死の芸術家《death artist》

死の芸術家(1)

 それは、ミレーの絵画「オフィーリア」を思わせるような構図だった。

 川と思われる水辺に浮かぶ女性。

 色彩はなく、モノトーンで描かれている。

 オフィーリアと違うところは、水が濁っているというところだろうか。

 その濁りは、おそらく鮮血であろう。水の中に浮かぶ女性の首は刃物で切られたような痕がはっきりと描かれている。

 溢れ出た鮮血は川の色を染めている。しかし、絵画はモノトーンであるため、灰色に濁っているように見えるだけだった。

 その展覧会には、奇妙な絵画ばかりが飾られていた。

 首切り台にかけられた囚人の髑髏の姿が描かれているものもあれば、助産婦の手によって取り上げられたばかりの赤ん坊が描かれていたりと作品はバラエティに富んでいる。

 生と死をテーマにした展覧会。

 新進気鋭の近代画家の作品が多く集められており、中には顔出しパネルがあって自分の顔が作品の一部になるといった作品までもが展示されていた。

 会場内の展示をひと通り見終えた久我くがそうは、気になった作品について、なにやらメモを取りながら、美術館に併設されている喫茶室へと向かっていた。


「久我さんに美術鑑賞の趣味があったなんて意外でした」


 一緒に美術館へとやってきた姫野ひめの桃香ももかが、真面目な顔をして言う。


「平気な顔をして失礼なことを言うんだな、キミは」

「そうですか。わたし思ったことを口にしちゃう時があるんですよ」


 姫野は笑顔で久我に言ったが、久我は何事もなかったかのように澄ました顔をしていた。

 久我と姫野は仕事上のパートナーだった。立場は少々違うが、コンビを組んで仕事をすることが多い。そのため、休日が重なることも多かった。


「次の休み、一緒に美術館へいかないか」


 そういって誘ったのは久我の方だった。

 N県立美術館。ここはN県内では一番大きな美術館であり、常設展示ではゴッホのひまわりのレプリカなどが展示されたりしていた。


「東京でも美術館めぐりとかしていたんですか」

「いや、美術館に来たのは初めてのことだ」

「え……。じゃあ、今回はどうして」


 困惑した表情の姫野は久我に問いかける。なんでこの人は美術館に行こうなんて言い出したのだろうか。しかも、チケットまで用意しておいて。


「もしかして、なにか見たい作品があったからとかですか」

「まあ、そうだな」


 歯切れの悪い回答。こういった時の久我は、別の何かを考えている時であるということを姫野は知っていた。

 こういう時に久我に話しかけても、久我はうわの空であり、無駄だということだ。


 順路に従って進んで、出口脇にある喫茶室へと入ったふたりは、空いていた席に腰をおろしてホットコーヒーを注文した。


「何か気になる作品とかあったんですか。一生懸命メモをしていましたけれど」


 姫野は気になっていたことを久我に聞いてみた。

 展示されている作品を見ながら久我は何かを必死にメモしていた。美術館に来るのも初めてだという久我が何をそんなにメモしていたのか、姫野は気になっていたのだ。


「ああ、これか」


 久我はそういって、手のひらサイズのメモ帳をテーブルの上に置いた。そのメモ帳には達筆な文字で色々な走り書きがしてある。


『二十一歳ぐらい。髪は短め。肩の辺りにホクロあり』

『上半身、裸。三十代半ば、緩いウェーブ。左の耳にリングピアス』

『ワインレッドのロングコート。腰のあたりに蝶のタトゥ』


 メモ帳を見た姫野は、その内容が何のことであるかわからなかった。


「なんですか、これ」

「え、わからないのか」

「わかりません。どういうことですか」

「描かれている女性の特徴だよ。何のために、ここに来たと思っているんだ」


 少し怒ったような口調で久我はいう。

 姫野にはどういうことなのか、さっぱりわからなかった。


「すいません、わからないんですが」

「え、じゃあ何しに来たの」


 唖然とする久我と、その久我の言葉に唖然とする姫野。

 二人の間でホットコーヒーが湯気をあげていた。


 正直なところ、デートのようなものに誘われたのだと姫野は思っていた。

 休みの日に美術鑑賞に誘うなんて、なかなかやるじゃないか、と。

 しかし、そうではなかったようだ。


「ここに書かれた女性の特徴は――――」


 久我が説明をしはじめようとしたところで、姫野のスマートフォンが着信を告げた。

 姫野は久我に断ってから、電話に出る。


「はい、姫野です。――――はい、わかりました」


 電話を切った姫野はため息をそっと吐いてから久我に告げた。


「久我さん、事件だそうです。現場は、I市にあるN大学の研究室とのことです」

「例の事件?」

「手口が酷似していると言っていました」

「じゃあ、行こうか」


 久我と姫野は席を立ちあがった。

 そこには手の付けられていないホットコーヒーが湯気を立てて残されていた。

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