第参章 第肆節:ヒーロー見参!

 再び強襲する刺突は、さながら稲妻のようである。

 みことの命を刈り取らんと銀閃が幾度となく宙を穿ち、その都度金打音が住宅街に反響する。

 みことは、防戦一方を強いられている状態だ。第一として二人との間には実力はもちろん、経験が天と地ほどの差がある。みことも多少剣を扱えるが、実戦投入できる段階レベルでないことは他の誰でもない、彼女自身がよく理解していた。

 この人、強すぎるよ……! 致命傷でないにせよ、着実にみことの身体に小さな傷を、舞姫の槍は無慈悲にも刻んでいく。如何に小さい傷だろうと、1つや2つではなくいくつもできれば致命傷と同等だ。現に彼女のあちこちからはじんわりと血が滲み、せっかくのオシャレな衣服も朱に染まりつつある。



「ねぇ、死んで? ねぇ死んでよぉねぇ?」

「くぅっ……! こ、こんの、いい加減にしてよ!!」



 みことの渾身の一撃が、舞姫の刺突を大きく弾いた。

 一際けたたましい金打音がこだまして、間髪入れずにみことはここで自ら前へと出た。

 むろん、敵を討つため。どんっ、と力強く地を蹴ったみことは、瞬く間に舞姫の懐深くへと肉薄すると打刀を思いっきり切り上げた。


「なっ……」と、舞姫の顔に驚愕の感情いろが微かに浮かんだ。


 彼女からすれば、想い人にちょこまかと纏わりつく小娘にすぎなかった相手から、よもや反撃を食らうとは予想外の展開だったに違いあるまい。

 惜しくもみことの一太刀は届かず前髪を掠めただけだが、みことにすればようやく舞姫に一矢報いたのである。



「あなたの、一颯さんに対する気持ちははっきりと言って異常です! それとそんな人の言うことなんか私は聞くつもりはまったくありませんから!」



 みことははっきりと言い放った。

 今度は自分の番だとばかりに、みことはどんと強く地を蹴り上げる。

 爆発的な踏み込みと、雷の如き唐竹斬りに躊躇は一切ない。

 耳をつんざく金打音の後に、矢継ぎ早に新たな金打音が反響した。

 細川みことの剣質は極めて攻撃に特化した剣である。

 行き着く暇もない苛烈な攻めは、敵手に隙を一切与えない。

 一で駄目ならば二で仕留める。二で駄目ならば三で仕留める……こうすることで常に流れを自分のものとし、敵を圧倒するのがみことが得意とする剣だ。

 両者の間には歴然の差があるのに今や、舞姫の方が徐々にだが着実に圧されつつある。


 そしてついに「ふっ!」と、鋭い呼気と共に放たれたみことの太刀筋が、舞姫の右頬を掠めた。


 舞姫からすれば、こんなものはただの掠り傷でしかない。

 致命傷と呼ぶにはかなり無理があるし、単純にダメージ計算しても圧倒的不利なのは依然みことの方である。


 右頬からじんわりと滲む鮮血にそっと触れた指を「痛い……」と、視線を落とす彼女の表情かおは明らかに動揺の感情いろを示していた。


 たかが小娘からあろうことか攻撃を許してしまったという事実が舞姫の心に大いに動揺を誘い、同時にみことはようやく巡ってきた絶好のチャンスを逃してなるものかと地を蹴り上げる。



「はぁ……はぁ……わ、私だって……やる時はやるんですから!」



 そう豪語したみことだったが、次の瞬間には彼女の膝は力なくがくりと地に崩れた。

 大量の出血に加えて激しい運動をしたことによる代償だ。極度の貧血と激しい眩暈と凄まじい倦怠感更には息切れと、みことの肉体に次々と悪影響が容赦なくずしりと重く伸し掛かる。


「あ、あれ……? た、立てない……」と、みことはなんとかして立ち上がろうとした。


 だが、限界に達した肉体が宿主の意志に従うことはなかった。



「ど、どうして……?」



 焦燥感を色濃く滲ませるみことの表情かおだが、血の気が引いて酷く青白い。

 命の危機に瀕した状態だと判断するには十分で、そこに舞姫がゆらりと立ちはだかる。



「痛いなぁ……人の頬を切っちゃうなんて悪い子だなぁ……」



 ニタニタとした不気味な笑みをもって、だが明確な殺意を視線にして舞姫はみことを静かに見下ろしている。右手の長槍がゆっくりと振りかざされる。次の彼女がどんな行動に出ようとするか、あえて本人に確認するまでもなかろう。


 殺される……! すぐ眼前まで迫った死に対して、みことは何もできない。


 抵抗する術がないから、みことは瞼をぎゅうっと強く閉じた。

 これは彼女なりの、ささやかな抵抗だった。


「い……きさ……ん……」と、薄れゆく意識の中でみことが、首の皮一枚で現世に留まったのは、けたたましい金打音だった。


 もちろん、みことはもはや戦闘不能状態なので彼女によるものではない。



「一般人に手ぇ出すとか……とうとうそこまで狂ったか?」



 声の主は酷く憤怒している様子だった。

 霞んだ視界で姿ははっきりと視認できないみことでも、聴覚はまだ正常に稼働しているので誰のものか瞬時に理解した。



「一颯さん……!」

「みこと、大丈夫……じゃないよな。でも、俺がくるまでよく持ちこたえた」

「え、えへへ……ご、めんなさい……やっぱり一颯さ……と、いっしょにかえって……けばよかっ……です」

「無理して喋るな――次郎さん、みことの治療をお願いします」

「言われずとも」と、低く野太い声にみことはどきりとした。



 姿ははっきとはわからないものの、とても大きくて威圧感が凄まじい。

 それだけは今のみこともしかと感じて「心配するな、少しジッとしているといい」という優しい声掛けにみことは素直に従った。

 この人は、多分悪い人じゃない……。しばらくして、みことは心臓からじんわりと熱が帯びていくのを感じた。熱と言っても炎のような痛々しさは皆無であり、形容するならば陽光のようにじんわりとして優しい暖かさだ。


「もういいぞ」と、低く野太い声の主に言われて、みことはハッとした顔をした。



「傷が……ない? 怪我が治ってる!?」

「傷そのものは大したものではなかったからな。それにお嬢ちゃん自身の自己治癒能力が高いこともあってすぐに治った」

「あ、ありがとうござ……きゃぁぁぁぁぁあああああああ!」



 絹を裂いたような悲鳴をあげて、みことは思いっきり後退ってしまった。

 礼の言葉を述べようとした相手は、とても厳つい顔をしている。

 にこりともしないで、途方もない威圧感をひしひしと放つ雰囲気は、みことの心に舞姫以上の恐怖を与えたのであった。


 当然、当事者にすれば彼女の反応は決して心地良いものではなく「……そんなに怖いか?」と、一颯にそう疑問を投げた彼の声は酷く落胆していた。


 そこに回答者からも「そりゃもう」と、あまりにも無慈悲な回答をされたことでより一層落胆した。


 これにはさしものみことも、良心は痛み事の発端が自分であるから「す、すいませんでした……」と、心から謝罪した。


 それはさておき。



「えっと……一颯さん。この人は……」

「その人は俺らの上司の六車次郎さんだ。ひぐまみたいな人だけど、実力も人望も本物だ」

ひぐまは余計だ……」と、拗ねたように一颯に抗議した次郎。

「――、おい舞姫。どうしてみことに手を出した? こいつは俺達とは違う、一般人だぞ?」

「一般人だからだってばぁイブキッチ。ウチらの界隈はとっても危険がいっぱんにゃんだからさぁ? 遊び半分、ゲーム感覚でいられると迷惑なのはイブキッチだってそう思ってるでしょ~?」

「…………」



 一颯は固く口を閉ざす。

 舞姫の主張は、何一つ間違っていない正論と認めているからだ。

 現実はゲームと違って何回もコンティニューできるシステムは導入されていない。

 残機は皆等しく一つまで。そんな大変貴重なストックを失えばそれまで。つまりは死ぬ、生き返ることもやり直すことも許されない。

 だから人間は今日という日を全力で生きる。

 後悔しないために、死なないために、明日もまた生きるために。

 舞姫の主張は、何も間違っていない。

 当の本人……細川みことは別段、怪異の調査を遊びだなどとは微塵も思っていない。


 今自分が足を踏み入れている世界は常に命の危機が伴う。

 そうと理解した上で、細川みことは今ここにいる。

 故にみことは、舞姫に自身の覚悟が馬鹿にされたようで無性に腹が立った。

 今すぐにでも抗議の声をあげてやりたい彼女だったが、舞姫が自分よりも強者なのでみことはぐっと堪えた。



「……だからって、ここまでする必要があったのか!? 俺と次郎さんがこなかったらお前、こいつのこと殺すつもりだっただろう!」



「そうだよぉ?」と、あっけらかんと答えた舞姫。


「な、なんなのこの人……」と、みことは改めて恐怖を憶えた。


 人を殺すことの躊躇も罪悪感もまるでない。

 大鳥一颯おおとりいぶきを除いてすべての生命は路傍の石に等しい、そうとさえ捉えられる発言を悪びれる様子もなく宣える舞姫の方がよっぽど悪魔怪異的だ。みことはすこぶる本気でそう思った。

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