イレイザー《Eraser》

イレイザー(1)

 その店には『鶺鴒堂せきれいどう』という名前がついていた。

 鶺鴒せきれいというのは鳥の種類らしいのだが、どんな鳥なのか久我総は知らなかった。


 N県最大の電気街といわれるA橋町。そこはN県の秋葉原といわれるほどであり、平日であっても家電製品などを買い求める人々で賑わっている。


 鶺鴒堂はそんなA橋町の電気街から一本路地を入ったところに存在する古本屋だった。店の前に出された木製の看板には達筆な筆文字で『鶺鴒堂』と書かれており、天気の良い日はワゴンセールで一冊50円の文庫本が並んでいたりした。


「また、あんたか」


 久我総が引き戸を開けて店内に入ると、奥にあるレジの脇に座っていた毛糸の帽子をかぶった老人が老眼鏡をずらした上目遣いで、あからさまに嫌な顔をしてみせた。


「わるかったな、客じゃなくて。いるんだろ」

「勝手に行ってくれ」


 老人は不機嫌そうに言うと、古書棚の隙間にある空間をちらりと見た。

 その狭い空間の向こう側には、二階にあがるための階段が存在していた。

 久我は階段をあがっていき、階段の突き当りにある頑丈な扉の前で声を掛ける。


「開けてくれ」


 久我の声に反応するかのように、天井につけられている監視カメラが作動する。

 そして、扉のロックが解除される音が聞こえた。


「何しに来た、久我」


 開いた扉の向こう側にいた片倉かたくら圭佑けいすけは、疫病神がやって来たといった顔をしながら、久我のことを向かい入れた。


「まだ、引っ越さないのか? もう隠れている必要はないんだろ」

「別にいいだろ。こっちにも都合があるんだよ」


 苛ついた口調で片倉は言ったが、表情はそこまで険しいものではなかった。

 その証拠に、片倉は部屋の隅に置かれている小さな冷蔵庫へ向かうと、冷えたペットボトルのお茶を久我に渡した。


「片倉、あんたに仕事を頼みたい」

「断る」


 即答だった。


「そんなに意地になるなよ、片倉。あんたにうってつけの仕事なんだ」

「だからこそ、断るんだ。大体お前の持ってくる仕事っていうのは、ロクなもんじゃない。俺はもう警官じゃないんだ。危ない橋は渡れない」


 片倉はそういうと片手で器用にペットボトルの蓋を開けて、お茶を飲んだ。

 もはや右手の手首から先がない片倉の姿は見慣れたものであり、どこにも違和感を覚えなくなっていた。


「とある事件の重要参考人が、記憶喪失になっていてな……」

「ちょっと待て、俺は引き受けるなんて言っていないぞ」

「ただの独り言だと思ってくれ」

「ふざけるな。聞いてしまったら、その仕事をやらざる得なくなるってことだろ」

「まあ、そうなるな」


 久我は悪びれもせずに言う。

 そんな久我のことを片倉は睨みつけていたが、まったく動じない久我に諦めのため息をつく。


「金が必要なんだろ」

「痛いところをついてくるな、久我」

「いくら必要なんだ」

「あんたの仕事を引き受けても、足りないくらいの金額は必要だよ」


 かつて、片倉はN県警刑事部から1000万円という金を横領していた。それが何に使うための金だったのかはわからないが、その1000万円を返すために片倉は右手首から先を失っていた。


 あの時、片倉の身に何があったのかは久我も知らないし、知りたいとも思わなかった。

 ただ、その片倉の切り落とされた右手は、いまでもN県警警察本部に冷凍保存されているということだけは知っていた。


「もう一度だけいう。私の仕事を請け負ってくれないか」

「わかったよ。今回だけだ。次からはお前からの仕事は引き受けないからな」

「契約成立だな」


 久我はそう言って左手を差し出した。

 しかし、片倉は握手を拒否した。なぜならば、久我に触れられると記憶が読まれると警戒したためであった。


「なるほど、誘いには乗らないか」


 笑いながら久我がいう。どうやら、片倉の読みは当たっていたようだ。

 久我が相手に握手を求めることなどは、まず無い。あるとするならば、その残留思念を読み取りたいという意図がある時だけだった。


「これだから異能は嫌いなんだよ」


 吐き捨てるように片倉はいった。

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