イレイザー(9)

 片倉が病院の屋上から転落死した件については、事故と事件、自殺といった多方面で捜査されることとなった。

 捜査指揮権を取るのはN県警捜査一課であり、捜査本部長は刑事部長代理である周防すおう参事官がいていた。片倉の死については、N県警捜査本部も本腰を入れてきているということだろう。

 しかし、片倉の姿を捉えた映像や目撃情報は皆無であることから、捜査の進展は見せていないという話を久我は姫野から聞かされていた。


 帰ってくる家主のいなくなった古本屋・鶺鴒堂の二階にある部屋で、久我は安楽椅子に座ったままじっと動かなかった。

 片倉が死んでから、すでに一週間が経とうとしている。

 久我はあの時に見た残留思念の意味がわからずにいた。あの黒マスクの人物は何者だったのだろうか。そして、なぜ片倉の残留思念を見ようとした久我を止めようとしたのか。わからないことだらけだった。


 どこかで電話が鳴っている音がした。それは久我のスマートフォンの音ではなく、一階にある古本屋の電話機であった。

 しばらくして、音は鳴り止んだ。

 静寂を取り戻した部屋の中で久我は、どうしてあの時、片倉に仕事を振ってしまったのだろうかという罪悪感に押しつぶされそうになっていた。

 自分を責めても、どうすることもできないことだということはわかっていた。

 自分を責めても、片倉は生き返ったりはしない。

 自分を責めても、何も変わらないのだ。

 しかし、久我は自分を責めることしか、いまは出来なかった。


「おい」

 声がした。それは一階の古本屋の老店主の声だった。

 顔をそちらに向けると、そこには階段のところから顔だけを出した老店主がこちらを見ていた。


「あんたに電話だよ」

「誰から?」

「知らねえよ。久我ってのがいるはずだから、代わってくれって言われただけだ。女だよ」

「そうか……」

 久我はそう言うと、ゆっくりと安楽椅子から立ち上がった。


 自分はここで何をしていたのだろうか。そんな気持ちになりながら、階段を下りて店の固定電話に出る。


「代わりました、久我ですが」

「何をやっているんだ、久我特別捜査官」

 電話に出ると、自分を叱咤する声が久我の耳に飛び込んできた。


「相馬上級特別捜査官……どうして、ここが」

「『どうして、ここが』じゃないだろ。わたしは何をやっているんだと、聞いているんだ」

「失礼しました」

「仕事をしろ。いまのお前に出来ることは、なんだ」

 そう相馬に言われて、久我はハッとなった。


「失礼しました」

 久我はもう一度言った。今度の声はハッキリとしたものだった。


 電話を切った久我は、老人に礼を述べて古本屋を出た。

 スマートフォンの電源を入れると、電源を切っている間に数回着信があったことを知らせるメッセージ通知が来た。そのほとんどは、相馬からのものであり、あとはN県警の番号だったが、一件だけ見覚えのない番号から掛かってきていることに気づいた。番号は、N県S市の市外局番の固定電話のものだった。


 久我はその番号に折り返し掛けるためのリダイヤルボタンを押した。

 しばらくコールが続いた。


「はい、もしもし――」

「久我と申しますが……」

「あ、久我さん?」

 その声には聞き覚えがあった。喫茶店OZの店主である、小津あゆむだった。


「キミだったか。電話をもらったみたいで」

「前にもらった名刺に書いてあった番号に掛けてみたんだけれど、出なかったから」

「すまない。ちょっと電源を切っていた。それで、どうかしたのか」

「ちょっと話したいことがあるんですけれど」

「わかった。そっちに行こう」

 久我はそう言うと電話を切って駅の方へと歩きはじめた。


 小津からの話というのは、一体何なのだろうか。久我には見当がつかなかった。

 彼は喫茶店の店主であると同時に組合ギルドと深く関係のある人物であった。

 彼の姉である小津いろはは、焔の女として組合ギルドのために何人もの人間を殺してきた。また、彼の父である小津明彦は組合ギルドの創設者のひとりでもある。

 小津と組合ギルド。その二つを結びつけてしまいがちだが、彼本人から組合ギルドについての話は一度も聞いたことが無く、今回の電話の理由も違っているような気がしていた。

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