしている。
「あ、いや……。その、し、新曲を……」
はだけそうになった胸元のバスタオルをぐい、と引き上げる。
「い、いいから、早く服、着たらどうだ……」
視線のやり場に困ったのか、父親が咳払いをして視線を逸らした。
(ひー)
他人に、いや身内にすら見せられるほど立派な胸ではないがそれでも恥ずかしさが急激にこみ上げてきて、夕衣は脱衣場に向かった。
ドタバタ。
viii Bathroom END
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