v Look Back Again

 当たり前だけれど新しい制服は身体に馴染んでいなかった。そして高校三年にもなって気分は新入生のそれだ。新しい制服に腕を通し、まだ慣れない通学路を歩くというのは二年以上前にも一度経験しているが、そんなに悪い気分ではなかった。昨日のように一人だけ違う制服で、他の生徒にじろじろと見られることもない。昨日よりも随分と気持ちは落ち着いていた。莉徒りずの存在や昨日圭一けいいちと話せたことも良い方に影響しているのだろう。


 教室に入り、まずは莉徒の姿を探したが、莉徒はまだ学校には来ていないようだった。

「あ、髪奈かみなさんおはよう」

「おはよう」

 夕衣ゆいの後ろの席の由比美朝ゆいみあさが声をかけてきた。数少ない莉徒の理解者だと莉徒が言っていたせいか、夕衣も他のクラスメートとは違う感覚を美朝には感じていた。

「昨日、ごめんね。転入生ってやっぱり珍しいからみんなで寄って集って……」

「ううん、いいの。わたしもある程度は覚悟してたし」

 転入生を珍しがって寄ってくるクラスメートよりも、屈託なく対応できなかった夕衣の方こそ問題がある、と夕衣自身は思っているし、昼休みに莉徒に連れ出されてほっとしてしまったことは事実だった。

「さっき莉徒からメール入ってきて髪奈さんに伝言だって」

「伝言?」

 直接言えば良いだけのことではないのだろうか。夕衣は訝しみつつ、美朝の言葉を待った。

「今日休むって。それでね、えーと……」

 莉徒に昨日の誘いの返答をしなければいけないことを判っているのに休むとは奔放にもほどがある。それとも具合でも悪いのだろうか。

「決めたら連絡頂戴、だって。番号とメアドは教えていいって書いてある」

 言いながら美朝は携帯電話のディスプレイを夕衣に見せた。

「具合でも悪いのかな……」

「何か莉徒ってあれこれ忙しいみたい」

「え、結構休み多いの?」

 夕衣はそうは思わない。恐らく気分一つで休んだりするのだろう。あの性格なら充分に有り得る。

「そんなには多くないけど、時々あるね」

 美朝は言いながら、ペンケースに入っていた付箋紙に莉徒の携帯電話の番号とメールアドレスを書いて夕衣に手渡した。

「そっか。ありがと」

「昨日の制服、可愛かったけど、ウチの制服も似合うね」

 屈託のない笑顔になり、美朝はそう言った。


 結果的に外れた勘のせいで、今日は弁当を持ってこなかった。クラスメートの何人かが懲りずに夕衣を昼食に誘ってくれたが、軽音楽部の人に誘われていると嘘を言って断ってしまった。購買部でサンドウィッチと紙パックのコーヒーを買い、屋上に上がる。食べる前に携帯電話を取り出し、今朝美朝に教えてもらった莉徒の番号に電話をかけた。

『もしもし?』

「あ、髪奈だけど」

『かみ、な?……おぉー夕衣か。何?』

 何ごともないかのように至極当たり前に、あっけらかんと莉徒は言う。夕衣は欄干に背を預け、良く晴れた空を見渡す。

「何って、ライブの返事」

『おーおーおー、で、どうすんの?』

 別にどちらでも構わない、という口調。あくまでも軽い。

「出ることにした」

『よーっしゃ、んじゃ今日暇?』

「学校終わってからならね」

 言ってしまってから少し、しまった、と思う。

『おー、私今日フケたからなぁ。今からでも行こうかな』

 ほらみろ、と思う。忙しいだの何だのは言い訳だ。ただ単純にサボタージュ。

「別に無理しなくていいんじゃない?由比さんに聞いたけどなんか色々忙しいみたいだし」

 少し皮肉ってやる。

『お?も、勿論ちょーたぼーよ!っつーかじゃあどうしよっかな。南商店街にちょっと大きい楽器屋あるのって判る?』

 あからさまに話題を変えて莉徒は言う。元々その変わった話題の方こそが実は本題だ。夕衣としては話が早く済んで良いので、何も突っ込まずに莉徒の話を促すように口を開いた。

「スタジオと一緒の?」

『そうそこ。そこに四時半くらいで』

「りょおかい。それじゃあとで」

 携帯電話機を耳から放そうとした時に、すこしトーンの高い莉徒の声がした。

『待った!』

「え?」

『夕衣の番号登録していい?』

 奇妙なところで莉徒の律儀な一面を知ったが、莉徒は似ているところは多くあれど、裕江とは違う。そんなことは判っている。それになんだか良く知らない人間のはずなのに莉徒のこうした一面も、莉徒らしい、と思ってしまう。

「だめなら非通知か公衆電話からかけてるよ」

 少し笑顔になって夕衣は返す。

『なるほど、じゃあ後でメールも教えといて』

「うん、じゃ何か送っとく」

『おっけー、そんじゃね』

(煙草吸ってたな……)

 息遣いでなんとなく判る。喋っている時の莉徒の声は歌声とは相反するほど低いトーンだ。莉徒が好きだという元ROGER AND ALEXロジャーアンドアレックス冴波さなみみずかにも似ているハスキーな歌い方。喉を酷使する歌い方では煙草は絶対に良くない。せっかく良い声だというのに、このまま喫煙を吸い続ければすぐに高音域が出なくなってしまう。それ以前に女子高生が煙草を吸うのは法律が許さないのではあるが。夕衣は一度閉じた携帯電話を再び開き、すぐにメールを打ち始めた。

(吸うな、とは言わないけど控えなさい。その声失くしたらもったいないよ)

 心の中で読み上げながら文字を打つと送信ボタンを押して、ビニール袋からサンドウィッチを取り出した。少しすると、アンプラグドのエレキギターの音が聞こえてきた。夕衣から一番離れた屋上の隅にたむろしている連中が鳴らしている。昨日莉徒やすみれが言っていた軽音楽部の人間だろうか。あまりじろじろ見ていても曲が聞こえてくる訳ではない。夕衣は振り返り、眼下に広がる街並みを眺めながら、紙パックのコーヒーを一口飲む。

 ひゅう、と耳元で風が鳴る。目を閉じてその風の音に集中する。

(……ん)

 心の中でメロディーが生まれる。一フレーズだけ、短い、ほんの二小節の短いメロディー。

(ギターかな、歌かな)

 どちらで表すのが良いだろうか。片方の耳の穴に人差し指を入れて、小さく口ずさんでみる。

(コードはGかな……Aでもいけるかな)

 夕衣はゆっくりとサンドウィッチを咀嚼しながら考える。ふとしたことでメロディーが思い浮かぶのは良くあることだ。たとえば教師が黒板に何かを書く時に鳴る、チョークと黒板がぶつかる音。電車がレールの継ぎ目を走るときのリズム。踏み切りの音、何でも音楽の材料になる。耳に飛び込んでくるのはおしなべて音として捉えられる。それを楽しむことがつまりは音楽だ。

 サンドウィッチの最後の一口を口に放り込んで、夕衣は屋上を後にした。


 第二音楽室の扉は閉まっていた。中に人がいるような感じはしない。莉徒が学校を休んでいるせいか、すみれも今日は来ていないのかもしれないし、先ほど屋上にいた(あくまで夕衣の一存だが)軽音楽部らしき人間達の中に混ざっていたのかもしれない。夕衣は恐る恐るドアを開けると、中を覗いてみた。

「誰もいませんねぇ……と」

 少し忍び足気味で室内に入ると、夕衣は昨日と同じ場所にあったガットギターを手に取った。

「んんっ」

 一つ咳払いをして、先ほど思いついたメロディーを弾いてみる。メロディーラインをギターで弾くよりも、コードを弾いてメロディーを歌った方が良さそうだった。両方試してみて、夕衣はギターを弾く手を止めた。

「それギターよか唄のが良くねぇ?」

「!」

 突然背後からかかった声に、夕衣はギターを取り落としそうになった。本当に驚くと声も出ない。変な汗が吹き出てきて、首の後ろがちくちくした。第二音楽室の後ろの席で椅子を並べて眠っていたらしいその人物は上体を起し、こちらを向いていた。

(すごい、イケメンだ!)

「え、あ、あの、軽音の人……」

 好みかどうかと問われれば首を傾げたくもなるが、整った顔立ちをしているのは間違いない。百人いればきっと百人が美男子だと言うに違いない。それほどにその男子生徒の顔立ちは整っていた。

「いぁ、違ぇけど。でもま、軽音の連中とは良く遊んでる。っつーか見ねぇ顔だな、誰だ?」

 夕衣には全く見覚えがないが、それは相手も同じことだろう。

「あ、わ、わたし昨日転入してきたばっかりだから……」

 まだ心臓がバクバクしている。夕衣はつっかえながらもそれだけを言って、ギターをスタンドに立てかけた。その整った顔立ちにドキドキしていると思われたらたまったものではないが、それを態々先んじて夕衣が口走るのもおかしな話だ。

「あぁ、莉徒が言ってた転入生ってあんたか。俺は樋村ひむらっつーんだ、よろしくな」

 男子生徒は樋村と名乗った。いかにも女子にモテそうな面構えだが、夕衣の心情はそれどころではなかった。ポケットからハンカチを取り出し、額に浮いた汗を拭うと、まずどうするかを考える。男の子と二人きりで話すのは、苦手だ。

「あんたいい声してんな。ギターも巧ぇし、相当慣らしてんだろ」

 樋村は再び横になり、夕衣の視界から完全に消えてそう言った。

「あ、髪奈、です」

「変わった名前ー」

 やたらと態度が大きい。苗字としても珍しいとは言われるが、いきなり自己紹介で名を名乗ると思ったのかと思わず突っ込みたくもなったが、莉徒と初めて会った時は夕衣としか名乗らなかったこともあり、釈然としない気持ちで夕衣は続けた。

「名前は夕衣、です」

 少しむっとした言い方になってしまった。あまり物事には動じない方だとは思っていたが、いや今でも思ってはいるが、これほど驚かされては気も動転するというものだ。

「カミナユイ?へぇー、キレイな名前だな。俺は……別にいっか。それよか敬語やめろよ、タメなんだし」

「あ、う、うん……」

 フルネームを言うと、これも時折言われることがある。夕衣は自分よりも裕江の方が髪奈という姓に似合っていると思っていた。それにしてもやはりこの男の態度はでかい、と思ってしまう。

「まぁ俺ぁ軽音の人間でもなんでもねぇから、気にしねーで続きやってくれ。あんたほどの唄ならいい子守歌になんだろうしな」

 樋村は手を上げ、それを軽く振りながら言った。ふてぶてしい言い方には変わりはなかったが、何だか少しだけ砕けた印象を受けた。

「あ、うん、でも、唄のがいいって判ったからもう大丈夫」

 それにやはり弾いてしまったとはいえ、軽音楽部の人間ではない自分が勝手にギターを弾くというのは良くない。元々それほど長居する気はなかったし、先客がいれば尚のことだ。

「そっか、閃いたからとりあえず弾いてみた、とかそんなところだな」

 ずばり言い当てて、樋村は寝返りを打ったようだった。

「うん、じゃ……」

「おーぅ」

 夕衣は適当に返し、部室を出ようと席を立った。軽音楽部の人間や莉徒とは友達らしいが、夕衣とは何の関係もない。何だか訳の判らない、態度がでかい、顔が良い男というだけだ。

(結構印象深いのか……)

 それでも何故だかあのふてぶてしい態度には腹が立ってしまう。驚かされた、という点もあるにはあるのだが。とん、と戸を閉めると、夕衣はどうするか迷った。まだ授業が始まるまで時間がある。やはり教室には戻る気にはなれなかったし、軽音楽部の人間に誘われていると嘘をついてしまった以上、あまり早い時間に教室に戻っては不自然だろう。それよりもふらふらと廊下を歩いているところを誰かに見られでもしたら大変だ。夕衣は慌ててもう一度第二音楽室に入ってしまった。

「んだぁ?騒がしいな……っつーかまたてめぇかよ」

 むくりと上体を起し、樋村は夕衣を確認すると、再び横になった。

(てめえって……)

 初対面の人間に対してかける言葉だろうか。何か言い返してやろうかと思ったが、売り言葉に買い言葉。夕衣が何か言えばまた何か乱暴な言葉で返ってくるに違いない。夕衣は気分を害しながらも無言を通した。

(!)

 良いことを思いついてしまった。腹いせに大きな音でギターでも弾いてやろうかと夕衣はガットギターを手に取った。

(音を鳴らすための音楽室で寝てる方が悪いんだぜーおっおー)

 荒唐無稽な詞を心の中で呟いて、夕衣はコードをかき鳴らした。その途端。

 ぶつん。

(お?)

 四弦が切れた。


 v Look Back Again END

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