イレイザー(10)

 タクシーに乗り、喫茶店OZへ向かう途中、久我は姫野に電話を入れておいた。

 片倉の件についての続報が無いかということも気になっていたし、姫野自身の精神状態も心配だったのだ。


 姫野と片倉は警察学校の同期だった。そして、片倉は姫野に対して恋心に近い感情を抱いていた。それは以前片倉から読み取った残留思念によって知ったことだった。そのため、姫野が片倉のことをどう思っているのかは知らない。ただの元同僚で、元同期。その程度にしか思っていないかもしれないし、そうではないかもしれない。それは久我にはわからないことだった。


「もしもし――」

 電話に出た姫野の声はどこか沈んでいた。


 大丈夫か、姫野さん。そう久我は言いかけたが、口を噤んだ。そんなことを聞いてどうする。聞いたところで、自分には何もできることは無い。だから、久我は事務的に話をはじめた。


「片倉の件だが、その後はどうだ?」

「なにの進展もありません」

「そうか。じゃあ、記憶をなくした男の方は?」

「警察病院を退院しました。いまは記憶を取り戻すために、病院にリハビリで通院しているそうです」

 仕事の話をする時は、姫野はハキハキとした口調で答えた。

 しかし、それは仕事ということで精神をかろうじて保っているだけであり、いまにも破裂してしまいそうなほどに膨らんだ風船のようにも思えてならなかった。


「これからOZへ行くんだが、姫野さんも一緒にどうかな?」

「いま仕事中なんですが」

「別に遊びで行くわけじゃない。仕事だよ」

 久我がそう言うと、受話口の向こうから少しだけ笑い声が聞こえた。姫野が笑ったのだ。


「わかりました。行きます」

「そうか。じゃあ、現地で待ち合わせをしよう」

 そういって電話を切ると久我はタクシーのサイドガラス越しに見える景色をじっと見つめていた。


 しばらくして、タクシーはOZの駐車場に入った。久我はそこで料金を支払い、タクシーを降りた。

 店の駐車場には見覚えのある車が一台あった。姫野のものだ。姫野の方が早く着いたようだった。


「いらっしゃいませ」

 OZの入口のドアを開けると、小津あゆむが声を掛けて来た。


「姫野さんがいらしてますよ」

「ああ、そうみたいだな。キミの話を一緒に聞こうと思って呼んだんだ」

「わかりました。ちょっと待っていてください」

 小津はそう言うと、店のドアに掛かっているプレートをひっくり返して『CLOSE』の表示に変えた。


 久我はその間に姫野のいる席へと向かっていった。

 姫野と会わなくなって一週間ほどだったが、明らかに姫野の顔はやつれていた。やはり、同期である片倉という存在を失ったのは大きかったのだ。


「すまないな、呼び出して」

 そう言いながら、久我は姫野の正面の席に腰をおろす。


 姫野の席には、コーヒーカップが置かれていたが、まだ口はつけられてはいないようだった。


「きょうは、どういった件で呼び出したんですか」

「わからん」

「え?」

「私にもわからないのだよ」

「え……だって、わたしを呼び出したのは久我さんの方じゃないですか」

「ああ、そうだ。だが、私も呼び出されたひとりなんだ」

「そうなんですか?」

 よく話が読めない。姫野の顔にはそう書かれていた。


「すいません、お待たせしちゃって」

 そのタイミングで小津がやってきた。手にはトレーを持っており、小津はそのトレーから久我の前にホットコーヒーを置くと、もう一つを久我の隣の席に置いて、自分もその席に腰を降ろした。


「私を呼びだしたのは、彼だよ」

 久我がそう言うと、小津は無言でこくりと頷いてみせた。


「それで、話というのは何なんだい」

「久我さんたちは、記憶を無くした人のことを調べていますよね」

 その言葉に久我と姫野は顔を見合わせる。

 なぜ、小津がそのことを知っているのだろうか。ふたりの疑問はそこにあった。


「ぼくのところに片倉さんがやって来て、聞いて行ったんです」

「なにを?」

「ひとりの男の人の画像を見せて、その人のことを知らないかって」

「それで、キミはその画像の人のことを知っていたのか」

「いえ、知りませんでした」

 きっぱりと小津が言ったことで、久我たちは肩を落とした。


「じゃあ、なんで我々を呼び出したんだ」

「そんなに話を急がないでください。まだ話には続きがあります」

 小津はそう言うと、コーヒーをひと口だけ飲んだ。


「片倉さんは、その画像の人がぼくの父に関係している人間かもしれないと言ったんです」

「小津明彦さんの?」

「はい。きっと、片倉さんには何かの確信があって、ぼくのところに来たんだと思いました。だから、ぼくも父の写っている昔のアルバムとかを探してみたんです」


 そこまで言って、小津はエプロンのポケットから一枚の写真を取り出した。

 そこには、小津の父親である小津明彦ともうひとりの男性が写っていた。

 写真はだいぶ古いもののようだったが、久我はその人物の顔を見て、すぐに誰であるかを理解した。

 記憶を無くした男である。


「どういうことなんだ……」

 久我は唸るようにして言った。

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