死の芸術家(10)
検視の結果、老人が教会の元神父であることがわかったと、その日の捜査会議で発表された。
元神父については、3年前に家族から所轄署へ捜索願が提出されていた。
3年前。すでにその時には、神父は廃業をしていた。教会は他の神父が引き継いで運営をして行くという話になっていたそうだ。
しかし、現実には誰も神父のあとを継いで、教会の活動を持続させた者はいなかった。
3年前に神父は古い友人を訪ねるといって家を出たまま、戻らなかったという。神父の自宅から教会までは車で1時間ほどの距離があった。しかも、神父の捜索願が出された当時、所轄署の生活安全課がこの教会を訪ねたという記録が残されていた。その時は、神父のことを見つけられなかったようだ。
では、神父はいつ、このような姿で殺されたのだろうか。
神父が他殺であるということは、検視で判明している。頭部を鈍器のようなもので殴られ、脳挫傷を起こして死亡したと検視報告書には書かれていた。その他に、神父の両足と背骨の一部が折れていたとも書かれている。これは、まさにあの『堕ちた天使』の絵と同じであった。
「堕ちた天使の絵は女性でしたけれど、実際は男性でしかも老人でしたね」
「そうだな」
「犯人はあの絵を描いたXということになるのでしょうか」
「どうだろうな」
久我は渋い顔をする。何か納得のいかないような表情だ。
絵画に描かれていたのは、地上に落下した女性の天使だった。天使は頭から血を流し、羽根がもげ、両足の骨が折れて脛の皮膚を突き破って見えているという状態だった。
しかし、現実には地面に倒れていたのは男性の老人であった。だが、同じように頭から血を流した形跡もあり、両足の骨も折られていた。
犯人はこの元神父のことを見て、あの『堕ちた天使』を描いた。そう推理するのが普通だった。だが、久我はそうではないようだ。
絵を描いてから犯行に至ったのか、それとも犯行に至るために絵を描いたのか。捜査本部ではそれが論点になっていた。
どちらでもいいじゃないか。久我はそう言いたげに会議室の最後尾の席で、議論をしている刑事たちを見ている。
この人は何を考えているのだろう。姫野には久我の考えが全くわからなかった。
捜査会議が終わると、久我は姫野に車を出してほしいと言った。
姫野は捜査車両に乗り込むと、久我を助手席に乗せて目的地を聞いた。
「N市の二番街へ行ってくれないか」
久我はそれだけ言うと目を閉じてしまった。
どこか疲れている。姫野は、久我にそんなイメージを抱いた。
「久我さんは、あの時に何を見たんですか」
赤信号で停車した時、姫野はずっと考えていた疑問を口にした。これを聞いてしまえば、事件の真相はすべて明らかになる。だから、ずっと口にしないで来た。でも、今であれば聞いてもいいのではないか。そう思ったからだ。
「全部見たよ。全部だ」
久我は重たい口を開くかのようにぼそりと呟いた。
全部。それは一体、何を、どれだけ、見たというのだろうか。
「では、久我さんは今回の事件の犯人も知っているということですね」
「ああ。知っている。ただ、逮捕はできない」
「どうしてですか」
「無理なんだ」
感情のこもっていない言葉。
「これは事件じゃないからな。全部、自殺だよ。犯人なんかいない。死んだ人間たちは、あの絵に魅了されて、同じように死んだだけなんだ」
「どういうことですか」
姫野は久我が何を言っているのか理解できなかった。
自殺……。絵に魅了されて、同じように死んだだけ……。
「絵を描いた人間を逮捕することはできない。ただ、見た連中が勝手にその真似をして死んでいっただけだからな」
久我はそう吐き捨てるように言うと、もう話したくないと言った感じで黙ってしまった。
いつから、そのことを久我はわかっていたのだろうか。
どのタイミングで見た残留思念にその情報が残されていたのだろうか。
もしかすると、最初から久我はわかっていたのではないだろうか。
様々な疑問が姫野の頭に浮かんだが、久我が口を開かない限りはそれを確認することはできなかった。
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