小学生日記(3)

 夜中の零時過ぎ。

 明彦たち三人は、空き家の前に立っていた。明彦と正和は、二階にある自分の部屋から抜け出てきた。健一は、トイレの窓から脱出したのである。

 その後は、三人とも夜の町を歩き、ここに集合したのだ。治安の悪い町ではあるが、明彦も健一も正和も、どこの道を通れば安全かは把握している。もっとも、あくまで比較的安全、というレベルでしかない。事実、夜にひとり歩きをしていた子供がさらわれ、未だに行方不明……という話もある。両親は、今もビラなどを配り子供を探しているそうだ。

 そんな環境にもかかわらず、三人は深夜の零時に集合したのだ。





 屋敷を囲んでいるのは、洒落たデザインの塀である。しかし今では「ブラックエンペラー参上!」「真幌市最強軍団」などといった落書きだらけだ。建てられた当時はお洒落なものだったのかもしれないが、今は見る影もない。

 塀の高さ自体はさほどでもないが、上には金属製の尖ったオブジェが多数付けられている。おそらく泥棒避けなのだろう。実際、これを乗り越えるのは厄介そうに見えた。

 もっとも、塀を乗り越える必要はないのだ。門の扉は壊され、開けっ放しになっている。おそらく、この周辺の不良が壊したのだろう。周囲にロープが張られ、立入禁止の札が立てられているが、そんなもので三バカトリオを止めることなど出来るはずがない。ただし、庭の雑草は腰の高さまで伸びている。かなり歩きにくそうだ。

 明彦は周りを見回し、そっと入っていく。健一と正和も、後から続いた。足音を立てず、無言のまま進んでいく。

 伸び放題の草に足を取られそうになりながらも、三人はどうにか家までたどり着いた。高さは二階までだが、横の幅が妙に広い形だ。入口には、パルテノン神殿のような柱が設置されている。周囲の家と比べると、恐ろしく浮いた存在に見えた。なぜ、下町にこんな屋敷を建てたのだろうか。昼間に見る時よりも、遥かに不気味な雰囲気を醸し出している。

 しかし、明彦は平気な顔だ。いや、平気な顔を作っていたという方が正確だろう。ドアのノブに手を伸ばし、ぐいと捻った。

 すると、いとも簡単に開いてしまう。開けた明彦の方が、むしろ戸惑っていた。


「おい、鍵かかってないぞ。簡単じゃねえかよ」


 震える声でふたりに囁いた。健一と正和は、暗闇の中であるにもかかわらす顔を見合わせる。こんな簡単に入れるとは、全く想定外であった。


「何やってんだよ。早く入ろうぜ。人に見られないうちにやっちまおう」


 言いながら、明彦は家の中に入って行く。こうなった以上、健一と正和も付いて行くしかなかった。恐る恐る、屋敷の中に足を踏み入れる。

 入った途端、ミシッという音がした。床が鳴ったらしい。三人は、ビクリとして周りを見回した。どうやら、ほったらかしになっていたことにより、床板はだいぶもろくなっているようだ。足元に気を付けないと、床を踏み抜いてしまうかもしれない。


「こりゃあ、明かりがないとマズいな。よかったよ、これを持ってきて」


 そう言うと、明彦は持ってきた懐中電灯をつけた。彼らのいる部屋を照らしてみる。

 異様な空間だった。大小さまざまな家具が、未だに放置されているのだ。高級そうなものばかりだが、あちこに蜘蛛の巣が張られている。時おりカサコソと音がするのは、虫の動く音だろうか。あるいは、鼠などの小動物かもしれない。

 家具の上には、ホコリが分厚く積もっていた。誰も住んでいないのに、ホコリは出るらしい。しかも、得体の知れない染みが大量に付着している。昼間の明かりの下でみれば、その汚れはいっそう際立って見えるだろう。

 ひょっとして、この染みは血液かもしれない……などと明彦が考えた時だった。


「ここ、俺たちの第二の秘密基地にするか?」


 健一が軽口を叩いた。いつもと同じような態度だが、その声は妙に上擦っている。緊張感は隠せない。もっとも、明彦も緊張しているのは確かだ。正和にいたっては、死人のような顔色である。さっきから、一言も発していない。

 ここには、妙な雰囲気が漂っていた。健一と正和は気づいていなかったが、明彦ははっきりと感じ取っていたものがある。ついさっきまで、何者かがいたような形跡があるのだ。具体的に、何がどう違うと具体的には言えない。ただ、秘密基地にしている例の倉庫に初めて入った時とは、明らかに違うものを感じていたのだ。

 しかし、明彦はそこには触れなかった。たぶん、気のせいだろう。それよりも、ここの探険は絶対にクリアする。

 まだ健一と正和には言っていなかったが、この三人で過ごせる時間は、もうじき終わってしまうのだ。だからこそ、この三バカトリオだけの特別な思い出を作りたかった。この町で、明彦と健一と正和だけしか知らない、三人にしか出来ないことをやりたかった。

 そのために、このお化け屋敷から記念品を取って来ることにしたのだ──




 明彦たちは、懐中電灯で足元を照らしながら、慎重に進んで行く。屋敷内のあちこちに蜘蛛の巣が張られており、棒で巣を払いのけつつ歩いていった。床にはホコリだけでなく、得体の知れないものも散乱している。カサカサという音も、止むことなく聞こえてきている。虫や鼠などが、侵入者に気づき身を隠そうとしているのだろうか。

 既に誰も住んでいないはずだが、家具や調度品などはかなり残されている。窓にはカーテンも付いているし、床には絨毯らしきものも敷かれている。ただし、どれもボロボロではあった。穴が空いており、ホコリと汚れとで元の色が判別できない。

 その時、先頭を歩いていた明彦が足を止める。


「おい、そこに階段があるぞ」


 その声は、少し震えていた。いうまでもなく、明彦も怖かったのだ。


「階段? じゃあ、次は二階に行ってみるか」


 健一が言ったが、明彦はかぶりを振る。


「いや、違うんだよ。降りる階段なんだよ。違う感じだぞ」


 そう、目の前にあるのは降りる階段だった。明彦たちの自宅には、当然ながら地下室などない。そもそも、彼らの友人知人親戚らには、自宅に地下室を設けている家などない。


「じゃあ、地下室があるの?」


 言ったのは正和だ。彼の声も震えていた。


「ああ、そうみたいだ。降りてみようぜ。もしかしたら、凄いお宝が見つけられるかもしれないぞ」


 冗談めいた口調で言うと、明彦はそっと階段を降りて行く。健一と正和も、仕方なく付いて行った。

 階段を降りると、目の前に鉄製の扉がある。明らかに、一階に設置されている扉とは異なるタイプのものだ。明彦が取っ手を引くと、扉は呆気なく開いた。

 そこは、おかしな部屋だった。

 この地下室は、上とは違い殺風景であった。コンクリートが剥きだしになった壁に覆われており、当然ながら窓はない。懐中電灯で周囲を照らしてみたが、調度品の類いは見当たらない。想像していたより大きな部屋で、八畳ほどの広さだ。床はコンクリートで、中央には木製の大きなテーブルが置かれていた。

 壁には金属製の棚が設置されており、大きな刃物やハンマー、さらには糸ノコギリといった物騒な道具が置かれている。奇妙なことに、その道具はホコリを被っていなかった。一階の家具には、大量のホコリが積もっていたのに、ここの道具は綺麗なものだ。

 それだけではない。この部屋からは、奇妙な匂いがした。薬品だろうか。明彦たちには何だかわからないが、漂っている空気そのものが違っている。

 不意に、健一が口を開いた。


「アキ、もういいだろうが。出ようよ」


「何だお前、ビビってんのかよ」


 明彦は振り返り、からかうような口調で言った。もっとも、その声は震えている。


「はあ? 何言ってんだよ。ビビってんのはお前だろうが! いい加減にしねえとぶっ飛ばすぞ! さっさと出るんだよ!」


 ついにキレた健一が、凄まじい表情で怒鳴った。もっとも、キレた原因は明彦の言葉だけではない。半ば本能的な動きだった。彼は怒ることにより、恐怖を消し去ろうとしていたのだ。明らかに、この部屋はおかしい。本能的な感覚で、健一は危険を察知していた。その危険に対する恐怖が、彼を駆り立てていたのである。

 その怒りは、明彦にも伝染した。だが、この少年は素直になれなかった。


「んだと! 俺はビビってねえよ……」


 その言葉は、途中で止まった。言いかけた明彦の表情が、一瞬にして硬直する。そのまま、後ずさっていった。まるで、健一と正和から遠ざかろうとしているかのように。

 健一と正和は、最初何が起きているのかわからなかった。


「ア、アキ、お前何やってんだよ……」


 声を奮わせながら尋ねた健一だったが、直後に理解する。自分と正和の背後には、何かがいるのだ。明彦をも震えあがらせる何かが……。

 その時、いきなり部屋が明るくなった。上には、ライトが付けられていたのだ。部屋の様子があらわになる。だが、彼らに部屋を見渡す余裕などない。突然の明るさに、三人は対応できなかったのだ。眩しさに目が眩む。

 と同時に、扉が閉まる音が響き渡る。その音は、ホラー映画の効果音よりも恐ろしいものだった。三人を、絶望のドン底にたたき落とす音──

 次いで、声が聞こえてきた。


「君たち、こんなとこで何やってんの?」




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