序章之弐:非日常への介入

 翌日、この日の空模様も昨日と変わらず、美しい茜色。


「はぁ……」と、ポニーテールの女子高生は深い溜息を吐いた。


 その顔には明らかに覇気がなく、足取りもとぼとぼとして重々しい。



「美香子……どこ行っちゃったのよ、本当に……」



 美香子……それは昨日、一緒に下校したツインテールの女子高生の名前である。

 翌朝、いつもであれば真っ先に登校している友人の姿がないことに、ポニーテールの女子高生は不思議に思った。

 「美香子が遅刻なんて珍しいわね」と、他の友人らと軽い気持ちで捉えていたところに担任から呼び出しを食らう。


 ――落ち着いて聞いてくれ。美香子がまだ家に帰ってないんだが、何か知らないか?


 友人のまさかの失踪に、ポニーテールの女子高生は酷く取り乱した。

 あの子が、まさか神隠しに遭うなんて……! 魔の手が友人にまで及んでいた現実を、女子高生は到底受け入れられるはずもなく。結局その日は授業に一切集中することができず、気分が重たいまま一人で下校した。



「……美香子」



 隣にはいつもいるはずの友人がどこにもいない。

 その直視したくない現実が、彼女の心を容赦なく締め付ける。



「本当にどこ行っちゃったのよ……」



 大切な友人だからこそ、彼女――美香子のことについて、女子高生はよく知っていた。

 一見すると軽い感じがしなくもないけど、根はまっすぐで曲がったことを何よりも嫌う。

 真面目な性格であるからこそ、夜遊びや友人宅への外泊といった可能性が極めて低いため、女子高生は否が応でも【現代の神隠し事件】と結びつきを連想してしまう。


 自分には、何もできない。

 警察の捜査も未だなんの進展もなし。

 このまま時間だけがいたずらにすぎていって、いずれは人々の記憶から忘れられていってしまうのではないか。女子高生は何よりもこうなる結末を酷く恐れた。



「……美香子、探さなきゃ」



 女子高生は、キッと夕空を見上げた。

 さっきまで落胆の感情いろに支配されていた表情かおは、強い活力で満ちている。



「友達だもん……私が、美香子を助けないと!」



 あくまでも女子高生は、どこまでいっても学生でしかない。

 何かしらの特殊な技能や能力もなにもない。コネクションも特にない、ごくごく一般人でしかない。それでもそう彼女が決起したのはすべて、大切な友人のため。

 友達を助けないで、友達だなんて言えないもん! 女子高生は一人固く決意した。



「――、でも具体的にどうしたらいいんだろう……」



 早速、最初の難関に女子高生はぶつかった。

 やる気があるのはいい、が具体的な方針については真っ白なままである。

 むろん、行動するのならば何かしらの計画が必要不可欠だ。

 しかし、その最初の一手目から女子高生は詰まっていた。



「とりあえず、警察……は頼れないし、じゃあ探偵……って現実は浮気調査とか迷子になった猫ちゃんの捜索ぐらいだって聞いたことがあるしなぁ。お金だってお小遣いにも限りがあるし……」



 しばしその場でうんうんと女子高生は悩んだ。

 道中、すれ違う人々から怪訝な眼差しを向けられるが、彼女はそのことすらまるで気付かない。



「う~ん……そうだ! こういう時って、確か現場に直接行けばいいって言うじゃない! そうと決まったら……」



 女子高生はぱたぱたと走り出した。

 彼女が通った道は、本来の帰路ではない。友人、美香子の帰路である。

 既に警察が何かしらの調査をしている可能性はあるが、それでも何か見落としているものがあるかもしれない。

 素人ながらの推察力であると彼女自身よく理解しているが、ひょっとすると……そんな淡い期待が、女子高生の心のどこかにはあった。



「さてと、それじゃあ早速調査してみましょうか!」



 女子高生は辺りをキョロキョロと見回した。

 電柱の裏側、排水溝の中、そしてずっと絶え間なく食欲を促進するいい香りが立ち込める住宅の方――時間帯的に、どこの家も今から夕食の支度時なのだろう――などなど。とにもかくにも、視界に映るものすべてを注意深く、女子高生は凝視した。

 しかし、思った成果が得られないことに彼女の口からは大きな溜息が一つ。



「……う~ん、やっぱり、何もないなぁ……」



 落胆した様子の彼女は、ふと視線をある方向に定めた。

 こんなところに、道なんかあったかしら……? 女子高生ははて、と小首をひねった。

 それは住宅と住宅との間にできた一本道で、他と同様にこれと言って目立ったものは皆無である。彼女が気に留めたのは、自身の記憶になかったからに他ならない。

 友人の美香子の家に、女子高生はよく遊びにいっていた。

 となると必然的にこの道を通ることとなる。

 幼稚園からずっと付き合いのある親友の家だから、忘れるはずがない。

 だからこそ、まったく記憶にない道に女子高生はハッとした顔を浮かべた。



「もしかして、これが噂の……?」



 資格ある者だけが店から導かれる――昨日、友人としたばかりの噂話が真実であれば、これが正にそうなのかもしれない。もちろん憶測の域を脱しないし、果たして親友がいるかどうかすらもわからない。

 それでも女子高生が足を前に出せたのは、すべては大切な親友を取り戻すため。

 美香子はきっとここにいる……! 女子高生はそんな根拠なき自信が心のどこかにあった。

 しばらくして、女子高生は顔を強くしかめた。



「ここ、どこ……?」



 周囲は住宅街ばかりで、自然はまったくないと言っても過言ではない。

 だと言うのに、目の前には鬱蒼うっそうとした林道がまっすぐと伸びている。

 この異常事態と言う他ない状況に、女子高生の顔色はお世辞にも良好とは言い難い。

 呼吸を徐々に乱れが生じ、じんわりと脂汗が頬に滲む。



「え? ど、どうなってるの? こんなところに林道なんてなかったのに……!」



 少女は激しく困惑した。

 だが、彼女の歩みは止まらない。

 恐る恐る、力ない一歩は頼りないことこの上ないが、少女はそれでも足を進め続ける。

 すべては大事な親友のために、「わ、私が美香子を助けるんだから……!」と少女は何度も、そう自らを鼓舞するように言い聞かせて、奥へと向かった。

 いったい、どこまで続いているのだろう。

 彼女がこの林道へと入ってから、かれこれ10分以上が経過した。

 景色は相変わらず、鬱蒼うっそうと木々がずらりと生い茂るまま。

 砂利道をひたすらに進む。変化が生じたのは、茜色だった空に黒みが掛かった頃。

「あれは……?」と、少女は前方の闇に眼をジッと凝らした。

 薄暗い闇の中で、金色の光がふわふわと浮いている。

 もしかして人かも! これまで誰とも出会わなかっただけに、女子高生の心中にちょっとした安心感が訪れた。



「す、すいません! ちょっとお尋ねしたいことがあるんですけ……ど……」



 見る見るうちに、女子高生の顔からは血の気がさぁっ、と引いていく。

「う、嘘……」と、女子高生は顔をひきつらせたまま、ゆっくりと後退った。

 これがひぐまなどの類であったならば、彼女の行動は極めて的確だと断言できよう。


 ただし、これはあくまでも熊に遭遇した時の対処であり、怪物・・と対峙した際の対処法マニュアルを当然彼女が修得しているはずなどなかった。

 女子高生が目にした光の正体は、怪物の単眼がぎらぎらと不気味に輝いたものだったのである。



「な、なんでこんなところに怪物が……」



 ま、まさかこの怪物が美香子を……!? 女子高生の背筋を悪寒がぞわりと駆け巡る。



「あ、あなたが美香子を襲ったの……? ううん、神隠しの仕業なの……!?」



 正直に言って、怪物から返答がくるとは女子高生も差して期待はしていない。

 人語が通ずるのであれば、きっとこのような怪事件など起きるはずもないだろうから。

 それでも尋ねたのは、少しでもいいから行方不明となった親友に関する情報を集めるため。



「ど、どうなの? こ、答えてよ……!」



 次の瞬間、怪物がけたたましく吼えた。

 どの動物にも該当しない、例えるならばそれはガラスや黒板を引っ掻いたような。

 耳に著しい不快感を与える異音に、女子高生は「ヒッ!」と短い悲鳴をもらした。


 に、逃げなきゃ……! 女子高生はくるりと踵を返すと、一気に地を蹴った。

 普段通りの彼女であれば走ることなど造作もなかったろう。

 だが現在いまは、怪物の恐怖によって一歩出すのもままならない状態だった。

 がくがくと小刻みに打ち震えた足は、今にも転びそうで大変危なかしい。



「はぁ……はぁ……」



 女子高生は、それでも必死に怪物からの逃走を試みた。

 そんな彼女の努力を嘲笑うかのように、怪物は着実に女子高生との距離をどんどん縮めていく。

 双方の距離はもう1メートルとない。怪物が手を伸ばせば、その指先は女子高生の背中に容易に届いてしまう。


「お、お願い……だ、誰か……」と、女子高生は息も絶え絶えになりながらも、助けを求めた。


 この鬱蒼とした林道に果たして、誰が助けに来ると言うのだろう。

 危機的状況に陥りながらも冷静に思考できる己を女子高生は強く後悔した。

 誰も助けになんか来ない。


「えっ!?」と、女子高生が驚愕に声をあげたのは背後から断末魔に近しい叫び声がしてからほんの少し遅れてのこと。



「な、何が起きたの……?」



 女子高生は、困惑したままもそりと疑問を口にした。

 怪物が激しくのたうち回っていた。彼女の背に届ぎそうだった手が、どこにもない。

 通常ならばまず、滅多に見ることのないきれいな切断面からは、次々と赤い血が絶えず排出される。それを目にした途端、女子高生は「うぇぇ……」と嘔気をもよおした後で盛大に地面へと吐瀉物としゃぶつをぶちまけた。

 普通に暮らしていて、猟奇的現場に遭遇する確率など天文学的だと言っても差支えはあるまい。

 大抵の人間がそうであるのだから、女子高生に免疫などあるわけがなく。

 げぇげぇと嘔吐する女子高生は、うっすらと瞳に涙を浮かべながらも前方を見やった。



「あ…………」

「…………」



 少女の前には、一人の青年がいた。

 暗闇の中でもよく目立つ赤い髪は、まるで燃え盛る焔のように色鮮やかで。白を主としたロングコートを着こなす彼の右手にある一振りの太刀に女子高生は釘付けだった。

 に、日本刀って……それって立派な銃刀法違反じゃない! そうツッコミを入れるだけの余力すらもない女子高生を他所に、その青年は怪物へと立ち向かう。


「ふっ!」と、鋭い呼気と共に打ち落とされた電光石火の一撃は、中空に銀閃を引いて怪物を容易に斬った。


 正に一撃必殺と呼ぶに相応しい太刀筋は、一種の芸術ですらある。少なくとも彼女の瞳にはそのように映っていて、だがとうとう気力が限界に達した女子高生は、ここで意識を深淵へと手放した。

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