死の芸術家(8)

 堕ちた天使。

 展示されている絵画には、そうタイトルが付けられていた。

 地上に落下した女性の天使は頭から血を流し、羽根がもげ、両足の骨が折れて脛の皮膚を突き破って見えているという状態であった。


を掛けているんですかね」


 目の前にある大きな油絵を見上げるようにしながら、姫野が久我にいう。


 作者の名前はX(エックス)とだけ書かれている。

 この展示会に集められた作品は、皆どこか残酷であり、そして美しかった。


 雑居ビルの一階にある画廊で開かれた展示会だった。こういった展示会を久我がどこで調べてきたのかは知らなかったが、久我に展示会へと誘われたのはこれで三回目のことだった。


 事件はあれから解決の糸口を掴めないままである。

 久我が被害者であると告げた坂井リカコについても足取りはわかっておらず、N県警捜査一課は未だ坂井リカコの足取りを追っていた。


「違うな」

「え? 違いますか。そんな駄洒落じゃないんですかね」


 真っ向から久我に否定された気がして、姫野は急に恥ずかしくなった。


「いや、そうじゃない」

「そうじゃない?」

「こいつは落下死なんかじゃないってことだよ」

「はい?」


 まったくもって久我が何を言っているのか姫野には理解が出来なかった。

 冗談でも言っているのかと思って、久我の顔をマジマジと見るが久我はいたって真剣な表情をしている。本当にこの男がわからない。姫野は心底そう思った。


「殺した後に落としたんだ。だから、落下死じゃない。致命傷となったのは、鈍器による頭部への打撃だ。頭蓋骨陥没。それを隠すかのように、落下死したように見せかけた。どこかに凶器が落ちているはずだ」

「え?」


 久我には何が見えているのだろうか。姫野はその目を覗き込みながら考えてみたが、久我の目に映っているのは『堕ちた天使』とタイトルのつけられた一枚の絵画だった。


「ここはどこだ?」


 独り言をブツブツと呟きながら久我は、その絵に近づく。


「場所は、H海岸の近くにある教会だと聞いています」


 久我が振り返ると、そこには小柄な女性が立っていた。首からカードケースをぶら下げており、そのカードケースの中にはスタッフと書かれた紙が入っていた。


「そうなんですね。それは、このXという作者から聞いたのでしょうか」

「はい。描かれた人の希望で本人の名前を明かすことができませんが、絵についての話でしたらすることは出来ますよ」

「そうですか。あなたは、このXさんとお会いになったことはありますか?」

「ええ。ありますよ……」


 その言葉に久我と姫野は顔を見合わせる。

 何者なんだ、この人。そういう雰囲気を感じ取ったのか、女性は近くに置いてあったポーチから名刺入れを取り出した。


「失礼しました。わたしはこの画廊のオーナーを務めております藤崎と申します」


 藤崎はそういって一枚の名刺を久我に差し出した。

 名刺には、画商という肩書きと藤崎とわ子という名前が書かれている。


「久我です。こちらが姫野」


 自己紹介はそれしかしなかった。こちらが警察関係者であるとか、そういった情報を藤崎に与える必要はない。そう久我は判断したからだった。

 姫野は藤崎に頭を下げて挨拶をした。

 自分たちふたりを藤崎はどのように見ているのだろうか。そんなことを姫野は疑問に思った。

 若い男女が小さな画廊に現れて作品を見てまわっている。最初は冷やかしで入ってきたカップルにでも見えただろう。しかし、男の方が真剣に絵を見ているものだから、思わず藤崎は声を掛けてしまった。そんなところだろうか。自分と久我はカップルに見えたのだろうか。そんなことを思いながら、姫野は久我の顔をじっと見つめていた。


「好きなんですか」


 不意に藤崎に聞かれた。

 あまりにも不意打ちだったため、姫野はなんて答えていいのかわからなくなった。

 そりゃあ、久我のことは仕事のパートナーとしては尊敬しているし、好感を持っていることは確かだ。しかし、そんな直球で好きかどうかと聞かれてしまうと……。


「ちょっと気になりますね」


 まごまごしている姫野に代わって久我が答えた。


「ちょっと残酷で、ミステリアスですよね。作者がどのような気持ちの時に描いたのかとか気になります」


 あれ? そこで姫野は自分の失態に気づいた。会ったばかりの人間が急に「好きなんですか」などと聞いてくるわけがない。どうしたんだ、わたし。しっかりしろ。姫野は自分を𠮟咤した。


「この作者については、詳しいことは申し上げられないんだけれど、この作品は純愛がテーマなんだって言っていたわ」

「純愛ですか……」


 久我は目を細めるようにして、絵をじっと見つめていた。

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