焔の女(5)
N県警警察本部へとやってきた久我は、エレベーターに乗って14階に向かった。
途中で刑事部の人間が数人乗り込んできたが、彼らは久我の姿を見つけるとあからさまに目をそらして、久我に背を向けた。
刑事部長が火事に巻き込まれたのは、警察庁から疫病神がやってきたせいだ。
そんな噂が流れている。そう、教えてくれたのは刑事部総務課のおしゃべりな職員だった。彼女によれば、噂話は別として刑事部の中には本気で久我のことを嫌っている人間もいるそうだ。
別にN県警刑事部の人間に好かれなくてもいいと久我は思っていた。
仕事に支障が出なければ、個人にどう思われていようが問題はないというのが久我の考えだった。
エレベーターが14階につくと、かつて捜査本部として使っていた会議室へと向かった。
扉をノックしてしばらく待つと、中から姫野桃香が顔を出した。いつもと同じ白いシャツに黒のパンツスーツという姿だったが、顔はどことなくやつれているように思えた。
姫野と会うのは、妻夫木刑事部長の自宅が火事になってから初めてのことだった。
何度かN県警警察本部へと足を運んではいたが、姫野の姿はどこにもなかった。何か別の仕事で警察本部にいなかったのかもしれない。
「それで、きょう私を呼んだ理由は」
久我は以前と変わっていない捜査本部という名の会議室の応接ソファーに腰を下ろした。
「刑事部の体制が少し変わりましたので、そのご報告を」
妻夫木刑事部長が入院している間、刑事部長代理は刑事部の
どうやら、姫野の新しい上司は周防参事官となるようだ。
しかし、久我には周防参事官の顔が思い出せなかった。もしかしたら、会ったことのない人間かもしれない。その程度にしか考えてはいなかった。
「その手は、どうしたんですか」
姫野が久我の右手を指していう。
やはり、聞かれるか。久我はそう思いながら、右手の包帯を解いてみせた。
他の人間には見せなかったが、姫野であれば見せても構わないと思えたからだった。
「捜査中に怪我をした」
包帯が解かれた手には小さな火傷の痕があり、その周りの色がどす黒く変色をしていた。ただの火傷。そう言い表すには無理のある傷痕になっている。
久我は妻夫木邸で指輪を拾い、残留思念の確認をおこなった話を姫野に聞かせた。
もちろんその話の中に、あの女の話は含まれてはいない。
ただ、指輪が突然燃えて火傷をしたということだけを伝えただけだった。
「大丈夫なんですか」
「痛みは無い」
「それならいいんですけれど」
本気で姫野は心配してくれた。
だが、久我はすべてを姫野には話さなかった。
いまはすべてを話す時ではない。そう思ったのだ。
姫野は、妻夫木刑事部長がまだICU《集中治療室》から出てくることはできていないという話をして、小さくため息をついた。
どこかで妻夫木刑事部長の件は、自分のせいだと思っているのかもしれない。
久我はそう感じ取っていた。
「ところで、姫野さんは人捜しが得意な人間を知っていたりするかな」
「え、どういうことですか。行方不明者の捜索となると生活安全部だと思うんですけれど」
「別に行方不明とかじゃなくて、捜してもらいたい人間がいるんだ」
久我はそういって、あの女の写真を姫野に見せた。
「誰ですか、これは」
「それは私にもわからない。いま、この女についてある情報は、この写真だけなんだ」
そういって、久我は写真をホワイトボードに貼り付けた。
「よくわかりませんが、この女の人が久我さんにとっては重要だということですね」
「まあ、そんなところだ」
「……そうですか。警察の人間ではありませんが、ひとり紹介できる人ならいます」
姫野はそういって自分の名刺の裏に何かを書きはじめた。
「はい、どうぞ。わたしの紹介だと伝えれば、きっと久我さんに協力してくれると思います」
渡された名刺の裏には、A橋町という地名と
A橋町といえば、東京でいうところの秋葉原に該当するようなN県最大の電気街のはずだ。そのような場所に協力者がいるというのだろうか。久我は疑問を覚えながらも、その名刺を受け取った。
「一緒には来てくれないのか」
「残念ながら、ちょっと別件があって」
どこか含みのある言い方だったが、久我は気にしないことにした。
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