取り調べ(4)

「三番、調べだ」


 朝食の後、声と共にガチャガチャという金属音が聞こえてきた。昨日と同じパターンだ。明彦は、面倒くさそうに体を起こす。

 手錠を付けられ腰縄を巻かれ、警察署内をのろのろと歩いていく。これから、どんなやり取りをするのだろうか。正直、憂鬱ではある。

 それでも、取り調べには行かなくてはならない。今日は気分が悪い、などと言い訳して拒絶したらどうなるのか、それは不明だ。認められるのかも知れないが、今のところ拒絶する気にはなれなかった。

 取り調べの時だけは、他人と会話できるから──




「おいおい、どうしたんだ?」


 取り調べ室に入った明彦を見るなり、日村は眉をひそめて聞いてきた。


「はい? 僕はどうもしていませんよ」


「ちょっと顔色が悪いな。大丈夫かい?」


 真顔で、そんなことを聞いてくる。思わず笑ってしまった。こんな場所に監禁され、大丈夫なわけがない。


「大丈夫じゃないですよ。こんなところに閉じ込められていれば、体調だって確実に悪くなります。刑事さんも、一度入ってみてくださいよ」


 冗談めいた口調ではあるが、半分は本音だ。


「そうだねえ。俺も一度くらいは体験してみたいもんだ。しかし、あいにくと俺は罪を犯していない。したがって、そちら側に行くことは出来ない」


 笑いながら答える日村だったが、一瞬で表情が変わる。


「さて、本題に入るとしようか。君の住んでるメゾン一徳だけど……念のため、入口とその付近に設置されている防犯カメラをチェックしてみたんだよ。そしたらね、どうもおかしいんだよね。こんなことは、有り得ないはずなんだけどねえ」


 もったいぶった言い方で、チクチク攻めてくる。明彦は怒鳴り付けてやりたい気分を押さえ、冷静に聞き返す。


「何が変なんです?」


「とりあえず、この一ヶ月間の人の出入りをチェックしてみたんだ。そしたら、君の姿を確認できたのは四回だけだよ。つまり、君はこの一月の間、四回しか外出していないことになる。これは、どういうことだろうね」


 やはり、そこを突いてきたか。明彦は、すました顔で答える。


「それなら簡単ですよ。僕は、外出が好きではない。ただ、それだけのことです」


「なるほど。つまり、君は引きこもりだったんだね?」


「引きこもりという言い方は違うと思いますがね。ただ、家の中にいるのは好きですね」


 答えた時だった。突然、日村の表情が変わる。


「ごめん。俺は今、言い間違いをした。君は、四回しか外出していないのではない。四回しか家に帰っていないんだよ」


「はい?」


「君は六月二日の午後三時、メゾン一徳の中に帰って来た。これは確認が取れている。それから一時間後、またしても外出する。自宅に一時間ほどいただけで、すぐさま外出した」


 思わず舌打ちしそうになる。出入りした日にちや時間などいちいち覚えていないが、明彦があの家にほとんど滞在していないことは確かだ。

 そんな明彦に、日村はさらに畳みかける。


「その後、帰ってきたのはなんと二週間後だ。しかも、この時は三十分ほどで外出している。それから今まで、帰ってきた姿を確認できていない。家にいるのが好きな割には、随分と慌ただしい生活だね。どういうことだい?」


「僕、こう見えても意外とモテるんですよ」


「ん?」


 訝しげな表情の日村に、明彦はすました顔で答える。


「そう、僕はモテるんですよね。女の子の方が、ほっといてくれないんですよ。ちょくちょく呼びだしがかかりましてね。この時は、あちこちにいる女の子の部屋を泊まり歩いてました」


「ほう、女の子の部屋かい。それは凄いなあ。うらやましいよ。どうやったらモテるの?」


「それはね、教えられるものじゃないんですよ。たとえば、普通のサラリーマンがホストのモテるテクニックを真似したからって、使いこなせないでしょう。人それぞれ、自分に合ったやり方があります。結局のところ、自分で見つけていくしかないですね」


「なるほどね。たいしたもんだ。で、ひとつ聞かせてくれないかな。君はさっき、外出が嫌いだと言った。その割には、あちこちの女の子の部屋に行っているね。これは、おかしくないかな」


 そこを突いてきたか。この刑事、本当に細かい。


「おかしくはないでしょう。外に出るのが嫌だから、女の子の家に行き部屋にこもっている。何か、おかしな点がありますか?」


 逆に聞き返す。一度ついた嘘は、貫き通さねばならないのだ。嘘にさらなる嘘を塗り重ね、がっちり頑丈に固めていく。嘘を貫き通し、真実へと変える……それしかないのだ。

 日村はというと、不快そうに目を細めた。


「ああいえば、こういう……君は、本当に面倒な人だね。ところで、その女の子というのは、どこにいる何者なのかな? 差し支えなかったら、是非とも教えて欲しいんだよ」


「差し支えありますね。教えられません。教えたくもないです」


「そうかあ……ところでさ、もうひとつ不思議なことがあるんだよ。あの部屋と同じ階に住んでいる人全員に聞いてみたんだけどさ、君のことを誰も知らなかったんだ。おかしな話だよね」


 この質問は予測していた。問題なく答えられる。


「何がおかしいんです? 僕は普段、家にこもっています。あるいは、あちこちにいる女の子の家に泊まり歩いています。結果、隣近所の人と顔を合わせることがない。これは、当然の話です。なんらおかしな点はないですよね」


「なるほど、そうかそうか。で、話は変わるが……君は女の子の家に行く時も、スタンガンを持ち歩いていたのかい?」


「はい?」

 

 思わず聞き返す。


「はいじゃないよ。質問してるのは、こっちだ。女の子の家に行く時もスタンガンを持っていたのか、と聞いているんだ。とぼける気かい?」


 どうやら、この男は話題があちこちに飛ぶ傾向があるらしい。明彦は、面倒くさそうにかぶりを振った。


「覚えてないですね。持っていたかどうかはわかりません」


「そう。だったら、女の子に聞いてみないといけないな。女の子の名前と連絡先を教えて」


「嫌だと言ったでしょう。女の子は関係ありませんし、こんな件にかかわらせたくありません」


「いいや、関係あるんだよ。君は、スタンガンという凶器になりうる物を所持して逮捕された。日常的にスタンガンを持ち歩いていたのか、たまたまスタンガンを持っていただけなのかで、印象はずいぶん違ってくる。だからこそ、その点ははっきりさせないといけないんだよ。ねえ、ひとりでいいんだ。付き合っていた女の子を教えてよ」


 言いながら、日村は立ち上がり顔を近づけてきた。しかし、明彦は目を逸らす。


「黙秘させていただきます。相手に迷惑をかけることになりますからね。絶対に教えられません」


「そうなると、非常にまずいことになるよ。いいのかなあ」


「どんなまずいことになるんです?」


「今にわかるよ。さて、話は変わるが……君はスタンガンだけじゃなく、手錠も所持していたね。この手錠の目的は何なの?」


 忘れていた。確かに、逮捕された時に手錠も持っていたのだ。しかし、手錠は凶器とは見なされない。持ち歩いていても問題はないはずだ。


「それは、プライベートな用事のためです。言う必要がありますか?」


「あるんだよ。君は、スタンガンという凶器を持って女性の跡をつけていた。この状況を客観的に見れば、女性にけしからぬことをしようとしていた、と判断するよね」


 そこで言葉を切り、明彦をじっと睨む。だが、明彦は無言で目を逸らした。今は、相手の出方を窺う時だ。余計なことは口にしない。

 ややあって、日村は再び喋り出した。


「だが君は、それを否定し偶然だと言った。スタンガンは護身用であり、たまたま女性と同じ方向を歩いていたと。まあ、それはいい。だが、手錠まで持っていたとなると話は別だ。スタンガンと手錠、この組み合わせはマズいよね」


 そう来たか。明彦は相手の言葉を聞きながら、どう返すか頭の中で考える。


「聞かせて欲しいんだよ。君がなぜ、手錠を持ち歩いていたのか。スタンガンだけなら、まだ護身用という言い訳も出来る。だがね、手錠となると話は変わって来る」


 その時、明彦は口を開いた。


「すみませんが、ちょっと教えてください。手錠を持ち歩くことは、犯罪なんでしょうか?」


「いいや、それ自体は犯罪ではない。それ自体なら、ね。ただし、スタンガンと手錠を所持していたとなると話は別だ、これは、どう見てもおかしい。しかも、そんな物騒な物を持って女の子と同じ方向に歩いていた。さあ、どうだろうね?」


 即答したかと思うと、さらに質問をぶつけて来る。本当に面倒な男だ。


「全て偶然です」


「これだけ状況証拠が揃っていて、偶然で押し通す気かい。それは無理だよ」


 そういうと、日村はスマホを取り出す。手錠の画像を表示させ指差した。


「ねえ、この手錠は買ったものなのかい? まさか、盗んでないよね?」


「もちろん買ったものですよ。盗んだものではありません」


「本当だね? 本当に買ったものなんだね? 他人の家から持ってきたとか、落ちてるものを拾ったとか、そういうわけではないんだね?」


 どうやら、またガサ入れする気らしい。呆れた話だ。


「間違いなく買ったものです。盗んだものではありません。うちをガサ入れしたきゃ、どうぞご自由に。好きなだけしてください」


「いいや、ガサ入れはしない。そんな必要もないんだよ。君は今の発言で、非常にまずい立場になってしまった」


 意味がわからない。ハッタリか、それとも……内心の動揺を隠しつつ、一応は尋ねてみる。


「はい? どういうことです?」


「実はね、あの手錠から君のものではない指紋が見つかった。ほんの一部分だったからね、調べるのに時間がかかったそうだよ。それはともかくだ、とある人のものと一致した」


「誰ですか?」


「去年から行方不明になっている二十代の女性だよ。君の所持していた手錠から、行方不明になっている女性の指紋が見つかった。これは、どういうことかな?」


 一瞬、全身に電流が走ったかのような錯覚に襲われた。どういうことか聞きたいのはこっちだ。指紋が出た、と言っているが……確かに、最近は手錠の手入れをしていない。調べられれば、誰かしらの指紋が出る可能性はある。

 だが、すぐに思い直した。これはハッタリだ。ありえない。一般人の指紋を、警察が登録しているはずがないのだ。日本国民に、指紋押捺の義務はない。

 

「いい加減にしてください。行方不明になった女性の指紋のデータなんて、どうやって採取したんですか? 一般人の指紋のデータが、警察にあるわけないでしょう……」


 そこまで言った時、見逃していた事実に気づいた。愕然となり、思わず口元が歪む。

 一方、日村はニヤリと笑った。


「気づいたようだね。そう、この行方不明になった女性には逮捕歴があった。ちょっとヤンチャしてた時期があってさ、逮捕され指紋を採取されてたんだよ。その指紋が、君の所持していた手錠についていた。これは、どういうことなんだろうね?」


 静かな表情で聞いてくる。明彦はというと、平静を装ってはいた。だが、口の中はカラカラである。脇には汗が滲んでいた。


「待ってください。その女性って誰ですか? 名前を教えてください」


 どうにか言い返す。まずは時間稼ぎだ。その間に、何とか言い訳しなくては……。


「教えられないな。これは、個人のプライバシーに関することだからね。肝心なのは、君の所持していた手錠に、行方不明になっている女性の指紋がついていたという事実だよ」


 無言で下を向く明彦に向かい、日村はゆっくりと語る。


「あの手錠が、他人から譲り受けた物もしくは盗んだ物であるなら、説明はつく。以前の持ち主が、その女性と何らかの関係があったのかもしれないという言い訳が出来る。しかし、君はこの手錠をどこかで買ったと言っていた。となると、君は件の女性と何らかの関係があった……と判断せざるを得ない」


 その時、明彦は顔を上げた。


「思い出しました。実は僕、あの手錠を彼女とのプレイで使ってたんですよ。で、彼女の家に置き忘れていったことがありました。ひょっとしたら、その時に指紋がついたのかもしれません」


 とっさに思いついた言い訳である。うまいとは言えないが、この手でいくしかない。


「ほう、プレイで使ってたんだ。じゃあ、その彼女の名前を教えられるよね」


「教えられません。さっきもいいましたが、彼女に迷惑をかけることになります。恥ずかしい秘密を暴露させることにもなります。不利になることは、話さなくていいはずですよね」


「うん、そうだよ。ただね、この場合は話さない方が不利になるけどね」


「そうですか。じゃあ黙秘します」




 やがて昼食の時間になり、明彦は独房に帰された。

 コッペパンふたつにマーガリンとジャム、相も変わらぬ食事だ。もっとも、今はそれどころではない。手錠に行方不明者の指紋がついていたのだ。これが物的証拠と判断されれば、取り調べも変わってくる。

 連続行方不明事件の容疑者になるのだ。

 寝転がり、あれやこれや考えていた時だった。

 

「三番、調べだ」


 またしても声が聞こえてきた。次いで、ガチャガチャという金属音。明彦は体を起こした。立ち上がり、取り調べ室へと向かう。

 はっきり言って、気は乗らない。取り調べは全て、完全黙秘で逃げ切りを狙う方が無難なのかもしれない。しかし、それはまだ先だ。ある程度の会話をして、向こうがどこまで掴んでいるか知らねばならないのだ。あの日村という刑事、ナメてかかれない。

 取り調べ室にいたのは、そのナメてかかれない日村だった。食事と同じく、相も変わらぬ面子である。明彦が座ると同時に、にこやかな表情で語り出した。


「面白いことを教えてあげようか。刑務所って場所はね、本当にひどいところだよ。なにせ、犯罪者ばかりの空間にて生活しなければならないんだ。しかも自由はない」


 挨拶も前置きもなく、いきなり刑務所の話ときたか。前回までとは違うパターンだ……そんなことを思いながら、明彦は答えた。


「だから、何だというんです?」


「前に話したチンという中国人なんだけどね、調べれば調べるほど、とんでもない奴だったよ。女の子を痛め付けるのが、好きで好きでたまらないみたいだね。しかも、なぜか日本人が好きなようだ。若い日本人の女の子をさらい、刃物で切ったり電気ショックを浴びせたり火で炙ったりした挙げ句に殺す。本当に最悪の人間だね」


 また話が飛んだ。だが、これは天然のものではない。日村は、あえて話題を飛ばしている。様々な方向からの攻撃で、混乱させる気なのだ。


「ひどい奴ですね。早く捕まえてくださいよ」


 明彦が言うと、日村は目線を落とした。机を見つめながら、神妙な面持ちで語り出した。


「俺はさ、刑事になる前はずっと誤解してたんだよ。アクション映画に出てくる悪役って、あまりにも漫画チックなんだよね。観客に憎まれるためだけに作られたキャラであって、リアリティなんかないってバカにしてたんだよ。けどね、実際に刑事になってみてわかった。現実には、漫画チックなんて言葉が陳腐に思えるような悪人が大勢いる。本当に、人を殺すのが楽しくて仕方ない……そんな人間がいるんだよね」


 静かに話していたが、不意に顔を上げる。


「子供の時、友達の中に虫の足や羽根をちぎって遊ぶ奴がいた。俺は、そんなことは出来なかったよ。でもね、そういう残虐なことを平気でできる子供は少なからず存在する」


 語り続ける日村に対し、明彦はじっと黙っていた。この後、話がどう動くか様子見だ。


「人の手足をちぎれる人間もまた、少なからず存在するんだよ。しかも、ちぎることに性的快感を覚えるような人間が、この世界で一般市民に紛れ生活している。俺は思うんだよ、君もそのひとりじゃないかってね」


「はい? 何を言っているんです?」


 思わず声が出た。すると、日村はニヤリと笑う。


「だってさ、君は詳しいじゃない。前に言ってたよね、鞭で叩くのと手足切るのは違うって。ねえ、実際にやったことあるの?」


「ありませんよ」


「ふうん、ないんだ。けどさ、君はそういうの好きなのは間違いないでしょう。普通の人では、そこのところの違いをわからないよ」


「わかるから、どうだというんです? それが罪になりますか?」


「普通の人なら、問題にはならない。だがね、君は違う」


「それは、どういう意味です? 僕の精神疾患のことをおっしゃっているのですか? 精神疾患のある人間は、普通ではないと言いたいのですか? 差別する気ですか?」


 声を荒げて問い詰めた。が、次の瞬間に顔を歪める。自分は何を言っているのだ。今のは、怒るような場面ではない。

 拘禁生活のせいで、自分の中にズレが生じている。まずは冷静になろう。

 日村はといえば、冷静そのものだった。


「まあまあ、そう熱くならないでよ。俺の目当ては君じゃないからね」


「はあ? どういうことです?」


「俺の目当ては、チンと名乗る中国人だ──」


「僕は、そんな奴とは関係ありませんよ」


 口を挟んだが、日村は無視して一方的に語り続けている。


「あの男は、日本人を憎んでいるらしい。しかもだ、あちこちの国から日本人を憎んでいる変態を集めている。そんな外国人の変態が集まって、日本人の若い女性を拷問する。色んな手段で、さんざん苦しめた挙げ句に殺す。そんな異常なサークルがあるんだよ」


 そこまで調べていたか。しかし、明彦は表情ひとつ変えず答える。


「申し訳ないですが、僕は日本人ですよ。そんな得体の知れな外国人サークルには、かかわっていません」


「そう、君はサークルの一員ではない。単純に、女を手配していただけだ。いわば、金持ち会員のためのスタッフといったところか。だがね、君の手配した女の数は十人を超えている。その全員が、殺されたはずだ」


 日村の表情が変わった。どこか哀れむような顔つきで、話を続けた。


「このまま否定し続ければ、君は連続殺人事件の共犯者になる。心証は最悪だ。死刑の確率は七割、無期が三割という感じかな。だが、素直に捜査に協力すれば、君の罪は大幅に減刑される。有期刑五割、無期四割という感じかな」


 その時、明彦は口を挟んだ。


「残る一割は何なんです?」


「はっきり言うよ。死刑の可能性はゼロではない。だがね、七割よりは一割の方がマシだろう。誰が考えてもわかるはずだ」


「なるほどね。まあ、僕には関係ない話です。そんなサークルには関係していません。残念ですね」


「いいや、君は関係しているはずだ」


「でしたら、物的証拠はあるんですか? それ以前に、これは別件の捜査ですよね? ならば、何も言いません」


「そう、確かに別件だ。ただね、ひとつ教えてあげるよ。別件で逮捕されたにもかかわらず、自ら関係ない罪を自供した……このパターンはね、裁判の時に有利に働くんだよ。罪を悔いている思いが感じとれるからね。ここで自供し捜査に協力しておけば、君が死刑になる確率はかなり小さくなる。ゼロとは言わないが、一割を切るかもしれないんだ」


 その言葉は、明彦の心を少しずつ侵食していく。これが外にいる時に言われたのであるなら、平静に受け止めることが出来ただろう。

 しかし今は、拘禁状態で心が弱りきった状態である。目の前にいる刑事の言葉は、ゆっくりとであるが明彦の内部へと侵入していった。

 その心境を見透かしたかのように、日村は笑みを浮かべる。


「このまま否定し続ければ、印象は最悪だ。やがて物的証拠も出て来る。その時になって、協力させてくださいといっても遅い。少しでも受ける罰を軽くするには、別件で拘留されている今がチャンスなんだよ」


「僕は知りませんよ。全く関係ありません。黙秘します」


 それだけ言うのがやっとだった。明彦の心はぐらついている。先ほどの日村の言葉ではないが、単なる下っ端の運営スタッフだったら、ここで自供していたかもしれない。

 そうではないからこそ、明彦は戦わざるを得ないのだ。 


「勝手にすればいい。だがね、黙秘を続ければ続けるほど、君は不利になっているんだよ。今日は、このくらいにしておくよ」


 別れ際の日村は、優位に立っていることを確信した者の表情を浮かべていた。




 ちょうど夕食の時間になり、明彦は独房に戻された。

 毎日、ほぼ同じ食事。変わらない生活。そして取り調べ。ここでのくらしは、明彦の心を擦り減らしていた。時間の経過が、異様に遅く感じられる。

 拘留期限は、あと何日だろう。それまで我慢すれば、何事もなく釈放だ。それは、頭ではわかっている。

 しかし、心が耐えきれるだろうか。期限は、十日以上残っているのは確かだ。今の時間も、今日の日付もわからない状態である。

 気が狂いそうだ──

 さらに、ここにきてもうひとつ問題が出てきた。仮に、否認したまま拘留期限を迎え釈放されたとする。だが、それでは終わらないかもしれない。日村は事件を捜査しつつ、明彦を再逮捕するネタも探っている。このままでは、釈放と同時に再逮捕されるのではないか。

 その場合、また独房に逆戻りだ。拷問のような日々は終わらない──

 その夜、久しぶりにあの日の夢を見た。




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