焔の女(2)

 すすの臭い。

 赤く燃え上がる炎。

 木材の燃える音。木が炎によって弾ける音。

 目を開けると、辺り一面が炎に包まれている。

 置かれた家具、テーブル、ソファー、カーテン、次々と炎の中へと消えていく。

 視界は黒煙によって遮られ、呼吸が徐々に苦しくなってくる。

 咳が出る。

 酸素が欲しい。

 息を吸い込むと、熱された空気が入ってきて、喉、肺と焼かれていく。

 苦しい。


 どこかから声が聞こえてくる。

 先ほど、妻夫木がいたリビングからだ。

 よく耳を澄ませると、その声が女の声であるということがわかった。

「警告をしたのに。全部あなたが悪いのよ」

 そう聞こえ、振り返る。

 そこには、ダークレッドのレザーコートを着た、髪の長い女が立っていた。

「おまえは、誰だ」

 久我はその女に問いかける。


「自分ですか、自分はN県警――――」

 そこで思念が断たれ、再び現世へと呼び戻される。

 少し離れた場所から、大声で制服巡査が自分の所属を答えている。

 また邪魔が入った。

 久我は苦笑いをすると、制服巡査の方へと歩み寄っていった。


「すまない。ちょっと、ひとりで捜査がしたいんだ。放っておいてくれないか」

「失礼しました。では、お気をつけて」

 制服巡査は敬礼をすると、そのまま自転車に乗って去っていった。

 久我は制服巡査が完全に去っていったことを見届けてから、再び妻夫木邸の中へと戻った。


 さて、やり直しだ。

 久我は、再びリビングルームの跡地を歩きはじめる。

 黒髪の女。あれは誰なのだろうか。

 そして、妻夫木とはどういう関係だったのだろうか。


 ふと足元に何かが落ちていることに気がつき、久我はそれを拾い上げた。

 小さな金属片。元は指輪だったようだが、炎に焼かれて歪な楕円形に変わってしまっている。

 その指輪を手の中に握り、久我は目を閉じた。


 体が宙に浮かぶ。第三の眼。俗にいうところの神視点というやつだ。

 炎に包まれるリビング。そこにいるのは、家主である妻夫木とレザーコートを着た黒髪の女。

 妻夫木とレザーコートの女は何かを話している。

 しかし、声は聞こえない。

 聞こえるのは家具の燃える音だけだ。

 女が妻夫木に手をかざした。


 炎が上がった。

 それは妻夫木の身体からだった。

 どういう原理なのかはわからないが、妻夫木の体内から炎があがり、身体を焼いていく。


 女が笑った。甲高い声だった。


 妻夫木は、炎に包まれながら、苦痛に悶え、床を転がる。

 妻夫木は、女に助けを求めて左手を伸ばす。

 その薬指には結婚指輪がはめられている。

 どうやら、この指輪の持ち主は、妻夫木のようだ。


 女は妻夫木にひと言だけ声を掛けた。

「裏切り者には死を」

 はっきりとその言葉だけは聞き取ることができた。


 この女は何者なのだろうか。

 裏切りとは何なのだろうか。

 

 その時だった。

 突然、女がこちらを見た。

 女と目が合う。


 それは、ありえないことだった。

 いま久我が見ているのは、残留思念と呼ばれる物に残された記憶である。

 これは過去の出来事を映像化したものだ。


 それにも関わらず、女はこちらを見ている。

 ただの偶然か。そう思った矢先に、久我の身体が炎に包まれた。


「くそっ」

 久我は慌てて握っていた指輪を地面へと投げ捨てた。


 意識が現世へと戻ってくる。

 手に痛みがあった。

 久我が手を広げてみると、手のひらには小さく火傷の痕が残っていた。


「どういうことなんだ」

 久我は困惑していた。

 こんな経験をするのは、はじめてのことだった。


 ただひとつだけわかったことがある。

 それは、あの女が妻夫木を焼いたということ。

 そして、久我にとって敵であるということ。


 持ってきていたカバンの中からインスタントカメラを取り出すと、久我は自分の額に当てて写真をいくつか撮った。

 これも久我の能力のひとつだった。

 しばらくすると、撮影した写真がぼんやりと浮かび上がってくる。

 念写。久我はこの能力をそう呼んでいた。

 暗闇の中で撮られた写真には、しっかりとあの黒髪の女の姿が残されていた。

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