vii Dear Friends

 ライブの説明は簡単に終わった。アコースティックライブというよりももっと間口の広い、歌いたい人が集まる、というだけの喉自慢にも近いような催し物だった。色々と聞くと、カラオケを流して歌うだけの者や、複数人で合唱をする者達など、多種多様の出演者がいるらしい。ギター一本で歌うのは夕衣ゆいの他にも三人ほどいるようだった。一人の持ち時間は転換、セッティング時間を含め二十五分とのことで、ギター一本で弾き語りをする夕衣は本番直前にギターのチューニングさえしっかり合わせておけば四曲は楽に歌える時間だ。

「あいつ何がアコースティックライブよ。こんなのただのカラオケ大会じゃないの!」

 莉徒りずはイベントの詳細を聞いて憤慨した様子だった。

「どんなレベルかは出てみるまで判んねぇだろ」

「そうね。中には巧い人もいると思うし」

 英介えいすけの言葉に夕衣は同意した。そもそもこういったイベントに参加するのは夕衣にとっては初めてのことではない。前の街にいた時も、純粋なアコースティックライブから、今回のような間口の広いイベントまで、様々なライブを経験してきた。それが予想の範疇だったので莉徒のように憤慨することもなかった。

「でぇもさぁ、まぁ英介達もそうだけど夕衣の唄はこんな敷居低いところで聞かせる唄じゃないよ」

「何かのついでみてぇに言うなよ」

「歌えればどこでも嬉しいよ、わたしは」

 プロになりたい訳ではないし、大きなところでライブをやりたいという目的もない。どんな小さなステージでも、野外のストリートでも、誰かが耳を傾けてくれればそれで嬉しい。前の街ではストリートでも弾いていた。幾人もの人が足を止めては立ち去って行く。ずっと聴いてくれる人もいれば数秒も経たないうちに立ち去る人もいる。見ず知らずの人が少しでも夕衣の曲に興味を持って、ほんの僅かでも聴いてくれたのなら、それだけで唄う価値はある。莉徒がたまたま河川敷を通りかかった時に夕衣の音楽を耳に留めて立ち寄ってくれたように。

(そつか……あの時わたし、嬉しかったんだ)

 だから何かと気にかかるようになったのかもしれない。それに莉徒と裕江ゆえが似ているというのも確かにあった。そう思えば思うほど、喪った時の恐怖は言い知れないものとなる。そんなことが起きることなど滅多にないだろうことも、判る。

(それは違うよ。あるかどうかも判らない先の可能性、それも随分と低い確立のものに怯えて生きるのは間違ってる)

 圭一けいいちもそう言っていた。けれど、それがないなどと誰が保障してくれるのだろう。そうして実際に夕衣は裕江を喪った。夢にも思わなかった。露ほども知らなかった。裕江が文字通り死ぬほどの悩みを抱えていたことなど。信じられそうもない現実を突きつけられた瞬間のあのぐらぐらとした嫌な感覚は今も時々襲ってくる。莉徒も、軽音楽部の部員達もその友人達も、気の良い仲間だ。出会って僅か一日二日でしかない間柄ではあるが、この先付き合いが長くなって好意を抱けば抱くほど、喪った時の喪失感は大きく激しい。だから馴れ合わない。

(そうだ……)

 親友も恋人も、大切な存在そのものが初めからなければ良いのだから。

 そうすれば誰も傷付かないですむのだから。

 あんな寂しい想いをしなくてもすむのだから。

「あ、こんな時間……」

 夕衣は腕時計を見て呟く。

「あれ、何よ暇なんじゃなかったの?」

「う、うん、打ち合わせくらいなら、と思ってそう言ったんだけど」

 少し考えれば明らかにばれる嘘を、夕衣はついてしまった。罪悪感が心の片隅に生まれる。それでも距離を置かなくては、という思いが、それが例え無駄な行為だとしても、夕衣をどうしようもなく急き立てる。

「まぁ引っ越してきたばっかでばたばたしてるみたいだしねぇ」

「う、うん、ごめん、今日は帰るね」

 莉徒の、きっと判っているだろうフォロー。このまま夕衣と仲良くなっても、そうではなくても、どちらでも構わないと感じ取れるその佇まいが、夕衣にとっては寂しく感じた。酷く我侭な話だ。

「おー、またな、カミナユイ」

「う、うん」

 英介がしつこくも夕衣をフルネームで呼ぶが、返す言葉も見つからなかった。

(……最低だ)


 本番まではまだ一ヶ月あまりの時間がある。全四曲で時間は少し余るが、五曲無理やり詰め込んで時間が押してしまうのは良くない。簡単な自己紹介を交えて少し早めに切り上げるくらいの方が良いだろう。MCは得意ではないけれど、唄だけで終えてしまうと、自分の名前すらも紹介できない。

(とりあえず……)

 作曲用ノートを広げて、レパートリーの中から四曲を抜粋する。その中には夕衣の処女作も入れた。

(何が変わる訳じゃないけど……)

 夕衣が初めて創ったこの曲は、一番最初に裕江だけに聞かせた、裕江しか知らない曲だ。当時まだ高価だったマルチトラックレコーダーを購入して、録音までした。その時の音源は今も大切に取ってある。ストリートでもライブでもまだ唄ったことはない。ギターは勿論アコースティックギターを使うのだが、その中でも何を使うかをまず考える。一口にアコースティックギターと言っても、エレアコと略される、エレキアコースティックギターと呼ばれるアンプを使用するものもある。そのエレキアコースティックギターの中でも、フルアコースティックタイプとセミアコースティックタイプが存在する。勿論音色も音の鳴りも違う。エレキであればギターの音色を加工できるエフェクターも使用できる。夕衣の曲は全てがアコースティックギターでできる曲だ。中にはバンドアレンジをした曲もあるが、基本的には夕衣自身が弾き語るために創るので全ての曲の一番最初にできあがる仕様がアコースティック仕様だ。

(ここじゃ初めてのライブだし、セミアコにしよう)

 そう決めると、夕衣はセミアコースティックギター、Epiphone CASINOエピフォン カジノのケースを手にとって上着を羽織った。


(あ、今日は誰もいない、か)

 初めて莉徒と出会った場所には今日は誰もいなかった。今日は暖かい。夜空にぽっかりと浮いている月は川の水面に映り、キラキラと小さな光を瞬かせている。夕衣は先日とは逆に河川側に向かってベンチに座るとギターケースをすぐ脇に置いた。バックルをはずし、ケースを開くと上着をフタの部分に入れてギターを取り出した。ピッチパイプでAの音だけを調整して、他の弦もそれに揃える。

(よし)

 ノーマルチューニングもオクターブチューニングも狂いは殆どない。

「らー、らー」

 Aのコードと自分の声を合わせる。ゆっくりとアルペジオに切り替えて、夕衣は歌い出した。


 ――


 今に光が見えない 過去の影に惹かれて

 成すべきことも 歩く先も 見えないまま


 知らない街の風景 誰も知らない現実

 逃げ出すことも 留まることも できないまま

 前だけを見つめていたいと そう思っているから

 何も見えない暗闇でも 歩き出さなくちゃ


 誰のために歌っているの?

 判らないまま それでも声を震わせて

 あの日の自分に向けて あなたに向けて そうこの歌を唄わせて

 信じるため 笑顔でいるため 生きて行くために

 判らない自分の気持ち 窓の向こうに憧れ続け


 立ち向かう何かが 見えないまま どこへ向かうの?

 無責任な言葉の只中 誰もが知っている現実

 前に進むことも 立ち上がることも できないまま

 光だけ追いかけていこうと そう判っているから

 どんなに高い壁でも 超えて行かなくちゃ


 何のために唄っているの? 判らないまま それでも心震わせて

 今の自分自身のために あなたのために そうこの歌を唄わせて

 立ち向かうため 戦えるように 強い心を持つために


 ――


 最後のコードをゆっくりとアルペジオする。すると、パチパチパチ、と手を叩く音が背後から聞こえた。

「!」

 唄に集中していたせいか、河川側に向かって唄っていたせいか、またしても人が近付いていることに気付かなかった。

「すっごい上手だねぇー」

 女性の声がかかると同時に夕衣は振り返った。正面には夕衣よりも幾分か年上の綺麗な女性。そして視界の下方に落ちて行く何かと、コトン、という音。

「ちょっとセコいけど」

 そう言って女性は照れ笑いを浮かべ、肩にかかる黒髪をかき上げた。

「あ、ありがとうございま、す……」

 面食らいながらも、夕衣はギターケースに落ちた何かに視線を巡らせた。

「え、あの……」

 ギターケースに落ちたのは五〇〇円硬貨だった。夕衣はその五〇〇円硬貨を手に取ると、どうするべきか、と一瞬だけ思い悩み、女性を見上げた。

「素敵な唄、聞かせてもらったお礼。もっともあたしが勝手に聞いたんだけどね。コーヒーでも飲んで」

 そう言って女性は左手で頭を掻く。右肩にはエレキギターのソフトケースがかかっていた。莉徒と初めて出会ったのと同じようなシチュエーションだ。

「一昨日もここで弾いてた?あ、あたし水橋公子みずはしこうこ

 女性はそう言って名乗った。一昨日は莉徒と初めて出会った日だ。夕衣は公子の問いに頷いた。

「そっか、一昨日は二人でいたみたいだからちょっと近寄り辛かったのよね」

 苦笑して公子は言う。

「よ、良くここに来るんですか?」

「うん、あたしよくここで練習してるから」

 肩からギターケースを下ろして公子は言った。

「あ、じゃ、じゃあ昨日もしかして……」

「昨日?うん、いたよ」

 公子は屈託なく笑顔になる。となると、一昨日の夕衣は公子の練習場所とは知らずに居座っていた、ということだ。

「あ、ああぁ、す、すみません、わ、わたし引っ越してきたばかりでその……」

 慌てふためいて夕衣は頭を下げる。最初に来た時にも思ったことだが、ここは民家からも離れているし、楽器や歌の練習にはもってこいの場所だ。他の誰かがここを使っている可能性は、あって当たり前だった。

「ここは別に誰の場所って訳じゃないでしょ?あたしだって勝手にやってただけなんだから」

「で、でも」

 実にあっけらかんと公子は答えた。言われてみれば確かにそうかもしれないが、普段自分が使っている場所を、例えそれが公共の場所だったとしても、他の者に占領されれば面白くはないだろう。

「ホントはね、あたしがここで弾いてたら話しかけてくれるかなーとか思ってたんだけど」

「あ、昨日は、先客がいると思って……」

 莉徒だと思っていたのだ。だから近付けなかった。莉徒ではなかったと初めから判っていても、やはり近付きはしなかっただろうけれど。

「なるほどね」

「あ、あぁ、す、すみません」

 夕衣が座っているベンチにケースを置いていたことに気付き、夕衣はケースを自分の足元に移した。さっさ、とベンチを手で払うと、公子はそこに腰掛けて笑顔を向けた。

「ありがと。そうだ、名前、訊いてもいい?」

「あぁ、夕衣です、えぇと髪奈かみな夕衣です」

 つくづく失礼で気が利かない自分に嫌気が差す。先に名乗ってもらっていて自分から名乗れないし、立たせっぱなしにしてしまっていたし、これでは樋村英介ひむらえいすけのことを非難などできない。

「夕衣ちゃん、か。あたしのギターは夕衣ちゃんほど上手くないからねー。まだまだ人を惹き付けるには練習が足りないわ」

 幾分か年上だというイメージからなのか、公子の気さくな雰囲気に少し安心した夕衣は、つい公子に話しかけていた。

「……どんな音楽やるんですか?」

「最近はコピーはあんまりやらないかなぁ。高校生の頃は早宮響はやみやひびきとか岬野美樹さきのみきとかやったけど。まぁ今も好きでずっと聞いてるけどね」

 趣味は夕衣と似ている。岬野美樹は夕衣が小学生の頃に絶大な人気を誇ったアイドルだったが、その後シンガーソングライターに転向し、歌手の仕事一本に絞ってからは音楽シーンでも認められるようになった、今では大物とも呼ばれるほどの歌手だ。更に数年前からは女優としても認められ、ゆっくりとしたペースではあるが、音楽活動も続けている。

「最近はオリジナルなんですか?」

「まだまだそこまではねー。前にやってたバンドではバンドのオリジナルはやってたけど、自分で曲書ける訳でもないし、今は特に誰かと組んでるって訳でもないし。……夕衣ちゃんは?」

「わたしも組んではないですけどオリジナルです」

「へぇーすごいね!さっきの曲なんて凄く素敵な曲じゃない」

 見ず知らずの人間にこうも褒められると返す言葉に困ってしまう。莉徒も褒めてくれたので、聴いてくれる人には良い歌として認識されているのだろう。もちろん自分でも良い歌を創ろうと思って創っているのだからそういう評価は本当に嬉しかった。

「あ、ありがとうございます」

 小さく頭を下げると、公子が土手側に視線を向けた。小さな人影が一つ、こちらに向かって歩いてきていた。

「ん?」

「あれ?」

 夕衣と公子がほぼ同時に声を上げると、その人物が口を開いた。

「お?珍しい組み合わせですねー」

「莉徒?」

 その名は公子の口から発せられた。


 vii Dear Friends END

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