焔の女(8)

 目を閉じると、闇がやってくる。

 闇の向こう側に見える小さな明かり。

 その小さな明かりの先に景色が見えてきた。


 どこか見覚えのあるような場所だった。

 教壇と黒板、そして制服姿の男性。

 周りにいるのは、まだ着慣れていない真新しいシャツを着た若者たち。

 そうか、ここは警察学校だ。

 校章として飾られているのはN県警のもののようだ。


「ねえ、片倉。次の授業は取り調べだけど」


 そう声を掛けられて顔をあげると、そこには姫野桃香の姿があった。

 いまよりも若く、まだあどけなさすら残る姫野桃香だった。

 着ている制服は真新しく、どこか違和感すらも感じるほどだ。

 

「ああ。すぐ行くよ」


 そう答えた片倉は黒板に書かれている内容をノートに書き留めていた手を停めると、笑顔で姫野に答えた。さわやかな笑顔。伊達眼鏡によって目つきの鋭さは緩和されている。


「もういいだろう、久我」


 遠くの方から自分を呼ぶ声がする。

 その声に呼び戻されるかのようにして、久我は我に返った。

 目を開けると、そこは片倉のいる部屋だった。


「なにが見えた」

「大したものは見えなかった」

「でも、何かを見た。そうなんだな」

「ああ。わかったことは、あんたと姫野さんが警察学校の同期生だったってことぐらいだよ」

「ほう。本当に見ることが出来るんだな」


 片倉は驚いた顔をしていた。

 このくらいの情報であれば、事前に姫野に聞いていればわかるようなことだ。それにも関わらず、片倉は久我のことを信用して驚いて見せたのだ。

 この片倉という男が、久我にはよくわからなくなってきていた。


「他には何か見えたのか」

「いや。警察学校にいた時の残留思念だけだよ、片倉さん。あんたは、何か警察学校に深い思い入れでもあるようだ」

「まあ、そうかもしれないな。特にこの伊達眼鏡は警察学校時代に掛けるようになったものだからな」


 片倉はそう言うと、久我から伊達眼鏡を受けとろうと右手を差し出そうとした。

 しかし、片倉には右手の手首から先はなかった。


「すまない。まだ慣れていないもんでな。ついつい右手があると思って差し出してしまう」


 笑いながら片倉は言うと、左手で伊達眼鏡を受け取った。


「あんたに伊達眼鏡を掛けた方がいいと言ったのは、姫野さんか」

「そこまで見たのか」

「いや、単に思っただけだ」

「そうか。まあ、そういうことだ」


 器用に左手だけで伊達眼鏡を掛けた片倉は、小さくため息をついた。


「話を戻そうか。焔の女の話だ」

「焔の女?」

「ああ、私は写真の女のことをそう呼んでいる」


 久我はテーブルの上に置かれている女の写真を忌々しい目で見ながら言った。


「この女を探し出して、どうするつもりなんだ」

「まずは話を聞きたい。なぜ、妻夫木さんを襲わなければならなかったのかを」

「そんなことを知ってどうするんだ」

「知りたいだけさ。それにこの手の借りも返したい」


 包帯が巻かれた右手を久我は片倉に見せた。


「なんだ、それは」

「焔の女にやられたのさ」


 そういって、久我は火傷をしたあらましを語った。


「相手は久我の能力をわかっていて、罠を仕掛けたというわけか」

「そのようだ」

「久我の能力について知る人間はどのくらいいるんだ」

「どうだろうな。警察庁の同僚たちであれば皆知っているが、N県警となれば数えるほどのはずだ」

「N県警の誰かが女に罠を張らせた……」

「妻夫木さんに敵はいたのか?」

「いないこともない。刑事部長ともなければ、派閥争いには巻き込まれているはずだからな」

「派閥争いか。そんなものがN県警にもあるのか」

「もちろん、あるさ。そのおかげで、俺も右手を失った」


 片倉は笑ったが、久我は片倉の顔をじっと見つめるだけだった。

 片倉が右手を失った理由を久我は知らなかったし、知りたいとも思わなかった。

 余計なことには首を突っ込まない方がいい。

 久我は自分にそう言い聞かせた。


「手、見せてみろよ」

「見たところで、なにかわかるのか」

「どうだろうな。見てみないとなんともいえないが」

「わかったよ」


 久我は包帯を解き、片倉に右手の火傷を見せた。

 火傷痕は、先ほど姫野に見せた時よりもひどくなっていた。

 拾ったリングの跡とその周りを渦巻くように存在する赤黒くなった皮膚。痛みは無いが、どんどんと赤黒い部分が広がってきているような気がした。


「医者には見せたのか」

「いや」

「知り合いに腕のいい医者がいる。俺の右手を救ってくれた医者だ」

「なるほど」

「見てもらったほうがいいと思うんだが」

「それはまともな医者なのか」

「どうだろうな。斬り落とされた右手を何も言わずに縫合してくれるような医者だ」

「そうか」


 片倉はスマートフォンを取り出すと、器用に左手だけで電話をかけ始めた。

 しばらく、何か話してから電話を切ると久我に「出かけるぞ」と告げた。

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