帰還(2)
顔見知りとなったホテルのフロント係の女性に久我が挨拶をすると、彼女は驚いた顔をして見せた。それもそうだろう。三か月間、ホテルに滞在していた客が帰ったと思ったら、また数週間で戻ってきて部屋を借りたいと言っているのだから。
「出張ですか」
「ええ、またN県に戻ってきてしまいました」
久我は笑いながら言う。だが、実際には笑えなかった。ホテル代も馬鹿にならないのだ。捜査費として領収書を提出すれば落とすことは出来るが、捜査費は事前に支給されず、本人の持ち出しとなるのだ。安いビジネスホテルだとしても、これが長引けば久我の懐が痛むことに違いなかった。
久我は彼女に名刺を渡しており、彼女は久我の素性を知っていた。だから、料金を踏み倒して逃げるような真似はしないだろうと思っているのか、彼女は久我に泊まれる部屋をすぐに案内した。
以前とほとんど変わりのない部屋だった。180センチ以上ある長身の久我が寝そべってもはみ出すことのない大きなベッドと、ノートパソコンを置くことができる小さなテーブル。それ以外には特に家具のようなものはない部屋。以前と違いがあるとすれば、窓の外に見える景色くらいだろう。前回の部屋は隣のビルの非常階段が窓から見ることができたが、今回の部屋は通りに面しており、道路を挟んだ向こう側にあるマンションの廊下が見えるだけだった。
荷物をクローゼットの中に入れた久我は、スマートフォンだけを持って部屋を出た。最近はキャッシュレス化も進み、スマートフォンさえあれば買い物でもなんでも出来るので財布を持ち歩くということはしなくなっている。
ホテルを出た久我は、少し街を歩いた。N県は地方都市であるが、県庁所在地であるS市などはそこそこ発展している。駅ビルには大手家電量販店や衣料品店が入っており、大勢の人で賑わっていた。
久我は駅前のロータリーで客待ちをしているタクシーに乗り込むと、運転手に行き先を告げて、窓の外の景色へと目を向けた。
数カ月ぶりのN県だったが、景色は大して変わってはいなかった。唯一変わった点としては、雪が積もっていないということくらいだろうか。
「お客さん、東京からですか?」
運転手がルームミラー越しにこちらを見ながら話しかけてきた。
髪を短く刈り上げた白髪交じりのごま塩頭の男だった。
普段であれば、運転手から何かを言われても無視を決め込む久我であったが、この時はなぜか運転手の言葉に答えていた。
「わかるのか?」
「わかりますよ。雰囲気というか、なんというか。東京の人だなーって」
「そんなものなのか」
「ええ。この仕事を長年やっていると、お客さんの雰囲気でわかっちゃうんですよ」
運転手は笑いながら言う。
本当だろうか。久我は疑問を覚えていた。雰囲気で、どこから来たかなどということがわかるのだろうか。久我の格好はスーツである。ネクタイも地味なものであり、その辺にいるサラリーマンとさほど変わりない格好のはずだ。
「職業なんかもわかったりするのか?」
興味を抱いた久我は、運転手に尋ねてみた。
もしかしたら、これは運転手の長年の勘などではなく、何かの能力ではないのか。N県には他県よりも多くの能力者が存在しているという報告もあるくらいだ。タクシー運転手が能力者であるということもあり得なくはないだろう。
「えーと、お兄さんの雰囲気からすると、セールスマンですかね。車のセールスマンとかどうですか」
どうやら、久我の思い過ごしだったようだ。本当に、ただの勘だったのだ。
「あれ? 違った?」
その後も運転手は色々と久我の職業を当てようと、様々な職業を口にしたが、久我は無言を貫き、運転手の言葉に耳を貸そうとはしなかった。
目的地にタクシーが着くと、久我はスマートフォンを使って料金を支払った。そして、降りる際に運転手に言ってやった。
「残念だったな、全部ハズレだよ」
振り返った運転手は、後部座席から降りていく久我のことを悔しそうな表情で見送った。
「わかった、刑事だろ。刑事」
そのひと言に久我は、ピタっと足を止めた。
そして、ゆっくりと振り返ると、運転手に声を掛けた。
「ハズレだ」
久我はそう言い放つと、歩きはじめた。
久我総は、刑事ではない。特別捜査官なのだ。
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