イレイザー(4)

 話が違うじゃないか。

 肩透かしを食らった気分だった。

 片倉は運転していたBMWを警察病院の駐車場に入れると、小さくため息をついた。

 助手席に座るはずの久我の姿は、そこにはなかった。

 喫茶店で久我から請け負った仕事は、記憶を失ったという身元不明の男の調査だった。


「それで、俺はその記憶をなくしたという男についての捜査をすればいいんだな」

「ああ、頼む。片倉が男に会いに行くという話は伝えておくよ」

「ん?」

 違和感を覚えた片倉は、じっと久我の顔を見つめた。


「どうかしたのか、片倉」

「お前は来ないのか、久我」

「なんで、私が行く必要があるんだ」

 平然とした顔で久我は言った。


「いやいや、これはお前の仕事だろう」

「何を言っているんだ、片倉。私はお前に金を払って仕事を依頼したんだぞ。だから、男についての調査はそちらの仕事だ。そもそも、私が捜査というものは得意じゃないことはわかっているだろう」

 久我はそう言うと、カップの中に残っていたココアを飲み干した。


 やられた。

 その時、片倉は久我にハメられたのだと気づいた。


 久我総という男は特別捜査官という肩書きを持っているが、捜査というものは一切してこなかった人間だ。久我は、遺留品の残留思念を読み取ることによって事件を解決へと導いてきた。そのため、事件捜査とは無縁なのだ。逆にいえば、遺留品と久我さえいれば事件は解決してしまう。ひとつの所轄にひとりの久我がいれば、未解決事件などありえなくなってしまうというわけだ。


 しかし、今回のようなケースもあるということなのだろう。

 記憶喪失の男と、残留思念の無い腕時計。

 完全に今回の件で、久我は役立たずというわけだ。

 だから、久我は自分の出る幕ではないと言わんばかりに、片倉へ仕事を回してきたというわけだ。


 なんで刑事を辞めてまで、捜査の仕事をしなきゃなんないんだ。

 片倉は憂鬱な気持ちになりながら車を降りると、その記憶の無いという男がいる病室へと向かうのだった。

 病院の受付で片倉は身分証を見せて、久我から仕事を請け負ったという話をすると、すぐに担当者だという男がやってきた。N県警S署刑事課の人間だった。


「片倉さんじゃないですか」

 その男は片倉の顔を見るなり、懐かしそうに言った。

 知っている刑事だった。かつて、共に事件を追ったことがある刑事だ。


「お久しぶりです」

「ああ……」


 だから嫌なんだよ。片倉は心の中でそう思いながらも、その刑事に笑みを見せていた。

 一応、表向きは依願退職ということになっていた。しかし、片倉が捜査費を横領していたという話はN県警に所属する刑事であれば知らないわけがなかった。


「まさか、こんなところで片倉さんにお会いできるなんて思いもよらなかったですよ」

 刑事は嬉しそうに言うと、片倉のことを病室へと案内した。


「何も覚えていないそうですから、話を聞いても無駄だとは思うんですけれどね」

「まあ、そうだな」

 くそ、久我の野郎。片倉は心の中で久我のことを罵りながら、病室の中へと入った。


 ベッドの上にはひとりの中年男性が寝ていた。特に顔色が悪いというわけでもない、その男は点滴を受けるわけでもなく、ただベッドで横になっているように見えた。

 男は片倉が病室へと入ってきたことに気づき、目を開けると、片倉の顔をじっと見つめた。


「失礼。私はこういう者です」

 片倉は名刺を差し出した。その名刺は、探偵という肩書きと携帯電話の番号が書かれているだけのシンプルなものだった。


「探偵……ですか」

「ええ、あなたのことを調べるように依頼されましてね」

「安心してください。彼は元刑事ですから」

 S署の刑事が余計な口を挟んでくる。

 片倉はその刑事を無視するかのように、男の方を見て話を進めた。


「記憶が無いということですが、どこからどこまでの記憶がないのでしょうか?」

「どこからといわれると難しいですね……。気がついた時、私は土手に佇んでいました」

「それ以前の記憶は?」

「……無いです。自分が誰なのか、どこに住んでいるのか、何者なのか、すべてがわかりません」

「だけれども、日本語で話すということは覚えている。食事の取り方は覚えている。字も書ける。一般的な常識や教養は忘れていない」

「そうですね。それは医者の先生にも言われました。何か強い衝撃を受けたことによって、記憶の一部が欠落してしまった可能性が高いと……」

 男はため息をつきながら言う。


「例えば、これは誰だかわかりますか?」

 片倉はそういうとスマートフォンの画面を男に見せた。


 そこには久我の顔が写されていた。少し前に片倉が隠し撮りをしておいたものだった。


「先日来られた刑事さんですよね。えーと、確か名前は」

「いや、そこまでで大丈夫です。いまの記憶はあるということがわかりましたので。では、こちらの人物はいかがでしょうか」

 今度はテレビタレントに転身した元N県知事の画像を見せてみた。


「知っていますよ。元県知事ですよね」

「ええ。正解です」

「同じようなテストを何度も警察の方や医師たちとやりましたよ」

「そうですか。失礼しました。少しでも何か覚えていることがあれば教えていただきたいのですが……」

「覚えていること……ですか。難しいですね」

「これとかはどうですか?」

 片倉は再びスマートフォンの画面を男に見せた。


「わかりません」

 男はすぐに答えた。


 スマートフォンの画面には、八咫烏ヤタガラスのマークが表示されている。

 答えるのが早すぎる。片倉はじっと男のことを見つめながらそう思っていた。

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