第壱章:【衛府人】と助手

第壱章 第壱節:朝は穏やかなのが一番いい

 本日の天候は、雲一つない快晴。

 さんさんと輝く太陽は眩しくもとても暖かくて、その下では小鳥達が優雅に泳いでいる。

 時折頬をそっと、優しく撫でていく風はまだほんのりと冬の冷たさを帯びつつもちょうど心地良い。

 今日の天候はまさしく、絶好のお出かけ日和だと言えよう。



「…………」



 その青年――大鳥一颯おおとりいぶきが住まう場所は、タワーマンションの最上階である。

 高さ35階のタワーマンションから見える景色は、正に絶景と言えよう。

 夜にもなればライトアップされた街並みが、まるで宝石箱のように煌めく。

 その景色を見ながら苦めのコーヒーを堪能する。これが一颯の一日の始まりを告げるルーティーンであった。



「あ~……苦い」



 うぇっと舌を出し、コーヒーの独特の苦みから眉間にシワをキュッと寄せるも、ごくごくと喉を鳴らしてはコーヒーを食道へと一颯は流していく。


 ――続いてのニュースです。本日またしても神隠しに遭ったとされる……。



「まぁたこの話かよ……」



 一颯はうんざりと言った表情かおでテレビの方を見やった。

 半年間で【現代の神隠し事件】による行方不明者数はもうすぐで100人を迎えようとしている。

 警察の努力も虚しく、犠牲者はどんどん増えていくばかり。

 当然、世間からは警察に対する強い非難の声が相次いでSNSの類でもトレンド入りするほど。

 それだけ、人々は不安なのだ。自然と心が荒んでしまうのも無理はあるまい。


 ピンポーン、とコーヒーを飲み終えたのとほぼ同時にチャイムが鳴り響いた。

 時刻はまだ午前七時を少し過ぎたばかり。来客者がくる時間帯ではなく、このあまりにも早い来客に一颯は心底呆れた顔を浮かべた。



「またあいつかよ……」



 なぜこうも付きまとってくる? 心底呆れた面持ちの一颯は、のそのそと玄関へと向かった。

 招かれざる来客者を、わざわざ相手にする必要はさらさらないが、放置しておけば夕方になるまでずっと玄関の前に居座られることを彼はよく知っていた。

 だから面倒事を避けるためにも一颯は応対した方が早いと判断したのである。

 もっとも、不本意でしかないのでその表情かおは心底疎まし気だが。


「やっぱりか……」と、覗き穴を通して一颯の視界に映ったのは、一人の少女だった。


 栗色のポニーテールが印象的な女子高生。制服は名門である女子高によるもの。つまりはエリートであり、それだけの人物が学校にも通わず自宅まで来ているのだから、一颯は心底参っていた。

 余計な誤解を生むには十分すぎる状況だと言えよう。



「なんにもいかがわしいことはしてませんよっと……」



 一颯は誰に弁明するわけでもなかったが、もそりと呟いてドアを開けた。


「おはようございます一颯さん!」と、ポニーテールの女子高生がにこりと笑った。

「おはよう。それじゃあばいばい」と、一颯はさっと玄関を締めた。


 がちゃり、と施錠した途端ばんばんとドアが激しく叩かれる。



「ちょ、ちょっとどうして閉めるんですか!? ここ開けてくださいよ!」

「いや当たり前だから。なんで部外者のお前を家にあげなきゃいけないんだよ……」

「私、助手ですよ!?」

「助手を雇った覚えはないんだけどな」



 このやり取りも、彼らにとっては今日に始まったことではない。

 なんでこうなったのかねぇ? 一颯は小さく溜息を吐いた。

 彼女――細川みことは【聖オルトリンデ女学院】に通う女子高生である。

 乙女の園と言われるほどの名門校の生徒と大鳥一颯一般人……常識的に考えれば、まず両者に接点が生まれるはずがない。


 切っ掛けは、今から数日前のこと。

 その夜、一颯はいつものように仕事・・に出ていた。

 静謐に支配された街を適当に徘徊して、いざこざを人知れず処理する。

 一見すると地味だし人目にもあまり晒されないことから、彼を昼行灯ひるあんどんと揶揄する者も少なくはない。

 それでも未だ続けているのは、給料がいいから。

 ハイリスクハイリターンな仕事で、下手をすると最悪死ぬ可能性すらも十分にある。

 普通ならばこのような仕事に自ら就こうとする輩は早々おるまい。

 しかし、一颯はあえて己の意志で現役として活動している。

 そんな活動中に一颯は彼女……細川みことと出会ってしまった。

 こいつと出会わなかったら今頃は……。悔いたところで事態が好転するわけでもなし。胸中で悪態をつく一颯を他所に、玄関の方で音がより激しさを増した。


「いい加減ここを開けないと叫びますよ!」と、みことの主張はもはや悪質な脅迫である。


「はぁ……わかった! わかったから大声を出すなこのバカ!」と、一颯は愚痴をこぼしつつ再び玄関の方へ向かった。


 施錠したばかりの鍵を再び解錠する。

 次の瞬間、扉は勢いよく開放された。

 扉の先に佇むみことの顔は、にこりと満面の笑みである。



「最初から開けてくださいよ一颯さん。次は手加減しませんからね?」

「ぐっ……この野郎」

「女の子に向かって野郎っていうのはどうかと思いまーす」



 改めて、細川みことと彼……大鳥一颯おおとりいぶきとの間に友好関係はほとんどない。

 赤の他人同士、とまでは言えずともかといって親しい間柄でないのは紛れもない事実である。

 だが、みことの馴れ馴れしさは親しい友人のそれそのもので、一颯はそんな彼女の言動について横暴極まりないと、はっきりと言って良い印象を持ってなかった。



「まぁまぁ、もう知らない間柄って関係じゃないんだからいいじゃないですか」

「俺としては関わってほしくなかったんだよ……」



 一颯は忌々しそうに溜息を吐いた。

 みことは、あくまでも一般人である。

 殺伐としたものとはとことん無縁で、光の中で生き、そして死んでいくはずだった。

 それもこれも、すべて怪異の所為だ……。一颯は胸中にて悪態を吐いた。

 怪異――それが彼女の人生を大きく狂わせた元凶の総称である。

 古来より存在する闇の存在。未練を残し成仏できずに現世を彷徨う霊魂は、俗に言う浮遊霊に部類される。この浮遊霊、差して害意はないのだが時と共にやがて狂暴化する。それが怨霊や悪霊、といった生者にとって害あるものへと進化する。


 世間一般的には悪い霊とは、すなわち悪霊である。この定義がすっかり定着してしまっているだろうが、悪霊の上……さらに強大な力を有した存在がいることは、一部の界隈の人間しか知らない。

 それが、怪異……人間の負の感情を糧に更に狂暴化した彼らの一番厄介なところは、霊力の有無関わりなく視認できてしまうことにある。そんな化け物がいるのならば今頃世間は大騒ぎになっていてもおかしくない、確かにそのとおりではある。

 実際は怪異の存在は、未だ世間の目に触れられていない。

 怪異の行動理念は生者への恨み、そして人間が食事をするように魂を狩ること。

 それを完璧に遂行するための悪知恵がよく働く。怪異も元は人なのだ。高度な知能を持っているのは至極当然のことである。


 先日、一颯は怪異からみことを守った。

 もちろん偶然によるもので、決して個人的な理由などは更々ない。

 だがその出会いが仇になるとは、一颯はそもそも考えてすらいなかった。

 あの時のみことは、確かに気を失っていた。

 怪異という恐怖から精神を守るべく気絶した判断は、一颯にとっても都合がいい。

 怪異の方は時すでに遅しだったが、自分の存在が少なくとも露見する危険性はなくなった。

 だから心置きなく一颯も仕事に専念できたし、大した処理もしないまま、彼女の生徒手帳から収集した住所を頼りに自宅玄関前で届けた。

 その翌日から、一颯の周囲を嗅ぎまわる女子高生が目立つようになった。

 それが、細川みことである。

 一介の女子高生のくせにして、一颯の自宅を突き止めた捜査能力と執念は、正しく探偵そのもの。

 そしてとうとう特定されてから、毎度のように弟子入りを志願されるようになった。

 こいつ【衛府人えふびと】より絶対に探偵の方が向いてるだろ……。そう、一颯も遠回しに追い出そうとしたが、当の本人が首肯することは一度としてなかった。



「まぁまぁ、いいじゃないですか一颯さん。こ~んなかわいい現役ピチピチJKのみことちゃんが遊びに来てるんですから、寧ろ嬉しいって思いませんか?」

「お前が超絶美人なお姉さんだったらな。ガキに興味ないよ」

「むっかー! 私もう高校生なんですよ!? それに胸だって、ホラッ!」

「そう言う問題じゃないんだよ! 成人してから出直して来いって言うんだ、まったく……」



 最近のお嬢様学園の生徒は皆こうなのか? 恐らく彼女が例外すぎるだけだろうが、一颯はすこぶる本気でそう思ってしまった。



「それよりも、今日こそうんと言わせますからね!」



 みことの発言に、一颯はもう何度目かさえもわからない溜息を吐いた。



「お前な、まだそんなこと言ってるのか?」



「当然です!」と、どこか得意げにみことは胸を張った。

「却下に決まってるだろう」と、一颯も即座に反論する。


「どうしてですか!?」



 頬をむっと膨らませる辺り、外見相応の反応はとてもかわいらしい。

 だからこそ、一颯はみことからの申し出を是が非でも拒否する理由があった。

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