死の芸術家(4)

 その絵画には、人を惹きつける何かがあった。

 作者は日本人であるということはわかっているが、それ以上の情報は出してはいない覆面画家の作品である。


 裸婦が描かれていた。しかし、その裸婦は白目を剥いており、床には蟻が行列を作って、その裸婦にたかっていた。おそらく、この裸婦は死亡しているのだろう。

 一輪の薔薇が咲いていた。赤黒い美しい薔薇だった。その薔薇は、裸婦の眼窩に活けられている。

 生と死と。作品の名前だ。

 久我は、その絵が掲載されている美術雑誌をそっと閉じるとソファーから立ち上がった。


 N県内にある小さな出版社だった。久我は美術雑誌の担当者に話を聞きたいということで、出版社を訪ねたのであった。そこで待っている間にパラパラと捲った雑誌で、この『生と死と』と名付けられた絵画を見つけたのである。


「すいません、お待たせしました」


 やってきたのは黒ぶち眼鏡をかけた若い女性だった。久我は素早く顔の特徴を自分の取っていたメモと脳内で照らし合わせる。該当なし。


「月刊芸術編集部の川畑かわばたと申します」


 彼女はそう言うと久我に名刺を差し出してきた。川畑のぞみ。肩書きは編集長となっている。この若さで編集長なのか。久我はそう思いながら名刺を受け取り、自分の名刺を差し出した。


「警察庁……ですか」

「ええ。警察庁特別捜査官です」


 久我はそう言って口元に笑みを浮かべた。普段から、無表情であることが多い久我は「顔が怖いから、挨拶の時だけでも笑顔を作ってください」と姫野から言われていた。そのことを思い出して、笑みを作ったのだ。


「あ……そ、そうなんですね」


 名刺を受け取った川畑はぎこちない笑みを浮かべていた。

 川畑に案内されて、久我は4階にある喫茶コーナーへと向かった。ここは編集者たちが打合せで使うこともあるスペースだそうだ。


「それで、聞きたいという話って何でしょうか」


 少し警戒したような声。なぜ、警察が美術雑誌の編集部を訪ねてくるのか。普通に考えれば、美術や芸術と犯罪というのは結び付けようにも結び付けづらい。それが川畑に警戒心を抱かせてしまったようだ。


「芸術に関して、我々には専門的な知識を持つ人間がいなくてですね、お知恵を拝借できればと思いまして」

「はあ」

「こちらなんですけれど」


 久我はそういって一枚のポラロイド写真を川畑の前に差し出した。


 それは処刑台に掛けられた女性の天使が描かれた絵画を写したものだった。女性の天使は半裸であり、背中にある翼は片方がもげてしまっている。処刑台のところには、首きり人と思われる男が大きな刃物を持って立っていて、天使は恐れおののいた顔をしていた。その天使の顔だけは妙にリアルであり、モデルは日本人の若い女性であるということがわかった。


「初めて見る作品ですね……。これはどちらで?」

「N大学です。おそらく学生が描いたものだと思います。川畑さんは、この作風に似た絵を描く画家をご存じありませんか」

「……いえ、わかりません」


 そう川畑は言ったが、目はその写真へくぎ付けになっていた。


「そうですか。わかりました。ありがとうございます」


 久我は写真をポケットにしまうと、席を立ち上がろうとした。


「あの、何か事件なのでしょうか」

「すいません、捜査に関する情報はお伝えすることが出来ないんです」


 申し訳なさそうに久我は言う。

 川畑は目を伏せて、久我と視線が合わないようにしていた。

 なにかを知っている。それは直感でわかった。だが、久我はそれ以上は何も言わなかった。


「また、わからないことがあったら連絡を差し上げるかもしれません」


 それだけ言うと、久我は喫茶コーナーを後にした。

 エレベーターが来るのを待っていると、川畑が追いかけてきた。


「久我さん、すいません」

「どうかしましたか?」

「さっきの写真、もう一度見せてもらうことは出来ませんか」

「ええ、構いませんよ」


 そう言って久我はポケットから写真を取り出す。

 写真を受け取った川畑はじっと写真を見つめるように見続けている。

 その間、久我は川畑の様子を観察し続けた。


「あの、この作品……」

「なにか、心当たりが?」

「もしかしたら何ですけれど……」


 どこか歯切れの悪い口調だった。少し悩んだような仕草を見せた後、川畑は言葉を続けた。


「知っているかもしれません」

「どなたの作品ですか?」

「あ、いや。画家のことはわかりませんよ。ただ、わたしはこの作品を知っていると思うんです」


 川畑は慌てて言葉を訂正した。


「と、いうと」

「学生時代に……あ、わたしはN美大に通っていたんですけれど、そこで同じような作品を描く人がいた気がして」

「N美大ですか」

「はい。ただ、似た画風なだけかもしれませんが」

「いえ、それだけの情報でも十分に役に立ちます。ご協力感謝します。もし、他にも何か思い出したことがあれば連絡をください。先ほど渡した名刺に、私の携帯の番号が書いてありますので」

「……わかりました」

「あ、その写真、差し上げますよ」


 久我はそう言って川畑が返そうとしたポラロイド写真を受け取ろうとはしなかった。

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