イレイザー(5)
「八咫烏のこと、ご存じですね」
片倉は男に告げた。
男は目を閉じ、何も答えなかった。
しかし、それが答えだった。男は、この八咫烏が何を意味しているのかを知っている。記憶を失っても、八咫烏の意味をわかっているのだ。
八咫烏は
男は
「すまないが、N県警刑事部の姫野さんに連絡を取ってくれないか」
片倉はS署の刑事にそう告げた。
「あ、はい。わかりました。なんて伝えれば、よろしいですか」
「ここへ来てもらってくれ。片倉が呼んでいると伝えてくれればわかるはずだ」
「わかりました。ちょっと電話をしてきます」
S署の刑事はスマートフォンを片手に病室から出ていった。
片倉はその様子を見守り、刑事の姿が完全に見えなくなってから口を開いた。
「さて、これで聞かれることも無くなった。正直に話してくれ。あんたは
片倉は男にそう話しかけた。
すると男は閉じていた目を開けて、じっと片倉のことを見た。
こちらのことを値踏みするような嫌な目だったが、片倉はその視線を受け止め続けた。
「探偵さん、あんたは信用できる人間なんだろうな」
「もちろんだ。元々俺は
片倉はそう言うと自嘲気味に笑って見せ、自分の右腕を男の方へと向けた。
手首から先が存在していない右腕。この右手を失った理由は、
N県警と
横領した1000万円。それはただの表向きの理由だ。その裏にあるのは
「この話は墓場まで持っていけ」
片倉の右手を斬り落とした人間は、片倉にそう告げた。
「もしも、誰かに話すようなことがあれば、自分の右手に殺されることになるぞ」
あの男は笑いながら、そう片倉に言ったのだ。
それはあながち嘘ではないと片倉は思っている。
右手だけで済んで良かった。そう思うことにしよう。片倉は自分にそう言い聞かせてきた。
「
「なるほど。じゃあ、あんたの異能は何なんだ?」
「異能?」
男は何もわからないといった口調で言った。
「あんたは
「わからない……」
男はそう言うと俯いた。
この男が本当に何も覚えていないのか。それとも何らかの理由で喋れないのか。そこを片倉は見極めようとしたが、男の口調だけではわからないことだった。
「少し、外の空気を吸いに出ないか」
片倉は男を誘ってみた。
男は記憶が欠落しているというだけであり、身体は健康そのものだと聞いている。いつまでもこのような病室に閉じ込めておくのは良くないのではないか。もしかしたら、外に出れば何かしらの刺激を受けて記憶が戻ることもあるのではないか。片倉はそんな期待を込めて男を外へと誘ってみたのだった。
「ああ。ちょうど私も外の空気を吸いたいと思っていたところだ」
片倉と男はふたりで病室を出ると、病院の屋上へと向かった。
病院の屋上は頑丈な金網で囲まれた空間だった。それは自殺防止のための措置だと思われるが、どこか牢屋の中に閉じ込められているような錯覚を覚えなくもなかった。
天気が良かったこともあり、屋上には片倉たち以外にも病院の患者や見舞客などの姿があった。
途中の自動販売機で購入した缶コーヒーを男に渡し、空いていたベンチにふたりで腰をおろす。
「実際のところ、どこまで記憶が無いんだ」
「わからん。どこまでというのが、何を指しているのかもわからんよ」
「じゃあ、質問を変えよう。何なら覚えている」
「一般常識や生活に関することなどは覚えているさ。日本語も不自由なく話せるし、文字も書くことは出来る。ただ、自分の名前や住所などといった自分に関することは何も思い出すことはできない」
「そうか。でも、あんたは八咫烏が何であるかは知っていた」
「それは一般常識ではないのか?」
「違うね。これは一部の人間しか知りえない情報だ」
「そうなのか……」
男は浮かない顔をしながら答えた。
「人の記憶を消す能力。そんなものがあるんじゃないのか」
「わからない……」
「一体、どんな能力なんだ。あんたはその能力者にやられたんだろ。何か
「わからない……」
「
「わからない……わからない……わからない」
男は頭を抱えるような仕草をした。
片倉は慌てて男の顔を覗き込む。
次の瞬間、片倉は自分のミスに気づいた。
だから、お前は詰めが甘いんだよ。
刑事時代に先輩刑事から言われた言葉だった。
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