イレイザー(13)

 小津あゆむは、いつものように喫茶店の開店準備をはじめていた。

 店内の清掃を終え、ランチタイムに出すカレーの仕込みも終えている。きょうのカレーはトマトチキンカレーだった。


 開店時間の午前九時を向かえると店の外にOZと書かれた木製の立て看板を出して、客が来るのを待った。


 その日一番最初の客は、背が高く、細身の男性だった。ロングコートを着たその男性は店内を見回してから、窓際の席に腰を下ろした。


「いらっしゃいませ」

 小津はお冷を持ってその男性のテーブルへ行った。


 男性は慣れた手つきでメニューを取ると、じっとそのメニューを見つめてから口を開いた。


「きょうのコーヒーっていうのは?」

「日によって産地の違うコーヒーを出しているんですよ。きょうはコロンビア産の豆を低温で淹れたエスプレッソになります。香り、酸味の少ない味ですね」

「そうか。じゃあ、それをもらおう」

「はい、かしこまりました。あ、よかったら、パンケーキもどうですか?」

「パンケーキ?」

 小津はパンケーキ用のメニューを男性の前に差し出した。そのメニューには、数種類のパンケーキがイラスト付きで描かれている。イラストは小津が描いたものだった。


「きょうのパンケーキっていうのは?」

「きょうは、シンプルなバターとメープルシロップです」

「そうか。じゃあ、それをLサイズでもらおう」

「おっ、いきなりLサイズいっちゃうんですね」

「もしかして、すごく大きいやつとかなのか」

「いえ、全然。女の子でもペロッと食べれるぐらいです。大丈夫ですよ」

「じゃあ、Lサイズで頼む」

「わかりました。少々お待ちください」

 小津は注文を受けるとカウンターの内側へと戻り、コーヒーとパンケーキの準備をはじめた。


 以前もあのお客さんは来たことがあるような気がしていた。しかし、一度来た客のことを忘れるはずはない。どこかで見たことがあるような気がする。

 誰だったか。思い出せそうで、思い出せない。小津は首を傾げながら、その客の後ろ姿を見つめていた。


※ ※ ※ ※


 久我総はいつもと同じ席に座り、いつもと同じメニューを注文した。

 しかし、いつもと違うのは、まるで初めてこの店にやって来たかのように振る舞ったということだ。


 異能者、浅井啓一の能力。それは一定空間にいた人間の記憶を消し去るというものだった。通称、イレイザー。彼にかかれば、特定期間、特定人物の記憶を消去するということが可能だった。

 そして、浅井はその能力を使い友人である小津明彦の息子、あゆむの記憶を一部封印していた。それはあゆむの持つ能力に関する記憶の一部であり、その能力に関する記憶を封印することによって彼の身の安全を保証していた。


「もう、終わりにしましょう、浅井さん」

 久我はそう言って、浅井を説得した。


 実際に小津あゆむの脅威となるものは、何もなかった。いまの組合ギルドにとって小津あゆむは忘れ去られた存在となっていたのだ。それに小津あゆむの能力を開放すれば、すべてが終わる。

 浅井は久我の言葉にゆっくりと頷き、小津あゆむの記憶の封印を解くことを了承した。


 記憶の封印を解く。そう聞くと、なにか大きな儀式的なものを行うのかと思えるが、実際は至ってシンプルなことだった。


 小津の経営する喫茶店OZへ顔を出した浅井は、小津の手に軽くタッチする。それだけだった。小津は何事もなかったかのように、浅井の注文を聞き、コーヒーを提供した。

 これで、すべてが終わったのだ。


「久我さん、あなたの能力は守られているようだ」

 浅井はそういい、久我に微笑みかけた。


「これで組合ギルドも終わりだよ。異能者なんて呼ばれる人間はひとりもいない」

 そう浅井は続け「ありがとう」と言って、久我の前を去っていった。

 

小津あゆむの封印されていた能力。それは、異能を消すというものだった。この異能は小津あゆむが生まれ持ったものではなかった。小津明彦たちによる異能の研究によって生み出された能力なのだ。そして、小津明彦はこの能力を息子に託した。


 組合ギルドの創設メンバーである四人は、もし組合ギルドが間違いを犯すようであればこの能力を解放するという条件をつけ、浅井の能力を使って小津あゆむの能力を封印した。

 小津あゆむの能力が解放される時、組合ギルドの存在意義も失われる。いや、それだけではない。すべての異能者の力が失われるのだ。それだけ、小津あゆむの能力というのは強力なものだった。


 しかし、その能力が適用されない例外もいた。それが久我だった。なぜか、久我の異能は失われることはなかった。おそらく、そういった異能者は他にもいるだろう。

 ただ、組合ギルドのメンバーについては全員が能力を失い、組合ギルドは崩壊した。


 それが久我の頭の中に作られた、新しい記憶となった。

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