vi Days
(ひぃー)
さすがはくたびれたギターだ。弦は、恐らく軽音楽部の人間が頻繁に弾いていたのだろうから摩耗も激しかったのだろうし、ペグ周りはぼろぼろになっていた。
「やったな。ったぁく安眠妨害しやがって」
三度、むくり、と
「ど、どうしよう……」
腹が立っていたはずの樋村につい視線を泳がせてしまう。
「はぁー、弦はー、持ってる訳ねぇな。ま、その内誰かがやると思ったけどよ。教師に言って準備室の鍵借りてこいよ」
「う、うん」
そのままにしておいては、学校の備品を使うのは良いけれど、きちんと管理できないようなら使用を中止します、というお決まりの事態になりかねない。
「あ、あの……先生って名前は?」
「
「あ、ありがと」
胃液が暴れだすのではないかと思うほど腹が立ったが、助けられているのは事実だ。それにしてももう少し言い方というものがあるのではないだろうか。戸を閉めて、だん、と一度だけ地団駄を踏んでから、夕衣は職員室へと向かった。
あれやこれやと説明して第二音楽室の準備室の鍵を借り、教室に戻ると、樋村が起きだしてギターを弾いていた。
(あ、あれ?)
切れたはずの四弦は綺麗な弦に張り替えられていた。
「おー、準備室開いてたぜ。まったく間抜けな話だな。ウケケケ」
いや、実際にウケケケとは言っていない。ただ夕衣の耳にはその悪意ある笑い声がはっきりと届いていた。
――ような気がした。
ぶつん。
今度は四弦ではなく、夕衣のどこかが切れた。
「……し」
怒りのあまり二の句が告げられない。一度深呼吸をして、大きく息を吸い込んだ。
「し?」
実際にどうかは判らないが、夕衣の目からは明らかに夕衣をばかにした笑顔で樋村は夕衣を見ている。
「知ってて騙したんでしょ!」
「あ……?は?て、てめ、態々張り替えてやったのになんだよそれ!」
樋村は目を丸くしてムキになった。が、先ほどまでずっと我慢していたものが爆発した夕衣にはもう関係のないことだった。
「別に頼んでないです!」
「けーっ!カッワイクねぇな!人様の安眠妨害した上に言いがかりかよ!」
「音楽室は昼寝するとこじゃないでしょ!音を出すとこですー!」
むかむかむか。折角良いメロディーが思い浮かんだと思ったのに台無しだ。
「むっかつく!なんだてめー!」
「初対面の人間にてめえなんて礼儀知らずの人間に言われたくないわ!詐欺男!」
無礼千万という言葉はこの男のためにある言葉だ、と夕衣は今日、初めて学んだ。
「んなっ……ざっけんな!だから騙してねぇってんだよ!」
「もっかい小学生から国語やりなおしたらいいわ!」
からからから、という音が夕衣と樋村の耳には届かなかった。屋上から軽音楽部の部員が戻ってきたようだったが、二人とも頭に血が上がっているせいで誰が入ってこようがお構いなしになってしまっていた。
「な、なんだ?」
「樋村と、誰?」
「
「あ、転入生!」
部員達は口々にそう言っていたが、その中にいたすみれが夕衣と樋村の間に割って入った。
「ちょぉーっと!二人とも落ち着いてよ」
「み、
「止めんな、すー!」
「ともかく、原因話しなさいよ」
すみれの隣に背の高い眼鏡美人が並ぶ。夕衣は次々と知らない顔が入ってきたことに今更ながらに気付き、萎縮した。
「俺が寝てるとこ入って来て、ギター弾き出したと思ったら弦切ったから、準備室の鍵借りてくるようにそいつに言ったんだよ。で、そいつが鍵取りに行ってる間に準備室開いてねーかと思って開けてみたら鍵開いてたから、弦替えといてやったら戻ってくるなりいきなりぶち切れだしたんだっつの」
樋村が憮然とした態度でそう言う。確かに樋村の言った通りの状況だが、夕衣に対しての失礼極まりない態度の説明が見事なまでに欠落している。自己正当も甚だしい。それがなければ夕衣もこれほど腹を立ててはいなかった。
「んじゃお互い様だな」
背の低い男がそう言って笑った。
「な、どこがだよ!」
当然樋村はそう言うだろうが、軽音楽部の部員達の方が一枚上手だった。
「
今度は背の低い男の隣にいた長身の男が笑いながら言った。
「てめえに言われたかねぇよ、
「まぁそうじゃなきゃ髪奈さんがこんな大きな声出して怒る訳ないもんね」
樋村の名前はどうやら英介というらしい。その英介は背の高い男、亨やすみれにそう言い返すと再び憮然とした。
「まぁ英介も他意があってじゃないんだよ、髪奈さん」
苦笑してすみれがフォローを入れる。軽音楽部の部員達とのやり取りを見ても、英介の態度は万事こうなのだろう。それは納得できたが、それでも普段の英介を知らない人間にとっては誤解の元だ。事実それを知らなかった夕衣は転校二日目にして男子生徒とド派手な口喧嘩をやらかしてしまったのだから。
「そ、英介の口の悪さは折り紙付きだから」
すみれが言いつつも苦笑する。確かに口の悪さは天下一品だ。それさえなければこんなことにはならなかったし、夕衣も素直に礼を言えたはずだ。
「……わぁるかったよ。ソダチが悪ぃもんでね」
口が減らないことこの上ないが、それでも英介は謝罪の言葉を口にした。
「あ、わ、わたしも……ごめんなさい」
そうなれば、英介の親切に言いがかりをつけたのは夕衣だ。夕衣も慌てて謝った。
「よっし、んじゃこれで落着だな」
背の低い男が笑顔で言った。よくよく見てみると屋上でギターを弾いていた男だ。肩にギターのケースをかけていた。
「えーっとね、髪奈さんは莉徒と同じクラス。私も昨日初めて会ったんだけど、ギターも唄も上手なのよ」
ぽん、と夕衣の肩を叩いてすみれは言った。
「ほー、おれ亨。こっちの
亨が言って、屋上でギターを弾いていた背の低い男、晃一郎と、長身の眼鏡美人、二十谺を指差した。
「俺は
「
「あ、髪奈夕衣、です」
名前を既に知っている人間に名乗るのも妙な気分ではあったが、夕衣はとりあえず名乗ってぺこり、と頭を下げた。
「んで、カオはいいけど性格とクチの悪いのが樋村英介」
「おー、よろしくな」
その声には既に怒気など微塵も含まれていなかった。樋村英介ももしかしたら莉徒と同じような性格なのかもしれない。知らなければただ単に性質が悪い、という性格だ。莉徒の性格ことも、
「う、うん、よろしく」
夕衣が言った途端に予鈴が鳴った。
「さって戻るとするか。昼寝の時間だー」
「いいけど、赤点取ったらリハやんないからね」
「じょ、冗談に決まってんだろ!なぁ晃!」
「ガクセーのホンブンはベンキョーだからな!」
バンドを組んでいる三人が口々に言い合いながら、第二音楽室から出て行く。英介とすみれがそれに続いたので夕衣もその後に続いた。
(何気にギター巧かったな、あいつ……)
放課後になり、夕衣は昨日喫茶店に行ったために断念した、楽器屋兼リハーサルスタジオへと向かった。
莉徒との待ち合わせだが、時間通りに莉徒が来ている保障はどこにもない。聊か不安な気持ちで夕衣は楽器屋兼リハーサルスタジオ
ざっと見回す限りでは莉徒の姿はやはり見えなかった。仕方なく夕衣はバンドスコアが置いてある本棚の前にくると、
「あ?カミナユイじゃねぇか」
すぐ隣にいたのは樋村英介だった。
「樋村君……」
「君付けなんて気色悪ぃだろ。苗字でも名前でもどっちでもいいから呼び捨てろ」
会うなり悪態だ。しかも命令だ。昼休みのことがあったおかげでそれほど腹は立たなかったが、それでも少しむかっときた。
「そういう自分こそフルネームで呼ばないでよ」
「何だよいちいちつっかかってきやがって」
「別につっかかってないもん」
そう言いながら夕衣は早宮響のバンドスコアに視線を落とす。元々買おうかどうしようかと迷っていたスコアだ。
「へぇ、早宮響か」
少し覗き込むようにして英介は言った。そういう英介の手には
「俺それ持ってっから売ってやろうか?」
「え?」
「意外かよ」
「そういう訳じゃ……」
本当はそういう訳であったが、英介の持つGUNS N' ROSESのスコアを見てしまえばそれも無理はないだろう、と自分を納得させた。
「さっきすーに聞いたんだけど、弾語りでやってんだってな」
「うん」
「樋村く……樋村も何かやってるの?」
君、と付けそうになって慌てて止める。また何か言われてはたまらない。
「あぁ、俺はバンドだけどな」
「ガンズのコピー?」
「いや、ガンズは個人的に好きなだけだ。お前のクラスに
隣の席になった秋山
「あぁー、そうなんだ」
「転入生が可愛い可愛いって騒いでたぜ。まさか実はその転入生がこんなハネッ返りだなんて知ってんのか?あいつ」
「悪かったわね。ハネッ返りで!」
じと、と英介をにらみつける。これもいつもの他意なき暴言というやつなのだろう。
「あぁー、悪ぃ。悪意はねぇんだがな」
「敵多そうね……」
それでも頭をかいてばつの悪そうな顔をしているだけまだ可愛げはあるのだろう思うことにした。昼休みのことがなければまたここで口喧嘩をしていたかもしれない。それに、理解者が少なければ敵も多いのだろう。性格が悪ければ人は集まらないだろうけれど、軽音楽部の部員達は英介をきちんと理解していた。性格が悪い、という訳ではないのは夕衣にも判ったが、それでも目立つ存在であることには変わらない。
「味方も結構いるぜ」
「まだわたしだって慣れてないんだから敵になるかもよ」
そう言いつつ、随分と英介に対する順応力があるな、と自分で感心してしまう。
「気をつけてるつもりなんだよ、これだって」
「わたしが慣れる方が早そうね」
「そうしてくれ。ま、敵でもいいけどな」
「樋村も充分カワイクないよ」
苦笑して夕衣は言った。
「可愛かったら気色悪ぃだろ」
「それもそうね」
ぱたん、とスコアを閉じて棚に戻す。時計に目をやろうとした途端、背後から声がかかった。
「お取り込み中のとこ悪いけど何?付き合ってんの?」
「おー莉徒。ナンパされたんだよ」
「ナンパしてないし、付き合ってる訳もないし」
声の主は
「ま、英介のいいとこなんて顔だけだもんね」
「ふん、悪かったな!」
(ん?)
英介が何か言い返すかと思ったのだが、英介はそのまま莉徒の言葉を受け入れた。夕衣に対する反応とは違う。
「ともかく、今連絡取ったらライブ間に合ったから、これからそのハコまで詳細聞きに行くわ」
やっと話の本題に入り、莉徒は携帯電話を取り出した。
「近いの?」
「うん」
「じゃあ場所さえ教えてくれればわたし一人で行くよ」
参加することが決まれば、後は詳細を聞くだけだ、これ以上莉徒の手を煩わせることもない。
「あ?カミナユイも出んのかよ」
「え?」
そう言われてみればそうだ。この話を何故英介が一緒に聞いているのか、少し考えれば判りそうなものだったが、つい先ほどバンドを組んでいると聞いたせいもあり、そこまで頭が回らなかった。
「あれなに、知ってて二人でいたんじゃないの」
「ちげーよ」
(わたしなら、ちげーよどんくせぇやろうだな、とか言われるんだ)
妙に英介の態度が素直なのが気にかかる。
「まぁでもそういうことだから、ともかく行こ」
「
「うん」
この界隈では有名なライブハウスなのだろうか。
バンドや音楽をやっている者、特にライブハウスを利用している者はライブハウスのことを総じてハコ、と呼ぶ。
「じゃあ別にいいぜ。俺がカミナユイ連れてってやっから」
「どんなイベントか私も興味あんの。それとも何?二人っきりになりたい訳?」
「だぁれがこんな女と!」
また他意のない暴言だ。もう慣れてしまったようで夕衣は自分の順応力の高さに聊か驚いた。自分のことに対して驚いた、というのもおかしな話だが。
「エースケェ……」
「あ、わ、悪ぃ!」
(やっぱり)
「樋村って莉徒に言われると素直なんだね」
何だか少し気の毒になり、夕衣は苦笑した。
「だってこいつ私には頭上がんないし」
「え、何それ」
「……」
英介がばつの悪そうな顔をする。
想像するに、莉徒の方は何とも思っていないのだろうが、英介の方には何か莉徒に対して燻っている物があるのだろうか。
「元カレ。今じゃお互いなんでもないけどね」
「そ、そうなんだ……」
「そ。大体付き合ってたのなんて一年の時だしな」
淡々と莉徒と英介は告げる。ふ、と短く英介が嘆息したのを視界の片隅で捕らえたが、何だか英介の方では色々と片付いていないことなのだろうかと深刻な雰囲気を感じてしまった。
「まぁ、そんなことより、ハコ行こ」
「んだな」
中々英介も打たれ強いのか、切り替えが早いのか、そう言って店を出た。
(不器用……)
vi Days END
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