第参章 第弐節:忍び寄る魔の手

 不穏な空気だけが残った室内にて一颯は、小さく溜息を吐く。



「みこと、大丈夫か?」

「は、はい。私は別に、なんとも……」

「ならいい。心配するな、俺の目が黒い内はあいつの好き勝手にはさせない」

「一颯さん……」



 まだぎこちなさがあるものの、ようやくみことの顔にも笑みが戻る。



「とりあえず、今日も外の見回り行くぞ」

「はい、一颯さん! 明日っからまた学校が始まるから、一緒に調査できないのが残念です……」

「学生なんだから勉強が本業だろうに。しっかりと勉強してこいお嬢様」

「学校終わるまで、一颯さんは一人で調査しちゃ駄目ですからね」

「いやなんでだよ!」



 他愛もない会話を交えることには、すっかりみこともいつもの調子を取り戻した。

 舞姫という予期せぬ乱入があったものの、いつもどおり一颯はみことと町を徘徊した。


 あくまでも、目的は【現代の神隠し事件】についての調査である。

 決して遊んでいるわけではなく、ましてや二人はそう言った関係ではない――とは、第三者もそうであるとは限らない。


「あ、みことじゃん!」と、前方よりやってきた集団の一人がそう口にした。



「えっ? ちょっとみこと、アンタこのめっちゃかっこいい人誰なの!?」

「え? えっと、この人は大鳥一颯おおとりいぶきさんって言って――」

「もしかして、彼氏!? ちょっとアンタさぁ、女子高で出会いがまったくないアタシ達に対する当てつけ?」

「ちょ、ちょっと違うからゆきっぺ! 彼氏とかそんな関係じゃないから……!」



 女が三人集まって、姦しいと言う。

 正しくそのとおりである、と一颯は目の前の光景を前にそう思った。

 しかし、外見相応なやり取りをする彼女らには一颯の顔はとても優しい。

 今ある光景こそ、細川みことが本来あるべき姿にして場所なのだ。

 この日常を、一刻でも早く彼女のためにも取り戻してやりたい。


 一颯がそう決意を新たにしていると「ねぇねぇお兄さんお兄さん!」と、彼女の友人がぱたぱたと子犬よろしくやってきた。


 みことと同じく【聖オルトリンデ女学院】の学生である彼女だが、出で立ちから雰囲気はやはり、みこととどこか通ずるものがあると一颯は感じた。


 要するに、友人らもまたお嬢様らしさが微塵もない。



「お兄さんってみこととどんな関係なんですか!?」

「恋人!? もし違ったら私と連絡先交換しませんか!?」

「ちょ、ちょっと二人ともやめてってば! 一颯さんとはそんな関係じゃないから!」

「あー、うん。俺はこいつの恋人でもなんでもないよ。ずっと昔にこいつの家にお世話になったことがあるんだ。今ちょうど故郷に帰ってきたから、久しぶりに歩く町の案内を彼女にしてもらってるってだけで、疚しい関係は一切ない」

「そうなんですね! じゃあ私と早速連絡先交換しましょう!」

「いやいや、そうはならんだろ……」



 女子高生……もとい、若者ならではの生命力あふれる活気に気圧された一颯が解放されたのは、ファストフード店でお昼を共にした後だった。

 もちろん、一颯の奢りという形で、予期せぬ出費に一颯は内心でさめざめと泣いた。



「あ、後で返しますから……」

「……いい。気にするな」

「……なんか、ごめんなさい。でも悪い子達じゃないんですよ!?」

「あぁ、それは俺もなんとなくわかったよ」



 ファストフード店を後にした二人だったが、相変わらず成果という成果は何もない。

 時間だけがいたずらに、平穏に流れていく。

 青かった空もいつしか鮮やかな茜色へと移り変わった。

 調査終了の時間である。一颯はみことの方を見やった。



「みこと、今日の調査はそろそろ終わりだ」



「えっ? もう終わりですか?」と、みことの顔は心なしか不満そうである。 



「明日から学校だろ? これで成績が下がったりテストで赤点とったりしても、俺は責任取れないぞ?」

「心配なくても、その辺のことはちゃ~んとやってますから大丈夫ですぅ!」

「本当かよ……。まぁ、本当に学校はちゃんと行って卒業しろよ?」

「はーい……」



 口ではそう言ったものの、みことの顔を見やれば不服なのは一目瞭然である。

 遊びであれば一颯も少しぐらいの延長も許していたところだが、これは仕事である。

 寧ろ夜こそが本格的に始まるから、どの道未成年者の同行は許可できない。



「また休みの日だな」

「えー!? 放課後からでもいいじゃないですか!」

「駄目なものは駄目だ。言うこと聞かないと次から同行させないぞ」

「ちぇ~」

「……みこと。今日は俺が家まで送っていってやる」



「えっ?」と、みことが素っ頓狂な声をもらした。



「いや、ここ最近何かと物騒だからな。もしもお前の身に何か起きたら親御さんに申し訳ないからな」



 一颯の言葉に嘘偽りはこれっぽっちもないし、純然たる事実である。

 夕刻になると、怪異が活発に行動する。それまでみことが無事で済んだのはある種奇跡に近しい。加えて一颯の胸中にはもう一つ、新たに不安が浮上した――それが杵島舞姫きしままきの存在である。


 今朝の出来事は、これまで一度たりともなかった。

 合鍵をいつの間にか複製されていた、この事実だけでも十分に驚愕と恐怖に値する。

 だが、それよりも一颯に不安を渦巻かせたのは、みことに対し露わにした敵意だった。

 何故、舞姫はあの時彼女を目の敵にしたのか。理由については皆目見当もつかない彼だが、いずれも楽観視してよいものではない。一颯はそう判断した。



「大丈夫ですよ一颯さん。そこまで心配してもらわなくても、一人で家ぐらい帰れますから」



 みことは、からからと笑い飛ばした。


「だけどだな……」と、食い下がる一颯にみことはニッと微笑む。



「そこまで心配してもらわなくても大丈夫ですってば。いざ何かあった時は下手に戦わないで真っ先に逃げますから」



 その言葉を聞いて、一颯はわずかにホッと安堵してしまう。

 下手な正義感をかざそうものなら、一颯はこれを力尽くでも咎める責務がある。

 幸い、みことは己が身分をしっかりと弁えているらしい。

 だが、舞姫の存在がどうしても一颯は脳裏から拭えなかったから「念のためだ」と、再度同行の意を示した。



「一颯さんって、何かと私のこと心配してくれますよね」



 そう言って、はにかむみこと。心なしか彼女の頬はほんのりと赤い。

 一颯としては、ごく一般的なことを言ったにすぎず。彼女が何故そのような反応を示したか、さっぱりわからなかった。

 お嬢様学校という男子禁制の乙女の花園ゆえの、異性に対する免疫や過度の憧れがひょっとすると彼女にはあるのかもしれない。一颯はそう思った。



「お前は未成年者だからな。だとしたら大人の俺がいざという時は守らないと駄目だろ」

「……一颯さん。女の子の扱い方としてそれ、どうかと思います」



 途端に機嫌を悪くするみことだが、一颯は差して意に介さない。

 述べた内容はすべて純然たる事実なのだから。



「一颯さんはもうちょっと女の子の扱い方について学ぶべきだと思います! そんな仕事人間じゃ誰とも結婚してくれませんよ?」

「じゃあ仮に、お前はどう言ってほしかったんだ?」

「それは、もちろん――お前が何よりも大切だから守りたいんだ、ぐらいの台詞は言ってほしいですねぇ」

「そうか、それはお前の運命の人にでも言ってもらうんだな」

「もう、いいです! 私一人で帰れますからさようなら!」

「あ、おい待てみこと!」



 一颯が呼び止めるも、たったった、と足早にみことは走り去っていってしまった。

 彼女の挙措からすっかりへそを曲げてしまったのは明白で、一颯は急ぎみことの後を追うべくその場から離れるが「少し待て」と、目の前に立ちはだかる大男からの妨害に見舞われる。


 上下共に黒いスーツで、赤のアンダーシャツと言った格好は舞姫や一颯と同じだ。

 何故ならば彼も【衛府人えふびと】の一人で、名を六車次郎むぐるまじろうという。


 優に2mはあろう巨躯を守る筋肉はさながら分厚い鎧のようで、そこに厳つい顔が加われば近寄りがたい雰囲気を自然とかもし出す。ひぐま――そう、彼のことを呼称する者は意外と少なくない。

 同時に、一颯の上司という立場にもあった。



「……久しぶりだな、一颯よ」



 低く太い声に、一颯は眉間をしかめた。



「……えぇ、お久しぶりですね次郎さん。俺に何か用件でも? 仕事なら在宅ワークという形でしっかりとやらせてもらってるつもりですが?」

「仕事に関してはこちらとしても問題はない。あるとすれば……貴様が肩入れしている、あの娘のことだ」

「みことのことですか? あいつは別に、俺のなんでもないですよ」



 細川みことは、大鳥一颯おおとりいぶきのなにものでもない。

 わざわざ自ら危険に首を突っ込んだ、要監視及び保護対象にすぎない。

 信頼や恋愛、そう言った類の感情は微塵もないというのが一颯の本心だ。

 手間が掛かれば金も掛かる。唯一彼女が立てた功績は前回の【怪火事件】のみで、後は特にこれと言って何もない。この現状を解決するには一刻も早く、彼女の行動原理にある親友の身柄を確保することで、そのためにも【現代の神隠し事件】は総力をあげて解決すべき事案だ。



「あいつは、一時的に俺が保護観察してるだけです。親友を見つけようと躍起になってるあいつを、単独で動かしたら俺に不利益が生じかねない。だから仕方なく、ですよ」

「仕方なく……か。まぁオレとしてもあの娘についてとやかく言うつもりは一切ない。貴様の報告書にもあったように、実際【怪火事件】解決に貢献しているからな。我々としても人手が足りないぐらいだ、是非ほしい人材でもある」

「そう言って、また殺すんですか・・・・・・・・? 正義だの大義だの言って、仲間を呆気なく殺すんですか?」



 一颯は次郎を強く睨んだ。その顔には憎悪さえも色濃く滲んでいる。



「……貴様が怒る理由ももっともだ。そして我々はそれについて否定する気も、謝罪する気もない」

「あぁ、安心しましたよいつもどおりで。だったら猶更だ、みことはアンタ達に預ける気はない」

「……その娘だが、オレがこうしてきたのは細川みことを守るためだ」



「なんですって……?」と、一颯はより一層訝しんだ。


 細川みことは、非日常に片足を入れたばかりの一般人でしかない。

 要人警護も確かに、ごく稀ではあったものの担ったことがある。

 だが、あくまでも要人であって一般市民ではない。



「いったい、何を企んでるんですか……?」

「……別に、何も。だがこのままでは一人の市民の命が失われかねない」

「どういう意味ですか!?」

「それについては、後で話してやる――ところで、例の少女はどこだ?」

「あいつならさっき、一人で帰ってしまいましたよ。今から後を追おうとしていたところです」



 一颯がそう答えた途端「まずいな……」と、次郎がもそりと呟いた。


 当然、一颯がそれを聞き逃すはずがない。



「どういうことか説明してください! いったい、何がまずいんですか!?」

「詳しい話は後で説明する。彼女の後を追おうぞ」



 一颯は次郎と共に、みことの後を急いで追いかけた。

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