死の芸術家(2)

 現場は大学のキャンパス内ということもあって、若者が大勢いた。

 特に規制線が張られている周りには野次馬たちの人だかりが出来ており、中にはスマートフォンを構えて写真を撮っている人間もいるほどだった。


「はいはい、押さないで。ここから先は入れないから。ほら、そこダメだよ。黄色い線から入らない」


 規制線の向こう側に立つ中年の制服警官が大声を張り上げて、野次馬整理に当たっている。

 大勢集まった野次馬たち。その野次馬たちの中を久我と姫野はかき分けるようにして進み、規制線へと近づいていった。


「久我さん、現場は三号棟の理科学研究室だそうです」


 スマートフォンを見ながら姫野が久我に伝える。

 久我はわかったと頷き、野次馬たちの間を進んでいく。

 大勢の野次馬の中でも、長身である久我は頭ひとつ飛び抜けており、姫野にとってはちょうど良い目印になっていた。

 ようやく規制線のところまでやって来た久我と姫野は、すぐそばに立っていた仏頂面をしている若い制服警官に身分証を見せて、規制線の中へと入れてもらった。


「ご苦労様です。いやー、参っちゃいますね」


 先ほど大声で叫んでいた中年の制服警官が近づいてきて久我たちに言う。


「殺人事件が発生した現場だっていうのに、やつらはスマホでパシャパシャ写真を撮りまくっているんですよ。どういう神経しているんでしょうね」


 やっとお喋り相手が来たと言わんばかりに、中年警官がトークショーを繰り広げようとするが、久我はまったく聞く耳持たずといった感じでスタスタと現場となった研究室のある三号棟へ向かっていった。


 三号棟の中に入ると空気が一変した。スーツ姿の警官たちが大勢おり、入口に立った久我と姫野のことをジロリと睨みつけるような目で見て来た。彼らの腕には『捜一』という腕章がつけられている。N県警刑事部捜査第一課の刑事たちのようだ。殺人事件などは彼らの捜査範疇であり、言わばこの事件は彼らの縄張りでもあった。

 久我はそんな捜査一課の刑事たちの視線を受け流すと、現場である理科学研究室に向かって歩みを進める。最初の頃は現場に来るたびに肩身の狭い思いをしていた姫野も、最近は捜査一課の刑事たちの視線にも慣れてしまっており、久我の後を追うように早歩きで現場へと向かった。


 現場となった理科学研究室には鑑識の人間たちが大勢詰めており、スーツを着た刑事たちを追い出して鑑識作業に当たっている。基本的に鑑識が現場に入ったら、刑事たちは現場に足を踏み入れることは許されない。それは不用意に足を踏み入れることによって、証拠を消してしまう可能性があるためであった。

 そんな鑑識たちが作業をしている現場でも久我は関係なしに足を踏み入れて、どんどん奥へと進んでいく。一瞬、鑑識の人間も顔を上げるが、入ってきたのが久我だとわかると納得したかのように作業へと戻っていった。


「死体は?」


 研究室の奥でストロボを焚いたカメラを構えていた作業服の男に久我が声を掛ける。

 声を掛けられた男は、久我の顔を見てあからさまに舌打ちをすると、無言で床を指した。

 そこには、若い女性が全裸で倒れていた。首には何かで絞めつけられた痕がくっきりと残されている。


使なのか?」


 その死体を見た久我が呟くように言う。


「え?」


 何を言っているんだ、この人。そんな顔で姫野が久我の顔を見上げた。

 久我は至って真面目な顔をしており、冗談を言ったようには見えなかった。


「さあ、撤収するぞ」


 先ほどまでカメラを構えていた作業服姿の男が大声を上げる。すると他の鑑識たちは持っていた道具を片づけはじめた。


「ひとつ聞いていいか」


 久我は大声をあげた作業服の男を捕まえて、声を掛ける。

 面倒臭えな。そう呟きながらも、男は久我の方に顔を向けた。


「天使の輪は落ちていなかったか?」

「はあ?」

「輪っかだよ。天使の頭につけているやつ。ほら、電灯みたいな」

「……ああ、あれか」


 ようやく意味が通じたようで作業服の男は辺りを見回す。


「ほら、あれだよ。あれ」


 作業服の男が指した方向に目を向けると、そこには輪っか状の物体とそれにつながったロープのようなものが置かれていた。


「触っても?」

「いいぜ。どうせ、ダメだっていってもアンタは触るんだからよ」


 作業服の男はそう言って、そっぽを向く。俺は見ていないぞ、という意志を現したようだ。

 久我は手に付けていた革製の手袋を脱ぐと、素手でそのロープに触れた。

 その時、姫野は気がついたが、久我の右手からあの忌々しい赤黒い痣は綺麗に消えていた。

 目を閉じた久我は、鼻から息を吸い込むと静かに口から吐き出した。

 すべてのモノには記憶が宿っている。久我はそれを残留思念と呼んでいた。残留思念はその物体に残された記憶であり、その残留思念を久我は読み取ることが出来るのだった。

 しばらくの間、久我はその場にしゃがみこんでいた。

 姫野は久我のことを見守る。

 鑑識は自分たちの道具を片づけ、撤収に入っている。

 久我はゆっくりと閉じた目を開けると、天井に掛かっていたフックのようなものを指さした。


しげさん、あのフックから指紋採取しておいてください」


 そう、作業服を着ている男――N県警刑事部鑑識課の重田しげた警部補に告げると、現場となった研究室を後にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る