一番、暗いアニソング

 〓〓〓 霊 〓〓〓


 こ、こ、これはありし日の光景?????

 今までの絶望カラーが一変。三階の床にはきれいなカーペット。天井も明るく、ほんのりと温かさも感じる。人々の行き交う声さえ聞こえてきた。だが、小泉はその床にほほが張りついたままで、どうにも動かせないでいる。


「や、矢島さん…?」

 声をかけるが、後ろから返事がない。いつの間にか一人なのか? いや、何だ?

 横顔で見る目線の先。廊下の奥からせまってくるものがある。それは白いスリッパだ。やせた足首。白い肌。ただ、その上がないけど! それもすごい速さだ!


 スパ……、スパ…、スパ、スパ、スパスパ、スパパパパン!!!

 

 まばたきの間に瞬間移動しているようで、加速度的にせまってくる!

 その一歩に、ホコリが舞う。強く床を跳ねる勢いだ。

 もちろん、人の動きではない。このままでは踏み潰される。小泉はあらん限りの力で跳ね起きた。おかげでほほの皮がはがれたが、今はいい。それどころではない! そして、目の前のトビラへ逃げ込むのであった。


 ハアハアハアハア、呼吸が収まらない。あれは何だったもか? 

 まだ、指先が震えてる。背中には嫌な汗がびっしりと。おまけにそう、ここはあの下から見た三角部屋じゃないか!

 窓側ではヒラヒラと、ゆれる白いカーテン。部屋の中央では白衣の数人が解剖台を囲んでいた。


 脳内に不協和音。肉を断つ音。金属がぶつかる音。どうやら彼らは絶賛、解剖中である。そして、すき間。小泉は見えてしまったのだ。

 ギヒ~ギヒ~と、泣きさけぶ声。

 解剖には顔面をけずられた赤ちゃんだと? 両手、両足を押さえつけられながら、糸ノコで解剖されていたのだ。


 うぇ…

 精神科にしても、産婦人科にしても、すでにそれは医療と呼べない。

 もう、現実味もない。吐き出した小泉の胃液にも、うじゃうじゃと小さなウジが混ざっていた。ただ、その嗚咽に白衣の集団が気づいてしまう。

 マスクに透明なメガネがじっと。その下ははっ水性のあるエプロンで、赤ちゃんの返り血だろう、もれなく朱色に染まっていた。

 小泉は思わず泣きわめく。つまり生きながら壊しているのか!

「な、何も見ていない‼ バチ、バチが当たったんだ! ごめんないさい‼」

 モドレモドレモドレモドレ!!!

 急いで部屋を飛び出す小泉。もつれる足。逃げ惑う手。飛び降りる階段。あふれる後悔。高給なんて、飛びつくんじゃなかった。

 ニゲロニゲロニゲロ!!!

 コマ送りのように、踊り場を過ぎる。そのときだった。


 絵が…、絵が…、変わってるぞ! 

 妊婦の割れた腹から奇形種。こいつもギヒ~ギヒ~と、鳴いていた。

 ただ、眺めるひまもない。髪を振り乱し、五秒で一階へ到達。後は待合室を抜けるだけだろ。いいかげんにしてくれ! もう、いい。元の世界、元の日常!


 しかし、小泉の体温が氷点下へ下がる。開いていたはずだろ? 

 入り口がコンクリートで固められていた。



 今まで、いろんな勝負に負けてきた。つらい仕打ちにも、たえてきた。土下座だってしたこともある。

 今、その何千倍もの失望感。あと、残されたものはスパスパと後ろからせまるおびただしい恐怖だけだった。

 床へ目を落とし、うなだれる。

 すると、どういうわけか頭のうなじと目が合った。これは一斗缶の奥底に、誰かの頭頂部がすっぽりとはまっていたからだ。なぜかパックリと割れ、中から無数のウジがい出してきた。


 病院? 解剖? 殺人現場?

 まるで一貫性がない。無限にわいてくるウジ。もう、それだけで腰が抜けてしまった。

 小泉は尻もちをつく。だが、その高さ。待合室の緑のイスのちょうどそれ。

 アレッ? 誰か座っているぞ? さっきまで影すらなかったのに…。どうやら複数の人形が座っていた。


 息を殺す。その姿勢は診察を待つ患者そのもの。

 ピノキオのように鼻が飛び出た人形。目がくり抜かれた人形。ほほが異常にふくれた人形。足も届かず、ゆっくりと待っている。

 小泉は正気につとめ、きつく黙った。ここは待合室だろ。ちょっとでも音を立てるな。

 もしもだ、もし。

 いったん入り口まで行けば、コンクリートは消えるかもしれない。幻かもしれない。今は気配を消して、人形たちを刺激せずに通り過ぎること。とにかく外へ逃げることだ。


 静かに、四つん這いで進む。

 いける。ちょうどイスを抜けたところ、ホコリがのどにからまってしまった。

(ゴホッ。)(いやいや、大丈夫。冷静にしていれば大丈夫。)

 冷や汗をかきながら、心でとなえる。

 後ろでは人形の笑い声が聞こえる。ギヒヒヒヒッ………

 別に今はかまわない。音をかき消してくれるなら、かまわない。

 ただ、そんなときに受付から自動音声が流れた。


「4510番。小泉アタルさん、どうぞ」

「えっ?」

 つい、口に出てしまった。

「呼ばれているよ、お兄ちゃん」

 まるで引き合うようだった。振り返ってしまった小泉の瞳。振り返った人形たちの瞳。

 駄犬のように走り出す小泉。だが、飛びつかれるくるぶし。ひざの裏。背中にものしかかる。彼らは笑った顔でしがみつく! 


 うわわわわあああああ-------!!!!!!


 たえられるかよ! 腰なんてどうでもいい。入り口へ体当たりだ。でも、跳ね返される。ふざけるな!

 一斗缶からは背骨が幹となり生首が花。再び呼んだ。

「小泉さん、診察ですか? 解剖ですか?」

 違う!違う!違う!!!

「小泉さん、順番よ」

 丁寧に呼ぶな! 気がふれる。かたくつぶった瞳は間違ってUターン。地下へ逃げ込む小泉であった。


 〓〓〓 B1 〓〓〓


 スウェットは伸び散らかし、上着はボロボロ。だが、人形は振りほどけたらしい。

 無我夢中で階段を降りたものの、鉄のトビラが一つだけ。幸い、カギはかかって折らず、バタンッと閉めきることができた。

 見渡すと、おそらくここは駐車場のように見える。ガランとした空間に、何本もむき出しの柱。足首まで泥水がたまっていた。


 来るときは地下へ続く駐車場の出入り口は一切、なかった。それでも閉鎖してから長い月日がたつ。単に、わかりづらくなっていたのかも知れない。

 あわい期待もふくらんだ。

 しかし当然ながら、車は一台もない。薄暗く、靴の底のような悪臭だ。おまけにトビラには再び妊婦の絵が書かれてあった。


 少しお腹が凹んでいる。また、手足がチョキンと切られていた。

 目をきる小泉。悪趣味もいいところ。そこへトントンと、トビラをたたく音が聞こえる。それは、女性の声だった。


「私のカワイイ、カワイイ、アタルちゃん。顔を見せてよ」


 さっきの人形たちや受付とも違う声色。もう、自分の耳ごともぎとってやりたいぐらいだ。それでも痛めた腰をおしつけ、ドアにカギをかける。

 トントン。

 どこかの赤ずきんであった。これは開けたら絶対、頭から食い殺されるぞ。


 重いドアの向こう。ギヒ~ギヒ~と、うめいている。しかし、なぜだか止まらない涙。それどころか、さっきまで震え上がっていた心が落ち着くって?

 トントン。また、優しいノックだよ。

「私のカワイイ、カワイイ、アタルちゃん。その顔を見せて」

 誰? もしかして、加奈…さん?

 答えはない。後ろを向けば、泥水からブクブクと泡が上がっていた。

 柱にかかる壊れたスピーカー。雑音と共に、アメイジンググレイスが流れ出す。


 

 小泉は深く、深く、重いふけった。

 この泥水のような人生。いったい、いつから、いつの時点でにごっていったのか?

 よどみだらけで底が見えない。未来もない。才能もない。将来もない。協調性がないというか、すぐに仕事をとっかえひっかえ。たまにギャンブルで熱くなるも、借りる友人も消えてった。

 たまに来るのはフィッシングやキャッシングくらいのメール。世間の目はたいがい、ウジ虫を見るような目線で不可触民扱いだ。

 それでも今、声をかけてくれる彼女こそが最後の望みだとしたら。きっとトビラを開ければ、ヒントのカケラがあるかもしれない。


 そうだ。もし、二十八年前。本当はここがなつかしいんじゃないのか?

 気が遠のき、後ろに倒れ込む小泉。ジャブンッと入水。心臓はもう、低いよ。悪寒も消え、腰の痛みもなくなった。なぜだか温かい、このぬくもりのような感覚。幸せすら感じる。

 どんどん、深い。深い、沈む。沈み込む。しかし、おぼれる心配はないようだ。だって、きっと、この先にはあの記憶さ。慣れ親しんだ羊水。

 小泉はどんどん若返っていく。身長も縮んだ。ぶくぶくと泡と共に、小泉は沈んでいった。


〓〓〓 B irthday 2 〓〓〓


 ギヒヒヒヒ~

 気づくと、うぶ声をあげる。一生懸命、泣いている。思えば、これが初めての仕事だったのだろう。

 冷たい解剖台。加奈はその赤ちゃんを抱きかかえることはない。むしろ、生まれてすぐに両手両足を糸ノコで切断する。おかげで血の池。

 ひざにのせられて、彼女の顔と正対。そして生まれたての小泉に一言、伝えた。

「絶対、矢島をゆるすなよ!」

 だった。


 うぇ…

 ヨダレが垂れる。小泉は三階の床をなめていた。

 もしかして、時が戻ったのか? 確か、温かいカーペットにスリッパだったはず。それが冷たい床。腰も痛くない。ただ、流した涙のあとだけがそのまま残っていた。


 小泉の後ろで撮影する矢島は無防備なその後頭部を踏んづける。

「いつまで寝てんだよ! それとも、イッちまったか? ド変態だな」

 足裏でぐりぐりと前後に力を加える。その痛みで、ようやく小泉の目にすべての恐怖を思い出す。

 ああ、馬フンのような靴の底の臭い。そして、また黒と灰のがれきの世界。鼻からは朱色の血が流れている。

 こめかみに残る憎悪。目の前には泥水の元凶だ。こみ上げる灼熱の怒りは脇腹を蹴られ、半ケツを出し、それを中継されている屈辱感。のどにからみつく理不尽さ。親が良ければ、何でも良いのか? 小泉の背中に果てしない狂気が乗り移る。


 小泉はふらっと立ち上がる。重力すら感じさせない。ブクブクと彼の影に闇が集まり出していた。

「誰が~~~~、変態だって~~~~?」

 優しい声色。これはとても小泉のものではない。ただ、矢島は演出に持ってこいとカメラを回す。

 うっすらと笑みを浮かべた姿。その手にはしっかりとハンマーがにぎられていた。

「小泉が変態以外、何がある? 生まれてきて、ゴメンなさいとでも言ってみろ!」


 ギ~~~~ヒヒヒヒッ!

 突然、肩を上下し、大笑いし出す小泉だ。

「どうした? ネジでも取れたのかよ?」

 異変に気づくのが遅すぎた矢島だ。小泉の目には深いクマ。顔のところどころで、けいれんしている。

 矢島は圧倒されて半歩、下がるのがやっとであった。

 その間にも、強烈なゴルフスイング。真下から小泉のハンマーがおそいかかる。

「そうさ。生まれてきて、ごうめうぇんね! そぉんな、親父にプレゼントだ!」

 

 親父? マジでトンでるぞ!と返す間もなく、みぞおちへ破壊的な衝撃が走る。 

 バギバギと骨が粉砕。胃が風船のように破裂した。矢島は片腕でガードしたものの、ラーメンと血ヘドをまき散らす。


 正真正銘、これが呪いか。

 本能が警鐘を鳴らす。今、目の前にいる小泉はまるで別人。殺意のある暴力に、手加減のカケラもない。言葉すら理解してるか怪しいぐらいに。

 

 すでに、2F/3Fの踊り場までずり落ちている矢島。その手からはカメラもずり落ちている。そこへさらなら打撃を与えようとゆっくりと階段を降りる小泉だ。


「ら~めん♪ ら~めん♪ また、おごってよ! この変態息子に」

 小泉は矢島の吐しゃ物をベロベロなめた。

 いかれている。明日、明後日を見ない行動。すべてが矢島にとって意味不明。ただ、小泉の血走った目はカメラへ向いたようだ。それに気づいた矢島は必死に足蹴にして、二階まで落とす。つられて小泉も追っていった。


 うぇ…

 今までこんな自分の血の量を見たことがなかった。血ヘドを吐きながら、出来るだけ遠くへ逃げようとする矢島。もう、下はダメだ。上しかない。カーテンのある窓から脱出できれば、助かる望みもあるかもしれない。

 痛めた腹を抱えながら、どうにか階段を上っていった。その間にも、下の階から響く歌声。

「ギヒヒヒヒッ! 親父~。まずは顔面を粉々にして、糸ノコでゆっくり手足を切ってやる~。

 すぐに死ぬんじゃねぇからな~。 待ってなよ~」


「誰が…、親父だ…」

 矢島がしぼり出す。どう見たって、顔も体も性格も似つかない。苗字も違う。アタルという名前にも覚えもない。

 近づいてくる小泉の足音。それは音調の伸びたアニソンほどに恐ろしい。

「スパスパスパ。ホラッ、お母さんの足音も聞こえるよ~。 さあ、もう一度呼んでごらん♪」

 アホか! 部屋の中央、解剖台の裏へ身を潜める。その近くへハンマーをたたきながら、小泉が近寄ってくる。

「そんな恥ずかしがらないで♪ みんなでカメラに写ろうよ~」

 ただ、遠くなっていく小泉の足音。矢島は口に手を当てて、呼吸するのも消し去っていく。

 

 気配が離れていくのを感じる。だが、どのみちまた探しにくるだろう。今度はこちらが覚悟を決める。殺られる前に、殺るしかない。

 そんなとてつもなく長い時間。不意に笑い声を聞いた。

 

 …ギヒヒヒヒッ!


 どこだ? どこから? おかしい…。おかしい…。

 体の中から響いてる! 矢島は見下ろすと自分の腹がめくり上がり、血だらけの加奈の頭部が噴き出してくる!

 ブクブク、ブクブク。

 矢島の髪は一気に逆立ち、この世のすべてがつまった激痛。その顔は無差別なけいれんを起こし、白目をむいては戻された。


 顔まで出した加奈がごあいさつ。

「簡単に、死なせないから♪ 朝が来るまで治していたぶって、治して切り裂いて、治して殺して」

 白衣の数人に囲まれている。

 もう、息子でいい。血しぶきと血だるまの最後、矢島は小泉に助けを求めようと空に手を伸ばしていた。

 

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