死の芸術家(3)

「ちょっと寄りたいところがあるんだが」


 N大学からの帰り道、助手席に座っていた久我が姫野に言った。

 相変わらずではあるが、久我が運転席に座ることはなかった。その辺に関しては姫野も心得たとばかりに、自ら進んで運転席に向かうようにしている。


「いいですよ。まだ捜査会議まで時間はありますから」


 姫野がそう答えるよりも前に、久我はカーナビの操作をはじめており、姫野の同意がなくても寄り道をするつもり満々だったようだ。

 N県内であれば、大抵の場所は地名などを聞けば、その場所へは行くことが出来る。姫野はそう思っていたが、久我があえて目的地を告げずにカーナビに住所を打ち込むということをしているので、どういうことだろうかと思っていた。


「あの久我さん、どこへ向かえばいいんですか」


 カーナビの操作に手間取っている久我に嫌味を込めて姫野は言ってやる。そこには姫野のカーナビなんて見なくてもいいという気持ちが込められていた。 


「入力できた。いま、案内させる」


 それだけ言うと、久我は助手席で目を閉じてしまった。


 仕方なく、姫野はナビの案内に従って車を走らせることにした。カーナビが案内するのは知っている道だった。久我がどこへ行かせようとしているのかは、大体想像がついた。別に口で言えばいいのに。そんなことを思いながら、姫野はハンドルを握っていた。


「着きましたよ、久我さん」


 姫野が声を掛けると、久我は閉じていた目をゆっくりと開けた。

 そこは、OZの駐車場だった。OZは久我の行きつけの喫茶店である。

 久我は助手席から降りると、腰に手を当てて身体をのばした。


「いらっしゃいませー」


 ドアを開けると、いつもと変わらぬ店主の声が聞こえてきた。OZの店主である小津あゆむは、白いシャツの上に黒のデニム地エプロンという姿でカウンターのところに立っており、入ってきた久我と姫野に笑顔を向けている。


「ホットコーヒーを二杯頼む」


 久我は席に着く前に小津に告げた。いつもであれば、メニューをじっくりと見てから注文する久我がすぐに注文をしたことに姫野は少し違和感を覚えたが、考えすぎかと思い直した。

 座る席は決まっていた。奥にある窓側の席。久我はその席に好んで座っている。

 しばらくするとコーヒーのいい香りがカウンターの方から漂ってきた。小津はコーヒー豆にこだわっているらしく、日によって産地や淹れ方を変えたりしていた。


「どういう風の吹き回しですか、久我さん」

「何がだ?」

「OZに来るなんて」

「別に。さっき、美術館の喫茶室でコーヒーを飲み損ねたと思ったから来ただけだよ」


 久我はそれだけ言うと、コートのポケットから手帳を取り出してパラパラとめくりはじめた。


 とある事件がきっかけで、久我は一時期OZに足を向けなくなっていた。その事件には、小津の姉である小津いろはが関係しており、小津自身も姉と共謀しているのではないかという疑惑が持たれていたのだ。最終的に事件は小津いろはの死亡で終了した。ただ、身元不明の女性の死体が川に浮かんだというだけであり、その女性が小津いろはであったかどうかは不明なままとなっている。この事件をきっかけに、N県警警察本部は警察庁からかなりのテコ入れをされて、県警本部長をはじめとした幹部職員たちはすべて入れ替えとなっていた。


「お待たせしました、ホットコーヒーです」


 小津がコーヒーを持ってやってきた。少し痩せた印象があったが、相変わらずの笑顔がそこにはあった。


「きょうはパンケーキは食べないんですか、久我さん」

「ああ、悪いな。きょうは時間がない。また今度いただくことにするよ」


 久我はそう言うと、コーヒーカップを手に取ってゆっくりと唇へと近づけた。

 相変わらず、コーヒーは美味かった。

 ほどよい苦味と酸味が聞いており、後味はすっきりしている。

 コーヒーカップを置くと、再び手帳を手に取った。

 姫野がちらりとその手帳を覗き込むと、そこには意味不明な言葉が羅列してあった。


『二十一歳ぐらい。髪は短め。肩の辺りにホクロあり』

『上半身、裸。三十代半ば、緩いウェーブ。左の耳にリングピアス』

『ワインレッドのロングコート。腰のあたりに蝶のタトゥ』


 これは美術館の喫茶室で久我から見せられたものであった。

 さらにそこに一文が付け加えられている。


『天使の輪。肩甲骨左脇には羽根のタトゥ。ネイルは黒』


 姫野は最後の一文を読んだ時、殺人事件の被害者の特徴が書かれているのだということに気がついた。しかし、それ以外の特徴に見覚えはない。過去に発生した事件の被害者の特徴なのだろうか。その疑問を久我にぶつけてみる。


「久我さん、これって……最後のひとりはわかったんですけれど」

「まあ、そうだろうな。さっき見たばかりだ」


 久我は猫背の姿勢でメモ帳に目を落としたまま言う。


「ですけれど、他は?」

「わからないか?」

「わかりません」

「まあ、そうだろうな。まだ、他は見つかってはいない」

「え?」

「我々は、残りの特徴のある被害者たちを見つける必要がある」


 久我は手帳から目を上げて、上目遣いで姫野のことをみた。

 一瞬、姫野はドキッとさせられた。長身である久我から上目遣いで見られることなどは、滅多にない。その滅多に見ることのできない仕草が姫野を狼狽させた。


「どうかしたのか?」


 久我という男は普段は人の気持ちに鈍感なくせに、こういう時だけ鋭さを見せる。


「い、いえ……なんでもないです」


 姫野は自分の心中を読まれまいと、慌ててホットコーヒーに口をつけた。

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