焔の女(11)
屋敷と呼んでもいいような家だった。
立派な門構えで、庭も広い。おそらく、庭には池があって錦鯉でも飼っているだろう。もしかしたら、犬も飼っているかもしれない。もちろん、座敷犬ではなく大型犬だ。
そんな想像をしながら、久我は『中西』と書かれた木製の表札を見つめていた。
インターフォンを押したのは片倉だった。
カメラ付きのインターフォンであり、ふたりの姿はしっかりと映し出されているだろう。
「はい」
聞こえてきた声は女性のものだった。
「すいません、私……」
そこまで片倉が言いかけたところで、久我が声をかぶせてきた。
「警察庁の久我と申します。中西健三郎先生は御在宅でしょうか」
「警察の方ですか?」
「はい。警察庁の者です」
久我は身分証をカメラに向かって提示する。
「少々お待ちください」
インターフォンが切れる音がして、しばらくの間、沈黙が流れた。
どこかから、機械が動くような音が聞こえ、門扉が自動でスライドしていく。
「どうぞ、お入りください」
インターフォンから声が聞こえた。先ほどの女性の声ではなく、老年の男性の声だった。
「もし、都合が悪いようなら一緒に来なくてもいいんだぞ、片倉」
「別になにも都合の悪いことなんてないさ」
鼻で笑うようにして片倉はいうと、久我の後ろをついてきた。
門を抜けてしばらく歩くと、電動カートに乗った萌黄色の和服姿の老人が姿を現した。
「中西先生、ご無沙汰しております」
片倉が一歩前に出て頭を下げる。
「警察の人が来たと聞いたが、あんただったか」
中西は鋭い眼光で片倉のことを見つめる。その瞳はすでに色を失っているかのようにも見えた。
「先生に用があって来たのは、私ではありません」
「はじめまして。警察庁特別捜査官の久我と申します」
久我はそういって自分の身分証を提示して見せた。
その身分証を中西は興味なさそうにちらりと一瞥するだけだった。
「それで、何の用かね」
「中西さんにお伺いしたいことがあります。
久我の口から組合という言葉を聞いた瞬間、中西の顔が強張ったのがよくわかった。
「おい、片倉。どういうことだ」
「どういうことだと言われましても、質問をしているのは私ではなく久我捜査官の方ですので」
「N県警は、組合については首を突っ込まないという約束だったのではないのか」
ものすごい剣幕で、唾を飛ばしながら、中西がいう。
その表情が物語っているように、組合というのはN県では
「すいません、中西先生。私はすでにN県警を退職しておりますし、この男もN県警の人間ではなく、警察庁の人間です」
「貴様、裏切るというのか」
「裏切るも何も、私と先生との間には信頼関係なんてひとつもありませんよ」
「片倉、お前は誰に物を言っているのか、わかっているのか」
「わかっています。私の手をこのようにした人物ですからね、中西先生は」
にやりと笑った片倉は、存在しない右手を振って見せた。
どうやら、片倉の右手の件にも、組合の存在は関係しているようだ。
自分の知らないところで色々なものが繋がっている。久我はふたりのやり取りを聞きながら実感していた。
「私は中西先生に義理を返しました。お釣りをもらってもいいくらいですよ。そう、お釣りです。そのお釣りをもらいに来たんです」
「片倉、貴様……。このことは妻夫木もわかっているんだろうな」
睨みつけるような目。怒りのあまり中西の口の端には唾が溜まり、白くなっていた。
「何もご存じないのですね、中西先生。妻夫木さんは、組合に裏切られましたよ」
「なんだとっ!」
「その様子だと、テレビのニュースも新聞もご覧になっていないようですね。常に情報、情報といって、新聞五紙を毎朝読んでいた先生ともあろう方が」
その片倉の言葉に中西は何も反論はしなかった。
元県議会議員である中西に何があったのかはわからない。だが、片倉に逮捕されたことをきっかけに県議としての椅子を失い、表舞台から身を引いたことは確かなようだ。その後もある程度の影響力は持っていたのだろう。しかし、今の様子を見ると、その影響力は完全に無くなっているようだ。
「もはや、組合は我々の敵です。それをわかっていないのは、組合によって骨抜きにされた中西先生、あなただけです」
「く……」
中西の姿は、どこにでもいるただの老人に見えた。先ほどまであったはずの威厳はどこへ消えてしまったのだろうか。
「中西先生、あなたの名誉だけでも回復するチャンスをあげましょう。組合の中で誰か、こちら側につきそうな人間を紹介してください」
「私に組合を裏切れというのか」
「こちらが先に裏切るか、それとも向こうが先に裏切るか。順番が違う。それだけですよ、中西先生」
片倉はそういうと、中西の肩に左手をぽんと置いた。
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