焔の女(4)

 トマトカレーを堪能した久我は、ゆっくりとコーヒーを飲んでいた。

 店内には久我のほかに2人ほど新しい客が来ていたが、小津はいつもと同じようにカウンターの内側からニコニコと笑みを浮かべて久我の方を見ている。


 しばらくすると久我のスマホが短い電子音を発した。どうやら、メッセージが来たようだ。

 久我はそのメッセージを開くと、何やらスマホを操作してから、小津に声を掛けた。


「ひとり客が来る。すまないが、ここの住所を教えてくれないか」

「いいですよ。N県S市……」

 小津が言った住所を久我はメッセージとして打ち込み、送信する。


「お客さんって、姫野さんじゃないんですか」

「違う。彼女だったら、ここの住所を教えなくても来れるだろ」

「ああ、そうですね」

 それだけいうと小津は興味をなくしたのか、それ以上は話しかけてこなかった。


 メッセージを送ってから10分ほど過ぎた時、OZの入口に人影が立った。

「いらっしゃいませ」

「待ち合わせなんだが」

 そういって入ってきたのは、黒のスーツに黒いシャツ、そして黒のネクタイをつけた男だった。久我は、その男のことを知っていた。相楽さがら八雲やくもだ。

 相楽は久我と同じように、N県警警察本部に出入りしている警察庁特別捜査官だった。先日会った時は、公安部の仕事をしていると話していた。

 相楽は久我のことを見つけると、仏頂面をしながら歩いてきた。


「どうしたんだ、急に呼び出したりして」

 相楽の連絡先は、相馬上級特別捜査官から聞いて、連絡を取った。

 最初、相楽は「電話で話を済ませることはできないのか」と会うことを嫌がった。

 しかし、久我が直接会って話がしたいと告げたため、渋々応じて出てきたのだった。


「来てもらって、悪かったな」

 久我はそういって、コーヒーのメニューを差し出す。

 コーヒーくらいは奢る。そう思っての行動だった。

 相楽と久我の立場は対等だった。特別捜査官。その立場に階級などはない。あるのは、ごく一部の人間だけが就くことのできる上級特別捜査官という立場と、特別捜査官の2種だけだった。そのため、久我は年齢の近い相楽には敬語を使ったりはしなかった。


「なんだ、その手は」

 相楽は久我が差し出したメニューよりも久我の包帯に注目をしていた。


「なんでもない。ちょっと怪我をしただけだ」

「そうか」

 興味を失ったかのように、久我の右手から目をそらした相楽は言葉を続けた。


「あまり時間がない。さっさと話せ」

「わかった。でも、コーヒーは注文した方がいいぞ。ここは喫茶店だ」

 久我はそういって、メニューを開くように促した。

 そんな久我に対して、相楽はメニューを見ずにブレンドコーヒーを注文した。

 こいつ、何もわかっていないな。久我はそう思いながら、小津に注文をしている相楽のことを見ていた。


「それで、会ってまで話したいってことは何なんだ」

 小津が去っていったのを見届けてから、相楽は口を開いた。


「妻夫木さんのことは知っているよな」

「ああ、N県警の刑事部長だろ。この前の火事で病院に運ばれた」

 妻夫木邸の火事については、ニュースでも大きく取り上げられていた。現職の刑事部長が火事で大やけどを負って入院したということで、話題になったのだ。報道では、火事の原因については触れられなかった。おそらく、報道規制が敷かれているのだろう。


「これを見てもらいたいんだが」

 久我は隣の椅子に掛けておいたコートのポケットから封筒を取り出して、テーブルの上に置いた。

「おいおい、こんな禍々しいものを俺に見ろっていうのか」

 険しい表情をした相楽は封筒を睨むような目で見ながらいった。

 どうやら、相楽は封筒を見ただけで中身がわかったようだ。

「禍々しいか……。確かに、そうかもしれないな」

 渋々といった様子で封筒を受け取った相楽は、中から一枚の写真を取り出すと、その写真をじっと見つめた。

「誰だ、この女」

「妻夫木さんをやった犯人だよ」

 封筒の中身。それは妻夫木邸で念写したものだった。写真には、しっかりとあの女の姿が写されている。

「これを俺に見せてどうする。俺は俺の仕事があるんだぞ」

「わかっている。もし、あんたが知っているようなら教えてほしいと思っただけだ」

「悪いが、知らない。見たこともない女だ」

 相楽は写真から目をそらして言った。

「そうか、わかった」

「お前にどんな仕事が依頼されているかは知らないが、余計なことには首を突っ込まない方がいいぞ。特にこのN県警ではな」

 そういって相楽は席を立ち上がった。

「おい、コーヒーくらい飲んでいけよ」

「俺は忙しいんだ」

 足早に店を出て行く相楽の背中を久我は何も言わずに見送った。


「久我さん、フラれちゃいましたか」

 しばらくしてブレンドコーヒーを持った小津が席へとやって来た。

 何も言わずに久我はそのブレンドコーヒーを受け取ると、自分の前に置いた。


「誰ですか、この女の人?」

 テーブルの上に置きっぱなしになっている写真を見た小津が言う。

 久我は素早く写真を封筒の中にしまおうとしたが、すでに小津に見られているので、その行動には意味はなかった。


「それは私も知りたいところだ」

「え、知らない人の写真を撮っちゃったんですか。ダメですよ、久我さん。盗撮は犯罪です」

「どこが盗撮だ、思いっきりカメラ目線だぞ」

「たしかに」

 小津はクスりと笑う。笑った時に出来るえくぼが可愛らしいと、近所のマダムたちには評判のようだ。

「この女、見たことはないか」

 どこか開き直ったような気分だった。関係のない小津を巻き込んでしまう。抵抗はあったが、写真を見られてしまった時点で巻き込んでしまっているので、もう引き返せなかった。

「見たことはないですね……」

「もし見かけたら、教えてくれないか」

 久我はそう言って、女の写真を封筒の中にしまった。

「あの、こんなことを聞いちゃいけないのかもしれませんけれど、久我さんって何者なんですか」

「ああ、言ってなかったか」

 久我はそういって、一枚の名刺を小津に差し出した。

 その名刺には警察庁特別捜査官の肩書と久我の名前、携帯電話の番号だけが書かれていた。

「警察の人だったんですね」

「そうだ。だから、キミの父親である小津明彦さんのことも知っている」

「そういうことですか」

 いつもニコニコしているはずの小津の表情は硬かった。

 小津明彦さんの息子を巻き込んではいけない。久我はそう思う一方で、もしかしたら彼が手助けをしてくれるのではないかという期待もあった。

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